西上州の山々は実に魅力的で、いくつものバリエーションルートを提供してくれる。西上州の山に魅力を感じている人たちの記録を見ていると、どうしても歩いてみたいと思うルートに出会う。今回はそんな人たちの「TNCねくらハイキング」「もっと山を、スキーを、感動を」を参考にして、その踏み跡をトレースすることにした。もしも、これらの先人達の記録がなかったら、千尋の谷に落ちてしまう危険にさらされていただろう。また、この素晴らしいルートを知ることもなかっただろう。 このルートは、出発地点と終着地点が離れており、その間を歩くと1時間以上も林道を歩くことになる。そこで、自転車利用も考えたが、林道の一部がダートなので、転倒でもしたらそれこそタダでは済みそうにない。そこで、職場の山好きの同僚のTさんに声を掛けて、車二台でその間を繋ぐことを考えた。Tさんは、私よりも10歳ほど若く、毎朝欠かさず5キロのジョギングで鍛えている体力派である。 11月15日(土) 上野村から奥名郷への道に入り、埼玉県の中津川林道に向かう道に入る。県境は「天丸トンネル」が貫いている。このトンネルに私の軽トラックを置き、Tさんのジムニーで標高差約300m下方にある山吹沢の出合まで行くことにする。広河原沢に合流する山吹沢の出合には橋が架かっており、その傍らには駐車余地がある。また工事で使用された簡易トイレがそのまま放置されていた。到着したのは午前5時半、周囲は真っ暗でこの山吹沢の谷底から見上げる狭い空間にはオリオンが輝いてた。また満月が明るく周囲を照らしていた。出発準備を整えながら、明るくなるのを待つことにする。実は、前夜から体調が悪く吐き気が治まらない。この夜明けを待つ間、何度も路肩に行っては胃の中のものを出そうとした。しかし、なかなか吐き出すことが出来ず、苦しみは増すばかりで頭痛がするようになった。原因がなんなのか判らぬが、体調が万全ではないことはたしかだ。Tさんが心配してくれるが、ここまで来て中止は考えられないので、なんとか大丈夫と平静を装った。 6時ちょっと前になると、どうやら谷底も明るくなってきたので、完全に明るくなるのを待ちきれずに出発することにした。林道から広河原沢に降りると河床に水の流れは無く、簡単に対岸に渉ることが出来た。南天山に向かう尾根の踏み跡を探す。意外にもそれは容易に見つけることが出来た。標識などは全くないが、かなりの人が行き来をしている様子だ。この踏み跡にはいるとすぐに平坦な場所に出て、そのまま進むと沢を下降するようになってしまう。山側を見ると暗くて判然としないがルートはこれしかないので、山側の斜面に向かってみると、ハッキリとした道形を確認することが出来た。 尾根に沿って上部に続く道はしっかりとしており、不安は感じられない。それもそのはずで、まだ真新しい切り口を見せている伐採された木が残されていたからだ。つまりこの道は作業道という訳なのだ。作業道の途中には大規模な崩壊地の治山工事の場所もあった。高度を上げると共に、周りの山々の頂上が赤く染まって輝くようになった。そのわずかな時間の輝きが過ぎると、急速に夜明けが始まりみるみるうちに、周囲は明るくなって行った。尾根に沿って歩く道は、時折途切れ気味になるが迷うことはない。途中で木製の標識があり「南天山」「広河原沢」とあった。それなりに頻繁に歩かれているのかもしれない。それにしても凄まじい登りで、短時間に高度を稼ぐには効率的な道だ。いつの間にか吐き気も収まり、体調が回復してきたのは汗をかいたからだろうか。ともかく、これからの長丁場、不安要素がひとつ無くなったことは喜ぶべきだろう。 1時間ちょっとで南天山の北西の肩のピークに到着。木々の間から県境の稜線が見え、目指す南天山のピラミダルなピークが登高意欲を沸き立たせる。汗っかきのTさんは、ここに来てすでに顔面が汗でびっしょりだ。頭に巻いたタオルを捻ると汗が地面に絞り出された。私も汗っかきだが、それ以上なので驚く。ここで、ちょっと休憩してあんパンをひとつ頬張る。