リハビリ山行は喧噪の山「前掛山(浅間山)」
登山日2018年10月21日


湯ノ平高原から浅間外輪山(黒斑山〜鋸岳)

前掛山(まえかけやま)標高2524m 長野県小諸市

8月に尿管結石を発症し、悶え苦しんだ際に肩を捻じって肉離れを起こしてしまった。いまだに電気治療を継続しているのだが、腕全体が痺れている。その痺れは寒い時に凍えた手をお湯に浸けた時の感覚と似ている。ともかく7月22日に美ヶ原を散策してから全く歩いていないから、もう3ヶ月が過ぎようとしている。このままでは歩けなくなってしまうのではないかと心配になってくる。そこで簡単な山歩きで体調を確認してみることにする。人にあまり出会わずにそれなりの高山がいい。そんなわけで最近規制が緩んだ浅間山(前掛山)にシャクナゲ園から登ることにした。

10月21日(日)
午前4時に自宅を出発し「浅間高原シャクナゲ園」駐車場に着いたのは5時半だった。駐車場は誰もおらずゆっくりと支度を整える。気温はマイナス2℃なのでそれほど寒いとは感じられないが、見上げれば昨日初雪が降った浅間山の山頂部分が白くなっている。軽アイゼンを持っていこうとも考えたが、積雪の様子からその必要もなさそうだ。熱々のカレーうどんを食べて、温まったところで出発だ。「しゃくなげ園」は去年歩いたルートなので、全く問題は無く道を辿ることが出来る。しゃくなげ園の上部から山道に入るが、昨年は笹薮だったものが今年は刈り払いがなされており、歩くのに全く問題が無い。腕の血流が悪いのか手の冷たさが気になる。皮手袋を装着していたのだが、毛手袋に付け替えた。するとどうやらその冷たさも和らいだ感じがする。

刈り払われた笹薮の道が終わり、わずかに歩くと「尾根頂上」に出る。夏ならばコマクサが咲いているのだが、この時期では何の痕跡も残っていない。この尾根頂上からいよいよ登山道らしくなってくる。この前はルートを間違えながら歩いたので、今回はGPSのトラックデータをポケナビに入れてきた。ところが、黄色いテープが頻繁に枝に結びつけられており、迷いようがないのだ。こうなるとルート選びのワクワク感がなく、ただ歩いているだけで面白味が無くなることは間違いない。振り返ると近くの四阿山が大きく見え、それに連なるように草津白根が見えており、遠く尾瀬の燧ケ岳の双耳峰も確認できる。四阿山の左には妙高山、さらに白馬、唐松、五龍、鹿島槍と見えている。今日は風もなく絶好の山歩き日和だ。

登りつめてわずかにカラマツの低木帯を抜けるとシラハゲケルンだ。ここからバカ尾根と呼ばれる道を一直線に鋸岳まで登りつめていく。上部に行くにしたがって昨日降ったばかりの雪が点在するようになった。シモバシラを踏みしめながら歩くと鋸岳に到着、眼前に大きく浅間山迫って見えた。浅間山はお椀を伏せたように丸みを帯びて女性的であるように見える。それに引き替え取り囲む外輪山の火口壁は荒々しく、浅間山をガードする屈強な兵士のようでもある。その谷間に眼をやると湯ノ平高原のカラマツ林は黄金色の絨毯を敷き詰めたようになっている。その先には剣ノ峰、牙山が城壁のように立ちはだかっている。


刈り払われた笹の道

スギヒラタケ(以前は食用だった)


小さなカラマツの黄葉

シラハゲケルン

朝の逆光で浅間山


鋸岳からわずかに岩稜を辿るとJバンドに到着する。にわかに人の数が増えてきた。それでも許容範囲でそれほどの窮屈さは感じられない。Jバンドの岩場を下降するのだが、落石を心配しヘルメットを被っての下降となった。これだけでなんとなく安心感が生まれるから不思議なものだ。しかし、実際には落石に遭ったらひとたまりもないだろう。むしろ自分が転倒したときの頭への衝撃を防ぐ意味のほうが大きいように思える。

Jバンド基部に到着すると山慣れた格好の男性が休んでいた。今日の山頂は大変なにぎわいとなっていると情報をもらった。たしかに浅間山の斜面に斜めに取りつけられた登山道を見て驚いた。人の群れが列をなして登っているのだ。その先を辿ると山頂の縁もずっとその群れが続いているのだ。これは大変なことになってきたと思った。


