青空の下で登る日光連山
「女峰山」「帝釈山」「小真名子山」「大真名子山」 登山日2008年9月10日
諸々の行事と仕事が重なりついに8月は山に登ることができなかった。ストレスのためか、免疫力が極端に低下、全身に発疹が出来て、医者が絶句するほどの状態となってしまった。気分転換に晴れたらどこかに出かけようと狙っていた。 9月10日(水) 8月の不順な天候から解放されて、久しぶりに晴れ間が戻ってきた。この週末も天気が悪そうなので、思い切って1日だけ休暇をとって山に出かけることにした。自宅を3時に出発して金精峠経由で日光へ、光徳牧場手前で林道に入り志津に向かう。林道は復員が狭く、対向車が来たらすれ違いが難しい。5時半頃に志津につくと、すでに車が2台止まっていた。その後、次々と車が到着して賑やかになってきた。5時45分に歩き出したのだが、車はすでに7台に増えていた。平日でこの賑やかさなので、休日となればその光景は想像が出来るというものだ。 今回はこの志津を起点として、反時計回りの周回コースを歩くことにしている。志津からしばらくは林道をそのまま歩くことになる。林道は緩やかに高度を下げながら延びているので、なにかもったいない感じがする。やがて、ゲートがあらわれて、一般車は通行止めとなる。ここに登山者のものと思われる群馬ナンバーの軽自動車が一台止めてあった。ゲートを通過しても林道は先に続いており、やはり高度を下げている感じがする。不安にかられて地形図を見るが問題なさそうだ。それにしても通行が少ないためか、林道の荒れはそれほどではなかった。その林道もやがて分岐となり、左方向に行くものに女峰山の表示がでていた。標識にしたがって左に行くと、目の前の展望が開けて明るい風景が広がった。大きく見えるのは大真名子山だろうか、目指す女峰山は意外と目立たない存在だった。空は澄み切った青空が一面に広がり、今日の好天を約束している。今日は、年に何度もない登山日和であることは間違いない。 道は沢に沿って登り、橋が架けられている。4号橋を通過すると道は樹林の中に入りすぐに軌道が設置してある場所に着いた。また、道が右の沢に向かって降りていた。女峰山への標識はこの沢に向かって下降する方向を指していた。沢の方向では重機が作業する音が聞こえている。時刻は6時半過ぎなのだが、それだけ切迫した工事なのであろう。この工事については軌道のところに掲示板があり、細かく書いてある。これを読んでいると、単独行の登山者が林道を登ってきた。なんと分岐を通過してこちらにやってくるではないか。「富士見峠ですか?」「いや、女峰山です」「それならそこの分岐を沢に向かって行かないと」その登山者はびっくりした様子で標識を確認すると「よかった、危なかった」と言って沢に続く道を下降していった。その後を私も続いて下降していくことになった。 沢に降りると、登山者がさらに1人歩いていた。かなり年配の男性で、ゲートのところに車を止めた軽自動車の持ち主と思われる。追い越しをするときに声をかけたが、疲れている様子で返事は返ってこなかった。沢に沿って登る道は良く踏まれており、軌道も平行して上部に向かっていた。沢の中は重機が盛んに動き回って作業を行っている。この作業は雷雨があった場合などすぐに避難をしなければならないだろう。そのうちにかなりのハイペースで若い登山者が追いついてきた。みれば、かなりの軽装で山慣れた感じがする。あっという間に追い越されてしまい、姿も視界から消えて行った。針葉樹林の中の道は展望もなく蒸し暑さを感じるようになった。志津を出発してから休んでいない事もあったので、適当なところで休憩とした。ついでに長袖シャツを脱ぐと一気に快適になった。 樹林の道は相変わらず上部に続き、やがて沢音が聞こえるようになった。ここが水場で、沢水が豊富に流れていた。ここで、先行していた登山者に追いついたのでちょっとだけ会話をして、今度は私が先行して歩き出した。樹林の中の急登を抜けると、展望の開ける場所にでた。そこからは近くの男体山と遠く富士山が遠望できた。さらに歩くと白い外壁で清潔な感じがする唐沢小屋に到着した。内部では、単独行の男性が掃除の真っ最中だった。なんでも昨夜は4人宿泊したそうで、これから下山するだけだという。なんとも優雅な山行だと思った。できればこんな風にガツガツしないで山歩きをしたいものだと思った。外のベンチに腰を下ろして、小さなクリームパン一個をほおばって休憩した。
