坂東太郎の水源を尋ねて
登山日1995年8月14日〜8月15日


丹後山(たんごやま)標高1809m 群馬県利根郡・新潟県南魚沼郡/大水上山(おおみなかみやま)標高1831m 群馬県利根郡・新潟県北魚沼郡・新潟県南魚沼郡/兎岳(うさぎだけ)標高1926m 新潟県北魚沼郡・新潟県南魚沼郡
利根川水源の碑
以前から利根川の源流を尋ねて、その最初の一滴が始まる所に行ってみたいと思っていた。その場所は群馬県の最北端に位置する「大水上山」で、近くには「丹後山」と言う植生の豊かな山がある事もあり、余計にその思いは募っていた。

 JCAのYAMAファイルを見ると、超人ばかり三人がそれぞれに歩いている。コースタイムが参考になるか否か別にして、プリントして何回か読み返した。その結果、偉駄天佐藤さんが日帰りで成功している。そのルートも途中で、中ノ岳避難小屋に一泊すればなんとかなりそうな気がしてきた。そこでルートは「十字峡→丹後山→中ノ岳(泊)→十字峡」とする事にした。しかし二日目の15日はは村の仲間との懇親会があるので、早く帰らねばならないと言う条件付きであるので、時間がある程度限定されていた。

 無人の避難小屋泊まりとはなんとも心細いものがある。したがって、装備はテントがツェルトになった位で、たいして天幕縦走とは変わらない装備となった。それに暑さに備えて水は三リットルを準備したので、装備は30キロ近くになってしまった。お禍畑

 8月14日(月)

 **敗退寸前の丹後山への登り**

 前日の22時頃に自宅を出発、関越道の塩沢石打SAの駐車場で仮眠をとる事にした。しかしこれは最初のつまずきとなってしまった。それはあまりにも暑苦しくて、とても眠れる状態ではなく、車の屋根を開けて寝る事にした。それでも暑くて何度となく寝返りをうちながら時間を過ごすと、やっと涼しい風が吹くようになった。これでやっと何とか眠れそうになった。ところがそれからは二輪の若者がなんとも騒々しい爆音を響かせるものだから、とても眠れない。そのうちにどこかへ行くと思ったが一向にその気配がない。じっと我慢しながらウトウトしていると夜明けになってしまった。結局一睡も出来ないまま登山口のある六日町ICを出て十字峡に向かう事になった。

 十字峡までの道は空いていて快適に走行できた。それに所々適当な駐車余地がありここまで来て眠れば良かったと後悔した。十字峡トンネルを抜けると道は、直進するもと右に向かうものとに二分する。右に向かう道が丹後山登山口に続くのだが、あいにく鎖がかけれれて施錠がされていた。期待していた林道を車で走行して、時間短縮を計る事はダメだった。林道入り口は駐車スペースがあり10台程度は車が置けそうだ。今日の所は駐車余地は3台分しか空きがなかった。車の様子から釣り人がほとんどであると思われる。簡単な朝食をすませて、寝ぼけ眼で林道歩きをはじめた。しかし、歩き始めてすぐに背負っているザックが重い事をあらためて感じた。

 林道は渓流沿いの快適な道で、渓流には様々な滝が周囲の山から流れ込む、素晴らしい景観をなしていた。汗をかきながらひたすら登山口を目指すのだが気になる事がある。それはアブが異常に多くまとわりつくのである。首にかけたタオルを盛んにふりまわすのだが一向にアブの攻撃は止まない。それどころかTシャツの上からも、食らいついて来るのである。これですっかり歩くペースを乱されてしまった。

 栃の木橋の先にある登山口に着くと同時にザックを放り投げて逃げだした。あとから近づいてみると、ザックの汗がしみこんだ所にアブが群れていた。虫よけスプレーを大量に吹き付けて見たが余り効き目はなく、登山カードを記入するにも歩き回りながら書くほどだった。

