巨体が尾瀬ヶ原に水没 登山日1997年5月2日
今年のGWは尾瀬にある、日本300名山のひとつに挑戦する計画を企てた。当初は天幕利用を考えていたが、急遽前日になって見晴地区の山小屋利用と変更になった。これで天幕とシュラフが必要なくなったので、装備はだいぶ軽くなった。しかし50リットルのザックは満タンになった。
5月2日(金)
前日に冬期閉鎖から開通した戸倉〜鳩待峠間を快適に上部に向かって走る。対向車も後続車もなくいつもの尾瀬とは勝手が違うので戸惑う。尾瀬はやはり団体の水芭蕉見物がメインなのであろう。ところが、鳩待峠の駐車場に着いてみると、ほぼ満車状態である。それでもまだまだ空地はあるので、その一角に駐車する。あとから来る猫吉さんを無線で限んでみるが応答がない。これも当初、鳩待峠の混雑を予想してバスかタクシー利用を考えていたので、連絡をしないとうまくない。到着してから1時間ほどして、無線機から猫吉さんの声が聞こえてきた。
そして猫吉さんが到着する頃、駐車場はすでに満車で余地がない。そこで仕方なく路上駐車となり、500メートルほど戻ったところにある余地に駐車となった。
もろもろの支度を整えてやっと出発となった。鳩待峠は山荘前が除雪されているが、ほかはまだまだ雪の下に隠れている。鳩待峠は登山者は少なく、スキーヤーとスニーカーを履いた純粋の観光客(?)がほとんどだ。よく踏まれた雪の上を辿って、山ノ鼻に向かう。ところが、ひょんなことからこのまま小屋に直行するのでは、時間が早すぎると言うことになった。そして目の前をみると「至仏山」が大きく見えている。私は「小至仏山」猫吉さんは「小至仏山」と「至仏山」で無線運用をしていないことに気がついた。そこで相談した結果、情けないが鳩待峠に戻ることに決めた。
本日2度目の鳩待峠である。(このあと3度目があるとは思ってもいなかった)ここでなぜか休憩となってしまい、30分近くもゆっくりしてしまった。
暖かな日差しの中、あらためて至仏山に向け歩き出した。夏道は深い雪の下に埋もれており、雪の上に残されたトレールは、ほとんど直線的に続いている。雪は潜ることもなく、なかなか快適に登っていく。途中で正午前の気象情報を確認するために、ラジオのスイッチを入れた。どうやら翌日は雨で、降水確率80%の地域もあると言う。これが今回の山行の経緯について、大きな伏線となった。樹林帯を抜け出し、1867メートルのピークを夏道とは反対に右から巻いて、次の1935メートルのピークを過ぎた所にある鞍部に着いた。ここで、後方から遅れている猫吉さんを待つ。
猫吉さんは何か今日はとても疲れている様子で、あまり覇気が感じられない。日頃の疲れと風邪気味なのが効いているのだろうか。ともかく、ここから一気に小至仏山まで登るには距離があるので、ここで昼食にしようと言う。それに同意して、早速コンロを取り出してインスタントの天ぷらそばに餅を入れて煮込んで食べた。その間猫吉さんは、おにぎりをほおばってから、巻き巻きを奉納に出かけた。
樹林帯を抜け出たことで、ここから山頂までの登りは素晴らしい展望に恵まれていた。とりわけ、尾瀬ヶ原と燧ヶ岳の構図は、この風景を作ったものに偉大さを感じる。オヤマ沢田代をすぎると、本格的に小至仏山の登りに取り付くことになる。小至仏山は、山頂部が岩がむき出しになって、
通常は小至仏山は、下部を巻いてピークには至らないのが通常である。従ってトレールも少なくなっている。かなりの急登、アイゼンを効かせてゆっくり登り、時折振り返っては風景と猫吉さんの姿を確認する。ちょうどよい撮影の場所があったので、カメラを取り出して猫吉さんを点景に撮影して待機することにする。「今日はかなり調子がいいね!」そう言って私の所に着いた。「私の調子が良いのではなくて、猫吉さんの調子が悪いのですよ」と答えた。事実、今日は水分の補給も回数が多いようだ。
