巻機山周辺の県境尾根を偵察 登山日2006年5月21日〜5月22日
巻機山は自分にとっては思い出深い山だ。山登りを始めた頃に、登るたびに印象に強く残っている。山頂稜線が映画「サウンドオブミュージック」のラストシーンに似ていると言うのが、あこがれた一番のきっかけだった。割引沢の遡行では雪渓の隙間に滑落、米子沢では地下足袋を忘れて靴下に直接ワラジを装着、残雪期の土合までの縦走では初日にバテて巻機山頂で苦しんだ事もあった。結婚する前に妻は尾根コース、私は割引沢を登って山頂で落ち合うなんて事もあった。 県境の山はなかなか手強い。去年は越後沢山に2回挑戦したが、いずれも敗退している。今の時期は十字峡から三国川添いの林道は、雪崩とスノーブリッジの崩壊危険のために、とても歩けたものではない。それならば巻機山からのルートはどうなのか、偵察を兼ねて出かけてみた。 5月21日(日) 晴天が約束された二日間、月曜日の休暇を取って一泊の予定で出かけた。桜坂の駐車場は一部に雪が残っているものの、問題はなかった。すでに10台ほどの車が停まっていたが、すでに出かけているようであった。今日は泊まる予定なので、ゆっくりと支度をした。あらかじめ用意してきたツエルトであったが、どうもいやな予感がしたので、2〜3人用のテントを持つことにした。水も残雪を頼りにしてなんとかなりそうだったが、スポーツドリンクを中心に2リットルを準備した。寝袋はシュラフカバーのみで、着替えを着込んで対応することにした。それでも65リットルのザックは満タンになり、幕営用具の重さは久しぶりに堪えた。 いよいよ歩き出すと、いきなり残雪豊富な樹林帯の中に入った。方向もわからないものだから、適当に登っていく。時折現れる足跡が頼りなのだが、それもハッキリとしない。こんな時は赤テープのたぐいでもあれば良いのだが、それらしきものは見あたらない。なだらかな斜面を登ると、立木に赤テープが2本巻き付けてあったことで安心した。そのまま先に進むと、前方から賑やかな声が聞こえてきた。その声はだんだん近づいて、姿が確認できるまでになった。約10人ほどがバラバラになってこちらにやってくるのである。先頭の一人が近づいてきて「道がわからなくなった」と言ってきた。聞けば、1時間も周辺を歩き回っているという。そういえば、先ほど赤テープがあったことを思い出して戻ってみると、そのそばには夏道が見えており、3合目の標柱も立っていた。赤テープは道の屈曲点を示していたのだった。それからは次々と10人ほどが集合、一気に賑やかになった。集合した10人は別々で、4パーティーほどだった。この10人が隊列を作って夏道を歩き出した。不思議なことに、3合目からは道に雪は残っておらず、ぬかるんだ滑りやすい道になった。集団の中に取り込まれて登るのだが、私以外は日帰りの軽装なので、ペースが早い。ペースを乱されたくないものだから、立ち止まってやり過ごした。それでもすぐに4合目になり、その集団は腰を下ろした。私は休む必要もないのでそのまま先に進んだ。 5合目は一気に景色が変化する屈曲点だ。尾根に乗ると同時に、眼下には雪でびっしりと詰まった米子沢が見えていた。そこからは汗を吹き飛ばす心地よい風が吹き上げてきていた。ここでしばし休憩するが、後続の団体は姿も見えてこないので、かなり遅れているのかも知れない。休憩後ここからは印象的な風景のなかを登ることになる。なだらかな斜面のブナの疎林が続き、根回り穴が木の幹を囲んでくぼんでいる。疎林の向こうには青空と前巻機の一角が見えている。この風景はとても気持ちのいいものだった。 斜面を登り高度を上げていくと、今度は荒々しい割引沢の天狗岩が左に見えて来る。雪原は相変わらず続き、高度を上げると今度は飯士山や見慣れた苗場山がせり上がって見えてきた。天気も上々で気持ちもだんだん高ぶってきた。 7合目から先は快適な残雪の斜面が無くなり、夏道を歩くことになる。夏道は窪んでいて、ぬかるんでいるのはもちろん岩もゴロゴロしており、ひどく荒れている。重いザックを背負うものにとってなかなか辛いものがある。ゆっくりと歩いていると、単独行の男性に追い抜かれ、さらにもう一人に追い抜かれた。いずれも地元の人らしいが、かなりの軽装なので羨ましかった。 8合目まで来ると、道は朽ち果てた階段になってくる。