 さていよいよ登山道に入り登りはじめる。ところがなんと言う傾斜の強い道なのだろうか。今までに経験した事がないような急登である。谷川岳の白毛門だって、中ゴー尾根だってこんなにきつくはなかった。それになんと鎖場まであるではないか。たちまち肩にかかるザックの重さが負担になってきた。それでもやっとのことで鉄砲平の標識のある一合目に到着した。コースタイムは先駆者とほぼ同タイムなので少しは安心した。一合目の丁目石に腰掛けて早くも休憩して水を飲む事になった。

 一合目から出発して上部に向かう。なんとここからはさらにきつい急登となった。鉄砲尾根と呼ばれるだけあって、いっさいの妥協なく一直線に上部に向かっての急登はこたえる。展望のない道は相変わらずで、登山口から付け回してくるアブが身体のまわりを飛び回るのがわずらわしい。

 二合目の丁目石に腰掛けて再び水を補給する。水はすでに500cc程度飲んでしまっている。これでは一合目毎に、水を一合づつ消費する事になってしまう。頂上に着くまでには2リットルを消費してしまって、残りは1リットルになってしまう。もし頂上に水場がなかったらどうしようかと不安がよぎった。

 大きな松が現れそばには「大松」の標識があった。そしてそこには三合目標石があった。もちろんここでも腰を下ろして休憩となった。そしていざ立ち上がろうとしたが、妙な倦怠感に襲われて気力が失せて来てしまった。それでもなんとか元気を出してふらつきながら行動を開始した。

 四合目は比較的展望に恵まれている。北方面には大きな中ノ岳がとても大きくそびえている。時間を見ると、佐藤さんがもう既に丹後山の頂上に着いている時間なのに、こちらはまだ4合目にいる。同じ避難小屋泊まりの赤地さんだって、もっとハイペースで登っている。梨を取り出してその甘さを噛みしめながら、これはどうも予定は変更になりそうだと思った。

 四合目から少し登った所で、上から降りてくる二人のパーティーに出会った。頂上の様子を聞くと小屋は快適で、水は十分に確保できるとの事なので少しは安心した。五合目は道の途中で展望もなくつまらないところだった。ここでカロリーメイトと水で栄養補給だ。しかし目を閉じると意識が無くなり、ハッ!!と我にかえる。やはり、昨夜の寝不足と、ザックの重量が効いている事は確かだ。

 カロリーメイトが効いたのか一時的にペースは回復した。しかし時間は既に10時をまわっている。ここで中ノ岳避難小屋での宿泊は断念した。なにしろ丹後山への到達さえ危なくなっているのだから。

 何度も何度も息を整えながら、気力で足を前に出す事だけが、頭の中にあるだけだ。とにかく「丹後山」だけには行きたい、これが希望だ。

 七合目までくると、南には巻機山からの稜線が、北には中ノ岳からの稜線が延びてきて目の前の丹後山で合流しているのがわかった。まわりは森林限界に近づいたのだろう、あれほど気になっていた潅木は極端に少なくなった。

 八合目はちょっとした岩の上で、展望が良い。そして笹原の中に道筋が緩やかに延びていた。ここまで来れば安心だ、あともう少しで丹後山だ。何となく足どりも軽くなり、ペースが上がった様にも思えた。そして笹原の稜線に着くとそこは十字路になっており、標識があった。右は「巻機山」左は丹後山、そして直進は「水場」となっていた。九合目の丁目石はその標識の下に埋もれていた。
丹後山雪渓
 まずは水場に行って水を補給する事にした。何しろここまでに2リットルの水を使い果たしているので不安があるからだ。笹原の中を進むとすぐに雪渓が現れた。まわりはニッコウキスゲ、コバイケイソウの花が咲き乱れて、山上の楽園の雰囲気がある。更に雪渓に歩を進めるとそこはお花畑であった。これほど見事なお花畑も経験が無いほどだ。ないしろハクサンコザクラ、ミツガシワ、イワカガミなどが群生しているのだ。本当にここまできて良かった。今までの疲れを忘れさせてくれるその見事さだった。しかし困った事に雪渓のいちばん下に行かなければ水は得られない。そしてそこに続く道は皆無なのだ、従ってお花畑の中に入らなければならないのだ。しかたないがそれしか方法はないのだ。なるべく芽吹きがされていない雪渓の淵を歩いて下るのだが、足元が極端に悪い。滑落したらただでは済みそうにない。なんとか雪渓のいちばん下までたどり着き、水を補給した。冷たい水はまさに甘露でありここで再び1リットルほど水を飲んでしまった。空にはアキアカネが飛び交いすっかり秋のたたずまい、しかし下ではまだ雪解けと芽吹きが始まっていると言うのに。ここではまったくわずらわしい虫がいない。それはおそらくトンボが、いるためだと思う。

