頚城アルプス「妙高山・火打山」
登山日1994年9月17日〜9月18日
妙高山は、その麓の野尻湖周辺にある会社の保養所に行ったおりに、気になっていた山だ。今回はRBBSで知り合った、林さん(7M1HIG)と、ひょんなことから一緒に行こうと話しがまとまった。
9月17日(土)
午前3時に安中市文化センターの駐車場で待ち合わせる。天候は豪雨と言っても良い程の強い雨で、こんな雨は年に何度も無い。新聞を見て後で解ったのだが、安中市磯部温泉の河川敷きに、駐車してあった車4台が流されたとの記事が出ていた。気象情報では新潟県はこれほど天候は悪くはなさそうだ。最悪ならば温泉でも入って帰ろうと言う事で、ともかく現地まで行ってみる事にした。
車はHIGの遊び専用車である。運転もHIGなので、私は隣でウトウトしながら一向に止みそうにない雨の道を眺めていた。雨は長野市を抜けると、少しは小康状態になったが、妙高高原に入ると再び激しくなって来た。
登山口である「笹ヶ峰」に着いたのは午前6時半過ぎだったが、広い駐車場には車が数台止まっていた。良くみると、登山の格好をした人がずいぶんいるではないか。おそらくこの雨で行動をしようかどうか悩んでいるものと思われる。我々も空を見上げて、ため息をつくばかりだ。しかしせっかく来たのだから、引き返すのもしゃくである。HIGと相談の結果、ともかく登ってみる事にした。それからのHIGの行動は早い、5分ほどですっかり山登りの格好に変身していた。私も慌てて格好を整えて、先を歩くHIGの後を追った。
*妙高山へ*
登山口へは車道を一旦戻り、明星荘を過ぎて5分ほど歩いたたところにある。そこでは登山者がやはり空を見上げていた。そして我々を見ると話しかけてきた
「妙高山に登るんですか?」
「ええ、そうですよ」と答えると
「夕べは良い天気だったのですが、今日はまさかこんな天気になるとは、思いませんでした」と言う。
なにか今日はわざわざ、雨の日を選んで来てしまったようだ。登山口には「ライチョウ保護のために、犬を連れての登山禁止」の立て札が目につく。
登山道は木道が敷かれて歩き易い。ここの木道は尾瀬などのものとは、比較にならないほど板に厚みがある。およそ20センチほどはありそうだ。それだけでなにか安心感があるから不思議だ。ブナの林の中の濡れた木道は緩やかに登っていく。その中を、中年の登山者二人の足音だけが響いた。HIGは群馬県民200万人突破の、記念のビニル傘をさして先を進む。歩き始めて30分ほどで、何という事だ、あれだけ激しかった雨が止んだ。これではレインウエアーを着ていると、蒸れて反対に内側から濡れてしまう。レインウエアーを脱ぐと途端に快適になった。今度は私が先頭で歩き始めた。
沢音が次第に大きくなり、やがて沢に着いた。「黒沢」と言う名のこの沢は水量が多く、この登山道で唯一の水場だ。ここでひとしきり休息をとった。
休憩後、立派な黒沢に架かる橋を渡ると、いよいよ道は急になり登山道らしくなる。展望は無くただひたすら登るのみである。時折ナナカマドの幼木であろうか、見事に色づいているものもある。登りが少し緩やかになると、展望の開けた場所についた。ここには標識があり、「十二曲り」と書いてある。ガイドブックでは12回曲がると書いてあるが、この標識のどこからどこまでが、12回なのか良く解らない。ともかく展望があるので、ここで休憩した。南の方が開けているので、あれがおそらく「黒姫山」だろうと、HIGと話しながら休んだ。
十二曲りからは、植生も変わり針葉樹のオオシラビソの林に変わってきた。道は所々、大きな岩があり、木の根も出ていたりと若干歩きにくい。しかし、道は次第に傾斜が緩くなり、再び木道が現れた。すると私からかなり後ろを歩いていた筈のHIGが、いつの間にか私に追いついてきた。聞くところによると、本人曰く「登り坂は滅法弱いが、平地と下り道はとてつもなく強い」と言う。
(確かにこれは嘘ではなく、後でたっぷりその凄さは見せつけられた。)
ともかく追いつかれた私は、先頭を譲る事になった。疲れてきた事も事実だった。途中で色白の小柄な若い女性とすれ違った。
「林さん、色白のきれいな女性だったですね」と話しかけたら
「お化粧が厚かったのではないですか」あっさり、冷静な観察眼で答えられてしまった。
「富士見平」に着いた。ここは「高谷池」「黒沢池」「笹ヶ峰」の道を分ける三叉路となっている。西の方面に山が見えているのだが、あいにくこの地域には不案内な為に山名の同定は出来なかった。ともかくここで記念撮影をした。
