15年ぶりに丁須の頭(裏妙義) 登山日1996年6月16日
群馬県の代表的な山のひとつである妙義山は、その特異な山容からしてなかなか近寄りがたい山である。また遭難件数については「谷川岳」をおそらく凌ぐのではないかとも思われる。かつて、山の先輩から「妙義山に登る事が出来れば、国内のどんな山にでも行ける」と言われた事があった。この言葉はいまだに私の心の中に残っているし、それは事実だと思っている。
裏妙義はかつて頻繁に登っている。今まで登った事のある山のなかで、繰り返して登っているのはこの裏妙義山魂である。その中でもシンボル的な「丁須の頭」は何度もコースを変えて登っている。ところが、アマチュア無線の免許を取ってからは全く登っていない。つまり山ランには未登録となっていた。
6月16日(日)
地元のRBBSの仲間である「CFR」「FDI」たちと、ひょんなことから裏妙義に行く事になった。待ち合わせとなる国民宿舎「裏妙義」の駐車場に着くと、既に桜井さんと村上さんは準備万端で談笑をしていた。今日は二人とも気合いの入れ方が違うなと感じた。一応ザイルを持ってきたのだが、おそらく必要はないだろうと村上さんの車の中にしまい込んだ。なんたって11mm×40mザイルは重量約3s、それにかさばるから出来れば持ちたくないのが本音だ。
まずは私が先頭で国民宿舎を出発した。今日は梅雨にはいった筈なのに、幸運にも雨の心配はなさそうだ。杉の林の中を登っていく道は昔と変わらず、なつかしさに溢れていた。時間はたっぷりあるし、天気も上々なので意識的にゆっくりと歩く。しかし展望がないこのルートでは、ゆっくり歩いてもあまり目に入ってくるものは少ない。その代わりに今日は3人のパーティーなので、話しをしながら歩けば気が紛れる。特に村上さんは、話題が豊富でいろいろと話しをするから面白い。
やがて杉の植林地が終わった所で休憩とした。ここは沢の対岸の右岸に「連合赤軍」が浅間山荘事件前に隠れていた岩穴があるので、早速その洞穴の見学に向かう。昔と同じように、その岩穴は薮の中にあった。いつも関心するのだが、こんな所に穴を見つけたものだとおもう。
ここからは篭沢の沢筋に沿ってひたすら登って行く事になる。しかし沢筋と言っても、この篭沢は水量が少なく沢登りの雰囲気はあまりない。ごーろ状の大小の岩を越えて登って行くので、ルート選択の判断によって疲労が異なってくるので、ある意味では面白いところだ。早速、桜井さんが大きな岩を越えるのに苦戦してしまったようだ。こんな岩場を越える道は、身体の柔軟性が要求される。なんと言っても足が高い位置まで上がる事が有利で、それだけスタンスの選択場所が広がる。ともかく三点確保の基本だけは守って登る事をアドバイスした。
やがて両側から岩の壁が狭まり、両側が囲まれた雰囲気になる所がある。ここが木戸と言われるところだ。見れば左岸の壁にフィックスザイルが蜘蛛の糸の様に、張られている。登山者のものか、あるいは「ウチョウラン」を盗る為のものなのかは定かではない。この少し先にちょっとした鎖場がある。スタンスはほとんどがすり減ってしまっており、鎖につかまって力任せに登るような所だ。こんな場所になるとやはり桜井さんは不利なようで、どうも登る事は不可能なようだ。桜井さんは私よりも更に重量級なので、腕の力だけではその体重が支えられないのだ。それではと村上さんが上部から木を落として、それにつかまって登れないかと挑戦した。しかしこれだけの岩場を下から上まで渡すだけの大木はないし、運ぶ事も不可能だった。たとえ登ったとしても下降ではさらに危険になる。つくづくザイルを持ってきながら、村上さんの車の中に置いてきた事を悔やんだ。
「よし戻ってザイルを持ってこよう」ここまで1時間かかっているだけだから、空身で行けばかなり早めに戻って来られる。これからのリスクを考えるとこの選択しかない。そこで二人にここで待っていてもらって一人で下山した。