こんどは猫吉さんが先頭に立ち、最後の登りにかかった。岩場は雪が無く、アイゼンの爪がなんとも嫌な音を立てて、悲鳴を上げているようだ。そして、360度の展望の開けた小至仏山のピークに立った。山頂には簡単な山頂を示す木板が、蛇紋岩の上に放置されていた。展望は間近に見える「小笠」「笠ヶ岳」が似たような形で見えており、その後方には「上州武尊山」の大きな山容が構えている。また「奥白根山」を盟主とする私の未登の山々がはっきりと見えていた。
標高2162メートルの山頂であるが、電波のほうは過疎地域のようだ。私の方は早々に猫吉さんと、奥の手交信で終了して休憩。猫吉さんはその後、「至仏山」が控えているので粘ってさらに一局交信した。
「小至仏山」からは一旦急斜面を降りて、今度はなだらかな斜面をゆっくりと登る。
「至仏山」に到着すると、登山者が一人ブツブツとつぶやいている。聞けば「山の鼻にスキーで降りるのだが、雪が無いので困った」と言っている。確かに山頂付近は雪が無くなって、岩がむき出しになっている。やがて彼はザックとスキーを担いで降りていった。これで山頂は猫吉さんと二人だけになった。大きな墓石のような山頂標識を入れて記念撮影、その後は無線運用と決まりのパターンだ。一息ついたところで山岳展望を楽しむ。「平ガ岳」から「巻機山」までの憧れの山が眼前に広がっている。尾瀬ヶ原には「燧ヶ岳」はもちろん、雪崩の爪痕を見せる景鶴山が姿を見せていた。やがて女性一人を含む若者のパーティーが到着、それと入れ違うように我々は山頂をあとにした。
「至仏山」から山の鼻へは、今年から通行が可能となった。高天ガ原と呼ばれる場所には木製の階段が延々と設置されて、これで自然保護は出来るとの判断である。多くの欺瞞に満ちた尾瀬の矛盾のひとつなのかもしれない。ともかくこの階段、音をたててけたたましく下る。
やがて階段が途切れたところで、都合良く雪原に切り替わった。ここからは一気に山の鼻まで斜面が延びている。これは好都合とビニール袋を取り出して尻セードを楽しむ。やがて樹林帯に入り一気に山の鼻に到着した。
ここで時間を見ると4時40分!ここで我々は重大な事に気づいた。見晴十字路の小屋までは、まだかなり時間がかかると言うことだ。そこで山の鼻で電話をかけようとしたが、小屋はまだ開業前で電話など全く見あたらない。案内板を見ると見晴十字路まで7キロあまり、時間にして2時間もある。尾瀬というと観光地という感覚が頭にあるので、たいしたことはないとタカをくくっていたが、大きな間違いであった。いまから頑張っても、小屋に着くのは午後7時近くになってしまう。
そんなことを考えていると、若い男女の二人が軽快にスキーを滑らせて尾瀬ヶ原に踏み出していった。我々に残された道はひとつしかない。暗くなって小屋の前に立ち、いろいろと言い訳を並べて食事を貰うしかない。
平らな雪原の中を、トレールに従って歩く。木道は時折姿を見せるものの、総じて雪に埋もれている。ところがその雪は場所によっては薄くなっており、踏み抜く事になる。踏み抜いた下は水が溜まっており、たちの悪い落とし穴のようだ。そんなものだから、かなり気を使って歩かざるを得ない。それでも何度か踏み抜いて、靴の中が湿って来てしまった。
一時間弱歩いたところで、中田代三叉路に到着。先行するスキーヤーは雪の状態が悪いのだろうか、スキーを諦めて肩に担いでいる。振り返ると「至仏山」の右上のまだ高い位置に太陽が浮かんでいるが、白い闇に霞んで弱々しくなっている。これまでずっとポロシャツ一枚で過ごしてきたが、寒くなったのでカッターシャツを一枚着込むことにした。そこで後方から来た猫吉さんと再び合流、今度は猫吉さんが先行して歩き出した。やはり小屋に到着する時間が気になっているようだ。
