「槍ヶ岳」から大キレットを越えて「北穂高岳」へ   登山日2012年10月10日





北穂高岳(北峰)から KさんとNさん


大喰岳(おおばみだけ)標高3101m 長野県松本市・岐阜県高山市/中岳(なかだけ)標高3084m 長野県松本市・高山市/南岳(みなみだけ)標高3032m 長野県松本市・岐阜県高山市/北穂高岳(北峰)(こたほたかだけ)標高3109m 長野県松本市・岐阜県高山市



10/10(水)


夜明け前に槍ヶ岳山荘の外に出てみると、常念岳の上に明けの明星(金星)と上弦の月が輝いている。また秀麗な富士山はよく目立つ、その左は甲斐駒、北岳だろうか、朝焼けの雲海の上に姿を見せていた。槍ヶ岳山荘の朝食は朝5時半からだ。食卓での話題は明日の天候の崩れだ。結論は早めに出さなくてはいけないが、慎重さが必要だ。特に単独行者は決断を人に頼るわけにはいかない。朝食の時からすでに結論は大キレット越えとなっていた。そんなわけで、出発も迷うことなく朝食後速やかに山荘を出発することが出来た。ザックを背負って外に出ると日の出が始まっていた。

さあ、北穂高岳に向かって一歩を踏み出す。まずは飛騨乗越に向かって下降する。昨日は苦しんだ登りだったが、下降はあっという間で、続いて大喰岳の登りとなる。かなりハードな登りで、岩場を何度も通過する。こうしてみると北アルプスは岩の山といえるのかもしれない。道が緩やかになると、そこが大喰岳だったが道は最高点を通過しないで過ぎていく。標識を見つけたのでちょっと寄り道だ。その間に後続のパーティーは最高点を踏まずに通過していった。

大喰岳からの稜線縦走はあまり快適とはいえなかった。それは岩石が行く手を阻み、それを通過するために神経をすり減らすことになる。やがてはしごを登って中岳、ここも登山道から離れたところにピークがある。ここには、大喰岳で追い越されたパーティーが休んでいた。とても寒く、じっとしていられないので、カメラのシャッターを頼んでからすぐに次の南岳に向かった。



槍ヶ岳山荘前から夜明け(右下に富士山)


山荘前を出発

大喰岳に向かう

大喰岳から槍ヶ岳



振り返るたびに槍ヶ岳は小さくなっていく。そして大キレットは目の前に迫ってくるのでいやが上でも緊張感は迫ってくる。このあたりから二人の若者と何となく話しながら歩くことになった。韓国から来ているKさん、東京から来ているNさんだ。3人でこれから向かわなくてはならない大キレットの事で一体感が生まれたのかもしれない。南岳では大喰岳から一定の距離を保っていたパーティーと一緒になった。どうやら彼らは南岳で、引き返して天狗平経由で上高地に下山するという。やはり大キレットはネックのようだ。Kさん、Nさんと一緒に南岳小屋で一休み。小屋のスタッフにコースの状況を聞いてみたが曖昧な返事しか帰ってこなかった。もっとも、聞いたところで「あなたなら大丈夫」なんて太鼓判を押されるわけもないのだが。この時点でもまだ大キレットに進むか、南岳から新穂高に下山するか迷っていた。ニコンFM2を首からさげた、Nさんは楽天的で「大げさな表現の案内がほとんどだけれども、きっとたいしたことはないはず」そう言いきっている。たしかに、ガイドブックはリスクを考えて少々オーバーに表現している場合が多い。二人はザックを背負ってすでに出発する様子を見せた。こうなっては前に進むしかない、これからこのコースに挑戦する機会はおそらく無いのだから。





大喰岳から北西方向黒部五郎岳と笠ヶ岳のピークが目立つ

南岳から上高地方面

これから大キレットに向かう



ストックはこの先邪魔になるだろうから、ザックに収納した。手袋を探したのだが、岩登り用の手袋が見つからない。仕方なく左の小指に穴が開いている軍手でしのぐことにする。ウエストベルトを調整して身体に固定、さあ大キレットに向かうことにする。それにしてもな北穂高岳までのなんと長大なる岩稜の道なのであろうか。ともかく下降するしかないのだが、浮き石が多く注意深く行くしかない。鎖とはしごの連続で気が許せない。ともかく下を見るのはもちろん上を見るのも恐怖感を覚えるため、目の前の岩を見ながら降りるしかなかった。Nさんは先行してどんどん進んでいく。Kさんは高所が苦手なのか、腰が引けた歩き方をしている。