シラハゲケルンから浅間の溶岩流

Jバンドから剣ノ峰と牙山


以前は賽の河原分岐点には厳重にロープが張られていたのだが、そのロープは外されて人が列をなして通過していく。これはとんでもないところに来たものだ。こんな人ごみは富士山以来経験したことが無い。歩き出すと、どんどん追い越されていく。これは病み上がりなのだから仕方ないかと納得する。カラマツの林の中に赤い実をつけたナナカマドが青空に映えている。それらの立木も疎らになりやがて消えていくと砂礫の斜面だけとなり遮るものが無くなった。すると登山者の行列ははるか先まで延々と続いている。こんなにも登山人口は多かったのかとびっくりする。もうすでに山頂から帰ってくる人もいるので狭い登山道はすれ違いにも難儀する始末。こんな時は登り優先となるわけなので、下山してくる人はなかなか進めないのでイライラが募るに違いない。高度を上げるにしたがって、前日の雪が圧雪となり滑りやすい状況となってしまっている。雪道に慣れていない登山者は数歩進んでは立ち止まって息を整えている。中には準備よくチェーンスパイクを装着している人もいる。今日は無風に近いので問題ないのだが、遮るものが無いこの斜面で風に吹かれたらたまったものではない。それよりもこの衆人監視の元で尿意が我慢できなかったらかなりつらいものがあるだろう。

道はやがて屈曲点となり傾斜も緩くなる。ここには「立入禁止警告板」がありひとつの目印となっている。こここら先はほぼ平坦に進んでいきコンクリート製のかまぼこ型避難所が二つ並んでいる。風が強ければこの中で休む人もいるだろうが、無風快晴のこの状況では薄暗いこの避難所の中で休む人は無く、外でのびのびと休んでいる。付近の火口壁を見ると噴煙が立ち昇っているのでレベル1の状態でも安心はできないという事なのだろう。一木一草も見られない荒涼とした世界が広がり浅間山本峰の周りを火口壁が囲んでいる。本来ならばここから直登すれば本峰に行けるのだが、立ち入り禁止なのでそれに倣うしかない。かつては火口の縁で亜硫酸ガスの臭いに苦しみながらお鉢巡りをしたことが懐かしい。

前掛山に続く火口壁の稜線は相変わらず人の列が続いている。その列に加わって歩くことになる。この喧騒を抜きにすれば周りの景色は実にすばらしい。眼下に広がるカラマツの黄葉で生の世界、目を転じれば浅間山本峰の雪景色と特徴的な縦のスジが無機質な死の世界と対照的だ。前掛山はこの火口壁稜線の突端となっている。ここは山頂標識があり記念撮影のための行列が出来ている。どうでもいいのだが、とりあえずこの列に加わって10分待ちで記念撮影を終えることが出来た。


浅間山登るぞ

行列が続く

立入禁止警告板

前掛山まで蟻の行列

前掛山までもうすこし

浅間外輪山(黒斑山)を眼下に見る

前掛山から浅間山の本峰を見る

前掛山山頂

ものすごい登山者の数


この山頂での賑わいから一刻も早く逃げ出したいため、休憩もそこそこに下山することにする。圧雪で凍結していた道は僅かな時間で溶けて問題なく下降することが出来た。賽の河原分岐からJバンド基部に向かう途中で15分ほど休憩してからJバンドに向かった。ところがJバンドでは20人のパーティーが下降してくるところに遭遇。余分な労力を使って登り切ったときはかなりへとへとだった。鋸山での休憩も面倒なのでそのまま下山することにした。

バカ尾根を下ってシラハゲケルンの手前でザックを降ろして大休憩だ。持参した焼酎をお湯で割って、ピーナッツをつまみに景色を見ながら眼前の四阿山を相手にチビチビと呑む。風は心地よく陽射しは暖かく、眼下のカラマツの絨毯は見事なグラデーションで麓に向かって黄色から緑となっている。なんという至福の時間だろうか、来てよかった!山は良いなあ!と思いながら時間を過ごす。思わず山の歌を歌ってしまう「岳人の歌」「エーデルワイスの歌」「シーハイル」「山の友よ」・・・。誰も聞いていないと大声で歌っていたら、なにやら人の気配が・・・・。単独行の男性が近づいてきた。どうやらここから見る駐車場に私の車のほかにもう一台停まっている持ち主だった。高崎から来たという男性と15分くらい話をして男性は先に下山して行った。


ナナカマドの実

外輪山の黄葉

カラマツ林

いつまでもここで眺めていたい

Jバンドの基部

Jバンドを下降する団体

Jバンドから

Jバンドから

帰路に浅間山を振り返る

山頂の喧騒は辟易だったが、久しぶりの山を十分堪能することが出来た。また腕の痛みも耐えられないほどではなかった。このままいけば月に一度の山歩きの楽しみも復活できそうだ。

浅間高原しゃくなげ園06:27--(1.33)--08:00シラハゲケルン--(.47)--08:47鋸岳--(.08)--08:55Jバンド--(.16)--09:11Jバンド基部--(.17)--09:27賽ノ河原分岐点--(.43)--10:10立入禁止警告板--(.23)--10:33前掛山山頂10:43--(.55)--11:38賽の河原分岐点--(.06)--11:44休憩12:00--(.07)--12:07Jバンド基部--.(.22)--12:29Jバンド--(.07)--12:35鋸岳--(.16)--12:51シラハゲケルン(休憩.49)13:40--(1.00)--14:40浅間高原しゃくなげ園

群馬山岳移動通信/2018

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)