「平標山」を中心に三国峠周辺の山
登山日1995年7月16日
ここの所週末は天気が悪く、山歩きもちょっとご無沙汰なので、何かイライラしてくる。15日(土)は久しぶりに天気も良かったのだが、家事の手伝いをして終わってしまった。さて明日は山に行こうと思ったら、翌日は雨との予報である。半ばふてくされながらビールを飲んでいたがどうも気がおさまらない。そこで猫吉さんに電話をすると、今まさに山に出かける所だった。何とか群馬の山で雨が降っても歩けそうな場所に同行して貰う事にした。場所は三国峠から平標山そして元橋に降りると言う事で決まった。これが決まった時間は23時30分頃だった。急ぎ地形図を探して準備をして寝る事にした。
7月16日(日)
朝4時半に自宅を出発、関越道に入り待ち合わせの「赤城SA」に向かう。夜もすっかり明けた「赤城SA」に着くと、既に猫吉さんの車は駐車場に止まっていた。車のカーテンが閉じてあるところを見ると就寝中の様だ。気が引けたが、ともかく車のフェンダーをノックしてみる。すると寝不足のようで、不機嫌そうな顔がカーテンの奥から覗いて見えた。どうやら、SAの駐車場では思うように寝られなかったらしい。
久しぶりの再会に挨拶を交わして、今日の予定を話し合う。当初の予定を変更して、元橋から松手山経由で登る事にした。その方が車を先に三国峠に置いて行けるので、登り初めの時間が早くなるからだ。今日は雨が降るのは必至なので、その方が懸命だとも考えた事もある。
三国峠の三国橋手前の駐車余地に、まずは私の車を置いて行く事にする。まだこの車は購入して10日あまり、燃費が1リッターあたり5.3キロなので、ちょっとびっくりしている。新車なので置いて行くのは、やはり一抹の不安があるが仕方がない。荷物をまとめて猫吉さんの車に便乗して元橋に向かう。猫吉さんの車は辛うじて助手席に乗れるだけで、後部は生活の場所となっている。ともかくこれだけ行動を共にしていると、愛着が出てくるのだろう、盛んに愛車の自慢をしていた。
元橋の廃屋となってしまったドライブインの前に駐車して、いよいよ歩き出す。廃屋の裏にまわり「二居川」に架かる木橋を渡り、笹の薮道を登ると別荘地の管理道路に出た。昔はこんな場所は無かったので、方向感覚が狂ってしまう。ともかく上部に登れば何とかなると、適当に車道を左に折れて登り始めた。すると後ろから呼びかける声がする。振り返ってみると、この別荘の管理人らしき人がステテコ姿で窓から身を乗り出していた。
「その先から登る道は廃道になっているよ」
「松手山に登るには戻って分岐を左に行けば標識があるから、そこから登った方がいい」
なんとも親切な人がいたものだ。しかし考えてみれば分岐に標識をつけて置いてくれた方が良いのにと思った。ともかく言われた通りに戻って歩く事にした。するとテニスコートらしき施設が見えて、その登山口が現れた。ここからやっと登山道らしくなってきた。
樹林の中の道は良く整備されていて、下草も無く歩き易い。どこかで見たようなプラスチックの階段は電力会社の巡視路に良くみられるものだ。なんだかんだと二人で話ながら登る。普段は単独行が多いのでこんな山歩きは結構楽しい。登山口から20分ほど歩くと一旦、樹林帯が切れる。樹林帯の中を歩いていたときは解らなかったが、そこを抜けると小雨が降っていたので、ここで雨具を装着する。猫吉さんはゴアの上着を私は傘を広げて登る事になった。登山道の脇にギンリョウソウが咲いているので鑑賞しながら登ると、木が伐採された跡に建てられた鉄塔に着いた。
送電線の鉄塔は格好の休憩地となっていた。基礎のコンクリートの上に腰掛けてしばし休憩した。やがて上部から単独行の男性が降りてきた。聞けば昨夜は「平標小屋」に泊まったとの事で、これから「平元新道」に駐車した車に行くのに、ここから直に下降するという。何か行動が我々には理解しがたいので、早々に別れて歩きだした。