 水を補給して気分的に楽になり、いよいよ最後の丹後山の登りに取り付く。歩き始めて数分で六日町が建てた立派な丹後山避難小屋が現れた。武内さんの指摘の通り、位置は地形図とは異なり、明らかに群馬県側の湿原にある。新潟県側の笹原に建てればある程度は論争が和らいだと思うのだが・・・。それにしても国土地理院のこの小屋の位置の表現は何だろうか、全く情けない。

 小屋の中は無人の避難小屋にしては清潔で快適そうだ。ドアを開けて中に入り様子を伺うと誰もいない。今日は一人でここに泊まるのかと少々寂しい気持ちになった。靴を脱ぎ鉄の梯子を登って二階に登ってみる。そこにはシュラフが二つ置いてあり、だれか宿泊している様である。天井には草刈機が三台収納されていて、毛布も数枚が手摺にかけられていた。土間には石油ストーブが置かれているところを見れば、石油さえ持ってくれば多少寒い時期でも快適そうだ。ともかくここで簡単な食事をして、重たい荷物を置いて先の山を目指す事にした。


**利根川の最初の一滴**


 軽くなったザックを背負い歩き出すと、今までの地獄の様なつらさが嘘のようだ。数十メートルで丹後山山頂に着く。山頂は際だったピークではなく、登山道の中の盛り上がった所のようだ。まわりは笹薮で、登山道から離れる事は出来ない。ここで144Mhzで数局とQSOをして先に進んだ。

 快適な稜線歩きを続けると、登山道脇に石碑が現れた。「利根川水源 群馬県知事清水一郎書」と書いてある。さらに「北緯37度03分07秒/東経139度05分54秒/標高1834m」とも記されている。目的のひとつである利根川の水源にやってきた事で胸が高鳴った。稜線の下には雪渓が見えている。これが坂東太郎の最初の一滴を生み出す三角雪渓だ。三角と言うよりも、ハート型と言った方が良いようにも見える。早速その雪渓のいちばん下に向かった。丹後山の雪渓よりも長さが短く、簡単に最下部に到達する事ができる。そこにはまさしく利根川の流れが始まっていた。しばらく感慨に浸りながらその流れを見つめてしまった。その水もPETボトルに詰め込んで持ち帰る事にする。

お花畑大水上山の三角雪渓 三角雪渓を離れて今度は群馬県の最北端である大水上山に向かう。道はほぼ平坦で高低差はあまりないので山のピークに向かう感覚はあまり起こらない。大水上山に着くとそこは笹原の薮の中に標識が立ててあり、奥利根水源の山の良き展望台となっていた。見おろせば利根川、只見川、魚野川の流れに交わる流れの分水点である事が良くわかる。144Mhzと430Mhzで各一局づつQSOをして荷物をまとめる事にした。

 次は目の前に大きく見える兎岳だ。一旦潅木のある急坂を降りてから再び登り上げる事になる。荷物が軽いのか、すこぶる快調でまわりの景色に見とれながらも一気に山頂に兎岳の山頂に到達する事ができた。荷物が軽いと言う事はこんなに違うのかと思った。兎岳は今日登って来た山の中では最高の展望がひらけていた。去年登った平ヶ岳は目の前に大きく構えており、振り返れば中ノ岳が更に大きく見えていた。本来ならばあの山が今日の宿泊予定だったと思うと、今ここにいる自分がなんとも惨めに思えてくる。しかし、考えてみれば、これだけゆっくりと利根川の水源の山を見て歩けるのだから、この方がむしろ良かったのかもしれない。

