六合村で薮山三昧「松岩山」「高間山」 登山日1998年10月10日
松岩山は六合村と中之条町との境界、高間山は六合村と吾妻町の境界に位置する山で、いずれも熊の巣であるとの情報があり、登ることをためらっていた。ところがRBBSの仲間のASV/中沢さんが、この二つの山に興味を持っていることを知った。話はトントン拍子に進み、中沢さんは六合村役場や地元の人に問い合わせ、さらに下見までして、完璧な情報収集を行った。それに地元の案内人まで見つけてくると言う事まで、話を進めたが、さすがにこれだけは遠慮した。
「ASV中沢さんの記録はこちら」
10月10日(祝)
***松岩山***
中沢さんと待ち合わせた、世立地区にある「六合村ふるさと活性化センター」の駐車場に着いた。すでに中沢さんのラリー仕様車は駐車場にあり、本人は登山靴を履いて周囲を歩き回って支度をしていた。時間はまだ5時、空にはオリオン座が輝いていた。それでも支度をしていると、だんだん明るくなって、駐車場の脇にあるお地蔵様の顔もわかる程度になった。
写真撮影が中心の中沢さんはカメラを首から下げて、ザックには熊よけの大きな鈴をくくりつけている。手には六合村からFAXで送られてきた、周辺の地図を持っている。それを頼りに東の方向に向かって車道を歩くと、100メートル程で十字路に突き当たった。FAXと照合するがさっぱりわからない。十字路の山側には「林道日ヶ闇線終点」の標識がある。ともかく、このまま東に進む車道を先に進んで見ることにする。
十字路から200メートルほどで、沢にかかる橋を渡ると左の山側に向かって林道が工事中となっている。しかし、これを見送ってさらに車道を先に歩くが、どうも目指す松岩山から遠ざかってしまう。途中には暮坂峠へ向かう標識も現れた。どうやらこの車道は間違いらしいと、衆議一決して戻ることになった。
戻りながら、先ほどの工事中の林道に入ることにした。林道は泥濘の部分もあり、ちょっと歩きにくい。2万5千分の1の地形図には、まだ記載されていない道でいったいどこまで続いているのかさっぱりわからない。ともかく方角的には松岩山に向かっているので間違いなさそうだ。
工事中の林道は所々に重機が置かれ、今日は祝日とあっておそらく工事は行われないと思われる。振り返ると草津の町が朝日に照らされて、輝いて見えている。やがて林道工事も終点となり、掘り返した跡の赤土がカヤトの原に刻まれていた。この林道工事の先も、さらに軽4輪ならば通れる程の幅の道が続いており、実際に轍らしき痕跡も残されていた。ここで、これから予想される悪路に備えてロングスパッツを装着した。
林道工事終点から少し歩くと、すぐに2本の松の木の間に石祠が見えた。この道もかつては人の往来があったものと思われる。そういえば出発地点の世立地区は、外界と離れており、自給自足のために狩猟が盛んであったと言われている。そのために、いろんな遺物が山中に置かれているのに違いない。またこの地区は山本姓の人が多くその山本さんも「あけの山本」「宵の山本」と分かれるのだそうだ。いろんな事を調査すれば面白いことがわかりそうな場所でもある。
先を歩く中沢さんは快調で、どんどん登っていく。道は相変わらずの幅の広さで、轍の跡もそのまま続いている。時折、コンパスを出して方向を確認するが、方向は間違っていない様なので、かまわず歩き続ける。おそらく、地形図の世立地区から延びる破線の表示がこの道なのだろう。
一抹の不安の持ちながらもこの道を歩き続けると、やがて明瞭な道と合流して、変形の三叉路となった。その道は今まで歩いてきた道よりもすこし幅広く、新しそうな雰囲気がある。おそらく地形図に表現されている、1218メートルの標高点に間違いなさそうだ。高度計の表示も1230メートルを指している。この三叉路の幅広い道からは、東に向かって小笹の藪の中に踏み跡が刻まれている。そして周囲の立ち木には、いくつかのテープが取り付けられていた。間違いなく、我々は松岩山への道を歩いていることが確信できた。
ふたたび、中沢さんが先頭で歩き始める。道がほぼ間違いないと思われるので、足取りがなにか軽そうな感じだ。小笹に覆われた道は、歩きにくいものではなく、むしろこの山の雰囲気を盛り上げているようだ。そして周囲の木々はダケカンバ、モミジ、ヤツデなどが多く、これからの紅葉の季節には素晴らしい景色が広がると考えられる。今でも一部色づいている木々があるところを見ると、あと一週間後が見頃かとも思われる。