再び樹林の道に入ったが、それもすぐに終わり、ドウダンツツジの咲く道を辿って松手山に着いた。三角点と立派な標識があり、なかなか展望もいい。平標山に続く尾根道は草原の中に刻まれていかにも歩き易そうだ。振り返ると西側には沢筋に残雪を残した苗場山が特徴ある山体を見せていた。山頂に着くとまずは無線機を取り出すところは、二人とも無線屋である。猫吉さんは144MhzでCQを出す。早速応答があったようで早くもQSLの約束をしている。私は430Mhzでまずはバンド内をワッチする事にする。するとどこかで聞いたコールサインが耳に入った。それはJQ1TQP/田中さんだ。2月に丹沢でお会いして以来聞くなつかしい声だった。田中さんは今日は赤城駒ヶ岳から仲間と移動中だそうで、その同行している中村さんともQSOさせて貰った。猫吉さんも続けて田中さんとQSOに成功した。これでQSLは間違いないのでひとまず安心して落ちついた。
山頂でQSOしている中年2人を避けるように、あとから登ってきた登山者は我々を追い越して行った。
さて松手山を出発して平標山に向かう事にする。森林限界を過ぎた登山道は草原状の気持ちの良い歩きとなった。しかし、南風がかなり強く体重の軽い猫吉さんは飛ばされるのでは無いかと思われるほどだ。私は猫吉さんより体重が20キロも多いので、吹き飛ばされる心配はない。そんな風の為なのかあるいは朝に弱いのか、私とは差が広がってついに視界から消えてしまった。途中で松手山であった登山者を追い越した。男のような風貌だったのだが、良く見ると女性の二人連れだったので驚いた。そして道の真ん中の大きなデンデン虫を踏みそうになったので注意すると、白い歯がこぼれてなかなか良い笑顔となった。
オノエラン、ヨツバシオガマ、まだつぼみのシモツケソウの様子を見ながらの登山は楽しい。急登を登るとやや平坦な稜線となったので、適当なハイマツの陰で風を避けながら視界から消えた猫吉さんを待つ事にした。今日は疲れがたまっているのか、寝不足なのか、かなり体調が悪そうだ。過去に一緒に登ったときは、私が置いて行かれるのが常だったのでそのつらさが現れているようだ。
ほどなく猫吉さんが到着したので、魔法瓶の暖かいお茶を飲んで休憩した。標高は約1900メートル、あと100メートルの標高差を残すのみだ。腰を上げて歩き出すとどうやら雨模様となってきた。そしてツマトリソウの咲く最後のひと登りで平標山に到着だ。山頂はさすがに賑やかで、20名程の人がうごめいていた。そんな中で猫吉さんが目で合図するのでその方向を見ると、なんと同業者が盛んに無線の運用中だった。ピッケルに自作の金具で見慣れないアンテナをつけて、慣れた手付きで運用していた。そして傍らには500ccの空缶が転がっており、さらに次の500ccに手が延びていた。感心していると風雨が強くなり、たまらず二人で少し山頂から離れたハイマツの陰に逃げ込んだ。簡単な食事を済ませると雨も小降りになった。再び山頂に戻り、無線の運用をしていた男性のそばに行って話しかけた。わりと人懐っこい笑顔で答えてきたので、無線の同業者とは大体同じ性格なのかもしれぬ。猫吉さんはそのJGφMLJ/小林さんのアンテナに興味を持ったらしく、盛んに質問を浴びせていた。
山頂を後に仙の倉山方面に向かう。これは私のわがままで、このルートには憧れのハクサンコザクラが咲いているからだ。ガスで展望の利かぬ道を下ると、ほどなく大きな標識とケルンがあり、ここを右に折れて山腹を巻くルートに入る。ぬかるんだ道には木道が設置されているのだが、この木道は実に歩きにくい。歩幅があわないのと、濡れていると滑り易くなっているからだ。そして雨で見にくくなったメガネを拭きながら、周囲を注意しながら歩くとハクサンコザクラがその姿を見せていた。自称「花オンチ」の猫吉さんに得意になって、これが私の好きな花だと説明した。
駆け足でそのお花畑を抜けると、道は平標山の頂上からの道と合流して、平標小屋へ続いていた。ここで下山する団体の後ろに着いてしまった。イライラしながら付いて行ったのだが、途中で猫吉さんが業をにやして脇を抜けて先に進んだ。私もその後を追って駆け抜ける事にした。団体登山の人は個人山行の人にとっては、余り有り難くないものだ。またリーダーも山のマナーを教えて置いてもらいたいものだ。
平標小屋は雨宿りをする人で満杯の状態だ。しかたなく外で休憩してから今度は大源太山に向かう事にする。雨はほとんど止んでしまい、雨具もいつしか必要が無くなっていた。思ったほどアップダウンの少ない道で、今までには見られなかったニッコウキスゲが東面の斜面に咲き乱れていた。
