花咲く稜線の山旅「谷川岳〜平標山」
登山日2002年6月15日〜6月16日
6月15日(土) 空からはまだ雨粒は落ちていなかった。しかし、谷川岳の山頂部分にはガスがかかり、梅雨特有の湿った空気が満ちていた。例によって同行者は猫吉さんで、谷川岳の縦走はもう数年前から計画したものの実現せずにいた。今回はさすがに業を煮やして、豪雨でも決行しようと話し合っていた。そんなこともあり、猫吉さんは「続日本百名山」の打ち上げに執筆者として招待されていたのに、それを蹴ってこの山行に出かけてきていた。もっともシャイな猫吉さんにとっては、この山行は不参加のための良い口実だったのかも知れない。 谷川岳ロープウェイの山頂駅から外に出ると、思ったほど寒さは感じなかった。登山者は全く見えず周囲は閑散として、恐ろしいほど静まりかえっていた。久しぶりに背負った65リットルのザックは重く感じるが、それなりのゆっくりペースで歩けば問題なさそうだ。ましてほかに登山者がいないと云うことは、ペースを乱されずにすむ。猫吉さんとの長年のコンビは、むろんそんなペースの事は全く問題ない。 熊穴沢避難小屋までの道は泥濘もなく、比較的楽に歩くことが出来た。避難小屋の中は清潔で快適だったが、ここは泊まるのではなく休憩に使う小屋なのだろう。床は土間のままだった。 避難小屋からは岩場も現れて、濡れた石の上は滑りやすく緊張を強いられた。それにしても展望はなく、ひたすら登るだけだ。こんなときは道端に咲く花を見るのが唯一の楽しみとなる。 「天狗の溜まり場」と呼ばれる場所に着いた頃から、ついに雨が降り始めてしまった。雨具を着けるほどでもなく、傘をさして登ることにした。このほうが雨具よりも蒸れなくて快適だ。 避難小屋から歩き始めて1時間弱で残雪が現れた。肩の広場から伸びる雪田の末端だ。今年は雪解けが早かったが、この山頂の雪田はいつものように雪が残っていた。ここからは残雪の上のステップを辿りながら肩の小屋を目指した。 肩の小屋は霧に霞んでぼんやりと煉瓦色の建物が浮かんでいた。二重扉を開けて中に入ると既に二人の登山者が休んでいた。「縦走ですか?」と聞いてきたが、「ええ、まあ、」と曖昧に答えて奥の一角に腰を下ろした。まずはストーブに火をつけてお湯を沸かした。ちょっと早いが今日の昼食用と考えていた”おじや”を作ることにした。インスタント味噌汁を作り、コンビニで買ってきたおにぎりを入れて煮立てたものだ。簡単であるが、暖かく疲れたときも食べられるから重宝している。 猫吉さんは簡単にパンを噛ってから、小屋の壁に張られている遭難者の捜索願いを見てから外に出ていった。(この遭難者は19日にヒツゴー沢の上部の雪渓で発見された)猫吉さんが外に出ていったのは、トマノ耳で無線を運用していなかったからである。私はすでにトマノ耳での運用は済んでいるので、このままここに留まることにした。 そのうちに7人ほどのパーティーと夫婦連れの登山者がやってきた。やはり団体の登山者は小屋の中では強く、土間は瞬く間に占拠されてしまった。猫吉さんが山頂に向かってから15分ほど経過していることもあり、賑やかになってきた小屋を出ることにした。 小屋を出ると外は驚くほど登山者が増えていた。霧も薄くなったのか、暗い小屋を出たことによるのか、明るくなってきたような感覚を覚えた。トマノ耳に向かって整備された道を登ると、どこからともなく歓声があがった。見れば沢筋に残雪の残る茂倉岳方面が霧の切れ間から望めたからだ。しかしその大展望もすぐに 白い闇に包まれてしまった。大展望に慌てて取り出したカメラは撮影する対象を失い、傍らで咲くシラネアオイが代わりの対象になった。 トマノ耳に着くと、予想どおり大変な賑わいで、山頂標識はひっきりなしに写真撮影の登山者が入れ替わっていた。猫吉さんはその中の隅で無線機を持って小さくなっていた。これだけ登山者がいると、やはり異端者の無線家は小さくならざるを得ない。それでも無線運用は無事に終わったらしく、私の姿を見ると荷物をまとめ始めた。とりあえず今回の縦走の実質的な出発点であるこのトマノ耳で記念撮影を行なった。 再び肩の小屋に戻り、いよいよ縦走に出発だ。雨は降っていないが、霧が深く展望は全く望めなかった。ところがそれにも増して、従走路の傍らに咲く花は見事であった。