妙高山界隈の薮山を登る「三ッ山」「丸山」「藤巻山」   登山日2008年10月26日






三ッ山(三ッ山)標高1031m 新潟県妙高市/丸山(丸山)標高1160m 新潟県妙高市/藤巻山(ふじまきやま)標高945m 新潟県妙高市




**三ッ山**



宿の朝食を摂ってから、今日の山行計画を立てる。いくつか候補を挙げておいて、宿から一番近い「三ッ山」に出かける。池ノ平温泉スキー場のゲレンデに入り、標高900m付近まで車で乗り上げて歩き出した。ゲレンデから見る展望は素晴らしく、曇り空ながら野反湖、斑尾山、遠く志賀の山々が見えていた。また、この付近の紅葉は今が盛りで、この風景の中を歩くことは幸せだった。三ッ山はすぐそこに見えており、藪さえなければそれこそなんと言うことはないコブである。ゲレンデを登り、第2ペアリフトの施設をかすめるようにして南にトラバース気味に踏み跡に入る。100mほどトラバースしてから、藪に突き当たるので、それに沿って道のような刈り払い部分をふたたび上部に登る。地形図を見ると、標高は三ッ山の1031mを越えているが、藪が深くてなかなか突入できない。途中にそれらしき藪を踏み跡があったが、とりあえず上部に見える杉林のところから入ることにした。杉林のところなら藪も薄くなっていると考えたからだ。しかし、その期待は裏切られ杉林から先は深い笹藪となっていた。こうなったら仕方ない、覚悟を決めて三ッ山まで下降するしかない。


3人が適当に広がって歩いていると、私はいつの間にか二人の姿を見失ってしまった。はじめは笹藪の間にザックが見えていたが、それが見えなくなりやがて笹をかき分けるゴソゴソという音も聞こえなくなってしまった。今まで二人の後を付いて歩いていただけなので、急に不安感におそわれてきた。ザックの雨蓋に入れておいたGPSを取り出して、三ッ山の山頂を目指して笹原を目指した。やっとの事で山頂付近に到着すると、すでに二人は到着して三脚を構えたりして余裕である。さすがに達人達の藪山歩きの技量は凄いものだと感心した。


地形図を見ても山頂はハッキリとしないので、とてもGPSがなければ特定が難しい様なところである。さて三角点を探さなくてはならない。GPSに表示される地形図は、10m程の誤差があることからピンポイントとして、特定できないので探すしかないのである。3人でそれぞれ、落ち葉の積もった地面を足で探りながら歩き回った。そのうちに紅葉のきれいな紅葉が目立つ場所があったので、そこに行ってみると、なんと偶然に土に埋まって上部の十字だけが見えている三角点を見つけた。早速二人を呼んで、自慢げに指を指して三角点発見を知らせた。山頂で記念撮影、無線運用などで思い思いに過ごしてから下山に取りかかった。


往路を辿るのも癪なのでゲレンデに向かって北東に進んだ。すると営林署の赤い札と赤ペンキの矢印が立木に書かれているのが確認できた。それに道形もあるではないか。それを辿ると、藪の中にどんどん入ってしまい、道形も怪しくなってきた。進むか戻るか考えて周囲を見回すと、今度は北西の方向に延びるハッキリとした道が確認できる。今度はその標高を上げていく道を辿って一列になって進んだ。所々に赤布や矢印があり迷うことはない。そして、右側の藪が薄くなったところを確認すると、往路で藪の中に踏み跡らしきものを確認した、まさにその場所に飛び出した。なんだ、はじめからここに入ればなんの問題もなかったのだ。あとはゲレンデの中を駐車地点まで一気に下った。


ゲレンデ駐車地点08:25--(.16)--08:41第2ペアリフト--(.10)--08:51薮の中に入る--(.23)--09:14三ッ山09:25--(.34)--09:59ゲレンデ駐車地点



ゲレンデの中を歩く
第2リフト薮を突き進む

山頂での無線運用


この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)








