薮山に熊の足跡「阿能川岳」から「小出俣山」
登山日1996年5月18日


三岩山(みついわさん)標高1568m 群馬県利根郡/阿能川岳(あのうがわだけ)標高1611m 群馬県利根郡/小出俣山(おいずまたさん)標高1749m 群馬県利根郡
三岩山から見る吾妻耶山
 5月18日(土)

 今日は猫吉さんとかねてから懸案であった谷川岳の南に位置する、「三岩山」「阿能川岳」「小出俣山」に挑戦する事になった。特に猫吉さんにとって小出俣山は4年前に敗退しているだけに因縁の山でもある。

 自家用車2台と言う事もあり、登山口と帰りの到着口にそれぞれ車を分散する事にした。まずは川古温泉に私の車を置いて、猫吉さんの車で仏岩トンネルの立派な駐車場に向かう事にする。どうやら猫吉さんの車はターボ機能に重大な故障があるらしく、黒い煙をマフラーから吐き出しながらヨタヨタと山道を登った。不安を感じながらもなんとか仏岩トンネルの駐車場に到着した。

 支度をしていよいよ山道を登り出す。間伐材の見本林となっているらしく、杉の植林地は伐採された材木が散乱していた。良く踏まれた道は歩き易く、展望が良ければ谷川岳を眺めるのに最高のハイキングコースになるに違いない。それでも道の脇には春の草花が見られ、なかなか良い雰囲気だ。特にエンレイソウ、ショウジョウバカマが良く目についた。

 先週の両神山で右膝を痛めている事もあり、トップは帰るまでほとんど猫吉さんにやってもらった。ひとしきり登ると「赤谷越」に到着した。ここは十字路になっており、標識がいくつも設置されていた。しかし、水上と書いてある標識の示す方向はちょっと分かりにくい。また前橋営林署がブナの木に取り付けた看板は、両側が幹にすっかり取り込まれてしまっている。これから十年後ここを訪れる事が出来たならば、この看板がどこまで幹に取り込まれるか確認したいと思った。これから我々が目指す北に向かう尾根に「三岩山」を示す標識は勿論ない。それどころか間違って入り込まないように木の枝が組んである。

 赤谷越から北に続く尾根には明瞭な道があり、それを忠実に辿る事になる。道に雪は全く無く、ブナの木は芽吹きが始まったばかりだ。時折現れるタムシバやシャクナゲの花が、霧に霞んだ森の中でなかなか風情のある姿で浮かんでいた。やがて道が分岐して、送電線巡視路「No19」と「No20」に別れる。尾根に続くのは「No20」であり広い道が延びていた。ここでひとまず休憩して、これからのコースの検討をして過ごした。

 この分岐から少し歩くとすぐに送電線鉄塔「No20」が現れた。周りは下草が刈り払われて明るい広々とした感じになった。そしてタラの芽が丁度食べごろで育っていたので、取ろうとしたがトゲが刺さりあっさり断念してしまった。この送電線鉄塔からは「No21」、「No22」がそれぞれ霧に霞んで続いているのが見える。ここは快適な道が鉄塔から延びておりそれを辿りながらのんびりと登った。

 やがて道は右の斜面にある「No22」鉄塔に向かって尾根を外れて下っていく。ここからはいよいよ道を離れて薮の中に入る事になる。笹はさほど深くはなく、なんとか支障無く歩く事が出来る程度だ。それに青い荷造り紐が梢の高い位置に取り付けてあるので、それを確認しながら行けば問題なさそうだ。このあたりから霧も消えて目指す小出俣山が谷を挟んだ向こうに大きく見えて来た。振り返ると整った台形の形をした吾妻耶山が、雲海の中に浮かんで見えているのが印象的だ。薮の中のを少し進んで標高1300m付近の小ピークで休憩する事にした。

 休憩後、再び尾根を忠実に辿って登る事になる。幸いにこの付近から尾根の右側(東斜面)には残雪があり、その上を歩く事によってうるさい薮から解放される事が出来た。しかし、その残雪も続いてあるわけではなく、時には薮の中に入らねばならなくなる事もしばしばだ。そんな時は両手を使って薮をかきわけながら歩くので、かなりの労力を必要とする。しかしこんな薮はこの後のトラブルに較べたらなんと言う事もなかったのだ。

 標高1400m地点で猫吉さんが諸々の用事を済ませるとの事で、私が先行して歩いた。ところが今度は一転してシャクナゲの薮が多い岩峰を行く事になった。かなりここは明瞭な痩せ尾根で、両側が急傾斜で落ち込んでいる。それにしてもシャクナゲの薮は閉口してしまった。腕に傷は出来るし、笹と違って枝が太いだけ弾力があるので、力較べをしているような感じでもある。それでも何とか50分ほどで岩峰を乗り切り、あとは雪の残った斜面を残すばかりとなった。ここで紙パックの牛乳を飲んで猫吉さんを待った。ほどなく猫吉さんが到着して休憩後、三岩山への最後の斜面の登りにかかった。

