新穂高温泉から「槍ヶ岳」へ   登山日2012年10月9日




槍ヶ岳直下から上部をみる


槍ヶ岳(やりがたけ)標高3180m 長野県松本市・大町市・岐阜県高山市



槍ヶ岳は登りたい山だったが、連続した休暇が取りづらいこともあり、それは長年の夢となっていた。また、小屋泊まりは好きではなく、混雑した休日に泊まる気はにはなれなかった。しかし、今年の8月に蝶ヶ岳から見た、槍ヶ岳から大キレットを経て奥穂高岳に続く稜線を見たときに、歩いてみたいと強烈に思い始めた。それに、あと2ヶ月で還暦となってしまうこともあり、体力のことも考えるとここで歩いておかないと生涯歩けないような気がしていた。

そんなこともあり、なんとか登りたいと考えた。まずは休暇だが、定年で会社を辞めることに決めた。そうなるといままで使っていなかった有給休暇を気兼ねなく使える条件が出来た。いままで41年間勤めたなかで有給休暇を使い切ったことなど無く、このタイミングで連続して使うことぐらいかまわないだろう。


10/09(火)

昨日18時に自宅を出て、新穂高温泉無料駐車場に21時半に到着した。駐車場は3連休最後の日ということもあり、予想通り7割ほどが空いていた。ビールは我慢して早速車中泊となった。


4時半に起床し、出発の準備に取りかかる。寒さはさほどではなく外でお湯を沸かしてカップラーメンを食べた。空には星が残り、今日の晴天を約束してくれているようだ。さてここからどうやって登山口まで行ったらよいのか全くわからない。しかたなく戻ってから、車道を辿って新穂高ロープウェイに向かうことにした。車道に掛かるスノーシェードの中はうす暗くヘッドランプの明かりがなければ心細い。車道から川沿いを見ると歩道が見える。どうやら駐車場の上部からの道があったようだ。ロープウェイ駅手前の新穂高登山指導センターであらかじめ書いて置いた登山届けを提出。登山口で提出したことは無いのだが、事故があった場合は提出して無いことを咎められる可能性がある。今回ばかりはもしものことを考えると、提出しないわけにはいかなかった。

ロープウェイ駅を過ぎると車道は通行止めになった。しかし幅の広い車道はそのままだ。やがて、車道に朽ち果てて文字もかすれている道標に出会った。どうやら車道をショートカットして登っていく道らしい。迷わずにこの道を選択するが、かなりの急登ですぐに息が上がってしまった。これはイカンとペースを落とした。ショートカットの道の出た先は穂高平小屋だった。人の気配はなくひっそりとしており、生活の匂いもしなかった。

車道は相変わらす続いているので、いつ登山口に着くのか不安になるほどだ。
穂高平小屋から30分ほどで、奥穂高岳への道が山側にある。帰りはここに降りてくる予定だ。その場所には小屋の関係者のものだろう、飛騨ナンバーの車が3台駐車してあった。さらに10分ほどで白出沢を渡ることになる。林道はここまでで、大規模な堰堤工事が行われているらしくバックフォーが置かれていた。白出沢に掛かる鉄の橋を渡り対岸に渡ると、樹林帯に入り右俣谷に沿ってなだらかに登っていく。途中で二人の登山者に追い越されて白出沢から1時間ほどで滝谷避難小屋に到着。

避難小屋は簡素なものだが、清潔にされており水場も近く不安感は全くない。小屋の中に入り、腰を下ろしてゼリー飲料を飲んだ。程なく男女のパーティーが到着したが、小屋の中には入らず外で休憩していた。



登山指導センター

穂高平小屋

槍平小屋はすでに終了

滝谷を横切る



寒いこともあり、5分ほど休憩してから小屋を発つことにした。ここからのルートはピンクリボンが谷の中に続いているが、これを無視して小屋の裏にある道を辿った。しかし、結局は谷の中に入るのでリボンに従った方が良かったのかもしれない。それにしても滝谷の中から上部を見上げると、恐ろしく屹立した岩壁と、峨々たる山稜が連なり鳥肌が立つようだ。あの山稜をやがては縦走しなければいけないと思うと、足下が震えるような感覚を覚えた。滝谷の対岸にはロッククライミングの先駆者「藤木九三」さんのレリーフがある。ここで立ち止まると、すでに下山してくる3人と出会った。皆無口で掘ろう困憊と言ったところかもしれない。

