爽やかな草原の風「未丈が岳」
登山日2000年9月30日
先月は運動不足がもろに利いて、荒沢岳を途中で断念してしまった。そこで今度は同じく銀山湖(奥只見湖)にある未丈が岳に挑戦した。
9月30日(土)
奥只見シルバーラインのトンネル内、泣沢口のシャッターを開けると暗闇の中に一気に、朝の光が射し込んだ。なにか秘密の出口を開けているようで、この作業はなにかわくわくする。
外に出た途端、まずそこに駐車してある車の数に驚いた。何しろ既に10台余りが駐車してあり、自分の車を何処に止めたらよいのか困るほどだ。「未丈が岳」はこんなにも人気のある山だったのかと、びっくりしてしまった。しかし、よく見ると登山者ではなく、ほとんどが釣り人のようだった。
支度をしていると、先行して初老の男性が単独で目の前を過ぎた。さらに中年の3人のパーティーがその後を追うようにカヤトの中の道に消えていった。車の中に散在している装備を集めてザックに詰め終わった頃に、さらに4台の車が到着して15人ほどの登山者が降りてきた。これは早く出発しないと、とんでもない渋滞に巻き込まれそうなので、すぐに歩き出した。
歩き出すとすぐに、足場板を渡した橋を渡ることになる。ちょっと簡易的なものなので慎重にならざるを得ない。泣沢の左岸に付けられた道は、よく整備されており歩きやすい。朝のブナ林は実に心地よく、さわやかで歩くのが楽しくなるほどだ。
道はやがて標識に従って泣沢に降りることになる。そして渡渉して対岸に移るのだが、ここで先行していた3人のパーティーに追いついた。3人のうちの二人の女性はなかなか渡渉が出来ずに時間がかかるようだ。そこで待っているのも癪なので場所を選んで渡渉して追い越した。対岸からは真新しい鎖が下がっており、それに頼って上部に登るのだが、何しろその重さは尋常なものではなく、持ち上げるのも大変な代物だった。
泣沢の渡渉を過ぎてから、数分で今度は黒又川本流にかかる橋を渡ることになる。この橋は足元から下の沢の流れが見えるのでちょっぴり緊張する事になる。道はさらに分岐して、標識に従い右の山道に折れるのだが、うっかり標識を見落としたらとんでもないことになりそうだ。
道は朝露に濡れた下草に覆われて、瞬く間にズボンはびしょ濡れとなった。これではスパッツだけでは間に合わない。出来れば雨具を着た方が良いのかもしれないが、それはあまりにも面倒くさい。下草もそのうちに少なくなるだろうと、そのまま先に進んだ。
登山道は、右下のみかぐら沢と、左下の水頭沢に挟まれた尾根を忠実に登りあげるものである。急登の道は高度がぐんぐんと上がっていくが、汗が早くも噴き出して、Tシャツ一枚になってしまった。心配した膝の痛みはこの分ならば起こりそうにない。
多少のアップダウンはあるもののほぼ順調に、738mの標高点に到着した。この標高点からは若干の展望が開けて、荒沢岳方面を望むことが出来た。特に疲れも感じないために、このまま先に進むことにした。今日は疲れも少なく、発汗も少なくかなり調子がいい。この前の荒沢岳のように疲れて立ち止まることもなく、どんどん高度を稼げる。
道は展望のない雑木林をひたすら登るだけだ。時折、色づいたナナカマドが目に付くが、紅葉にはまだ早いこの時期、見るべきものは少なかった。
やがて974mの標高点のピークに到着。地形図ではこの標高点は通過せずに、北側を巻いているように記載されているが、実際はしっかりと標高点を踏んでいる。このピークには「三角点NO.23」と記されたプレートのある、標石が埋められていた。地形図では三角点の記載がないから、おそらくなにかの測量に使用したものであろう。それにしても三角点と言うプレートはなにかおかしい。それにこのピークには遭難者の墓標が立てられていたが、個人的なものを設置するのはあまり関心しないと思う。ともかくここで若干の休憩をして、越後駒ヶ岳、荒沢岳の展望を楽しんだ。
