山頂を探し回った碓氷峠の山 登山日1999年1月16日
1月16日(土)
***中尾山***
中尾山は国道18号線(旧道)と碓氷バイパスに挟まれた場所に位置している。当初、国道18号からの道を選んだのだが、地形図を見るとどうも碓氷バイパスから登った方が良さそうに思われた。それは、中尾川の渡渉が気になったことが第一だ。
地形図を眺めながら碓氷バイパスを走行、カーブ9の所に右に入り込む久保沢林道がある。そこに少し入ると左に三共鉱業(株)東軽井沢工場が現れる。やはり松井田町よりも軽井沢町のほうが知名度は圧倒的に高いから、こんな工場名になったのだろう。
林道はその脇を抜けて、さらに進んでいく。やがて林道は行き止まりとなって、堰堤工事の作業場に突き当たった。先ほどの入り口からここまで、適当な駐車余地が無かったので、仕方なく入り口まで戻ることにした。
車の中から装備を引っぱり出して、ザックに詰め込んで歩き出す。時計の高度計を合わせるのを忘れていたのに気づいて、慌てて地形図を確認、標高580メートルにセットした。このことが今回の中尾山の特定に、大きな役割をはたすことになった。
沢沿いに進む林道を詰めて、先ほどの堰堤工事の作業場に到着した。さてここからどうに進むかが、問題だ。このまま沢沿いに登るか、沢からどちらかの尾根に登り上げるか、選択に迫られた。地形図を見ると、久保沢の右岸の尾根に取り付いた方が良さそうである。しかし、この作業場の手前に細いコンクリート舗装の作業道があった。ひょっとすると、その道を登り、久保沢の左岸の尾根に登ってもなんとかなりそうだ。
少し戻り、その作業道を登ることに決めた。作業道の入り口には「熊出没注意・群馬県」と書いてあった。鬱蒼とした杉の林の中を詰めると、枝尾根に登り上げた。一気に目の前が開けて展望が広がったが、なんとそこには熊棚が頭上の木の枝に残されていた。作業道の入り口にあった注意書きは、まんざら嘘でもなかったようだ。
作業道は、そのまま枝尾根を急傾斜にも関わらず続いていた。しかし、それも標高750メートル付近で行き止まりとなってしまった。ここからの東側の展望は素晴らしく、目の前の五輪岩と裏妙義の岩峰が、青空をバックに浮かび上がっていた。
この終点からは、植林された杉の幼木の中を稜線に向かって登るだけだ。ところが植林の中は、バラの蔓が行く手を遮って、なかなか進むことが出来ない。しかし、それでもそれを突破しなければどうしようもない。仕方なくその薮に突入、痛さに悲鳴を上げながらしばらく歩いてみたが、バラの薮は無くなくなりそうにない。見ると左側の天然林の方がバラの薮が少ないようだ。植林地の直登は諦めて、そちらにトラバースして見ることにした。
天然林は、小枝の薮は多いものの、バラの蔓が無い分だけは歩きやすい。しかし天然林もすぐに終わり、再び杉の植林地に入った。ところがこの植林地は、杉がある程度育っており、下草が育ちにくい状況になっている。そんなわけで、この植林地はバラの蔓に悩まされることもなく、順調に稜線に向かって登ることが出来た。
稜線は、しっかりした踏み跡がつけられており、動物の往来が激しいのではないかと推測できる。稜線から北側は、国道18号線がよく見えており、現在は廃止された信越本線の熊ノ平駅の変電所が白く目立って見えている。そして積雪は全くなく、軽アイゼンを持ってきたが、全く必要のないものとなった。
稜線を西に辿り、中尾山を目指す。地形図を見ると、中尾山までは小さなコブをいくつか越えていくことになる。地形図から読みとれるのは6つほどだが、現在地からはコブが重なって見渡すことが出来ない。
多少のアップダウンはあるものの、たいした苦労もなく順調に稜線の道は歩くことが出来る。しかし稜線からの展望は悪く、この葉が無くなった時期でさえも、木々の間から覗き込むしかなかった。時折、熊の爪痕が木の幹に刻まれているのを見ると、ちょっと背筋が寒くなる。
