伝説の山を登る「月夜野石尊山」
登山日2007年3月24日
奈良俣ダム付近で昼食としたが、まだ時間があるし雨の心配も無さそうだ。そこで、再び旧月夜野町にもどり、かねてから気になっていた石尊山を目指すことにした。
3月24日(土)
実は、予定になかった山なので、地形図を用意してこなかった。とりあえず、カーナビを頼りに石尊山に近い場所まで移動する。しかし、狭い道と入り組んだ迷路のような道、まして、新しい道がどんどん出来ているようで、なかなか目的の場所にたどり着けない。何度も迷いながらやっと目的の場所にたどり着いた。車を停めるところも無く路上駐車となるが、ちょっと気が引ける。見ると農作業の人がこちらを見ている。ラッキー!!
「石尊山はこちらですか?」
「ああ、あそこに見える岩のところまで行ってから登るんだ」
「ありがとうございます。車は路上駐車で良いですかね」
「ああ、軽トラックなら大丈夫だろう」
これでお墨付きを貰ったようなものである。
道の入口には「県指定八束脛洞窟遺跡(やつがはぎどうくついせき)」の標柱があり、その狭い道に入っていく。数十メートルで、石鳥居をくぐりそのまま登っていく。周囲は真竹の林になっている。暗い竹林の中は、日暮れが迫っていることと、曇り空のためにいっそう暗く感じる。やがて、竹林を過ぎると雑木林となり、明るく感じるようになる。さらに進むと今度は長い石段が待っていた。それもかなりの急傾斜で、この石段の脇にはエスケープ道がジグザグに並行してつけられている。想像していた以上にきつい石段で、休まずに登ったらちょっとバテ気味だ。
石段の先は八束脛洞口遺跡になっていた。説明文があり、ここは弥生時代中期前半の火葬・風葬の共同墓地であると記されている。この石の壁には指でえぐり取ったように四つの窪みがある。ここに人骨があったとのことである。そんな昔に、ここに文化があったとは驚きである。さてここから上部に登らなくてはいけないが、どこから取り付いたらいいのかわからない。赤布があったが、辿ると途中で消えてしまった。仕方ないので左にトラバース気味に登っていく。道は全くなく、急傾斜なのでちょっと不安になる。しかし、上部に付くと、あとは緩やかに登っていく。
わずかな距離で、石尊山山頂に到着だ。山頂には石祠があり、少し下がったところには四等三角点が設置されていた。展望は曇りでよく解らぬが、朝登った荷鞍山・大平山の輪郭が見えている。天候が思わしくないことで、簡単に登れる山を選んだが、やはり今日登った4座は晴れている日に再度登りたい山となった。
帰路は山頂から踏み跡を辿ったら、簡単に洞窟遺跡の脇をトレースしながら簡単に下降してしまった。
登山口14:36--(.15)--14:51八束脛宮--(.15)--15:06石尊山15:17--(.18)--15:35登山口
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GPSトラックデータ
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平16総使、第652号)