休憩後、南天山のピークに向かって歩き出す。ちょっと下ると、素晴らしい道に出くわした。どうやら遊歩道として整備された道のようで、標識も立派なものが設置されていた。鎌倉橋への分岐を分けて、山頂を目指すとすぐに朝日が眩しい南天山山頂に到着した。 南天山の山頂からは、360度の展望が広がっており、Tさんと二人で「素晴らしい」の言葉を何度も交わした。両神山はすぐ近くで大きく迫り、ここから歩かなくてはならない県境稜線までの稜線、そして辿らなくてはならない県境稜線が青空の中に見えていた。それにしても、この西上州の山々はなんと起伏に富んでいるのだろうと感じる。それも、それぞれのピークは鋭峰となってノコギリの歯のように連なっている。これから向かうべき、それらのひとつひとつの峰を確認するように目で追った。Tさんとそのほかのピークを確認したが、武信山、小川山、金峰山あたりはどうも不案内なので同定が難しかった。ともかくしばし、景色を堪能したあとに南天山を発つことにする。ここからは県境稜線に向かって遊歩道を辿るのだが、先人の記録によれば途中から遊歩道を離れて、稜線に登るとある。このタイミングを逃した先人は、稜線に戻るのに苦労したあげく、熊に吼えられて大変な目にあったらしい。そんなわけでTさんと鈴を賑やかに鳴らしながら歩いた。問題はどこから稜線に登るかという点である。1374mのピークを過ぎ遊歩道を進むと、鎌倉橋に下降する分岐があった。さらに直進方向には「この先行き止まり」の標識があった。どうみても下降はしたくないので、その行き止まりの標識を無視して先に進む。すぐに「山ノ神」と呼ばれる石祠のある場所を通過。道は更に先に進んでいく。右手の稜線から離れないように歩いていくと、壊れ掛けた標識に出会った。「終点500m」の文字が読み取れた。おそらくこの遊歩道が500:mでの終点であることを示しているのだろう。この標識から先の道は稜線から離れてしまうようなので、標高差10m程であるが稜線に登り上げた。なんと、その稜線にはしっかりとした踏み跡が続いており、藪も少なく不安を感じるようなものはなかった。周囲はカラマツの植林地で、熊棚も見られないことから最初の不安は消え去った。Tさんの足取りも快調でどんどん先に進んでいった。1538mのピークではイワタケを見つけたが、食べるには砂を取るために時間を掛けなくてはいけないので、二人とも止めた。 標高1562mのピークは展望が素晴らしく、三国山がハッキリと確認できる。さらに次の等高線で囲まれた1550mピークは登山者のものなのだろうか、ゴミが散乱していた。ちょっと、量が多いので気分が良くない。このピークを過ぎて下降するとあたりは伐採のためにかなり人手が入っているようで、放置されたワイヤーや索道の滑車、小屋の残骸、などが見られる。こんなところを単独で歩いたらかなり怖い思いをするだろう。 フト、左手に違和感を感じた。手首を見ると、なんとそこに着けておいた腕時計が無くなっていた。おそらく藪漕ぎで失ったのだろう。息子と妻から資金提供をして貰って購入して2年使用したもので、愛着を持っていただけに残念でならない。しかし、この状況で戻って探したところで見つかるわけもない。意気消沈して先に進むことにした。
南天山から県境稜線を見たときに気になっていた白い崩壊地に近づいた。地形図で見ると、滝谷山に登る斜面の標高1510m付近であるが、岩場記号などは見られない。ここはシカの糞が撒き散らかされており、それなりの獣臭も漂っている。さて、この白い岩壁のどこにとりついて良いものか、しばし考えてしまった。もちろん直登など出来るわけもない。そうかといって大きく迂回するのも面倒だ。ともかく岩壁の基部に近寄って様子を見ると、どうやら岩壁の左側が登れそうだとわかった。Tさんを先頭にしてこのルートをよじ登ることにした。いざ登ってみると、手がかりもありなんの問題もなくすんなりと上部に立つことが出来た。 ここからは、深い笹藪のなかに付けられたケモノミチを辿って斜面を登ることになる。