滝谷を渡り、再び右俣谷の本流に沿って登山道は樹林帯の中を進んでいくことになる。ここまでくると木々の紅葉も鮮やかさを増してくる。この飛騨側の南斜面はなかなか日が射してこない。山頂部を照らしていた朝日が、午前9時になりやっと足下を照らすようになった。こうなると一気に暖かくなり、カッターシャツを脱いでちょうど良くなった。道がなだらかになり、沢の流れを見送ると「槍平小屋」の赤い屋根が見えてきた。槍平小屋は10月7日で営業終了。いまは看板も外されて後片付けの真っ最中だ。5人ほどの小屋番は荷揚げ用のデッキの上で車座になってお茶を楽しんでいた。私もこのデッキの隅っこで休むことにした。それにしてもここの小屋番の姿と態度は・・・・。槍平小屋を過ぎると広大なテント場となった。標識によればここから奥丸山に行けるらしい。標高は約2000m、槍ヶ岳までは標高差1000mあるのでまだまだ先は長い。気合いを入れてザックを背負った。

木々の高さも低くなり、森林限界が近いことを伺わせるようになった。振り返れば大きな笠ヶ岳がどっしりと控えている。いつかはあの頂きに登りたいものだと考えてしまった。やがて最終水場に到着、パイプを伝わって勢いのある水が流れていた。ここには男性3人グループが休んでおり、言葉を交わした。彼らは明日になったら南岳から新穂高に下るそうだ。大キレット越えは避けているようだ。水をたっぷり飲んでから槍ヶ岳に向けて出発だ。

標高2500m付近で森林限界になったようだ。このあたりで朝、追い越されたトレランの男性とすれ違った。凄い早さだ、この分なら往復6時間といったところだろうか。山頂は空いており、この秋最高の展望が得られたとのこと。期待は膨らむが、どうやら雲が多くなって来たようだ。


藤木レリーフ

槍平小屋は店じまい

まだまだ遠い

やっと森林限界



標高2550mの千丈分岐にたどり着く。ここでザックをおろしてルートを考える。このまままっすぐ行けば、飛騨乗越で急登ながら距離が短い。左に行けば千丈沢乗越で距離は長いが比較的緩やかに登れる。遅れてきた三人組は迷わずに千丈沢乗越に向かっていった。まだ時間はあるので、味噌汁を作って餅を入れてストーブで簡単な食事を取る。どうせなら急登の方を登ってみようと選んだ。それは人の姿が全く見られないということもあった。

目指す槍ヶ岳山荘は頭上に見えているが、いくら歩いても近づいてこないような感じを受ける。それもそのはずで、標高2700m付近から息が上がってしまい、立ち止まることが多くなった。また、広がっていた青空に雲が多くなり、山頂付近は飛騨側から登ってきたガスが山頂まで覆うようになってきた。気分的に余裕が無くなったのかもしれない。いままで気がつかなかったザックの重みが堪えるようになってきた。55リットルザックはほとんどいっぱいで、総重量は18キロ程度になっている。小屋泊まりの経験が少ないこともあり、余分なものを持ってきているのかもしれない。水2リットル、非常食、ヘルメット、ハーネス、アイゼン、ストーブ、ガスカートリッジ2本、ツェルト、シュラフカバー、下着替え4日分、それに手袋、毛糸帽子はそれぞれ予備を持っている。帰ってから不要なものなどは精査しないといけない。

石が累々と広がった斜面につけられた道は細かく折れながら続いている。標高2800m付近で、上部から乾いた音がカン・カ〜〜ンッと響いてくる。おお、、落石がこちらに向かってくるではないか。それも大石はバウンドして落ちたときに小さな石をさらに巻き込んで向かってくる。不思議なものでこのときに取った行動は、カメラを取りだして動画撮影したことだ。まあ、落石対しては正面を向いて方向を定めて、左右に動いて避けることが有効と覚えている。まあ、こんな状態は冷静なのか、高度障害で判断力が鈍っているのかわからない。幸いにも落石は上部で止まったようで、ここまでは影響なかった。その後もう1回落石があったが、これは下方で起こったことなので、余裕だった。