ここからはHIGが先頭で歩き始める。やはり登りがないからスピードが早い。殆ど小走りに近い状態だ。オオシラビソの林の道を降りてから、道は湿原に延びている。ところがここでちょっとしたアクシデント。ちょっとした岩を無理して乗り越えた途端に、右足のふくらはぎが痙攣して動かない。痛みは5分ほどで少しは楽になったが、今度は右の脇腹が痛みだした。これは困ったと思ったが、歯を食いしばりながら我慢して歩いた。
道は黒沢池の南に広がる湿原に入った。ここで二人とも感嘆の声を上げてしまった。なにしろ湿原は広々として、湿原は草紅葉の盛りだったからだ。そして、そのまわりを取り囲む山の斜面にはナナカマドの真っ赤な色が映えていた。ここは木道があり尾瀬ヶ原を歩いているような錯覚を覚える。途中で単独行の男性とすれ違った。彼の話しによると、昨日までは乾燥していたこの湿原も、この雨で池塘に水が溜まって、それらしくなったと話した。そして「黒沢池ヒュッテ」の周辺では「ヤブタケ」と言うキノコが、いっぱい生えていると言う情報も提供してくれた。
「黒沢池ヒュッテ」にあと100m程度のところで、急に雨が降りだした。慌ててヒュッテにかけ込んだ。このヒュッテは、屋根を青いトタンで葺いたドーム形をした、特徴ある建物だ。従って軒先の様なものがない。しかたなく隣接した納屋があったので、ここに入った。この中で雨具をつけていると、HIGは既に350cc(500円)の口を開けて飲んでいた。私は大福餅を頬張った。ここで迷った事がある。ここに荷物を置いて、妙高山のピストンをするべきか否かと言う事だ。結局このまま荷物を背負って登る事に決めたのだが、これがどんな負担になるか、この時には解らなかった。
雨の中の登山が再び始まった。妙高山は馬蹄形の外輪山に囲まれているので、まずはその外輪山の一角である「大倉乗越」を目指して登る。道は雨水が流れて、沢の中を歩いているような場所もあり、緩い登りであるが、かなりきつい。ここで再び右足のふくらはぎの痛みが、強くなってきた。途中、何人かの登山者とすれ違ったが、ほとんどの人が軽装で降りてくる。つくづく自分の背中にある荷物が負担に思えてくる。
「大倉乗越」に着くと谷からの風が吹き抜けた。雨具を着けて歩いていたものだから、蒸し暑くその吹き抜けた風は実に心地いい。下に見える谷側には長助池と思われる池塘が光っていた。そして目指す妙高山の一角が遥か向こうに、吃立して見えており、山頂部分はガスで隠れていた。これからはいままで登った分だけ一旦降りて、行かなければならない。妙高山の核心部の登りに掛かるまで、延々30分間トラバース気味に降りていく。所々にトリカブト、リンドウが咲いており目につく。とりあえず登りに掛かる前に、雨をしのぐ良い岩場があったので、そこで昼食をとる事にした。
いよいよ核心部の登りに取り掛かる。HIGが先頭で登り始め、途中で燕新道からの道と合流した。ここからはひたすら登るのみだ。木の根を跨ぎ、岩を乗り越え雨の中の登りは一向に終わりそうにない。ここで更に足の具合が悪くなり、身体の具合もバテ気味になってきた。1時間ほどしたところで、ついにHIGに付いて行く事が不可能になった。せめてHIGだけでも山頂に行って欲しいので、先に行ってもらう事にした。HIGは不安そうな顔をして振り返ったが、促すとゆっくりだが確実に登りを再開して、私の視界から消えた。
ここからが私の苦難に満ちた登りが始まった。数歩登っては、休む、その繰り返しだ。その内に吐き気を覚えて、ついに我慢出来ずに、胃の中のものを吐いてしまった。身体の状況は最悪、足は痛む、吐き気はする。それから5回ほど胃の中のものを出してしまった。時々振り返っては、越えてきた外輪山の高さを確認する。今登っている筈の本峰の方が高いのだから、外輪山は低く見えて来なければならない。しかしなかなかそうなってこない。こんな時は「何故山に登るのか」「何でこんな苦労しなければならないのか」と山登りに対して自問自答してしまう。ともかくここでくじけると、後悔する事になるので、なんとか身体を前に進めた。
ダケカンバの林が目に付く様になると、目の前に妙高山本峰が見えるようになった。ここで天の恵みだろうか、雨が止んだのである。気分的に少し楽になり歩が進んだ。フィックスされたロープにつかまり岩を登ると北尾根の稜線に出た。なんと目の前には上越市が太陽に照らされて光っていた。稜線をゆっくりだが辿ると、ちょっとした広場の様な妙高山山頂についに到達した。