休憩後、樹林の中を再び歩き始めると、踏み跡が多くあるので迷うようだ。樹林を抜けると、周囲が開けて、ガレ場に到着する。上部まで続くガレ場は見事なもので、振り返ると富士山が相変わらす雲の上に浮かぶように見えている。頭上は青空が広がりなんの不安も感じられない天気で、ガレ場を登るペースも順調だ。すると、途中で追い抜かれた登山者が下山してきた。すれ違いの時に聞けば、これから下山して太郎山に登るという。おそらく○○名山狙いのピークハンターなのだろう。ガレ場を登り詰めて、再び灌木の中に入って登り上げると、小さな社のある場所にたどり着く。そのすぐ傍の高見には女峰山の山頂部分が何かを積み上げたようにあった。その山頂に立つとそこには360度の大展望が開けていた。あいにく、このあたりの山域に詳しくないものだからよくわからない。それでも富士山、奥白根山、燧ヶ岳、程度はよくわかった。もちろん、近くの男体山、大真名子山、子真名子山、帝釈山、その奥に太郎山がまるで巨人が一山ずつ土を盛り上げて作ったような配置で見えている。眼下の斜面は緑で覆われてなだらかに延びていた。さて、地形図を見ると、三角点峰が近くにある。三角点峰が山頂と言うことはないのだが、念のためにそちらの山頂も踏んでおくことにする。三角点峰は見るべきものはなく、文字の消えかかった三角点があるだけだった。ふたたび、山頂に戻ると水場で別れた登山者が到着していた。お互いに今日の好天を喜んで話し合った。さて、記念撮影を終わって、先に進むことにする。これから辿る帝釈山、小真名子山、大真名子山がお椀を伏せたような格好で連なっており、なんの不安も感じない素晴らしい眺望だ。女峰山からはちょっとした岩場を下降すれば、あとは痩せた稜線歩きだが、危険は感じられない。むしろ楽しさが先に立つようだ。途中に尊女山と言う標識があり、ちょっとしたピークとなっていた。しかし、見るべきものもなくそのまま先に進んだ。今の時期、花は終わりリンドウがわずかに見られる程度だ。やはり、この山は秋の紅葉シーズンがもっとも素晴らしいのだろう。 快適な稜線歩きを楽しんでいると、いつしか帝釈山の山頂に到着することが出来た。山頂は相変わらず展望が良く、近くの太郎山が大きい、さらに川俣湖の水面が宝石のように輝いているのが印象的だ。山頂は踏みつけが多いのだろうか、草木が無く、土が露出してしまっている。山頂標識の基部は石が積み上げられて標識を支えている。猫吉さんから依頼があった捜し物をしなくてはならない。この場所にアーミーナイフを置き忘れたというもので、回収してきて欲しいというものだ。しかし、猫吉さんが登ったのは 年前なので無駄な作業とは思ったがとりあえず探してみた。やっぱりあるわけもなく、錆びたカスガイを見つけただけだった。 帝釈山からの下降は終始深い樹林の中となった。登山道は長年の踏みつけと雨水が流れた事で、深くえぐれて堀のようになっている。そのうえ倒木が道の上にあるものだから、脇道が堀の傍に出来上がっている。おそらく将来的にはここを中心として崩壊や崩落が進んでいくのだろうとおもう。途中で二人の登山者と出会う。聞けば志津から来たということなので、私と全く反対方向だからここが中間点ということなのだろう。 富士見峠は車道が通じており、ここが事実上の終点となって、広場のようになっている。帝釈山からの下降でちょっと疲れたので、ここでザックを降ろして休憩とした。今日は、疲れ対策としてS&B「しそ梅」のチューブ入を持ってきている。クエン酸と塩分補給をこれで賄おうというものだ。チューブ入りの利点としては、必要量だけ摂取してふたをしめられ、汁がにじみ出ることもない。おにぎりに付けるとおかずが要らないほど、すんなりと食べられる。しかし、のどの渇きは注意しなくてはならない。もっとも、のどの渇きは、笹の葉でも口に入れて噛めば、押さえられるのでとりあえずは問題ないだろう。 富士見峠から小真名子山に向かって樹林の中を歩き出す。するとすぐに急傾斜のガレ場があらわれた。延々と続いているようなこのガレ場はなかなか見事なものだ。まあ、天気がいいから先が見えるし、1時間もすれば山頂に着けるだろうから気楽なものだ。ガレ場は展望の面では優れており、振り返ると帝釈山の二等辺三角形の姿が美しい。また、高度が上がるにしたがって、帝釈山山頂の右に、角のように女峰山山頂が見えてくる。その姿が次第に大きくなって行く様は変化があって飽きない。急傾斜なガレ場はやはり落石が怖く、ここを集団で歩くのはかなり危険だろう。幸いなことに今日はこのガレ場には私しかいない。 ガレ場を越えて、樹林帯に入り、しばらく行くと電波反射板のある小真名子山に到着だ。そこには三角点と栃木山紀行さんの山頂標識があった。