丹後山から越後沢山敗退の記     登山日2005年8月20日〜8月21日

丹後山から見る中ノ岳・兎岳・大水上山の稜線


丹後山(たんごやま)標高1809m 群馬県利根郡・新潟県南魚沼郡

一ヶ月前に越後沢山を本谷山経由で目指した。しかし、あえなく敗退となり逃げ帰ってきた。どうしても登りたいとの気持ちで、今度は丹後山から挑戦することにした。

8月20日(土)
 十字峡を出発したのは朝5時をまわっていた。一ヶ月前は4時でも薄暗かったが、今は5時でも同じような暗さだ。今や通い慣れた沢沿いの林道を、この前よりも重さを増したザックを背負って歩く。今回は丹後山避難小屋に一泊の予定があるから、コンロや着替えを持っている。それにたいした量ではないが、食料もそれなりに持っている。この前は虻の攻撃に遭わなかったものだから安心していたが、この日は栃ノ木橋に近づくにつれて虻の数が増えてきて、あちこちにまとわりつくようになった。これはたまらないので、タオルを振り回して追い払おうとしたが、とっても太刀打ちできる数ではなった。特に脇腹などは払っても食らいついてくる。すっかりペースを乱されて、登山口の標識を見るのもそこそこに山道に入った。
憎き虻
 樹林の中に入っても虻は執拗に顔の周りを飛び回り不快だった。それにしてもここの急登はなかなかのものである。10年前に登ったときは、バテバテで丹後山避難小屋にたどり着くのがやっとだった。今日は背負った荷物は同じようだが、なにか疲れが少ないように感じる。10年前よりも体力が増加しているとも思えないので、そのときの体調と言うことなのだろう。それにこの急登は一ヶ月前の本谷山に較べたら、たいしたことは無いと思われる。それほど本谷山に通じる中尾ツルネの尾根道はきつかった。

 1合目は何の変哲もない樹林の中だ。噴き出す汗を受けているタオルを外して絞ると、ものすごい量の汗が地面をぬらした。今日も水分は3リットルを持ってきているので、安心して水分補給が出来る。とにかくこの時期は水切れが一番怖いことは確かだ。まして途中に水場があれば良いのだが、それが期待できないのこルートでは、この点が一番の課題となる。

 ここからは丁目石を見つける度に腰掛けて水分補給をすることになった。蒸し暑い樹林帯も七合目で開放されて丹後山の山頂部分が間近に見えると気分的に楽になる。周囲の山々も見渡せるようになり、八海山、中ノ岳、が大きい。目を転じれば目指す越後沢山、その奥に本谷山が霞んでいた。八合目になると丹後山まで続く笹原の中の道が際だって目立つ様になる。ここまで来ると風が吹き抜ける事で涼しさを感じる。時間はまだ11時、焦ることもないのでゆっくりと上部を目指すことにする。

 九合目は県境稜線で、十字路になっている。十字路と言っても、これから向かおうとする巻機山方面は笹に覆われて踏み跡さえ見ることは出来ない。ひとまず左に折れる丹後山山頂への道を分けて、僅かに直進して水場に向かう。10年ほど前に来たときの、雪渓を期待して足早に歩いた。ところがその水場の雪渓はすっかり消滅して草付きの斜面は表土があらわれていた。期待していた冷たい水は得ることは出来なかった。今年は残雪が豊富だったのだが、さすがにこの時期になると、消えてしまうのは仕方ないことだ。それでも雪渓跡には夏の名残のハクサンコザクラが風に揺れて咲いていた。上部の草原にはニッコウキスゲ、ハクサンフウロが色鮮やかに咲き誇っている。草原の中の道をそのまま進むと道形は無くなり、いつしか笹藪の中に迷い込んでしまった。引き返そうかとも思ったが、おおよその地形はのみこんでいるので、そのまま薮漕ぎで進んだ。

 薮を漕いで県境稜線に再びたどり着くと、目の前には中ノ岳を盟主とする越後三山が大きく迫って見えた。ともかく丹後山避難小屋を目指して道を南東に向かって戻ることにした。やがて、何の変哲もない丹後山の山頂を通過して、丹後山避難小屋に到着した。小屋の前にには天水を貯めた500リットル程度のポリタンクがあり、下部のバルブを開けて顔を洗った。汗にまみれた顔を洗うと実にさっぱりとして実に気持ちが良かった。





 小屋の中に入ると中はきれいに掃除がされて、一流の旅館のようだ。利用者名簿を見るが、あまりここを利用する人はいないようだ。それもそのはずでここから3〜4時間で十字峡に戻れるので、よっぽどのことがない限りここには泊まらないのだろう。ともかくザックの中の宿泊用具などの荷物を取り出して、ザックを軽くした。そして、簡単な食事をして再び出発だ。

 先ほどの九合目まで戻り、越後沢山に向かうことにする。時刻は12時まだたっぷりと時間はある。笹の中に入ると思っていたよりも笹の密度が濃いことに驚いた。腰あたりまである笹薮には踏み跡は全く見られず、この時期にここに入ることは無謀だと言うことなのかも知れない。笹をかき分けて進むのだが、笹は細く柔軟性があるために足に引っかかって前のめりに転がる事もある。30分ほど歩いて振り返ると、丹後山のなだらかな斜面が穏やかに大きく見えていた。それと同時に30分歩いても、僅かな距離しか進めなかったことに深い落胆を覚えた。地形図を取り出してみると越後沢山に行くには、まだほんのちょっと踏み出しただけの距離であることが解った。そうして景色を見ていると、谷を挟んだ桑の木山の方角から湧き上がった雷雲が、どんどん近づいて来るのが確認できた。雷鳴も聞こえる様になってきた。こうなると、先に進もうという気持ちが失せてしまった。雷を理由に引き返したところで恥ずかしいことではないだろう。そうしているうちに雷雲は、この県境稜線にまで押し寄せて来てしまった。もう一刻の猶予もならない、すぐに引き返すことにした。