 簡単に見えた三岩山の最後の斜面は意外にも途中に岩峰がありルートの選択に迷う。その岩峰の右側を巻いて更に斜面を登り、一気に三岩山山頂に飛び出した。すると今までとは全く異なった風景が目の前には広がっていた。広い雪原が目指す阿能川岳まで続き、さらにその奥には谷川岳から万太郎山を経て仙ノ倉山に至る谷川連峰の主稜線が迫っていた。東側に目を転じるとそこには上州武尊山、尾瀬の峰々が春霞の中に浮かんでいた。三角点は雪の中だろうか? 山頂を示すのはG氏が7年前に取り付けた標識のみだ。山頂では430MhzFMで簡単に済ませて次の阿能川岳に向かった。

 ここが今回の山行でいちばん快適な歩きだったのかも知れない。雪の締まった広い稜線を思い思いに歩き、阿能川岳の山頂の一角である西南の端に着いた。ここからはほぼ水平に近い高低差で一気に阿能川岳山頂に到着した。

阿能川岳からの展望 山頂は一部で雪が消え笹が現れ、そしてその陰には三角点がその姿を現していた。さらにここにもG氏の山頂標識が立木に取り付けられていた。ここにきて猫吉さんがザックの中から取りだしたのは達筆標識である。聞けば4年前から準備していたとの事である。まさにその想いがこもった標識であるに違いない。G氏の山頂標識から離れた場所にドライバーを使って取り付けたので、早速その前でビールを持って記念撮影だ。

 ここでは昼食を兼ねて時間を多く取る事にして、無線にも時間をかける事にした。私はピコ6+電線DPで運用する事にして、近くの潅木にDPの端を結んだ。折からEスポの発生がありバンド内がかなり賑やかになっていた。それでも特別記念局「8J6BEP」を含め数局とQSOが成立した。しかしここにきて、ビールが効いてきたのか早起きが祟っているのか無性に眠いのである。猫吉さんも同じ様で、二人の意見が一致してしばらく眠る事にした。春の柔らかい陽射しは昼寝に最高だ。本当に一瞬意識を失った様でもあり、ドキッとして目が覚めた。猫吉さんに声を掛けて二人がようやく重い身体を起こした。

 さてこれからはガイドブックなどにも全く記述がない、阿能川岳と小出俣山の稜線を繋いでの縦走である

 阿能川岳の広い山頂部分の南西の端まで戻って、小出俣山への稜線の降り口を探す。笹薮でなかなか適当なところがない。しかたなく思いきって笹薮の中に突入する事にした。しかしさほどの苦労もなく雪の斜面に出る事が出来たので、一部グリセードで一気に下った。地形図で見るとさしたるアップダウンも無いように見えるこの稜線だが、実際の地形を見るといくつものコブがあり、これをひとつづつ越えて行くのかと思うとうんざりする。それに小出俣山の最後の登りは、かなりの急傾斜を一気に登る事になりそうだ。

 予想通り、同じ様なコブを何度も越えてから降りる、こんな事を繰り返している為なのか高度計の数値が1500m付近で止まった様になっている。標高だけではない、小出俣山までの距離が一向に近くならない事も不思議な感覚を覚える。いくつかのコブは雪が消えて薮が現れており、その薮はさすがに谷川岳の風雪に耐えたものだけに、かなり手ごわい。先に進もうとしても押し戻されるし、足をつこうとしても足が空中に浮いている感覚である。つくづくこのコースは残雪の時期の見極めが重要であると認識せざるを得ない。

 この稜線も約1時間半を掛けてやっと最後の登りとなり、あとは標高差150mの登りだけである。ここでひと休みをして、この登りをいかに克服するかを考えた。それはすぐ上には直径数十メートルの円形のクレパスがあったからだ。そしてそれは今にも雪崩となって斜面全体が崩壊するようにも思われるのだ。こうなると妙な事を考えるもので、上に登らずにこの斜面をトラバースして向こう側の尾根から登ろうか、などととんでもない事を真剣に考えるあたりは疲れもピークにちかいのかも知れない。

 そんな話しをしていると猫吉さんが「アッ!!!」と声を上げて下を指さした。その方向を見ると標高差約200mほど下の沢で黒く動くものがいる。それは大型の動物で四本の足で歩いている。カモシカにしては足が短いように思える。「熊だ!!!」ハッキリとは解らないが、熊と考えるのがもっとも当てはまる。
「おーい!おまえは熊かーーー」と声をかけると、動物はたしかにこちらを向いて立ち止まった。それから再び歩き始めて雪の残る樹林の中に姿を消した。