最低鞍部の大切戸2748mには約1時間を費やした。ここで三人が合流し、いよいよ核心部に進んでいく。それにしてもなんと恐ろしい場所なのだろう。これから登ろうとしているルートは本当に道があるのか心配になってくる。大切戸からしばらくは難易度が低いが、長谷川ピークあたりから様子は一変する。狭い岩稜が続きその上を通過することは困難なので、飛騨側へ、信州側へ、再び飛騨側へと岩稜上を越えてルートが続いている。鎖があるので何とかしがみついて進んでいく。要所には金属プレートのステップがつけられており、足場は何とか確保できるので安心だ。ふと見ると、背後からショートパンツにハイドレーションを背負った外人さんが近づいてくる。何という軽装なのだろうか、思わず道を譲ってしまった。ナイフリッジを越えると、そこがA沢のコルだ。ちょっと一休みしてポットのお湯を飲むと、わずかばかりの安心感を覚えた。

飛騨泣きと呼ばれる難所は、これまた手強い一枚岩だった。鎖があるのだが、足場を確保することがなかなか難しい。昨日から感じていたのだが、右足のつま先を岩にかけて踏ん張ろうとするとアキレス腱に痛みが走るのだ。そんなわけで鎖にしがみついて腕力で身体を引き上げる事になる。重いザックと体重を引き上げるのので、かなりきつい登りとなった。なんとか身体を引き上げて膝を使って一枚岩を登り切ったときはかなり疲れを感じた。前を行くNさんはの姿はすでに見えず、Kさんは高所が苦手なので苦戦しながら登っていく。Kさんのルート取りを見ながらゆっくりと、自分の登りをイメージをしながら進むことが出来た。

途中で、私よりも年上と見られる女性とすれ違った。何でも穂高岳山荘からここまで3時間ということだった。涸沢岳から北穂のルートを尋ねると「ルートはしっかりしているし、要所には鎖があるからここよりも安心ですよ」と答えた。これで安心だとこのときは思った。女性と別れて再び岩場にとりつくと上部から「ラ〜クッ!ラ〜クッ!ラ〜クッ!」と大きな声がした。それとともに落石の大きな音がした。落石はKさんと私の間をものすごい勢いで落ちていった。Kさんも無事だったようだ。大声で「OK」と声をかけた。しかし、あのとき女性と立ち話をしていなければ、直撃を受けたかもしれない。




まだまだ始まったばかり

岩の殿堂

長谷川ピーク付近(ステップあり)

飛騨泣きに向かう





北穂高岳への最後の登りは岩場のジグザグ登りだ。ペンキの矢印の示す方向に向かって徐々に高度を上げていく。やがて人の話し声が聞こえ、次第に声が大きくなりガスに巻かれた北穂高小屋にたどり着いた。すでにNさんは小屋の前のテーブルに腰掛けて満足そうだ。無事を祝って3人で握手した。ザックを下ろすとなんと左肩が攣ったように一瞬動かなくなった。あと2時間もあれば穂高岳山荘に行けるのだが、今日のところはこの北穂高小屋に泊まった方が良さそうだ。

槍ヶ岳山荘で作ってもらった昼食のちまき弁当を取り出して食べようとしたが、堅くて食べられない。どうやらモチ米が冷えて堅くなったらしい。ちょっと囓ったがとても食べられたものではない。暖めたらどうかと思い、ストーブを取り出して、火を着けようとしたがなかなか火がつかない。見かねて隣の人がライターを貸してくれたが、それでも着かない。そうしているうちに、Nさんはスパゲッティー、Kさんはキーマカレーを注文している。特にKさんのキーマカレーは旨そうだ。おもわず私もキーマカレーを注文する。昼食後、NさんとKさんは涸沢に向けて下っていった。


北穂高から涸沢ヒュッテ

北穂高岳北峰から南峰を見る




さてこちらは宿泊の手続きをして、着替えをしてくつろぐことにする。もちろんビールも手堅く購入してまったりとする。部屋はボックス型になっている二人用の場所が割り当てられた。程なく名古屋から来た私よりも5歳年上の男性である。いろんな話をして時間を過ごすが、これが単独行の良いところで見知らぬ人と旧知のごとく話が出来るからである。部屋も賑やかになってきて、写真愛好家のグループもやってきた。ともかくこの人たちは陽気で酒好きである。食堂は彼らの酒宴で盛り上がっていた。

ともかく、明日の天気が気になる。ここはインターネットのサービスがないので携帯電話で天気予報を調べる。どうやら明日は午前中は曇りか雨となっている。標高が高いからひょっとすると雪になるかもしれない。



北穂高小屋夕食(豚ショウガ焼き)

北穂高小屋朝食(目玉焼き)







槍ヶ岳山荘06:02--(.10)--06:12飛騨乗越--(.22)--06:34大喰岳--(.33)--07:07中岳--(1.07)--08:14南岳--(.12)--08:26南岳小屋08:37--(.56)--09:33大切戸--(.27)--10:00長谷川ピーク--(1.52)--11:52北穂高小屋


群馬山岳移動通信/2012



この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)