 山頂からは430MhzでCQを出したが全く応答無し。バンド内を覗いて見ると守門岳の移動局がでていたので応答してQSLは確保した。ほかにも聞こえないかと覗いてみるとどこかで聞いたコールサイン。RBBS高崎ネットの常連のJI3MBT/山田さんだった。黒斑山の一角からの運用だと言う事である。おもわず、今日は思わぬ事態により予定変更して、丹後山の避難小屋泊まりとなった旨を伝えた。さらにこのことを知っているのは山田さんだけなので、もしもの時はよろしくとお願いした。(山田さんはこの後必死で私の電話番号を調べて、妻にこの予定変更の件を知らせていただいた。まさにこれこそ山と無線のつながりの有り難い関係であると実感した)ともかく時間も遅くなり自分の影も長くなってきたので、急ぎ避難小屋に向けて下山の道を急いだ。


**「丹後山避難小屋」での一夜**


 避難小屋のドアを開けると相変わらず誰もいない。今日はこの広い避難小屋で単独での宿泊になるのかと若干の不安が頭の中をよぎった。ともかく避難小屋の外に設置された天水を蓄えたドラム缶の水で体を拭いてから、二階に上がり乾いた服に着替えた。気分的にもさっぱりしたところで今日の食事を作る。メインはインスタントの「石狩雑炊」と「あべかわ餅」である。簡単なものではあったが十分に満足出来る夕食だった。しかし今日は水を飲み過ぎている、それも煮沸していない水である。今の所は何でもないが念のためにクレオソートを飲んでおく事にする。

 落ちついた所でコーヒーを沸かして飲んでいると、避難小屋のドアが開いて二人の登山者が入ってきた。どうもお昼に着いた時からあったシュラフの持ち主らしい。お互いに簡単な挨拶を交わして、それぞれに話をはじめた。驚いた事に安中の近くの人で「Kさん」と「Oさん」であった。お互いに共通の知人もおり、何となく打ち解けて同宿出来そうなので安心した。今日はこれ以上登山者は来ないと思われるので、二人は一階に私はこのまま二階に居を構える事となった。聞けば昨夜はナイスミディが大挙して宿泊してとてもうるさかったと言う。

 夕暮れの山を見ながら、窓越しに景色を眺めながら144Mhzをワッチしてみる。するとやけに緊迫した交信が入感してきた。それは飯豊連峰で怪我をした登山者を救出をしている非常通信だ。一杯飲みながら妙な興奮を覚えながら聞いていた。最後はヘリコプターによる搬送で無事に非常通信は幕を閉じた。

 今度は階下から声がかかった、「どうですか下で一緒に」。言葉に誘われるように下に降りる事にする。早速「これはユキザサで、アスパラみたいなもんです」と言って野菜を差し出された。口に入れると塩味のまことに旨いものだった。聞けば今日、沢登りをしている時に採ったものだと聞かされた。(正式にはユキザサとは別物でヒメイワショウブに近いものと思われる)次は「これを見て下さい」とビデオカメラを差し出された。ファインダーを覗くと気持ち良さそうな沢登りの風景が撮されていた。「今日撮ったものです」それからはこのビデオを見ながら、ああでもないこうでもないと話が盛り上がった。この人たちはただ者では無いと思って、素性を聞くと「群馬県の奥利根地域学術調査」に参加していたらしい。また群馬岳連が発行した「群馬の山」三部作の一部執筆をしていた。(家に帰ってから本を見たら確かに氏名が記載されていた)そんなことで20時ころまで話をしてから別々に別れて眠る事になった。

 前日からの睡眠不足と疲れもあり、一気に深い眠りに入ってしまった。


8月15日(火)