しかし、この少し先の樹林の中が明らかに高い様に見える。そちらに行くと、やはり山頂標識があり、見れば三角点よりも高いことがわかる。時刻は11時ちょっと過ぎなので、疲れはあるが大真名子山まで一気に進んで昼食にすることにする。 樹林の中の道をどんどん下降して、鞍部に到着すると、そこはちょっとした広場となっていた。標識はなかったが、鷹の巣と呼ばれるところだ。しかし、何も変化のない場所で立ち止まる必要もないので、そのまま先に進んだ。すぐに大きな倒木が道を塞いでいたので、その下を這って通過した。すると、立派なひげを蓄えた二人の男性登山者とすれ違った、どこかで見たような感じがしたが思い出すことが出来なかった。それにしても、先ほどのガレ場の急登と違って展望のない樹林の中の急登は疲れる。思わず途中でザックを降ろして、どら焼きとスポーツドリンクでエネルギー補給だ。 休憩後、歩き出したがなかなか高度が上がらないのが気になる。それだけ疲れているのかもしれない。それにしても、エアリアマップのコースタイムは、登りにかぎって言えば全く妥協がない。それだけ、私の体力がないのか、コースタイムが厳しいのかわからない。その割には下降のコースタイムはかなり余裕があった。これはちょっと納得いかない。樹林の中をひたすら登ると、女峰山方面の展望が開けて来た。わずかながら雲が多くなった感じがするが、まだまだ、青空が優っていた。一部崩壊している場所を過ぎると、傾斜が緩やかになり歩くペースもあがった。さらに進むと大真名子山の山頂部分が見えた。標高差もあと50m程度なので気が楽になった。
山頂に到着すると、そこには社と青銅の蔵王権現像が立っていた。その社の傍には二人の男性登山者が休んでいた。しばらく会話を交わしながら、サッポロ一番みそラーメンを作るために、お湯を沸かした。二人の男性は67歳で気ままに山を楽しんでいるらしい。私が、女峰山から歩いてきたというと、しきりに感心して褒め称えた。(ネットの記録を見れば普通なのだが・・・)それに私を40歳台とまで言ってくれたので、帽子を取ってこの通りの爺ですと切り返した。そんな事をしていたら、コッヘルのお湯が沸騰してあふれ出しそうになった。慌てて取っ手を持ってコンロから降ろした。 アッチチチチチチッ!!!! なんとコンロで熱された取っ手を掴んでしまったのだ。 親指、人差指、中指にくっきりと取っての跡がくっきりと残っている。そのうちにキリキリと痛みが襲ってきた。思わず水で冷やしたが、もったいないので水はあまり使えない。軍手を装着してそれを濡らして我慢した。しかし、悔しいので、ラーメンをつくって食べてから、紙パックの日本酒もいただいて昼食にした。やはり、おだてに乗っていい気持ちになると、しっぺ返しがあるものだと思った。 男性達が去ったので、地形図を見るとなんと三角点峰があることがわかった。蔵王権現像の場所に立って見ると、すぐそこにあるではないか。ともかくそこに行ってみることにする。道形は薄いもののしっかりとした道があり、難なくそこにたどり着けた。そこには三角点と栃木の山紀行さんの標識があった。見れば蔵王権現像のピークよりも低い感じがする。どうやら栃木の山紀行さんの標識は三角点のピークにこだわっているようだ。(三角点が山頂という考え方はどうなんだろう)ともかくこのピークは展望が素晴らしく、男体山が大きく眼前に迫り、志津に置いてある私の車が見える。会津駒ヶ岳なども遠望できた。 山頂でゆっくりしたこともあり、充実した気分で下山することにした。しかし、ストックを持つ右手が火傷でズキズキするのでちょっと辛かった。急傾斜の続く道を1時間ほど下ると、やがてなだらかになり、八海山神像を見ると志津の駐車地点はすぐそこだった。 「記録」 志津05:42--(.15)--05:57ゲート--(.09)--06:06林道分岐--(.25)--06:31馬立--(.10)--06:41沢--(.56)--07:37水場--(.14)--07:51唐沢小屋07:57--(.39)--08:30女峰山山頂08:55----09:10専女山--(.09)--09:19帝釈山09:25--(.32)--09:57富士見峠10:06--(.45)--10:51小真名子山10:56--(.23)--11:19鷹の巣--(.57)--12:16大真名子山13:09--(.53)--14:02八海山神像--(.03)--14:05志津 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |