家族向けコース?「赤城鈴ケ岳」
登山日1993年9月5日
昨日、中心気圧930hPaと言う台風13号は何とか群馬県には影響を与えずに過ぎ去った。戦後間もない昭和20年9月17日に上陸した枕崎台風の916.6hPaに匹敵するという事で、私も少なからず緊張してしまった。「空白の天気図」柳田邦男著によれば、まるで台風の目の中にいると高山にいるような息苦しさを感じたと書いてある。この枕崎台風は原爆直後であった広島で被爆者を収容する陸軍病院を海に押し流すなど甚大な被害を及ぼしたとも書いてある。そんなわけでよけいに緊張していたのかも知れない。
9月5日
台風一過のまさに秋晴れの中、赤城山に向けて出発した。今日は子供も一緒である。一週間前に鍋割山に行ったときに見ておいた、赤城有料道路の料金所を通らないで赤城山に通じる道を通って登って行く。有料道路料金930円を踏み倒すためには少しぐらいの狭い道は我慢である。
新坂平の駐車場に車を止めて歩き出す。登山口は駐車場と道路を挟んだ反対側にある。道はいきなり笹薮となる。子供の肩くらいあるので息子はちょっと歩き難そうだ。それでも5分ほどで稜線に着いた。標識に従って右に折れて進む。道は白樺牧場の有刺鉄線の脇を通っている。油断をして転んだら傷が深いものになりそうなので緊張感はかなりあり、「大仁田厚」の心境が分かる気がする。途中子供を背負った家族連れを追い越した。かなり苦しんで居る様子で「鈴ケ岳までですか?」と聞かれたので「そうです頑張りましょう」と答えた。しかしこの家族はついに鈴ケ岳で会うことはなかったので途中で引き返したものとおもわれる。追い越した途端に蜘蛛の巣が多くなってきた。しかたなく木の枝を折って親子で蜘蛛の巣払いをしながら前に進んだ。
道ははっきりしているのだが、熊笹が道に覆われているので所々道を失う事もある。鍬柄山の直下はやや草原になっており、その草原の中を道が何本か走っている。本線が分からないのでとにかく上に行けばいいのだと適当に踏み跡を辿る事にする。しかし途中で道は消えて薮の中に入ってしまった。しかたなく子供と四つん這いになって薮の中を進むと、どこから現れたのか明瞭な道が現れた。ひとまず安心してこの道を登る事にした。
稜線から38分で鍬柄山に着いた。鍬柄山は草原上でマツムシソウが風に揺れていた又、見晴らしは大変良い。特に大沼と電波塔の立つ地蔵岳は良く眺める事ができる。ここで子供がお腹が空いたと言うので、おにぎりを半分にしてわけて食べた。すっかり子供はここが鈴ケ岳だと思ったのか「さて行くぞ」と言うと「まだ行くの」と聞き返した。無理もない子供は自分の肩まである熊笹をかき分けて来ているのだから。「もう少しだ頑張れ」と尻を叩いて出発した。しかしその後つかれたのか「あと何分?」としきりに時間を聞かれる羽目になった。
鍬柄山から少し下ったところで、またも道が不明瞭なところがあり苦労してしまった。しかしその後は道も笹薮も少なく鮮明になり道に迷う事はなくなった。もったいないほどの下降する道を忠実に辿って高度を下げていく。やがて鈴ケ岳直下のコルについた。ここには立派な標識があり「赤城キャンプ場」と書いた矢印が分岐して示されている。しかしその方向は立派な標識とは正反対に踏み跡らしき道も発見する事は出来なかった。再びここで子供がお腹が空いたと言うのでおにぎりを食べさせる事にした。私は無線機のスイッチを入れワッチをする事にした。するといつもの様にJS1JDSが出ている。今日は珍しくポータブルφである、いつもとパターンが違う。この前は日帰りでなく泊まりで運用していたので何か心境の変化でもあったのだろうかと心配してしまった。とにかく交信をして「あと30分で頂上につくからその時に又よろしく」と言って交信を終了した。
子供はたいしたものである。お腹が少し膨れればたちまち元気になる。どんどん登っていく。私が置いて行かれそうである。若干露岩のある場所もあったが大した危険もない場所であった。
鍬柄山から58分で鈴ケ岳山頂に立つ事が出来た。まずは子供と頂上到達の記念の握手をしてからリグのスイッチを入れる。JDSがまだやっている。呼出しの声が途切れたのを見計らって声をかける。今日は志賀山移動との事だ。全くJDSは年間何日山に入っているのだろうか、凄いの一言である。今月はあと「YAMA1399」の上州武尊山バージョンを控えているらしい。それからどうやらMLQが白毛門に行っているとのことを教えてもらった。早速呼びだし周波数をワッチしてみると数分後に誰かを呼んでいる声が聞こえた。図々しくこちらからコールを呼んでみたが混信がひどいためか、電波が届かなかったのか交信する事は出来なかった。
山頂で後は子供とゆっくり食事をして日向ぼっこと決め込んだ。それから後、夫婦連れの2組が合い前後して登って来た。そして子供を見て「良く登って来たね」と口々に言うものだから子供はもちろん親までも気分を良くしてしまった。しかし実際、ガイドブックに家族向け初心者向けと、書いてあってもこの山は決して子供が登るのには適さないと思った。笹薮は背の低い子供には負担だったはずである。今後ガイドブックは「中高年向け」「子供向け」と言う記入の方が適切な場合があると思われた。
帰りは忠実に来た道を辿って戻り、時間は77分であった。
群馬山岳移動通信 /1993/