いくつかのピークを越えて、一番高いと思われる場所に立つことになった。しかし、山頂標識らしきものは見あたらない。あるのは赤い鳥獣保護区の鉄板と前橋営林署の区界を示す小さな標柱(138)だけだった。こうなると、ここが中尾山であるという同定作業が必要になってくる。まずは地形図をじっくり見ると、三角点はなく標高は等高線から980メートル、高度計の読みは995メートルなので、だいたい合っている。地形の様子だが。すぐ東の20メートル先で尾根が合わさり、コブが出来ている事が推定できる。それに南には稲村山、そのすぐ右に重なるように高岩が見えている。この様子も実際の景色と同じで間違いない。試しにさらに西に続く稜線を歩いてみると、稲村山が遠ざかり、高度もどんどん下がっていく。
ここが中尾山の頂上であることは間違いない。こんな時は今度発売されるGPS内蔵の腕時計があれば良いとつくづく感じた。展望は木に囲まれて、ほとんど無理な状態だ。無線の方は、6メーターは全く応答なし。430でやっと数局とQSOしてQSLの確保をした。そんなことで手間取っていたら、山頂に1時間以上滞在してしまった。
帰路は忠実に登って来た道を辿って下山した。しかし、あまりにも時間が早いので、食事をして過去に登り残した「刎石山」に登ることにした。
***刎石山***
碓氷バイパスを横川駅方面に向かい、国道18号(旧道)に向かう。坂本宿を通過して、霧積への道を分けると、すぐにカーブ9の所に出る。ここは旧中山道を通り、旧碓氷峠の熊野神社につながっている。平成9年に松井田町が建てた、真新しい東屋が脇にある。ここの駐車余地に車を駐車した。
刎石山は、実はここから子持山に登るために歩いたときに通過している。しかし、山頂を特定出来なかったのと、無線の運用をしていなかった。そこで、いつかは再訪しなければならないと決めていた。
いつ歩いても背筋が寒くなるような不気味な道である。かつては賑やかな往来のあったことと、この静かさの対比がそうさせるのかも知れない。
「覗(のぞき)」と呼ばれる場所は、唯一気分が晴れる場所だ。坂本宿が一望に出来、さらに上信自動車道の高架と裏妙義を遠望する景色は素晴らしいものだ。ここで、思わずカメラを取り出してシャッターを数枚押した。
「弘法の井戸」を過ぎて急な坂道を上ると、そこが「四軒茶屋跡」だ。かつての名残の石積みがわずかに往時を忍ばせるだけだ。さて刎石山の山頂はこのあたりなのだが、それらしいものが見つからない。道の北側にちょっとした高みがあるので、そちらに登ってみることにした。杉の林を抜けると雑木林となり、その手前にはお墓があった。お墓は20ほどの石塔が落ち葉に埋もれていた。そして雑木林の中の高みに行ってみると、そこからは霧積ダムが眼下に見えている。しかし、山頂を示すものは何もなかった。
地形図を広げて確認するが、刎石山を明確に表す場所はなさそうだ。つまり、自分が今いる場所の全体が、刎石山山頂と言うことなのである。念のために西側の等高線の標高810メートル付近を歩いてみたが、やはり山頂を特定できるものはなかった。
再び道に戻ると、展望の良い場所に真新しい東屋があった。そこで、ここにザックを置き、携帯電話で自宅に連絡して子供を呼びだした。もちろん、無線の運用相手をしてもらうためだ。
QSLは確実なので、不気味な居心地の悪いこの場所は、早々に退散して車に戻った。
「記録」
***中尾山***
碓氷バイパスC908:42--(.10)--08:52林道終点--(.20)--09:12作業道終点--(.19)--09:31稜線--(.40)--10:11中尾山山頂11:30--(.50)--12:20碓氷バイパスC9
***刎石山***
碓氷峠C913:15--(.24)--13:39柱状節理--(.14)--13:53弘法の井戸--(.04)--13:57刎石山山頂14:17--(.29)--14:46碓氷峠C9
群馬山岳移動通信 /1999/