三叉路から少し進んだところで、木道が崩壊して水没している部分があった。わずかな距離であるが、やはり靴を水の中に入れるのは抵抗がある。先行するスキーヤーがスキーを外した理由がここにあったわけだ。意を決して猫吉さんは水の中に足を入れて、難なく渡りきった。猫吉さんに続いて、今度は私がそれに習って行くはずだったが。少しでも水にはいるのを少なくしようと、手前の残雪に足を乗せた。しかしその残雪は水の上に浮かんだだけの出っ張りだったのだ。私の巨体と重いザックに耐えられるわけもなく、見事に私は尾瀬ヶ原の池塘の中に放り出されてしまった。
足は当然つかない空しく水の中をもがくだけ、しかし重いはずのザックが浮き袋になって何とか胸までの水没で免れた。やっとのことで這い上がったが、全身ずぶぬれで袖口からは水が滴り落ちている。それに靴の中は完全に水が入り、足踏みをする度に気持ちの悪い音がする。この一部始終を見ていた猫吉さんが心配しながらも、悪魔のような笑い声で「大丈夫ですか?」と聞いてきた。「ウーム、寒い」と答えた。ここで完全に私は戦意喪失、明日の雨の中の山登りを考えると、前に進む気にならなかった。「帰りませんか?」と猫吉さんに尋ねると妙に元気になって「そうしましょう」と答えが返ってきた。私の惨めな姿が気になったのか、それとも退却の立派な理由が出来たためなのかは定かではなかった。
前方を行くスキーヤーはさらに水没した場所があるのか、立ち止まってはゆっくり歩いているのが解る。再び水没した木道を渡り山の鼻に移った。ここで猫吉さんがにわかにカメラを取り出して、私に水没地点でポーズをとれと要求する。ムッ!としたが、彼はジャーナリストの一翼を担っている人である。妙な関心をして、要求に応えてしまった。
なんと言う贅沢な事だろう、観光地である尾瀬ヶ原で今歩いているのは我々だけだ。前にも後ろにも誰も見えない、しかし景色などは全く目に入らない。やっとの事で山の鼻に到着して、しばらく休憩。私は濡れたものを着替えると、それが荷物となって重くなる事を理由に、持参したトリスのポケット瓶を半分ほど飲み干して身体を暖めた。近くではテントの中から、明かりと夕餉の臭いと談笑が聞こえてくる。
さあ、本日3回目の鳩待峠に向けて出発だ。
途中から、ヘッドランプを点けて雪に中のトレールを探しながら歩く。それでも時折トレールを外れて、川に突き当たったり迷ってしまう。恐ろしく長い時間に感じる。暗い山道、人影は全く見られない。
鳩待峠の山荘の明かりを確認したときは、本当に助かったと思った。
山小屋にキャンセルの連絡を入れようと、猫吉さんが山荘に電話を借りに行くと電話は置いていないと言う返事。そんな馬鹿な事はないと思ったが、仕方ない。それにしてもこれでは夜遅くなって此処に着いても、タクシーを呼ぶことは出来ないではないか。此処に宿泊するか、戸倉まで歩くしかない。
車に移り、戸倉の「玉泉」で風呂に入り、沼田で食事を終えたのは既に午後11時になろうとしていた。
今回の山行で登れなかった山は、完全に宿題となってしまった。反省点の多い、貴重な経験となった。
「記録」
鳩待峠09:43--(.23)--10:06戻る--(.11)--10:27鳩待峠10:50--(.43)--12:33休憩13:01--(.59)--14:00小至仏山14:24--(.33)--14:57至仏山15:36--(1.04)--16:40山ノ鼻--(.50)--17:30水没17:40--(.50)--18:30山ノ鼻18:44--(1.15)--19:59鳩待峠
群馬山岳移動通信/1997/