稲穂の海に浮かぶ「六万騎山(六日町)」

登山日1998年9月6日

六万騎山(ろくまんきやま)標高321m 新潟県南魚沼郡
六万騎山から坊谷山を見る
 9月6日(日)

 八海山の麓の草地に駐車した車の中で目が覚めた。時間を確認すると午前5時35分なので、どうやら9時間も寝てしまったようだ。やはり前日の八海山の疲れは相当な物だったようで、一度も目が覚めることなく眠り続けたようだ。

 窓のカーテンを開けて外を見ると、八海山の険しい山並みが朝の光の中に大きく浮かんでいた。隣の猫吉さんの車からは動きが感じられない。おそらく私が意識不明になって眠り込んだあとも、銘酒八海山を呑んでいたに違いない。

 今日は昼頃までに帰る予定なのだが、まだ時間的には余裕がある。そこで昨日猫吉さんが言っていた、面白い名前の山「六万騎山」に登ってみたくなった。そこで天井の窓を開けて、コンロで朝食を作りながら地図を広げて、猫吉さんが起きるのを待った。

 7時をまわった頃、寝ぼけ眼の猫吉さんが顔を出した。やはり前日の疲れがあるらしく、あまり元気がないように感じられる。ここで、六万騎山に登りたいと言い出すと、早速その気になって支度を始めるところは、さすがにヤマランの鬼である。

 山口集落から六日町に向かい上原の信号で右折、道なりに行くとやがてお寺の赤い屋根が見えてきた。このお寺の駐車場に車を置いて、支度を始める。お寺の入り口には「魚沼33霊場 第16番札所 船岳山 真浄寺」と書いてあった。地図を見ると、このお寺の境内の裏から登るようになっている。そこでお寺に向かって歩いて行くと、地元のおばあさんが居たので道を尋ねた。すると「お寺の裏からは道はねえ。戻って案内板の通りに登った方がいい」と答えた。「地形図の表現とは違うな」、と思いながらもその言葉が自信に満ちていたので、それに従うことにした。

 戻って案内板の所に行くと、そこには「六万騎山遊歩道案内図」と書かれて、地図も載っていた。どうやらこの山は六万騎城址らしく、かつては兵六万を収容出来る規模の様相の城があったらしかった。

 登山道は良く整備されており、地元の人の努力が実っている物と思われる。道の脇の立木には名称が書かれた札が下げられており、名前を確認するにはもってこいだ。それらの立木は全て根本から曲がっており、この付近の積雪のすごさが感じられた。

 展望はほとんどなく、関越道の車の騒音が絶え間なく続いているのがちょっと雰囲気を壊している。それでもなんとか20分ほど歩くと山頂に立つことが出来た。山頂には四等三角点があり、その上には大きな櫓が建っていた。猫吉さんと、この櫓はアンテナのタワーに利用できそうだと話し合った。

 山頂からの展望は、巻機山、金城山当たりが素晴らしい。また眼下には色づき始めた水田が広がっていた。まさにこの山は、稲穂の海に浮かんでいるような山だった。しばらくはこの里山の風景を堪能して時間を過ごした。

 無線はこの近くの高倉山から出ていた、局が居たのでQSOしてQSLは確保できた。

 帰りは小走りに駆け下りて、車に戻った。

 これからまだこの近くの低山を登りたい、という猫吉さんと別れて一人で帰路についた。



「記録」

 真浄寺09:02--(.21)--09:23山頂10:28--(.09)--10:37真浄寺


群馬山岳移動通信 /1998/