Tさんは藪漕ぎはあまりやったことがないので、ちょっと苦戦を強いられている。この藪漕ぎはそれなりの経験が必要なのかもしれない。傾斜が緩やかになると、藪も薄くなり枝尾根に乗ることが出来た。枝尾根をちょっと左に歩いてみると、そこからは今まで歩いてきた南天山からの稜線が明瞭にわかった。ちょっとだけ記念撮影をしてから、先を急ぐことにした。また、懐かしい三国峠から延びてきている県境稜線も間近に見ることが出来た。 滝谷山の山頂は、三角点補点が置かれており、この辺でよく見られる標識が木に掛けられている。展望は灌木に遮られてあまりパッとしない。ここで、Tさんお勧めのコロッケパンをそれぞれ取り出して食べた。 さてこれから県境稜線を辿って六助まで行くわけだ。この稜線は岩峰を巻いたり、越えたり、何度も繰り返しながら進んでいく。誰が取り付けたのか、真新しいザイルが設置されている場所もあった。先頭を歩くTさんはこの辺の歩きにも慣れていないようで、苦戦しているようだ。時折、赤テープにだまされて、妙なルートを取り修正するのもその要因のようだ。 帳付山は山頂部がヒノキで覆われている。その中は藪も少なくルートは不明瞭だ。つまり適当に上部に向かって登ってに行けばよいわけだ。ここに来て、Tさんの動きが鈍くなり、足取りが重く精彩がない。帳付山山頂の西は岩壁で切れ落ちて、眼前の諏訪山が大きく見える場所だ。Tさんはフラフラになってここにたどり着いた。どうやらシャリバテのような症状なので、私のザックから紅玉リンゴを出してひとつ提供することにした。Tさんは感激した様子で、リンゴに囓りついて、あっという間に食べきってしまった。このリンゴが効いたのか、体力も回復してきたようだ。周囲はいつの間にかガスがかかり、朝の素晴らしい天気は消え去ってしまった。 帳付山からの道は、岩稜を何度も越えたり、下降したりとかなり体力を消耗する。Tさんはハイドレーションパックを装備したザックを背負っている。途中でパックの水を補給するという。すでに歩き始めてからなんと2リットルを消費しているという。夏場だと最低6リットルを消費するというから驚きだ。普通の人がこれだけ飲めば、塩分が減少、胃液も薄まるからいろんな障害が出るわけだが、そんな様子は見えない。これも特異体質と言うべきだろう。途中で単独行の登山者と出会う。聞けば、まだ後ろから2パーティーが登って来るという。(結局、このパーティーとは出会わなかった)このあたりが一般コースとなっているから、予想はしていたが、登る人は少なくないようだ。 13時39分に馬道のコルに到着した。先人の記録を参考にすれば、我々も15時には車道に降りられると考えていた。それが証拠に、先人と比較してもそれほど大きな差は開いていないからだ。あとはハッキリとした県境稜線を辿るだけだと考えて、気持ちも緩んでいくのがわかった。この馬道のコルから続く道は遊歩道のようであった。しばらく休んでから、このハッキリとした道を上部に向かって歩き出した。 ハッキリとした道をゆっくりと登り上げると「天丸山」への分岐を分ける。県境に沿って直進する道は「大山」へと導く標識が立木にあった。笹は深くなってきたが、不安を感じるものではなかった。しかし、天候の崩れを示すように、ガスが登山道はもちろん周囲の展望も奪い去るように、乳白色の世界に代わっていった。倉門山の山頂に到着すると、もう残りはあとわずかだ。山頂から下っていくと「大山」への分岐となった。この「大山」までの道はまだ歩いたことがないので、いつかは歩いてみたいルートである。左に向かう道を分けて登り気味に続く笹藪の道を直進する。すると、道を遮断するように赤テープが笹藪の中に張ってある。よく見れば、右に辿るハッキリとした踏み跡が確認できている。ところが、頭の中は県境尾根をまっすぐ行けば「六助」に行けると言うことが植え付けられていた。さらに、赤テープをあまり信頼していない自分がそこにあった。Tさんを促して、遮断する赤テープを無視して直進した。