秋霖に煙る谷川連峰「万太郎山」
登山日1997年10月11日
万太郎山は谷川岳から平標山に連なる、谷川連峰のほぼ中央に位置する。かねてから計画を立てていたが、なかなかその機会が無く実行に至らなかった。
10月11日(土)
今日は特別に朝6時から谷川岳ロープウェイの運転が開始されるという。この始発に間に合わせるように自宅を出発した。そして土合山に家の駐車場に着いたのは、朝の5時少し前だった。あたりはまだ薄暗く空にはまだ星が残っていた。
車道を20分あまり歩いてロープウェイの土合口駅に着くと、閉じられたシャッターの前に20人ほどが列を作っていた。ザックを下ろしてその列の最後尾に並んだ。その待ち時間に周りの人の話を聞いてじっとしていた。みなさん、なかなか能弁で山の自慢話に花が咲いていた。始発運転の15測前にシャッターが開き、切符の販推が開始された。そのときには既に200人程が列を作っており、最後尾の人は顔も見えないほどだ。窓口では、ほとんどの人が往復を購入していたが、こちらは片道1000円の切符を購入した。
ロープウェイの窓から見る周りの山々は、素晴らしい紅葉がはじまっていた。高度を上げると、次第に白毛門の後ろの笠ヶ岳の豊満な姿が見えてくる。いつ見ても素晴らしい形だと、見とれてしまう。天神平駅からは、ほとんどが無駄なリフト乗り場に列を作っていた。
熊穴沢避難小屋から先は展望の良い道が続く。肩の広場のケルンが見えているので、今日は素晴らしい山行ができそうだ、それに万太郎山までの稜線もしっかり見えている。谷川岳の紅葉は、白い岩、緑色の笹、そして鮮やかな赤と黄色のコントラストの妙にある。今日は、ほんとにこれらがすべて眼前に広がっている。
あまりに暑いので半袖で行動しても特段寒さは感じられなかった。ところが山頂直下のガレ場にさしかかった途端、突然ガスに取り囲まれてしまった。それと同時に急激に気温が低下、とても半袖では耐えられなくなった。長袖を出して着込み、そのまま山頂を目指した。
ガスの中に肩の小屋がぼんやり現れ、周りで人影が動くのが確認できたのは、本当に近くまで寄ってからだった。アルミ製の扉を開けると、メガネが曇って前が見えない。メガネを外して、空いている場所に陣取る事にした。内部には20人程度がいるようで、出発の準備をするもの、いまだに寝袋から出てこないものもいる。まあこの天候では焦っても仕方ないと言ったところかもしれない。それにしてもりっぱな山小屋で、暇でもできたら一週間程度住んで見たくなるほどだ。ポットのお茶を飲みながら、これからどうするか考えた。結局、時間もまだ早いし予定通り万太郎山を目指すことにした。
指導標に従い、縦走路に踏み出した。笹原の中の道はしっかりしており、もったいないほど急降下で下りていく。急降下で下りたところの鞍部には標識があり、中ゴー尾根への分岐となっていた。この道は急傾斜であまり歩かれていないのか、笹が深くなっていた。かつてヒツゴウ沢をのぼり、ここを下ったときに苦労したことが思い出された。
やがて道は岩場になり、足下が滑るので若干緊張する。それでもガスで下がどんなに落ち込んでいても見えないから少しは気が楽である。ふと気づくと上部から男性が下りてきた。話の様子から、かなりこの周辺を歩いている様な感じを受ける。そこで吾作新道についての情報を貰うと、「それは問題ない、今日は雨具を持っていれば大丈夫」との返事が返ってきた。
さらにしばらく歩くと、露岩の広い場所に出た。そして立派な標識があり、ここがオジカ沢の頭であることが確認できた。肩の小屋からあまりに短時間で到着したので、なんかひどくあっけなく感じた。展望はガスのためになんにもなく、それどころか横殴りの雨が降り出した。これはたまらないので、雨具を着込んで岩陰に身を寄せた。無線機を取り出して、なんとか1局とQSOして山頂を後にすることにした。