そして樹林の中に大きな標識が現れ、「大源太山・川古」と指し示された方向は緩やかな登り道だ。シラカバの樹林を登ると道はなだらかになり、標石が道の中程に埋め込まれていた。傍らには標識が取り付けられたような、木が打ち込まれていた。標石には「主三角点」と微かに読み取れる。二人で立ち止まって、ここがはたして大源太山の山頂なのだろうかと悩んでしまった。挙げ句の果てに(ジャンケンで負けた方が先に行って様子を見てくる)などと言う事にまで発展してしまった。結局二人でもう少し先に行く事にした。すると、なんと先に進むにつれて高いピークが目の前に見えてきた。そしてその高みには何か人工物があるようだ。これは間違いないようだ、先を争うようにそのピークに向かって歩いた。
大源太山には立派な標識と三角点があり、ダンダラ棒はペンキがはがれてかなりの年代物と思われた。展望は意外に良く気持ちの良い山頂だ。相変わらず苗場山はどっしりとした山容を横たえていた。そして谷川連峰の平標山から万太郎山の稜線は長時間見ていても飽きないので、登高欲をそそられる山体だ。いつかは縦走をしてみたいものだと思った。ドウダンツツジの咲くこの山頂は展望は良いのだが、目の前を細かい虫が飛び交うのには閉口した。ひとつ所にとどまると、それこそ虫が群れになって顔にくっつく。そこで「犬の川端歩き」ならぬ「無線屋の虫よけ歩き」山頂を行ったり来たりしてそれをしのいだ。猫吉さんはそんなことを繰り返しながら、かなり局数を稼いだようだった。
大源太山から見ると、これから行く三国山はかなり近いように思われた。一旦分岐まで戻って尾根道を忠実に辿る事になる。巻き道もなく小さなピークひとつも登っては降りると言う事を繰り返すものだから、疲労もかなりのものだ。おまけに下草の刈払いも途切れてきて、靴の中に雨が進入してくるのでちょっと気持ちが悪い。たまらず猫吉さんが休む体制に入ったので、適当なピークで少し休んだ。遠くでナイスミディの声が聞こえたが、それも消えて静かな山頂になった。再び歩き出すと、今度は猫吉さんの歩く早さが見違えるように早くなった。やはり夕方になると本領発揮と言うところだろうか。
かなり急な登りになり、息を整えながらゆっくり登るとピークに着いた。猫吉さんがしきりに何か探している。聞けば山頂標識を探しているという。去年三国山には来た事があるので山頂の様子は知っているので、「ここは山頂ではないですよ」と言った。するとすぐに地図をとりだし確認に移った。「ここは手前のニセピークだ」そう言ってかなりがっかりした様子だった。
このニセピークから2分ほど下った所に巻き道と直登の分岐がある。もちろん直登コースを辿る事にする。それでもわずかな時間で、標識のない三角点だけの三国山山頂に着いた。
この頃より再び雨が激しくなり、傘をさして山頂で過ごす事になった。はるか先には雲の上に特徴のあるピークの稲包山が見えていた。ここで一時を過ごし山頂を離れた。
あとは下るだけだ。ここからも猫吉さんはかなりスピードが早くなった。ニッコウキスゲが咲く風衝草原の中の道をかけ降りた。旧三国峠の神社の中で少し休憩後、再び良く踏まれた道を車を止めた三国橋まで急いだ。
帰りは国道沿いにある猿ヶ京温泉「テルメ国境」で汗を流して、同じく国道沿いのラーメン屋でお腹を整えて猫吉さんと別れた。
次も車を2台使っての機動力のある山旅を再びやってみたいものだ。
「記録」
元橋07:44--(.11)--07:55登山口--(.53)--08:48鉄塔--(.32)--09:20松手山09:49--(.41)--10:31休憩10:46--(.17)--11:03平標山11:40--(.28)--12:08平標小屋12:22--(.30)--12:52分岐--(.21)--13:13大源太山13:57--(.08)--14:05分岐--(.26)--14:31休憩14:44--(.24)--15:08分岐--(.09)--15:17三国山15:54--(.24)--16:18旧三国峠16:32--(.16)--16:48三国橋
群馬山岳移動通信 /1995/