 しかし、九合目の起点まで戻るとその雷雲は消滅して、雷鳴も聞こえなくなっていた。再び笹藪の中に踏み込む気力もなく、そうかといって小屋の中に入ってゴロゴロするのも情けない。そこでとりあえず利根川の水源である三角雪渓に行ってみることにした。

大水上山の三角雪渓
ミウガシワ
トリカブト
ニッコウキスゲ ・ ハクサンフウロ
ハクサンコザクラ
ショウジョウバカマ
リンドウ
ギンリョウソウ
キノコはわからん



 三角雪渓はこの時期にあってもその姿をとどめたままであった。雪渓の下からは溶け出した水が流れ出しており、これが利根川の最初の一滴であると思うとなにか愛おしいものがある。その周囲はハクサンコザクラ、ニッコウキスゲが取り囲み、それを眺めていると時間が過ぎるのが、とてもゆっくりに感じられる。日射しは幾分傾いたようにも感じられる晩夏の風景は飽きることがなかった。

 小屋に戻ると、あとはゴロゴロするだけだ。小屋には毛布やゴザが置いてあった。しかし、今日はマットとシュラフカバーを持ってきているのでそれを使うことはなかった。小屋には様々な備品が置いてあり、ここに空身で逃げ込んでも充分に生活が出来るようになっていた。むしろ暇があったら、ここに住み込んでも良いと思うほどだ。越後沢山は明日のアタックに変更して、これから充分に休養を取ることにした。今日はもう誰もここに来ることは無いだろう。貸し切りの避難小屋でくつろぐことにしよう。ラジオの声を相手にして、ビールでささやかに乾杯した。いつしか外はガスが巻きはじめて、雨音が聞こえてきていた。
朝焼けの雲と中ノ岳
 つい寝過ごして時計を見ると6時をまわろうとしている。窓を開けると簿明の空に浮かんだ雲が真っ赤に染まっていた。「そうだ写真を撮らなくては」そんな気持ちで備え付けのサンダルを履いて外に出た。なんだか腰が抜けたようになってヨロヨロと丹後山の山頂に向かった。西の空には残月が浮かび、中ノ岳の稜線は赤く輝きはじめていた。刻々と変化する山々は、それだけで充分に見応えがある。それとともに朝霧が薄くなって消えていく様は飽きることがない。
 小屋に戻り、ラーメンの朝食を摂った。水分と塩分を充分にとってこれから越後沢山に向かって行かなくてはならない。6時30分を目標に作業を進めるとなんとかその時間にはザックを背負って外に出ることが出来た。前日と同じように九合目から巻機山方面に向かって笹藪の中に入った。ところが昨日とは様子が違う!!それは前夜に降った雨がたっぷりと笹に付いており、ちょっと進んだだけで、下半身はびしょ濡れとなった。これは手強いとその時に思った。それでも昨日のトレースを辿ると何となく薮漕ぎが楽なような気がした。

 それでも30分薮を漕いでもたいした距離を稼げない。我慢してさらに30分歩いたが1792mの標高点の手前で身の丈を越す笹に阻まれてしまった。時間を見ると8時を回っているので、あまりの時間経過に驚いてしまった。これでは越後沢山までは行き着くことは不可能である。

 どうしようか??悩んだ挙げ句の結論は「断念」の二文字だった。山頂にたどり着けないのなら、結果は同じである。

 今回も惨敗である。再び笹を漕いで小屋への道を辿った。途中の1770m付近の見晴らしの良いところで立ち止まった。携帯電話のスイッチを入れると猫吉さんからメールが届いていた。癪だが越後沢山は断念した旨の返信を行った。返信して時間を見ると7時10分だった。時計を見ると8時10分である。どうやら朝の時報で時計を合わせたが、1時間も間違えていたようである。越後沢山の方角を見ると何か後悔を残している。時間はまだたっぷりある。もう一度挑戦してみよう。

 再び越後沢山に向かった。ともかく1792mの標高点までは行ってみよう。

 目標がいきなり低くなったが、今となってはそれが悔いを残さないための行動だった。1792m手前の薮は再び取り付くと、笹とシャクナゲが混在する薮は本当に手強かった。笹の上によじ登って(?)何とか目標のピークに立つことが出来た。このピークからは越後沢山が、まだまだ先に見えていた。ここから見ると、あと3時間は掛かりそうである。深いため息が肩を落としながら出た。無念ではあるが、なにかこれほどまでひどい笹藪には諦めると言うことがが納得出来る。

笹原が風で波打つ様子を見ていると何となく「サトウキビ畑」の歌が自然と口からこぼれた。そして今日の締めくくりにベートーベンの第九を大声で歌ってこの笹原を後にした。

「フロイデ!!」
「ラゥフレット ブリューデル」


遙か遠く越後沢山(1792m標高点から)

「記録」

8月20日
十字峡05:03--(.34)--05:37登山口--(5.21)--10:58丹後山避難小屋


8月21日
丹後山避難小屋09:15--(2.24)--11:39登山口--(.37)-12:16-十字峡



群馬山岳移動通信/2005