山頂から少し下るとすぐに鉄製の円筒型の避難小屋が現れた。特に立ち寄る必要もないのでそのまま通り過ぎた。道は再びもったいないほどの下降となり、笹原と草モミジの中の道を進んだ。おそらく晴れていたら素晴らしい景色が広がっているに違いない。風は相変わらす雨を伴って、越後側からひっきりなしに登ってくる。雨具のフードを被らないと耳の中に雨が入って来るほどだ。それにメガネをかけていると、曇って前が見えない。そこでメガネを外してみると、視力0.05のほうがよく見えるではないか。そこでメガネはポケットに入れて、歩くことにした。どっちみちガスで視界がきかないのだから、これでも全く問題ない。
多少のアップダウンを繰り返し、ひたすら足下を見ながら歩いていると、突然大きな建物に出くわした。カマボコ型の鉄製の避難小屋で、大きな看板で「大障子避難小屋」と書いてある。おもわず「アレッ!」と思ってしまった。それは「小障子ノ頭」を気づかずに通過してしまったのだ。「山ランのポイントを、ひとつ稼げたのに」と思ったがもう遅い。いまさら戻る訳にもいかないからだ。落胆したので、避難小屋で休むことにした。アルミ製の扉を開けると、中には男性二人の先客がいた。何でも昨日はオジカ沢避難小屋に宿泊、今日は万太郎山の先の越路避難小屋に宿泊して平標山から帰るらしい。私が今日のうちに万太郎山から土樽経由で帰るというと「いきなり下から来た人に追い越されて、そのまま帰るとはマイッタ」と言われた。「イエイエ、あんたらがゆっくりなだけです」と言いたがったが、こんな贅沢な山行も良いなと思ったので止めた。
彼らがまだ出発しそうにないので、先にこちらが小屋を出ることにした。道はここから再び急傾斜になり、ひとつのピークを越えてちょっとした岩場を下る。ここで5人ほどの中高年パーティーに出会う。皆元気で賑やかなところは、こんなグループの特長なのかもしれない。ここをやり過ごして、再び変化のない単調なガスの中の道をアップダウンを繰り返す。やがて本格的な登りとなり、高度計を見るとすでに1800mを越えている。つまり「小障子ノ頭」に続いて「大障子ノ頭」も気づかないで通過したことになる。やはり視界が悪く、標識がないというのはかなり山頂の確認は難しい。ともかく現在は万太郎山の最後の登りを歩いているらしい。かなり長く傾斜もきつい、それに足元が滑りやすい。何度も立ち止まって、息をついて見えない山頂を仰ぎ見る。
やがて標識が現れた。ここが吾作新道の入り口らしい、標識には「土樽3時間」と書いてある。この標識からほんの少しだけ登ると、そこが待望の万太郎山々頂だった。山頂には三角点と、錆び付いた鉄の標柱に朽ち果てそうな木の表示板、そして鉄の板には何かでこすった文字で「万太郎」と書いてあった。展望は全くなく、数メートル先の笹藪を確認するのが精一杯だった。
山頂では携帯電話で家に連絡、万太郎山々頂は雨だというと、関東平野は晴天信じられないという。どうやら、わざわざこの山域だけ雨にやられているらしい。430Hhzで数局とQSO、雨が降っているときはセッティングの簡単な無線機が具合がいい。50Mhzと1200Mhzの無線機は、結局取り出すことなく終わってしまった。JL1FDI/村上さんと話していると、時間は既に11時45分、慌てて下山に取りかかる。なにしろ土樽駅からの上り鈍行は15時23分と18時18分しかない。なんとか15時23分に間に合わせたい。