**下山も敗退寸前**


 寒さで目が覚めると5時30分だった。温度計は18度を指している。窓を開けると外はガスが巻いており、視界は10メートル程だ。今日の天候はあまり良くないのだろうか ?。階下の二人組はとてつもない大きなイビキをかいてまだ熟睡をしている。よほど前日のアルコールが効いているのであろう、ときおり寝言まで聞こえる。滝壷に落ちた夢でも見ているのだろうか。良くこれだけの大きな騒音の中で熟睡出来たものと我ながら感心した。ともかく食事の準備をする事にする。朝食は「椎茸飯」と「味噌汁」がメインだ。インスタントだがなかなか旨く出来るものと感心した。

 時間が経過してもなかなかガスは晴れてこない。時間も過ぎて行くばかりなので、荷物をまとめて出発の準備をする。下に降りるとKさんが起きていていたので、丁重に昨夜のお礼を述べてから避難小屋を出た。

 このまま帰るのはもったいないので、再度丹後山山頂で無線運用だ。運良く430MhzでCQを出している局がいたので、その局と交信して山頂を後にした。しかしまだ名残惜しいので、雪渓の所に行ってみる。そのころにはガスも晴れてきて、再び夏の太陽が照り始めてきていた。雪渓の水で顔を洗い、喉を潤してからまわりの花々を鑑賞して時間をすごした。ふと見ると大きなナメクジがいる。これをはじめてみたのは苗場山だったがその時のものよりはるかに巨大だ。タバコの箱を二つ並べたほどの長さがあるので約20センチはある。今はかなり餌が豊富だろうが、厳冬期はどのようにしてしているのだろう。たいした生命力だと感心した。

 丹後山からの下りはさぞかし楽だろうと思ったが、とんでもない事だった。今度は急坂を降るのだ。良くもこんな坂道を重い荷物を背負って登ったものだと思う。特に最後などは降りる時間と登る時間がほぼ同じとなってしまった。登山口の栃の木橋についた時には汗でずぶ濡れとなっていた。

 林道を少し歩いた所に小滝が落ちていたので、裸になって身体を洗った。冷たい水でシャワー気分だ、幸いに人が来なかったからいいが、林道上なのでかなり恥ずかしい場所ではあった。(あとで赤地さんの記述を見たら、同じ様な場所で同じ様なことをしていたので驚いた)さっぱりしたところで着替えて、十字峡までの林道を辿った。



「記録」

8/14(月)

 十字峡05:23--(.33)--05:56栃ノ木橋06:06--(5.33)--11:39九合目--(.05)--11:44水場(雪渓)12:03--(.06)--12:09九合目--(.05)--12:14丹後山避難小屋12:40--(.02)--12:42丹後山13:07--(.19)--13:26三角雪渓13:46--(.06)--13:52大水上山14:35--(.25)--15:00兎岳15:47--(.18)--16:05大水上山--(.24)--16:29丹後山避難小屋

8/15(火)

 丹後山避難小屋07:20--(.02)--07:22丹後山07:30--(.06)--07:36水場(雪渓)08:04--(.04)--08:08九合目--(2.17)--10:25栃ノ木橋11:03--(.27)--11:30十字峡


参考
「登り」
栃ノ木橋06:06--(.19)--06:25一合目06:32--(.31)--07:03二合目07:12--(.26)--07:38三合目07:52--(.36)--08:28四合目08:58--(.30)--09:28五合目09:50--(.13)--10:03六合目10:16--(.25)--10:41七合目11:01--(.12)--11:13八合目11:22--(.17)--11:39九合目

「下り」
九合目08:08--(.09)--08:17八合目--(.06)--08:23七合目--(.08)--08:31六合目--(.06)--08:37五合目--(.15)--08:52四合目09:01--(.17)--09:18三合目09:28--(.19)--09:47二合目09:52--(.16)--10:06一合目10:08--(.17)--10:25栃ノ木橋




                   群馬山岳移動通信 /1995/