 気を取り直して、雪の斜面の直登にとりかかる。こんな時はピッケルの有り難さが良く解る。登ってみると円形のクレパスはさほどの規模ではなく、なにかあっけなく通り過ぎてしまった。そのあとは再び雪崩を避けて、笹と潅木の薮の尾根に突入した。雪の上を歩く方がはるかに楽なのだが、これも安全を考えればしかたあるまい。ここで妙な臭いを感じるようになった。この時は自分の汗の臭いだろうと思っていたのだが、それにしては強烈な臭いだと感じた。これはあとから考えると、これからのパニックの前兆だったのである。
小出俣山直下
小出俣山からの展望
 薮を抜けると再び雪の斜面となり、ここは迷わず雪の上を歩く事にした。山頂が間近になった頃から、足どりがゆっくりとなった。それは念願の小出俣山の山頂をあとわずかで、踏めると言う感激を楽しむかのようでもあった。そんなものだから山頂を手前にして、お互いに記念撮影をしたりしてゆっくりと登った。

 そしてやっと念願の「小出俣山(おいずまたさん)」山頂に到着する事が出来た。山頂は南西側が岩壁で切れ落ちていて、そこにはアイスクリームをスプーンで取った時のような形をした雪が横たわっていた。そして北には万太郎山が大きく聳えて立ちはだかっていた。さらにこの小出俣山からオジカ沢の頭に続く稜線は、ゴジラの背のようにゴツゴツと岩峰が連なっている。まさにこの日の山行の最後のピークを締めくくるにふさわしい展望だった。ここでも猫吉さんが達筆標識を取り付ける為に、適当なところをウロウロはじめた。なにしろこれも4年越しの標識であるので、それにふさわしい場所と言うものがある。特等席はG氏に占領されているので、なかなか難しい点はある。それでも適当なダケカンバの幹に何とか取り付ける事が出来た。早速ここでも記念撮影をして、慌ただしく無線の準備にとりかかった。

 結局無線は430Mhzで数局とQSOしたにとどまった。ここでいつもはしない行動にでた。それは伊勢崎レピーターでKXW/渋沢さんを呼んでみた事だ。今になって思えばこれも虫が知らせた行動だったのかもしれない。結局、先生とのQSOは成立しなかった。

 さていよいよ下山である。途中までは猫吉さんも4年前に登った事があるので、ある程度の感覚があるから間違いないと確信した。それに過去に山頂から1時間弱で下山した記録もあり、簡単だと考えていた。しかし慎重を期して、地形図で尾根の分岐するところを確かめて、常に高度計を見ながら下山することにした。

 最初のうちは残雪もあり、快適な下山となった。山頂から南東に進んでいた尾根が、標高1600m付近で南に折れる。その付近から雪も少なくなり、笹薮が目立ってくるようになった。さらに標高1400m付近で大きな針葉樹の大木がそびえる岩場に着いた。(これはアスナロとの事である)右も左もかなり急傾斜でここをトラバースするのは、かなりの困難が予想された。そこでこのまま岩場を登り通過しようと試みた。しかし、その上までシャクナゲの薮をかき分けて苦労して登ったのだが、その先は断崖絶壁で進めそうにない。しかたなく再び戻り、岩場をどちらから巻こうかと考えた。誰かが通過した痕跡がないかと探したのだが、それは全く見つからなかった。そんな時にまことにタイミング良く、ガスが発生してまわりの様子を隠し始め、不安が頭を持ち上げてきた。なにしろこの岩場は地形図には全く記載されていないのだ。(もしかしたらルートを間違っているのではないだろうか?)

 しかたなく岩場の左側の雪の急斜面を巻いて行く事にした。かなり困難に思われたこの斜面も、ゆっくりと慎重に下れば意外とたやすいもので、難なく通過出来た。この岩場を通過したあたりから笹が背丈程の高さの所も出てきた。そして霧が巻いてきた事もあり、見通しが極端に悪くなってきた。尾根を忠実に辿れば良いのだが、それが不可能となるほどだ。そして標高1300m付近で先を歩いていた猫吉さんが急に立ち止まって、畳の広さ程の残雪の上を指さした。そこにはくっきりと足跡が残されていた。

「熊だ!!!!」

 まさしくそれは熊の足跡だった。人間の掌の程度の大きさで、その足跡の前部分には爪の跡が付いている。そしてその様子からその足跡は、熊が通過してからさほど時間は経っていないと推測された。なぜなら雪の上の爪の跡は融けずにそのまま細く残っていたからだった。

 ともかく恐怖心が先行して、ここから早く離れなくてはいけないとの考えが頭の中に渦巻いた。猫吉さんを先頭に熊笹をかき分けて、転がるように我先に下界に向かった。その間、口々に何か二人でわめき散らして、ともかく大声を上げていたことは良く覚えている。しかし何を言っていたのかは記憶が曖昧である。