ところが、下山の為に歩き始めてすぐに右膝に激痛が走った。どうやら持病の関節痛が起きてしまったらしい。これまでは膝にサポーターを着けていると、なんともなかったのだが、今日は効果がなかったようだ。ともかく仕方ないのでストックを活用して、ゆっくりと下山する事にした。それでも膝を曲げないで歩くことは不可能だ。まして岩場となると負担は増してくるので、土樽駅に時間通りに行くのは不可能では? とも思われる。
不安が頭の中をよぎりながら痛みに耐えて下山を続ける。30分ほど下ったところで単独行の登山者とすれ違った。「下からどのくらいかかりましたか?」と尋ねた。「3時間くらいです。万太郎山からはどのくらい下りていますか」「30分です」「そうですか、それならあと1時間ほどで山頂に行けるな」そう言って単独行の男性は息も乱さずに登っていった。こちらは彼が登り3時間なら、最悪あと3時間あれば何とか下山できると思った。
道はやがて樹林帯に入った。ブナの紅葉が秋霖の煙の中で、素晴らしい色合いを見せている。晴れていればきっと素晴らしい紅葉が青空に映えるに違いない。道は岩場から滑りやすい泥道に変わった。そしてなにやらケモノの気配と、笹の揺れる感じを受けた。そして登山道の泥の中の足跡を見て、凍り付いてしまった。人間の足跡程度の大きさで、指と爪の跡らしきものがある。思わずザックから、鈴とラジオを取り出して、音を立てながら、足を引きずり雨の中の道を下山だ。
泣きたくなるような長い道のりだった。しかし立ち止まると、気力が失せてしまいそう。それにケモノがどこからか現れるようで、立ち止まることができなかった。そんなときなんと大木が道をふさいでいる場所に出くわした。その大木に登ることも、そこから降りることも何とも苦痛だった。普段なら飛び降りればなんともないのだが、そうすると膝がダメになりそうでそれができない。数分をかけてやっとの思いで、その大木を越えることができた。そして10分程度歩くと、男女二人のパーティーに追いついた。ゆっくり来たはずだが、かなりのハイペースになっているのかもしれない。不思議なものでここで人に出会ったことで、ケモノからの恐怖は吹き飛んでしまった。もう鈴をならすのは止めて、ザックにしまい込んだ。
谷川新道との分岐にたどり着いたときは、何とか落ち着きを取り戻し、ザックから食料を取り出し口に入れた。なにか口に含むと本当に疲れがとれる。しかしグズグズしてはいられない、時間が迫っている。少し歩くとすぐに沢に出会った。ここですっかり汚れた雨具を洗うことにした。何しろ電車に乗るのにこんな格好では恥ずかしい。
そして待望の登山道から車道に出た。ほぼ平坦な道は膝の痛みを感じないので、歩くスピードも徐々に上がってくる。歩くに従って、関越自動車道の車の騒音が大きくなってきて、ようやく下山してきたとの気持ちと安堵感が身体を包んだ。
土樽駅に入ると、登山者ばかり20人程度が電車を待っていた。みんな雨の中を歩いてきたのに乾いた服を着ていた。こちらは着替えもないので、雨具を着けたままでベンチに腰を下ろした。ザックの中からポットのお茶を出して飲むと、疲れが一気に吹き飛び、きつかった吾作新道の道のりが頭の中を駆けめぐった。
「記録」
土合山の家5:09--(.18)--05:27ロープウェイ土合口駅06:06++++06:16天神平駅--(.32)--06:48熊穴沢避難小屋--(.58)--07:46肩の小屋08:00--(.45)--08:45オジカ沢の頭09:07--(1.00)--09:45大障子避難小屋09:59--(1.03)--11:02吾作新道分岐--(.03)--11:05万太郎山11:46--(1.24)--13:10舟窪--(1.02)--14:12谷川新道分岐--(.45)--14:57土樽駅15:23++++15:33土合駅--(.11)--15:44土合山の家
群馬山岳移動通信 /1997/