**丸山**


赤倉温泉スキー場のジャンプ場を山腹に持つ山である。当初、どこから登ったらよいのか全く解らず、燕ハイランドホテル付近から登ろうとしたが、藪が深そうなので関見峠まで戻ってトンネル入り口の余地に駐車した。エアリアマップをみると、この関見峠から一旦北に向かってからトンネルの上部を通過するようになっている。しかし、それらしき道は見あたらす、反対に南に向かう道がハッキリと解った。とりあえずこの道を辿ってみることにする。はじめはハッキリとしていたが、そのうちに崩落箇所が現れて通過に苦労するようになった。導水管のような黒いパイプが並行して延びており、これにしがみついてトラバースする部分のある。はたして、この道はなんだろうか?疑問に思いながら進んでいくとスキーリフトの下をくぐって更に進むことになる。そのうちに「サァーーーッ」と言う乾いた擦過音が聞こえてきた。はじめは風の音かと思っていたが、近づいてみると、その正体がわかった。それは「赤倉シャンツェ」のスキージャンプの音だった。近づくと子供達が練習中で、中には小学生と思われるものも混じっていた。ここで道は途切れてしまい、行く手にはカヤの藪と雑木の藪が待っていた。それもかなりの急斜面だが、達人二人はなんの迷いもなくその中に入っていった。呆気にとられてしばらく見ていたが、付いていくしか選択肢がないのでその後に続いた。


この藪はとんでもない急斜面で、木の枝や根に掴まらなければとても登れない。まして、藪が深く息をついて休んでいると、どんどん彼らから離されてしまい、姿を見失ってしまう事になる。そのうちに上部から声がかかった「右にゲレンデがあります、そちらに移動してください」その指示のとおり、右にトラバースすると、藪もなく明るいゲレンデに飛び出した。いったい今までの藪漕ぎはなんだったのだろう。はじめから、ここを登ってくれば苦労はなかったのだ。


ゲレンデを快適に登ってどんどん高度を上げると、スキーリフト終点の建物に到着。ここから先の高所は再び藪に覆われていた。山頂はその先にある訳なので、仕方なく再び藪の中に突入した。藪のなかを突き進んでいくと先行していた旅人が最高所と思われる場所でザックを降ろして休んでいた。GPSの地図を見ると、このあたりに山頂があるようである。普段はそんなことは考えないのだが、このときはなんの疑問も持たずに、「山頂=三角点」と思いこんでいた。三角点は1153.3mであるが、地形図を見ると1160mの等高線に囲まれているから、この丸山の標高は1160mと言うことになる。そこで、三角点探しが始まった。しかし、いくら探してもその三角点は見つからない。結局、後ろを歩いていた猫吉がここに到着するまでの約20分間も捜索をしてしまった。猫吉はかなり遅れていたが、その理由はリフトの終点に三角点があり、そこで無線運用をしていたと言うことだ。ふたりがどこに行ったのか解らないので、このまま最高点を通過して北斜面を下降しようとここまで歩いてきたという。


そうなれば、三角点を見たいというのが人情だ。そこで、3人でリフトまで戻って三角点を確認した。帰路はそのままゲレンデを下り降りきったところを左に向かって未舗装の車道を歩いていった。すると関見トンネルの上部を通り、駐車地点から100mほど下ったところで車道に出ることが出来た。

このトンネルの手前に駐車道が崩落している
ジャンプ競技の選手と遭遇丸山の三角点


関見峠10:56--(.10)--11:06赤倉シャンツェ上部--(.26)--11:32リフト頂上--(.07)--11:39丸山山頂12:03--(.26)--12:29関見峠

この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)








**藤巻山*


休暇村妙高の広い駐車場に車を停めて歩き出す。建物の裏手にまわって車道に降りて、そのまま藤巻山に向かって歩く。眼前には妙高山の荒々しいドーム型の山頂部分が見えて、そこを取り囲むようにみごとな紅葉が取り巻いていた。沢にかかる橋をわたって、右に大きくカーブを曲がりなおも車道を進んでいく。すると山側に階段状の道がある場所を確認した。しかし、標識のたぐいは全く見あたらない。しかし、ここしか登り口はなさそうなので、その道に入ることにした。階段状の道は途切れることなく続き、整備がされていた。しかし、枝が通路に覆い被さって、ちょっと油断をすると頭を激突させてしまう。実際に数度頭をぶつけることになった。自分ながら学習能力がないのが悲しい。


やがて最高所に到着したが、何もそれらしき標識がない。これだけ立派な道があるので、こんな事はないと思いながら、再び三角点探しになったが見つからない。試しに続いている道を辿ってみると、切り開かれた広場場の場所に三等三角点が埋め込まれていた。3人でこの三角点を取り囲んで、本日の山行を終了とした。
下山後は国民宿舎の風呂に浸かり、アイスクリームを食べてからそれぞれ帰路についた。



林道から妙高山を見る
整備されて階段状の登山道藤巻山の三角点


休暇村妙高12:56--(.15)--13:11登山口--(.27)--13:38藤巻山山頂13:59--(.24)--14:23休暇村妙高


この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号)








群馬山岳移動通信/2008