小笹の中に刻まれた踏み跡は、消えることもなく続いている。そして荷造り紐のマーキングも所々に下げられている。しかし、標高1300メートル付近の小笹の斜面で、その踏み跡がいつの間にか消えてしまった。しかし上を見ると明らかに尾根が見えていたので、強引にそこに登りあげることにする。しかし、この急斜面はなかなか手強く、中沢さんと悲鳴を上げながら登った。
すると、なんと尾根の頂上に着く前に立派な道に合流した。この道は何処から来ているのだろうか。ともかく帰りのことが心配なので、この場所は見失わないように入念に巻紙でマーキングを施しておいた。とにかく、今日は登った道を忠実に下山する事を基本に考えているのだ。
時間はまだ早いが、昇ってきた太陽が徐々に気温を上げ、ついに半袖でも暑いくらいになってきた。時折、ペットボトルの水を補給しては一息つくことにする。道は迷うこともなく、はっきりとした踏み跡が続いているので安心だ。そして中沢さんと、とりとめのない話をしながら登っていると、時間の感覚が麻痺したように過ぎていく。考えてみれば、中沢さんとは、今回が初めての登山であると言うのが嘘のようである。趣味の世界、価値観が同じ者と言うのは、かくも旧知の仲のようになれるものかと不思議に思った。
標高1400メートル付近で道が二分した。立ち木には赤いペンキで矢印が「↑→」と書いてある。おそらくこれは十二山神が祀られたピークに行くものだと確信した。それは中沢さんが事前に得た情報で、十二山神が祀られたピークを地元では松岩山と呼び、展望は最高だと言うことだった。迷うことなく「↑」の方向の上部に向かった。矢印から6分ほどでちょっとしたピークに到着、ここから北に向かって明瞭な刈り払いの道があった。そして目の前には、ここよりも明らかに標高の低いピークが見えていた。
せっかく稼いだ標高を、再び下げるのはもったいないが、ともかくそちらに向かうことにする。ちょっとしたシャクナゲの藪を越え、一旦鞍部に下りて登り上げるとそこには素晴らしい展望が広がっていた。思わず中沢さんと感嘆の声を上げてしまった。そして知っている限りの山座同定が始まった。浅間、黒斑、水ノ塔、湯ノ丸、四阿、本白根、横手、岩菅、八間、堂岩、白砂、谷川連峰、そして後方にはこれから登る三角形の松岩山が、朝日の昇る方角にそびえている。白根山の上の真っ青な空には、残月が白く浮かんでいた。ここには「十二山神」と書かれた立派な石碑が置かれ、地元の信仰の深さを感じた。中沢さんは盛んにカメラを振り回して、風景を切り取っていた。わたしは展望を楽しむことで時間を過ごした。
(この十二山神のピークは、当初1315メートルの標高点のピークと思っていた。しかし、実際は地形図上で1410メートルの等高線のピークだったのだ。これが分かったのは松岩山のピークに立ったときに、高度計を見て気がついた。まだまだ修行が足りないと痛感した。)
去りがたい気持ちで、十二山神のピークを後にして、いよいよ松岩山のピークに向けて歩き出す。今日は天気がよいから、目指すピークが常に見えているのは心強い。中沢さんを先頭に、かけ声をかけながら急登をゆっくりと歩く。やがて傾斜が弱まり、小笹に覆われた松岩山山頂に到着した。おもわず、中沢さんと握手を交わした。展望はほとんどなくわずかに開けた西方面から浅間山を望む程度だ。三角点は笹に埋もれ、標識はGさんのものが取り付けられていた。さらに今回は、中沢さんのゴールドプレートもその中に加わった。
山頂では、430Mhzで、2局と交信してQRTとなった。さらに携帯電話で自宅にメールを送り、時計を見るとかなりの時間を消費してしまったようだ。その後は中沢さんと記念撮影をして、下山となった。
下山は忠実に登ってきた道を戻った。その途中で、単独行の男性に会ったが、こんな藪山に物好きがほかにもいると驚いた。
世立地区に戻り、県天然記念物の奇怪な形をした、樹齢250年の「しだれ栗」を見学して駐車場に戻った。
***高間山***
駐車場に着いた時間はまだ正午前、時間はまだあるのでここで昼食、高間山を目指すことで中沢さんと意見が一致した。
昼食後、このあたりの地理に精通した、中沢さんの車を先頭にして車で移動だ。国道405号に出て、292号に乗り換え、長野原方面に向かう。途中「六合村商工会館」の分岐を山側に入り、広池地区を通過して矢下川沿いに登り高間地区に向かう。高間地区は地形図上では民家があるようになっているが、実際は酪農農家の廃屋があるだけで、いまでは無人と思われる。
