かねてから気になっていた美ヶ原ビーナスラインから登ることが出来る「三峰山」に行く事にした。この山の存在を知ったのはインレッドさんのHPだ。このHPの写真を見ると、晴れていれば白銀の山々を360度にわたって展望できるらしい。天気予報を見るが、なかなか自分の予定と一致した日が噛み合わない。しかし、何とか妥協して出かけなくてはなるまい。 2月7日(日) 長和町から和田峠を目指すと、道は除雪されており全く問題なく通行できた。後から聞いたのだが、2週間ほど倒木が道をふさぎ通行止めになっていたらしい。通行可能になったのはこの日が初日だったらしい。和田峠の手前にビーナスラインの入口があるが、ここは冬季通行止めで除雪はされていなかった。かろうじて止められるスペースにはすでに車が一台止まっていた。その先に駐車余地があり、そこに車を止めて準備を進める。今日は危険なこともないだろうから装備も少ない。念のためにアイゼンとピッケルは持ったが、メインはスノーシューだ。実は持っているスノーシューは15年前の骨董品的なものだ。使ったのはこれで4回目くらいだろうか。何しろ大きくて重たいのと、トラバースで不安があり、下降ではテールが邪魔で滑る。新雪だと潜ってしまい、足を引き上げるのに一苦労。さらにバタバタとうるさいのも敬遠する要素だ。そんなわけで雪山はワカンを持っていくことにしている。 . いつも通りカップラーメンを食べてから出発だ。ビーナスラインに続く車道は踏み込むこともなく歩くことが出来る。歩き始めスノーシューは手で持っていたが、次第に指先が冷たくなってきたのでザックに括り付けることにした。ビーナスライン入口はゲートが閉じられてはいたが、積雪のため通過することはできない。それでもこのゲートを過ぎると、スキーの跡やスノーモービルの轍が無数に見られるようになった。どうやら、このゲートが一つの折り返し点になっているようだ。木々に取り付いた霧氷は朝日を受けて輝き、青空を背景にその輝きは増しているようだ。無音に近い空気の中で自分の足音だけが聞こえる。立ち止まると心臓の鼓動が聞こえてくるようだ。
途中で「中山道」の矢印があるがそのまま車道を歩き続ける。しかし、地図を見ると車道は大きく迂回しているので適当なところで車道から離れることにする。見れば車道の左側にトレースが見られる。そこには看板があり「・・・・ザクロ石の採取禁止・・・」と書いてある。ワカンのトレースはその中に迷いもなく踏み込んでいる。ここでこちらも車道を離れて、このトレースに従うことにした。車道を離れるといきなり深雪に踏み込んでしまった。ここからスノーシューを履いて行くことにする。体重の重い私はスノーシューを履いてもかなり踏み込んでしまうのがつらいところだ。沢の流れに沿って登っているのだろう。水の流れを跨ぎながら進むところもある。カラマツ林の中のトレースは迷いもなく進んでいくので、かなり慣れた人なのだと思う。防火帯の刈込みのある場所を過ぎて急登を登りつめると、ふたたび車道と交わった。このまま車道を歩こうかと思ったが、見ればさらに法面を登る道形が見えるので、そこを登ってみる。するとそこは大展望が広がる尾根上の一角だった。そこにはトレースがあり、目指す「三峰山」まで続いている。何よりも目を引くのは霧氷が付着した木々の美しさだ。自然の造形の見事さは想像を超えたものがある。青空に広がっていく霧氷の付いた白い枝は、雪の女王の腕と指先のようだ。キラキラと太陽の光を浴びて輝くさまは宝石の輝きを凌いでいる。しばらくは呆然とその姿を見たまま立ちすくんでしまった。振り返れば八ヶ岳連峰が様々な三角形のピークを連なっている。進行方向には雪原がなだらかにせりあがっている。この中を登っていくのかと斜面が苦しいものではなく、とても幸せな斜面に見えている。