ハクサンイチゲの群落が一面に広がり、その中にハクサンコザクラ、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、が混じっていた。ハクサンコザクラはその中でも一際目立っていた。しかし、私のデジタルカメラでは、なぜかその桜色が再現されない。猫吉さんのデジタルカメラだと忠実に再現される。両方とも国内の一流メーカーであるが、それなりの差がでてくるようである。 従走路は歩きやすく多少のアップダウンはあるものの、それほど気になるものではない。これで展望が優れれば申し分ないのだが、傘を必要としないだけは儲け物と考えることにした。 ちょっとした岩場を左にまいて草付きを登り上げると、そこがオジカ沢ノ頭だった。岩場の上に立派な標識が設置されており、やはり展望はガスに阻まれて望めなかった。猫吉さんはここで無線の運用を行なうために留まることになった。私は相変わらずここでの運用は済んでいるので、先の避難小屋で待つことにした。 オジカ沢避難小屋は、しっかりとした造りと清潔感は良いのだが、なにぶんにも規模が小さいのが難点だ。快適に過ごすなら一人か二人が良いところだ。その中に入ってラジオのスイッチを入れて時間を過ごした。ちょうど正午前の天気予報の時間だったので耳を傾けた。それによれば、曇り時々雨で現在の状況と変化はないものだった。20分ほど過ごすと猫吉さんが無線を終了して小屋の中に入ってきた。どうやらパイルアップになったようで、コールが途切れなかったと嬉しそうだった。 オジカ沢ノ頭からは草原の道を緩やかに下っていく。痩せた稜線上の従走路は、まさに越後と上州を分ける国境として申し分無い。なぜなら上州側から沸き上がるガスは、この国境で消えているのだ。冬になればここで雪を下ろして、空っ風を上州に送るのだ。まさに自分が今歩いているところは、その境目なのだと思うと何とも言えない充実感に浸ることが出来る。 小障子ノ頭は縦走路中の単なる通過点だった。しかし、振り返るとオジカ沢ノ頭が意外と大きいことに驚く。また目の前にはさらに大きな万太郎山が大きく立ちはだかっていた。前回ここに来たときはやはり雨で、見通しが効かず、このピークをはっきりと認めていなかった。当然、無線の運用もしなかったので、今回はここでの無線の運用がひとつの目的でもあった。ところが、無線機に向かってどんなに叫んでも応答は皆無だった。猫吉さんは先程のオジカ沢ノ頭が夢のようだったと言った。それでもなんとか交信している局があったので、そこに割り込んで声をかけた。ところがその局はレポート交換も出来ないありさま。しかたないので結局は猫吉さんと交信して終了した。 小障子ノ頭から少しばかり歩くと、大障子避難小屋が大きく見えてきた。時間はまだ早いが今日はここに泊まることにした。当初は平標山の家に泊まるはずだったが、これは大きな予定変更だ。 避難小屋の扉を開けると、だれも中にはいなかった。奥には棚があり、床にはスノコが敷かれて快適そうだ。まずは水場に夕食の準備のために水を汲みに行くことにした。猫吉さんは小屋で着替えを先にするというので、一人で水場に向かった。笹藪の中の道はしっかりしていたが、雪渓に移ると道は消えて怪しくなってきた。どうやら雪渓の末端まで行かなければ水は確保出来そうもない。雪渓はかなり傾斜があり滑落したらどこまで行くのか不安になる。ましてガスで見通しが効かないだけに不安は助長される。 なんとか雪渓の末端にたどりつき、500CCのペットボトル二本に水を詰めた。慎重に雪渓上の自分の足跡を辿り小屋に着くと猫吉さんが「20分かかった」と教えてくれた。猫吉さんは行かないのかと聞くと、「面倒だから行かない」と言う。水をあまり摂取しない体質だからそれで済むのかも知れない。 小屋の中で濡れたものを着替えて、シュラフを広げて中に入ると人心地がして落ち着いた。持ってきたウイスキーのポケット瓶を取り出して呑み始めた。ところが猫吉さんはアルコールを持参していなかった。それどころか食料も極力絞ったらしく、ザックの中からは大したものは出てこなかった。どうりでザックが軽かった訳がわかった。水も1.5リットルしか持って来なかったこともその一つだった。ともかくそのポケット瓶を分け合って今日の疲れを癒した。つまみに自宅の畑でとれたジャガイモを持ってきたので、それをゆでて塩をつけて食べた。手前味噌ながら実においしいものだった。次にジャガイモをゆでたお湯を使ってレトルトカレーとご飯を暖めて今日の豪華な夕食とした。