まだ新しさを感じる廃屋から50メートルほど、進んだ所にヘアピンカーブがある。その先では材木の切り出し作業が行われていて、材木が所狭しと置かれていた。ともかく車はそのあたりの、邪魔にならない場所に置くことにした。
さて、ここで地形図を取り出し高度計をセット、コンパスを高間山に向けてセットした。しかしこの時点では、どのルートをとるか決めかねていた。それは、地形図に表された破線の道は当てにならない。沢沿いのルートはバラの藪で、歩くのに困難を要すると言う情報があったからだ。さてどうしたものかと、周辺を歩いているうちに、中沢さんが歩き出して、姿が見えなくなってしまった。
慌てて、あとを追いかけると、車を駐車したヘアピンカーブから、ちょっと目立つ小道を左の北斜面に向かって歩いているところだった。追いついたところは、この小道が途切れたカラマツの林の中だった。「こちらでいいんですか?」「前に来たときにここまで来て引き返した事がある」と言う答えだった。一抹の不安はあるが、これで話は決まった!ここから北の尾根に登り上げて、西から東に向かい、1320メートルのピークを越えて高間山に到達するものである。
ここからは私が先頭に立つことになった。カラマツの林の急斜面は、下草もなく暗い雰囲気である。とても一人では登る気にもならない、陰気な感じがする。ましてここは熊の宝庫と言うことで常に緊張を強いられる。そんな斜面を一直線に尾根の頂上を目指す。時折、明瞭な道らしきものもあるが、これは「けものみち」のたぐいだろう。
尾根に立つと期待に反して、道らしきものは見あたらない。それにテープや荷造り紐のたぐいも全くなかった。これほど、人が入り込まない山も珍しい。そこで、巻紙を取り出し、頻繁にマーキングをしながら登ることにした。
カラマツの植林がされた場所は下草は少なく、植林の無い場所は小笹に覆われた藪になっている。当然、歩き易さは下草のすくない方になるが、陽の射し込まないちょっと陰湿な雰囲気が嫌になる。しかし、その植林帯も途切れて、小笹が敷きつめられたように密生した雑木林だけになってきた。こうなると、どこもかしこも同じような風景になってしまう。尾根も結構複雑で、広くなる場所もある。こんな所は頻繁にマーキングを施しては、後ろを振り返り確認した。なにしろ、今まで下山の時に藪山で何度も尾根を間違えて痛い目に遭っているからよけいだ。まして今日は中沢さんが同行しているから、見栄もあるので間違えるわけにはいかない。
しかし、藪山と言うのは時間が経たないものである、30分が1時間以上にも感じる。時計が止まったのかもしれないと、確認するが正常である。まして高度もさほど伸びずに、疲れだけが残るからよけいだ。
コンパスで方向を確認、巻紙でのマーキング取り付け、これの繰り返しで登っていく。後ろを歩いてくる中沢さんは、藪山の経験が少ないためか、ちょっと疲れ気味なようだ。そのうちに雑木が少なくなり、目の前にピークが表れた。どうやら、1320メートルのピークに間違いなさそうだ。右手には目指す高間山がおにぎりのような姿で見えていた。このピークで一休みして、水分と食料を補給した。
さて、いよいよ高間山に向けて出発だ。一旦鞍部に下りて、再び登り上げるのだが、鞍部に下りると、明瞭な踏み跡があり赤テープのマーキングが枝に取り付けられていた。ここで人が踏み込んだ形跡を見つけてちょっと安心した。あとは喘ぎながら急斜面を登ると、風の強い高間山山頂に飛び出した。
山頂からの展望は、木々に阻まれて全くなく、標識は小さな達筆標識だけだった。三角点はひっそりと笹藪に埋もれていた。中沢さんが、そばにあった板きれを拾ってみると、「二等三角点 高間山 昭和六二年六月 国土地理院」と書かれていた。珍しいものなので、写真に収めた。山頂は風が強く、QSLを確保して早々に退却する事になった。
帰りは、巻紙のマーキングを頼りに一気に駆け下りた。
車に着いたときは、今日の充実した山行を振り返り、思わず万歳をしてしまった。
「松岩山」
世立地区05:34--(1.10)--06:44三叉路分岐--(1.00)--07:44十二山神・松岩山分岐--(.11)--07:55十二山神山頂08:23--(.09)--08:32松岩山分岐--(.20)--08:52松岩山山頂09:45--(.40)--10:25三叉路分岐--(.47)--11:12世立地区
「高間山」
高間地区12:28--(1.01)--13:291320mピーク13:39--(.13)--13:52高間山14:14--(.42)--14:56高間地区
群馬山岳移動通信 /1998/