山頂ではHIGがカメラを持って飛び回っていた。
(記録でみると、私は山頂に10分ほど、大差をつけられて到着している)
「大塚さん最高ですよ。晴れて火打山が素晴らしくきれいに見えますよ」
案内されて西に回ると、確かに火打山、焼山の連なりが雨上がりの、晴れ間の中に浮かび上がっていた。東に回ると眼下には、野尻湖が小さく見えていた。とりあえず一等三角点の前でお互いに記念撮影をする。その後は無線機を出して、HIGと15秒程「奥の手QSO」これでカードは一枚確保出来た。あとは私は山頂にとどまる理由はない。元気なHIGはまだ無線運用を続けるとのこと。私は体力に自信がないので、先に下山する事にした。
ゆっくり、ゆっくり歩いて燕新道の合流点の先の沢で、ひと休みする事にする。夏には枯れてしまう様な沢だったが、この雨で水はある程度あった。ちょっと躊躇したが、一口飲むと実に旨い。それならばと、口をつけて一気に飲んだ。休んでいると、単独行の登山者がやってきた。たしか富士見平の付近で追い越された人だ。話しかけると、何でも既に火打山に登り、これから妙高山に登り再び笹ヶ峰に戻ると言う。素晴らしい体力である。今の自分と比較すると大きな違いだ。
ここから、黒沢池ヒュッテへの戻り道は、再び雨の中の歩きとなった。
黒沢池ヒュッテに着いた時は既に疲労こんぱいの状態だ。いっそ高谷池ヒュッテに泊まる予定を変更して、この黒沢池ヒュッテに泊まろうかとも考えた。10分ほど待つとHIGがやってきた。手には何やらキノコを持っている。そしてこれは食べられると言って、生のままでその一部を食べてみせた。かなりキノコには自信があると見た。
「どうですか、この黒沢池ヒュッテに泊まっては?」
そうHIGに提案すると、無情にも答は
「高谷池ヒュッテにしましょう」
「まだ16時30分の食事の門限には間に合う」
「それに高谷池ヒュッテの方が宿泊費が半分ほどだから、その分でビールが飲める」
まさに納得出来る説得だ。これでは高谷池ヒュッテまで行かない理由はなくなった。疲れた身体に鞭を打って腰を上げた。
再び緩い登りだが、苦しい歩きが始まった。しかし景色は素晴らしい。左下には草紅葉の黒沢池が、そして右には目を凝らしてみると、日本海が空の色と一体になって見えていた。登りがそろそろ終わりになるところで、30人ほどの団体に出会った。聞けばこれから黒沢池ヒュッテに泊まると言う。HIGと顔を見合わせてニッコリとしてしまった。もしあのまま、黒沢池ヒュッテに泊まったら、あの団体と一緒で悩まされた事だと思う。
道はゆっくり下りとなり、やがて大きな三角屋根の高谷池ヒュッテが見えてきた。
*高谷池ヒュッテ*
高谷池ヒュッテの戸を開けると、既に数人がくつろいでいた。雨具を脱ぎ外の水場でこびりついた泥を洗い流した。再びヒュッテに戻ると、既にHIGが350ccの蓋を開けてくつろいでいる。ともかく、濡れたものを着替えてゆっくりしたいので、2階に上がり今夜の寝場所を確保した。乾いた衣類に着替えると今までの疲れが、一気に引いて行った。宿泊費は3000円、夕食1000円、朝食800円の計4800円だった。
高谷池ヒュッテの外にある水場は二つに分かれていた。その内のひとつは飲料用であった。黒沢池ヒュッテの外にあったものは「飲料水ではありません」と書いてあった。確かにあれは雨水を貯めたもので飲めそうもなかった。ここの水は飲めると言う事で、今まで汗で出した水分を一気に補給した。
別棟にある炊事場を見て驚いた。なんとLPGが設置してあり、コンロも10台近く置いてある。それに飯盒、鍋のたぐいも置いてあった。宿泊すれば自由に使って良いと張り紙がある。これでは素泊まり、あるいはテントでの宿泊でも、かなり装備が軽減される。さらに別棟のトイレは山小屋としては清潔で、各々に高山植物や火打山の写真が張ってあった。
ヒュッテに戻り17時30分の夕食の時間まで、持参した350ccの蓋を開けて、HIGと今日の無事と明日の無事を祈った。
