裏妙義の西端部を横断(下平→大烏帽子→谷急山→中木川)
登山日2001年11月23日
11月23日(祝) 所属する職場山岳部が、裏妙義の大烏帽子へのルートを発見したという。それも原則ノーザイルで行くことが可能とのことだ。職場山岳部の活動には、ほとんど参加していないのだが、大烏帽子に行くと言うことで久しぶりの参加となった。 国民宿舎「裏妙義」の近くに車を置き、車2台に分乗して裏妙義の北側にある下平地区に向かう。下平地区は上信越自動車道の碓氷軽井沢ICの近くにある集落だ。2万5千分の1地形図の神社の表記がある場所に駐車して、霜がまだ白く輝く道を歩きだした。今日のメンバーは総勢7名、年齢も27才から58才までと多彩だ。 大烏帽子と小烏帽子の中間地点を目標に西に向かって舗装路を登っていく。振り返ると高岩の特徴的な姿が、朝日に照らされて雲一つない空にそびえていた。しばらくすると道は左の分岐に入り、杉の植林地に踏み込む。そして小さな橋を渡り、10m程でその道から分かれて、右の仕事道を辿り上部に登ることになる。 沢に沿って登ると、沢筋は二つに分かれる。その二つの沢に挟まれた尾根を登ることになる。急な登りだが、灌木に掴まりながら息を整えて慎重に上部に向かう。年齢的に若い人と20才近く違うものだから、なかなか付いていくのが大変だ。 左側には特徴ある岩峰の大黒岩が、落葉した木の枝の間から見えている。その大黒岩も眼下に去り、急登の斜面を喘ぎながら登ると明瞭な尾根に辿り着いた。妙義山塊は地形が複雑で、地形図にはなかなか表現出来ない尾根や沢が入り交じっており、これがこの山域の難しさでもある。GPSを取り出して測定すると、「N36.1729 E138.4202」となるので、 地形図上にプロットしてみるが、どうも現在地がハッキリと分からない。どうやら、左の高いところが大烏帽子、右のそれは小烏帽子のピークではないかと推定する程度だった。 この地点から尾根には登らず、ヒダのような沢に向かって下降してから、隣の尾根に移る。そしてこの尾根を上部に向かって、再び灌木に掴まりながら登ることになる。やがて高みに近づくにつれて、松の木が数本生えた露岩上に立つことになった。ここからの展望は素晴らしく、特に青空の中に浮かぶ浅間山方面が一望であった。噴煙はそれほどでもなく一時期よりも落ち着いているようだ。 しばし展望を楽しんでから、今日のリーダーを先頭に再び歩き出した。再び灌木に掴まり上部を目指して5分ほど進むと、「ここが山頂です」と突然声がかかった。しかし、声がかかった場所は山頂らしくなく、尾根の一部としか考えられない場所だった。確認のためにGPSで確認すると、確かにここが大烏帽子の山頂だった。展望はもちろん何もなく、灌木に囲まれた場所で、もちろん山頂標識のたぐいは全くなかった。小烏帽子はこのピークから南へ向かうのだが、今日のそちらへ向かう予定はなく、次回のお楽しみとなった。 山頂でしばし休憩後、妙義山塊の最高峰「谷急山」に向かうことにした。大烏帽子のピークからルートは稜線を北の方面に伝うことになる。大烏帽子直下からしばらくは笹がうるさいが、それも少しの距離で消えてしまった。稜線は出来るだけ左(西)端を歩いた方が、迷わないですみそうだ。時折、大きな露岩が現れるが、丁寧に探せば巻き道が必ず発見できる。 昼食を終わり、帰りの準備を始める頃になって、さらに一組のご夫婦が山頂に到着した。ここで、お互いに記念撮影を行い、山頂を辞することになった。ところが、妙に酔ってしまって、谷急山のきつい登山道は大変な苦痛を伴う下りとなった。 三方境から中木川への下りは、カエデの紅葉を頭上に見ながらの素晴らしい歩きとなった。 「記録」 下平08:34--(.15)--08:49作業道へ入る--(1.41)--10:30大烏帽子10:44--(.52)--11:36一般登山道--(.09)--11:45谷急山12:25--(1.06)--13:31三方境13:44--(.57)--14:41中木川 群馬山岳移動通信/2001/ |