国民宿舎の駐車場はかなりの人たちが、昼食のために芝生の上でくつろいでいた。そこに汗びっしょりの男が歩いて行くのは注目の的だ。まして車から真っ赤なザイルを出して再び歩いて行くものだから、かなりの視線を感じてしまった。
鎖場を出てから約50分でザイルを持って戻る事が出来た。すると二人の姿がない(さてはどこかに落ちたかな ?)そこで手を叩くと、二人はすでに岩の上に立っている。聞けば桜井さんは鎖は無理だったが、その横の壁を登ったらなんとかなったらしい。ともかく無事でよかった。ここで少しつかれたので両氏には先行してもらって、私は少し休憩する事にした。
休憩後、先行する二人を追って再び歩きだした。15年ぶりとは言え驚くほど地形は変わっていなかった。そういえばこの木も見覚えがあるし、この炭焼き窯も昔のままだ。そんな景色を楽しみながら歩いた。やがて先行する二人に追いついた。ここからは桜井さんが先頭で登る事になった。梅雨の晴れ間と言っても、雨が降らないだけなのかもしれない。なにやら空がどんよりとしているのは、谷間から空を見るからなのだろうか。先ほどから村上さんが盛んに「ウグイス」の鳴き声が上手いとほめている。確かに耳を澄ますと、なかなか良い声である。この時期になると「ウグイス」も名人(鳥)の域に達するものもいるのだろうか。
丁須の頭と御岳の分岐の稜線は目の前に見えていて、なかなかたどりつかない。この辺が疲れが一番出るところであるからだ。何度も立ち止まって息を整えて先に進んだ。そして最後の鎖場を過ぎるとやっと稜線に到着した。全員でザックを放り投げて休憩となった。以前は見られなかった上信越道が木々の間から見えかくれしている所は時代の流れを感じた。
休憩後、気合いをいれて最後の取り付きにかかる。丁須の頭の基部の岩壁を北から西にトラバース気味に巻いて道はついている。一部、鎖場があり4m程の登りと、そこから約5mのトラバースが連続している。かなり緊張する場所であるので、桜井さんは大丈夫かなと思ったが、なんとか無事に先に進んだのでこちらも一安心した。そして、丁須の頭のピークは寄らずにその先の岩峰に向かった。それは混雑する所よりもゆっくり出来る所がいいからだ。その岩峰は私の好きな場所のひとつで、丁須の頭の特異な形を眺めるのに最も良い場所だからだ。
岩峰の上で早速ビールで乾杯となった。そのあとは食事、無線、写真撮影と楽しんだ。HIG/林さんが「角間山」に行っているとの事で、呼んでみたが時間が遅かったようで交信は出来なかった。桜井さんはFT290mkUを持ってきたのだが、なんとマイクを忘れたとがっかりしている。これでは大きなラジオでしかない。村上さんはさすがに自作派でちゃんとバランが付いた430Mhzの定規アンテナ、1200Mhzのハンディー機直結の八木アンテナで交信を始めた。430Mhzの定規アンテナはMBT/山田さんの発案によるものだが、村上さんのものはまた少し違っていて面白い。私も借用して使用してみたが、ちゃんとサイドも切れるしなかなかのものだ。私は無線をやるでもなく、靴を脱いで昼寝でもしようと思った。しかし細かい羽虫がまわりを飛び回りうるさくて、結局は虫を追い回して時間が過ぎてしまった。
下山はザイルを久しぶりに使って何度か確保を行った。なにやらブーリン結びも、二重結びもなんとか忘れずにいたことは自分でも不思議だ。ともかく梅雨の晴れ間に登った15年ぶりの「丁須の頭」は実にまた新鮮な山であった。
「記録」
国民宿舎09:41--(.23)--10:04赤軍洞窟10:13--(.45)--10:58鎖場(木戸)--(.16)--11:14国民宿舎--(.35)--11:49鎖場12:03--(1.04)--13:07分岐13:13--(.25)--13:38丁須の頭15:37--(2.10)--17:47国民宿舎
群馬山岳移動通信 /1996/