夕食は1階がその場所となった。4人掛けのテーブルが5卓程あり石油ストーブに火が点っていた。夕食はハンバーグカレーで、十分すぎる量だったので、食べきるのに苦労してしまった。食卓では隣合わせた人と「深田久弥の日本100名山」の話しをしながら過ごした。小屋番は無口だったが、好青年でキビキビと働いて気持ちが良い。夕食が終わり18時になるとVTRのスイッチが入り、火打山、妙高山、高山植物の内容で4タイトルほど放映された。それが終わると良いタイミングで、18時50分のNHKの気象情報に切り替わった。それによると、どうも明日は今日よりも更に天候は悪化しそうな感じだ。小屋にある公衆電話で家族と連絡をとり、19時30分には布団の中に潜り込んだ。今日はまだスペースに余裕があり、十分な場所を確保して休む事が出来た。それに賑やかなイビキをかく人もなく、酒を飲んで騒ぐ人も無くすぐに深い眠りに入った。
午前3時ころ強い雨の音で目を覚ました。天候は明らかに悪そうだ。それからはウトウトしながら夜明けを待った。5時30頃起き出してともかく荷物をまとめるが、あまり気合いが入らない、それは当初の予定では「焼山」にも足を延ばす予定だったからだ。本当は私は体調の関係で「焼山」には登りたくなかった。HIGはかなり無念そうだったが、この雨では断念するしかなかった。
6時から食事となり、献立は牛丼だった。食卓では今度は若い女性と隣り合わせになった。聞けば下越からやってきており、火打山は何度か登っているという。群馬には赤城と榛名に登っていると言うから、かなり山にのめり込んでいる事が伺われた。
*火打山へ*
今度は明らかに火打山に往復登山となるので、装備は切り詰めて、ザックはヒュッテに預けて置く事にした。持ち物はウェストバックに、カメラと無線機を詰めて出かけた。雨は相変わらず強い。私は雨具を着けて傘をさしている。HIGはと言えば例のビニル傘のみである。結局、HIGはこのまま強い風雨の中この傘で過ごした。
ヒュッテを出ると、目の前は広大な湿原となっている。草紅葉が美しく振り返ると、高谷池ヒュッテがその中にとけ込んでいた。道は良く整備されており歩き易い。ひとつの峠の様な場所を過ぎると、目の前に再び湿原と池塘が広がった。ここが「天狗の庭」と呼ばれる場所らしい。おそらく夏ならば高山植物が咲き乱れるに違いない。季節を変えてもう一度訪れたい気持ちになった。展望は全く無く、急な道が続くが昨日と違って荷物が無いだけ楽だ。途中の道でサンショウウオを見かけた。体長15センチ程度の大きなものだった。イモリではないかと裏返してみたが、腹は赤くないのでサンショウウオに間違いなさそうだ。
ライチョウの生息地の看板を見ると、ハイマツが多くなって来た。ハイマツが風を遮るのである程度快適だ。ライチョウは見えぬかと注意しながら歩いたが、出会う事は無かった。幸いな事に雨が止んで、これならば展望は望めないまでも、無線の運用は出来そうだ。
ひとしきり登ると山頂の標識が目の前に見えた。年長者に先に山頂を踏んでもらおうと、HIGを待って先に山頂を踏んでもらった。山頂からは何も見る事は出来なかった。白い闇が覆っているだけだ。とりあえず山頂のケルンと標識をバックに記念写真を写す。山頂は風があるので少し下がった所で、良い場所があったので、無線の運用を始めた。結局430Mhzで7局(HIGを含んで)QSOして切り上げた。
これから下山である。ここで驚いた事がある。なんとHIGは走りだしたのである。体重は私といくらも変わらない筈なのに、その軽快さは大したものである。付いて行くのがやっとの感じだ。おもわず「もっとゆっくり!!」と叫んでしまった。まわりでみていたら、中年の肥満隊(体)登山者が駆け降りて行く様は驚異であったに違いない。
高谷池ヒュッテに戻りザックを回収、天候も薄日が射すまでになった。外のベンチで持参した梨を出して頬張った。
落ち着いたところで、再び「笹ヶ峰」への初秋の色付き始めた、森の中の道を下山した。
9/17(土)
笹ヶ峰07:13--(.49)--08:02黒沢08:14--(.26)--08:40十二曲り08:51--(.42)--09:33富士見平09:45--(.28)--10:13黒沢池ヒュッテ10:29--(.20)--10:49大黒乗越--(.20)--11:09大倉沢手前11:24--(1.28)--12:52妙高山山頂13:05--(.34)--13:39大倉沢14:51--(.45)--14:36黒沢池ヒュッテ15:01--(.56)--15:57高谷池ヒュッテ
9/18(日)
高谷池ヒュッテ06:43--(1.17)--08:00火打山山頂08:45--(.49)--09:34高谷池ヒュッテ10:00--(2.00)--12:00笹ヶ峰
群馬山岳移動通信 /1994/