974mのピークからは、いったん下って鞍部に向かう。鞍部は「松の木ダオ」と呼ばれているが、その名前の由来は全く解らない。たしかに鞍部には大きな風雪に耐えた針葉樹が何本も見られた。しかし、これが松の木と呼ぶにはちょっと無理があるようにも思えた。
道はここからは展望もない樹林の中の道をひたすら登るだけだ。時折、真っ赤に色づいたナナカマドの実が道の傍らに見られる。やはり秋は確実に近づいているようだが、今日は夏のような暑さで、Tシャツ一枚でもまだ汗が噴き出してくる。
松の木ダオを過ぎて既に1時間過ぎたが、依然として樹林を抜け出すことが出来ない。そろそろ疲れも出てきて、休憩の適地を捜すのだがなかなか展望に恵まれた場所が見つからない。それでも樹林帯が灌木に変わり、背丈が低くなったところを考えると、ここを抜けるのは時間の問題と思われた。
やがてついに灌木帯を抜けて、露岩の展望に優れた場所にたどり着いた。目指す未丈が岳の山頂はもうすぐそこに見える。振り返れば駒ヶ岳と荒沢岳が大きく迫って見える。GPSで位置を確認して見ると標高1460mの地点で、山頂まであと100mあまりの地点だ。途中にあったはず、1204mの標高点は気づかずに通過してしまったようだ。あと少しで山頂まで行けるのだが、ともかくここで休憩をとることにした。持参した梨を一つ丸ごとかじって展望を楽しんだ。
休憩後、最後の登りに取りかかった。再び灌木帯に入ったが、それほど気になるものではなかった。しばらく進むと、私よりも10分ほど前に出発した初老の男性が降りてきた。
「早いですね、登り3時間くらいでしたか?」
「いや、3時間はかかりませんでした。」
思わず絶句、すでに私は出発してから3時間20分ほど経過している。年齢を考えれば、とんでもない差である事は確かだ。男性は足取りも軽く道を駆け下りて行った。
道が緩やかになるとともに、灌木から笹藪に変わり道を左に曲がったところが、目指してきた未丈が岳の山頂だった。山頂は笹に囲まれており、三角点の周囲だけ土が露出していたが、それほど広いものではなかった。展望は360度が得られるのだが、笹藪がある為に立ち上がらないと、それを楽しむことが出来ない。
それに引きかえ、山頂直下の東面は草原が広がり、心地よい風が渡っている。どう考えてもそちらの方が休憩には適している。早速そちらに移動して草原の道のど真ん中に腰を下ろした。展望を楽しみながら、ビールのふたを開けて口に付けると、なんとも言えぬ幸福感に浸ることが出来た。風に揺れる草をなにもしないで眺めると、時間の感覚を忘れるようだ。
無線機のスイッチを入れてCQを出してみたが、応答は全くなかった。どうやら東面に向いている為で、こちらの方角は深い山並みが続いているだけだった。そこで再び山頂に移動、折良く見附市移動の局が出ていたので、交信する事が出来た。携帯電話は山頂付近でのみ使用出来、標高1400m付近では怪しくなるようだ。
休憩後、下山に向け道を出発した。下りはじめるとすぐに中年の健脚そうなご夫婦とすれ違った。後から気付いたのだが、このご夫婦は有名な登山家でガイドブックの著作も多数ある人だと解った。こんな事ならばサインでも貰っておけば良かったと後悔した。その後はあの総勢15人のパーティーとすれ違い、賑やかな山頂になるだろうと想像してゆっくりと下山をした。
「記録」
泣沢口06:24--(.21)--06:45泣沢渡渉--(.06)--06:51黒又川--(.20)--07:11標高点738m--(.42)--07:53標高点974m08:03--(.08)--08:11松の木ダオ--(1.19)--09:30標高1460m09:45--(.14)--09:59未丈が岳山頂11:06--(1.12)--12:18標高点974m12:25--(1.19)--13:44泣沢口
群馬山岳移動通信 /2000/