猫吉さんはお湯を入れて作る赤飯を作り夕食としたが、あまり旨そうではなかった。 そうしているうちに外が賑やかになり、3人の男性パーティーが入ってきた。小屋の中が一気に賑やかになった。聞けば今日はテントの中に泊まると言う。そのうちに食事の準備を初めて、ストーブの音と食器の音が小屋の中に響き渡った。こちらは何もやることはないから、シュラフの中に潜り込んだ。そのうちに猫吉さんは鼾をかいて熟睡してしまった。 3人が小屋からテントに移る頃に、雨が本格的に降り始めた。その上に猛烈な稲妻と雷鳴が響き渡った。山の上で聞く雷鳴は長く響いて恐怖心を増長させた。結局、この避難小屋は猫吉さんとの貸し切りとなった。猫吉さんも雷鳴のために起き出して、取り留めの無い話をはじめた。しかし、今度はわたしがいつのまにか意識を失い、深い眠りに落ちてしまった。 6/16(日) 朝4時にシュラフから這い出した。昨夜の雷雨は上がり外はだいぶ静かになっていた。まずは朝食の準備に取り掛かる。自分自身の朝の定番メニュー「餅入りラーメン」である。暖かいものは気持ちが落ち着くから良い。猫吉さんはパンにホットコーヒーと洒落込んだ。 外に出てみるとオジカ沢ノ頭付近が明るくなって、日の出が近いことが予想された。次第に背後から太陽が昇ってきたが、それはすぐにガスが取り囲み、再び周囲は白い闇に覆われてきてしまった。 大障子ノ頭は縦走路中の通過点に過ぎず、GPSで位置を特定しなければ、分からないような場所だった。今日はじめてのピークでの無線運用だ。スイッチを入れてDJFを冗談のつもりで呼んでみた。するとなんと本人から応答があるではないか。聞けば昨日の午後7時半に雨の中、吾作新道を出発、万太郎山を経てオジカ沢ノ頭まで往復して、今まさに帰路にあるという。それも吾作新道の終点、土樽にもう少しとのことだ。あの雷雨の中「大障子避難小屋」を2回通過している事になるから、まさに超ニアミスということになる。さらにこれから眠らないで家に帰り、10時からの予定をこなすという。猫吉さんと顔を見合わせて、その行動力に唖然としてしまった。まさにJCAに匹敵する怪人ぶりであった。 万太郎山は大障子ノ頭から少し下ってから急登を登り上げることになる。振り返ればいつしかガスは途切れがちになり、切れ間が現れるとそこからは大展望が広がった。そこに見えるのは飯士山、大源太山、タカマタギ、阿能川岳、小出俣山となんと猫吉さんと登った山の多いことか。おそらく谷川岳周辺はこれが最後になることは間違いない。こんどは違う山域からこれらを見ることになるだろう。 万太郎山は吾作新道の道を分けて少し歩くと、立派な標識と三角点が出迎えてくれた。ここに来ると、これから向かう縦走路が仙ノ倉山まで延々と続いているのが見渡せた。さらにその先には苗場山が特徴ある山容を見せている。長く標高差はあるが、ここからは自分にとって未知のルートということで、期待で胸がワクワクした。猫吉さんはここでも無線の運用をはじめた。なにしろこの縦走路途中の山はすべて無線はやっていないと言うことで、寸暇を惜しんで山頂でも動き回った。その中で、旧知の相手との交信が始まった。猫吉さんが試しにHXFを知っているかと聞くと、覚えがあると言う答えが返ってきた。お互い年をとると、昔のことを良く覚えているものだと、妙に感心してしまった。 万太郎山からの道は岩稜上の藪で、昨夜来の雨露で少し歩くとびしょ濡れだ。猫吉さんはここで雨具を着けるために立ち止まった。私はそのまま先行することにした。大きく道が右に曲がるところで、ガスの先に目を凝らした。そこには東俣ノ頭が間近に黒く浮かんでいた。しがないピークハンターとしては、どうしても見過ごすわけに行かない。足は自然にそちらに向かっていた。踏み跡は見られず、次第にシャクナゲの藪が立ちはだかっていた。ふと下を見ると、雨具を着るために遅れていた猫吉さんが下を通り過ぎていく。「おおーーい!!」と声をかけてこちらに招いた。猫吉さんもそれに気づいて道を戻ってきた。とても雨具なしでは歩けない藪である。仕方なく雨具を着けていると、こんどは猫吉さんに先行されてしまった。 東俣ノ頭は笹藪のピークだった。山頂には古ぼけた杭がさし込まれており、そこには小さな金属プレートが打ち付けられて、71年と82年の落書きが記してあった。