息を切らしながらエアリアマップのコースタイムを30分近くオーバーして飛騨乗越に到着した。ここは吹きさらしに近いようで、汗ばんだ身体は急激に体温を奪っていった。おのわずカッターシャツを着込んでその上ヤッケの袖を通した。飛騨乗越から見ると信州側も飛騨側もガスが出ている。眼前にある大槍はその上にあるためか全体像を流れるガスの中に見ることが出来た。ここで大きくゆっくり深呼吸を繰り返してから、山荘までの道を登ることにした。

それにしてもなんときつい登りなのだろうか。幕営指定地の区分けの番号が見えてもなかなか山荘が見えてこない。きょうはもう大槍への登頂は諦めようかと思った。飛騨乗越から20分近くかかってやっとの思いで山荘に到着した。なんとか14時に山荘に到着したので気分的にはずいぶんと楽になった。宿泊の手続きをして、割り当てられた自分の場所にザックを置いて落ち着くことが出来た。まだまだ、時間は早いので今のうちに大槍に登ってしまおうと考えた。同じ部屋の単独行の男性もこれから登るというので、一緒に登ることにした。男性は過去にも登ったことがあると言うことで、「簡単ですよ、渋滞がなければ30分掛かりません」という。



千丈乗越

石の登山道

青空も次第に雲で覆われてきた



大槍の基部にとりついて登っていくが、困難さは感じない。むしろ落石が気になってスピードが出ない。それだけ浮き石も多いと感じたので慎重にならざるを得ない。ルートはペンキで矢印が書いてあるので問題なく、また登りと下降ではルートを変えているので問題はない。しかし、一部ではルートが交わるところもあるので、すれ違いとなると時間が掛かってしまう。連続して二つのはしごを登るとまさにそこが大槍の山頂だった。何年も憧れた山頂に立つと感慨もひとしおだ。あいにくと山頂はガスが掛かり展望はない。ともかく同行していただいた同宿の男性に記念写真をお願いして、早々に下山することにした。山頂にはひっきりなしに登山者がやってくる。いかに人気の山なのかがよくわかる。下山して山荘から振り返ると、いつの間にかガスが晴れて青空に大槍がそびえ立っていた。



飛騨乗越

槍ヶ岳山荘が見えてきた

槍ヶ岳に登る

最後のはしご

槍ヶ岳山頂

下山したら青空が見えてきた



槍ヶ岳山荘では、情報交換に努めた。一つはこれからの天気、大キレットの通過、白出沢の様子だった。山荘のネットで調べるとどうやら明後日が崩れるらしい。大槍に同行していただいた男性は私とは逆方向、つまり白出沢を登り大キレットを通過してきたという。情報によれば、還暦の人の単独行は無理じゃないかと言うことだ。白出沢は下降の時も気が抜けないらしい。大キレット越えはかなりの経験が必要とのことだった。食事の時に一緒に居た人は、大キレット越えを考えているが、明後日の天気が気になるので、南岳から新穂高に下りるという。さまざまな人が様々な考えを持って一夜を過ごすことになった。



槍ヶ岳山荘夕食(酢鳥)

槍ヶ岳山荘朝食(鯖の味噌煮)



新穂高温泉無料駐車場05:16--(.20)--05:36登山指導センター--(.51)--06:27穂高平06:34--(1.56)--08:30滝谷避難小屋08:36--(1.56)--09:32槍平小屋09:38--(.52)--10:30最終水場10:38--(1.03)--11:41千丈分岐10:49--(2.56)--13:45飛騨乗越13:48--(.18)--14:06槍ヶ岳山荘

槍ヶ岳山荘14:41--(.17)--14:58槍ヶ岳15:09--(.18)--15:27槍ヶ岳山荘




群馬山岳移動通信/2012



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)