 ふと気がつくと二人は尾根から離れ、窪地のような所に立っていた。そしてなにやら下の方では沢音が聞こえていた。ここで始めて冷静になった。いや冷静になっていたのは猫吉さんだけだった。私はほとんどパニックで、途中で地形図を見るとか、コンパスを見るとかは全く出来なかった。ともかく大きな声を出して、熊がこの声に気付いて離れて行ってくれる事を願っていた。この時点でルートの選択は猫吉さんの手腕に頼る事になった。

 しかし自分達が果たして何処にいるのかは全く解らない。まわりは笹と根曲がりの薮であり、相変わらすガスが巻いてきており尾根を探そうにも見通しが効かないのだ。さらに時間は18時になろうとしており、日没まであと1時間である。あたりは既に暗くなりはじめているではないか。

 「熊」「薮」「ガス」「日没」この困難な状況から果たして脱出する事が出来るのだろうか。久しぶりに遭難の二文字が頭の中をかけ巡っていた。

私はもう適当に地形図を見て、
「標高1300mまで来ているのだから、このまま下に降りても問題ないのでは?」
ところが猫吉さんは、
「今までの経験から沢に降りて無事だった事はない」と言う。
「それならこのままトラバース気味に降りて、尾根に登り上げたら?」
すると、
「いや、ここから尾根に着くまで登ってそれから降りる」そう言って登り始めた。

 ここで始めて何か私も冷静になった様な気持ちになった。山で迷ったときの原則を忘れていたのだ。自分でも何度かこんな経験をしているにもかかわらず、とんでもない事を考えていたものだと。

 猫吉さんに続いて私も登り始めた。かなり苦しい薮の中の道だった。ましてや熊の足跡がある方向に向かって登っているのは、気持ちが良いものではない。しかし不思議なもので今まで苦しかったのに、この時ばかりは少しも苦しいと感じなかったのである。それだけ必死だったのかもしれない。やがてガスの向こうに大きなブナの木が現れて、それが尾根の上に立っているものだと気付いたときの感激はひとしおだった。尾根に着くと同時にザックを背負ったまま座り込んでしまった。

 この尾根の方向を猫吉さんがコンパスで確認すると、どうやら当初目指した尾根に間違いがなさそうだ。これでひとつの問題は解決できた。あとはいかに早く安全に正確に下るかである。日没まで時間がない。

 腰を上げて早速に背丈ほどの熊笹の繁った薮尾根を下り始めた。するとまもなく木の枝に青い荷造り紐のあるのを発見した。間違いない、この尾根で間違いないのだ。そう思うと急に元気が出てきてペースが上がったように思えた。しかし熊の恐怖からは逃れたわけではないので、知っている歌を唄い出した。しかし山の関係の歌は、なんとこんな時には向かない暗い歌が多いのだろう。辛うじて「谷川小唄」「エーデルワイスの歌」程度だ。それならとロシア民謡「すずらん」「カチューシャ」「トロイカ」果ては岡晴夫の「憧れのハワイ航路」なども出てきてしまった。しかしさすがに「森の熊さん」だけは唄う気にならなかった。猫吉さんは歌は唄わないとの事であったが、合いの手と称して微かに歌声が聞こえたような気がした。

 標高1050m付近になると、尾根がまたもや分岐した。どちらに行くか迷ったが、結局このまま真っ直ぐに右の尾根を行く事にした。下るにつれて尾根は広くなり、何処を彷徨しているのか不安になって来る。それでも時折赤布があったりするので、その度に歓喜の声をあげて通過した。

 そして前方に白い筋が見えたのだが、それが林道だと解ったときは、生還出来た喜びで心の中で万歳を叫んだ。「助かったぞ!!!ッ」着いたところは千曲平(せんげんだいら)と呼ばれるところで、その10mほど先に「千曲平橋」があった。そこで乾いた喉に水を補給して顔を洗った。

 あとは猫吉さんと今日の山行の、思い出を話しながら「川古温泉」への林道を急いだ。


「記録」

仏岩トンネル06:50--(.20)--07:10赤谷越07:20--(.28)--07:48鉄塔巡視路分岐07:59--(.08)--08:07鉄塔--(.17)--08:24薮に入る--(.12)--08:46休憩09:04--(.14)--09:28休憩09:36--(.52)--10:22休憩10:36--(.21)--10:57三岩山11:33--(.25)--11:58阿能川岳13:36--(2.07)--15:43小出俣山16:30--(.51)--17:21熊の足跡--(.29)--17:50尾根(標高1240m)17:58--(.14)--18:12尾根分岐(標高1050m)--(.14)--18:26林道--(.49)--19:15川古温泉



                     群馬山岳移動通信 /1996/