ここでの無線の運用は猫吉さんが交信していた局を回して貰い終了にした。ここからの万太郎山のショットはなかなか見られない筈なので、それをバックに記念撮影を行い、このピークをあとにした。 もったいないほど下り込んでいくと、かまぼこ型の避難小屋が見えてきた。これが越路ノ小屋で比較的大きな小屋だった。床にはスノコが敷かれて、大人4人程度なら楽に寝られるものだった。しかし、近くに水場がないのが残念だった。小屋からさらに下ると毛渡乗越の鞍部に到着した。ここは川古温泉への分岐ともなっていて、道標には3時間と書いてあった。標高は1566mでこれから向かうエビス大黒ノ頭は1888mで、標高差320mを登らなくてはならない。 所々あらわれる岩場に注意しながら、ゆっくりと歩を進めた。ここでも展望はないから、道の脇に咲くハクサンイチゲが目を楽しませてくれた。急登の苦しさに耐えて下を見ながら歩いていたが、ふと目を前に移すとそこには今日初めて会う登山者とすれ違った。それは大学生のパーティーと思われる年代だった。先頭は女性でTVのタレントと見間違うような容姿とあどけない顔立ちをしており、なかなかの美人だった。そのあとに男性を含めて5人ほど置いて最後尾がリーダーらしき女性で、大きなザックを背負っていた。この女性もなかなかの美人で、猫吉さんもいたく気に入ったようだった。聞けば昨夜は平標で一泊、今日は大障子で一泊とのことだ。そのリーダーは水場のことを聞いてから、ゆっくりと鞍部に向けて下っていった。 エビス大黒ノ頭は、思ったよりも意外と簡単に到着してしまった。山頂は先ほどのパーティーが休んでいたとは思えないほどの静けさで、我々を迎えてくれた。ミカンのゼリーパックを食べながら、ゆっくりと時間を過ごした。また今までは通じなかった携帯電話がここで通じたので、自宅に電話とかけて置いた。 エビス大黒ノ頭から岩場を慎重に下り、再び仙ノ倉山に向かって登りはじめるとエビス大黒避難小屋に到着した。この小屋は小さくて、2人がゆったり寝られないような広さだった。ここもやはり水場がないから、本当の緊急用に使うことしか出来ないだろう。 傾斜が緩やかになり、人の気配を感じるとそこが仙ノ倉山山頂だった。山頂にはすでに何組かのパーティーが休んでおり、今までの静かな縦走路からのこの激変ぶりには少なからずショックを覚えた。猫吉さんはここでも無線の運用に入った。ところが猛烈なパイルアップを浴びていつになっても終わらせることが出来ない。仕方なく山頂の隅に陣取り、記録整理をはじめた。その間もひっきりなしに登山者が現れて、50人以上に膨れあがってしまった。 それにも増して、次の平標山はさらに混雑がひどく、とても腰を下ろすような状態ではなかった。それにしても自然保護を目的に平標山登山口から仙ノ倉山までの階段と木道の道はどうも馴染めない。仙ノ倉山からは化粧品の臭いと嬌声に幻滅させられて、終始不機嫌で下山をした。 二日間の山行も終わり、越後湯沢で電車を待つ3時間は「へぎ蕎麦」に舌鼓を打って、生ビールを味わって縦走路の充実感の余韻を楽しんだ。 5/15 土合駅06:55--(.20)--07:15ロープウェイ07:25--(.54)--08:19熊穴沢避難小屋08:33--(1.19)--09:52肩の小屋10:20--(.12)--10:32トマノ耳10:37--(.08)--10:45肩の小屋--(1.00)--11:45オジカ沢ノ頭12:29--(.30)--12:59小障子ノ頭13:08--(.13)--13:21大障子避難小屋(泊) 5/16 大障子避難小屋5:00--(.24)--05:24大障子ノ頭05:40--(.42)--06:22万太郎山6:48--(.40)--07:28東俣ノ頭07:35--(.14)--07:49越路避難小屋--(.20)--08:04毛渡乗越--(1.27)--09:31エビス大黒ノ頭09:53--(.22)--10:15エビス大黒避難小屋--(.37)--10:52仙ノ倉山11:27--(.43)--12:10平標山12:13--(.24)--12:37平標山の家12:50--(.47)--13:37林道--(1.08)--14:45元橋++++越後湯沢++++土合駅 群馬山岳移動通信 /2002/
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