踏み跡もある程度あるし、直進で間違いなかったと思った。それもつかの間、道は灌木が多くなり、急斜面を降りるようになってしまった。すると、あの赤テープの遮断が正しく、右に曲がる道が正しかったのかと思ったが、まだ確信が持てない。 ザックに収めておいたGPSを取り出して確認する。混乱している頭の中を整理するが、なかなかまとまらない。時計のコンパスをある程度頼りにして歩いていたのだが、今回は紛失したのも大きな誤算だった。GPSの表示を何度も見直しているうちに、やっと考えがまとまってきた。結論はあの赤テープの表示の通りに右に曲がるのが正しかったようだ。20m程引き返してその道に入り、笹原の中の道を下降した。今度はGPSを手に持って確認しながら歩くことにした。一旦鞍部に降りて登り返して左の高見に登ると、埼玉県と書いたコンクリート杭と円形の「山火事注意」の看板が置いてあるピークに到着。そのまま進もうとしたら、ちょっとした岩場になっていてかこうが困難。間違ったかなと思ってGPSで確認する。どうやらこのまま進むようなので、ちょっと戻ってこのピークを巻くようにして進むと、テープのたぐいが無数に見えてきた。 急な斜面を下ってから、岩尾根が続くようになった。この岩尾根はほとんど右側(埼玉県側)を巻くようにして先に進むようになる。先頭を行くTさんが行き詰まったところで、再びルートを探すと、岩尾根の上部に通じるルートを発見。そこをよじ登って岩の上に立つが、周囲はガスに囲まれて展望はない。地形図を見ると現在地は、ここから南に大きく曲がり「六助」に向かって一気に下降する最後のピークのようだ。さあ、もう少しだ。 下降路は防火帯なのだろうか、木々が切り払われて、藪は無くなっている。ところが、この下降路はとんでもない傾斜で、落ち葉が積もっているので、立っているのも困難なほど足元が安定しない。はじめは歩いていたのだが、だんだん腰を落として、滑り台を滑るように靴底を斜面に着けて滑り降りた。油断をすると、このまま顔面から突っ込みそうなのでバランスを取るのに結構疲れた。途中で、尾根が広がるところがあったが、間違うのはいやなので、GPSで確認して慎重に下った。 急な斜面の下降が終わり、六助のコルに付くとやっと安心感が生まれた。ここは十字路となっており、県境は更に先に続いている。傍らには、ここを通る人々が無事を祈ったであろう石祠が傾いて置かれてあった。ここからは植林地のなかの作業道をTさんと、熊よけの鈴を高らかに鳴らしながら車道を目指してノンビリと歩いた。 帰りは、すりばち荘のヒノキ風呂に浸かって、Tさんと今日の充実した山行を振りかえりながら、次の予定などを話して過ごした。 それにしても、先人の山歩きの技術は高度だと思い知らされた。これだけの情報を持ちながら、我々のコースタイムは遅くなっていたからだ。さらに、我々は車道を歩かずに、車二台を使って90分ほど短縮していることからしても、その差は歴然であった。 山吹沢出会05:51--(1.11)--07:02肩のピーク07:15--(.19)--07:23南天山07:34--(.20)--07:51鎌倉橋方面分岐--(.02)--07:53山の神--(.05)--07:58稜線へ登る--(1.27)--09:25枯木のピーク--(.16)--09:41索道場跡--(.10)--09:51滝谷山手前の岩壁基部--(.21)--10:12笹藪を抜ける--(.09)--10:21滝谷山10:30--(.37)--11:07ブドー沢の頭11:13--(1.09)--12:22帳付山12:39--(1.00)--13:39馬道のコル13:44--(.14)--13:58天丸山分岐--(.13)--14:11倉門山--(.10)--14:21岩場で迷う14:28--(.07)--14:35県境標識ピーク--(.50)--15:25六助のコル15:27--(.14)--15:41山吹トンネル 群馬山岳移動通信/2008 |