「三峰山」に向かう道はスノーシューもいらないほど踏込みは少なかった。木々はもちろんだが、太陽の光を受けて足元の草も凍り付いて光っている。クマザサの葉は雪の上に出ているが、それも葉の表面に氷の結晶が張り付いて砂糖菓子の様に見える。高度を上げるにしたがって諏訪湖が見えてきた。暖冬のためなのか全面結氷には至っておらず、半分以上の水面が青く見えている。その上には中央アルプスの木曽駒や空木岳が青く霞んで浮かんでいる。なんと素晴らしい光景なのだろうか、まるで空中を浮遊しているような錯覚に陥ってしまう。 上部に行くにしたがって、風が強くトレースは消えるので無垢の雪原を辿ることが心地いい。やがてなだらかな丸みを帯びた山頂部に到着した。山頂には案内板と水晶の単結晶の様な標柱があった。期待していた展望は、北アルプス方面が雲で隠れている。わずかに常念岳と槍ヶ岳が雲の隙間から見える。乗鞍岳は山頂の一部、いままで見えていた中央アルプスは雲で霞んでいる。南アルプスは甲斐駒と隣の鳳凰三山、八ヶ岳連峰は蓼科山の山頂部分が隠れている。浅間山はすべてが雲に隠されている。近くの王ヶ頭のアンテナ群は間近に見える。眼下の樹林は霧氷に覆われて霞がかかったように見える。遠くを見ると時折、空間の中にキラキラと光るダイヤモンドダストが浮遊している。汗に濡れた帽子は凍り付いてバリバリになってしまっている。期待していた展望が得られなかったので、しばらくこの山頂で待機することにした。寒いのでハードシェルを着込んで、焼酎のお湯割りで暖を取ることにした。 ほどなく山頂に男性の登山者が、そのあとに女性の登山者が続いてきた。富士市からやってきたという、このご夫婦としばらく話し込んで楽しい山頂での時間を過ごすことが出来た。そうしているうちに八ヶ岳連峰の右に秀麗な富士山が見えてきた。群馬県人は富士山を見ると感動するが、富士市から来た二人はあまり喜んでいないので、この差はおおきいなあと思う。ここで新たな情報を得ることが出来た。帰りはビーナスラインを辿ることを考えていたが、和田峠スキー場経由で下降すれば途中に「和田峠山」があるという。ピークを一つ確保できるのならそちらを経由して下ることに決めた。
ご夫婦が下山してからも山頂にとどまって、展望が開けるのを期待して粘ってみたが、富士山も雲の中に消え、これ以上は無理と判断して下山することにした。結局2時間も山頂にいたことになる。最近にしては珍しいほどゆっくりとした時間を過ごしたことになる。山頂直下で6人ほどのスキーを履いたパーティーとすれ違う。本日は合計で8人程度の人と会っただけだった。 下山は往路とは違ったルートに変更して行くことにする。1722mの三角点峰を過ぎて少し進むと展望の無い平らな場所に出る。ここに標識があり「和田峠山北峰」と書いてある。微妙な位置関係と標識の表示であることは間違いない。留まる必要もないので単なる通過地点と言ったような場所だった。いくつかのアップダウンを過ぎてたどり着いた場所は「中山道」の「古峠」という場所でかつては人々の往来もあったのだろう。ルートを変更したことで、歴史のある場所に立ったという事はそれなりにうれしい。 古峠からは、今は廃止となった和田峠スキー場のゲレンデを下降してビーナスラインのゲート付近にたどり着いた。見ればここから和田峠に直接下降するトレースがある。このトレースを辿ってみると「第79カーブ」の標識のある場所に出た。 ここからは乾燥した車道を辿って駐車地点に戻った。 「記録」 07:13ビーナスライン入口--(.14)--07:27ゲート--(.20)--07:47ビーナスラインを離れる--(.39)--08:26ビーナスラインに合流--(.11)--09:37三峰山1145--(.53)--12:38和田峠山--(.33)--13:11古峠--(.13)--13:24車道--(.09)--13:33駐車地点 群馬山岳移動通信/2016 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。 (承認番号 平16総使、第652号) |