踏みつけが激しく表土が流され、荒廃してしまったから、この階段も仕方ないが、何とも歩きにくい構造物である。それにしても階段の丸太は朽ち果てたものもあり、それが荒廃した登山道においてあるのは、白骨が累々と積まれているようで気持ちが良いものではなかった。先ほど追い越した登山者の一人が、待っていていろいろ話しながら登ることになった。軽装の人にペースを乱されるのは辛いので、なんとか自分のペースを保とうと努力した。 傾斜が緩くなると、目の前の風景が一変する。この変わり様は何度経験しても驚いてしまう。どんどん歩くと前巻機の山頂だ。目の前には残雪の巻機山が、なだらかに壁となって横たわっていた。その様は機を織る優雅な女性が横たわっているようでもある。いつまで見ていても飽きぬ風景だ。単独行氏とここで記念撮影をお互いにし合った。単独行氏はここから戻るはずだったが、山頂まで行くと言い残して先に鞍部に下っていった。私はザックを下ろしてここでしばらく休むことにした。それはこの風景をじっくりと見たかったからだ。 休憩後、再び斜面との格闘だ。しかし、先ほども書いたが雪の斜面はそれほど苦痛ではない。ステップを切れば何処でも歩けるから、むしろ快適と行った方が良いのかもしれない。真っ青な空と白い稜線の境を目指していくのは、とても楽しいことである。休憩後わずかに15分足らずで頂上稜線に到着。そのまま稜線を右に辿って山頂を目指すことにする。 巻機山の山頂は細長いのでハッキリしないが、標高点のある場所が山頂と考えて良いと思われる。その地点には標識こそ無かったが、露土となっており人に何度も踏まれていると考えられる。ここにザックを放り投げて、大休止として大展望を楽しむことにした。まず目に付くのは県境稜線で、南下する稜線上にある山である。朝日岳まではかなり遠く見えた。その横には谷川岳、苗場山、武尊山、至仏山、燧ヶ岳、越後三山、また奥利根湖も見えていた。風に震えながら山座同定に熱中してしまった。ともかくこの時期としては素晴らしい展望が広がっていた。 さてこれから、牛ヶ岳に向かうことにする。木道に沿って歩くと道は朝日岳への道を分けて牛ヶ岳に向かって鞍部に下ることになる。クマザサの道を分け入って、鞍部から登ると最初に目に付くのは三角点だ。展望は何よりも興味のあるここから東に続く県境稜線だ。手前に見えるのがトトンボノ頭だ。雪が無くなって笹藪が露出しているのがよく解る。その先には中ノ岳が鎮座している。試しにこの牛ヶ岳から下ってみる。山頂部分には残雪があるが、20mも下ると雪は消えてしまった。そこに現れたのは一面の笹原である。時間が早いのでこのまま進んでみることにする。しかし、笹原はなかなか手強く去年の越後沢山の悪夢が蘇った。「これはいかん」このまま重たい荷物を背負って進んだら、帰りはどうなるかわからん。そこで当初の予定どおり巻機山に戻って幕営することにした。 牛ヶ岳と巻機山の鞍部に場所を見つけて雪の上に設営した。なかなか展望が良く、越後三山から尾瀬、日光、武尊が望め、眼下には奧利根湖が見えている。まだ早いが、テントを設営して、テントの前にドカッと腰を下ろして、コーヒーを飲みながら景色を楽しんだ。夕方は焼酎をちびちびやりながら、ラジオの相撲中継を聞いて過ごした。寝袋は重量の関係で持ってくることが出来なかった。その代わりに持参したのがシュラフカバーで、持ってきた防寒具を着込んでその中に入った。また、背中にはカイロを2枚貼り付けておいた。それだけで夜中の寒さはほとんど感じなかった。
5月22日(月) 寒さは感じなかったものの、風が強くテントがバタバタとうるさくてちょっと寝不足気味だ。3時ごろから外の様子を気にしながら過ごし、4時ちょっと前に寝袋から起き出して外に出てみた。まだ薄暗さが残る風景の中で、周囲の山のラインが見えていたが、眼下には雲海が広がり、昨日まで見えていた奧利根湖はその中に隠れていた。5時の出発を目標にして準備を急いだ。テントと幕営用具は笹藪の中にデポしておいて、県境稜線を歩き始めた。
いくつかの小さなコブを乗り越えて、トトンボノ頭に登りはじめると、薮が深くなってきた。つぼみを付けたチシマザクラやシャクナゲ、ハイマツなどはかなり手強いものだ。こんな時は確実に一歩一歩ゆっくりと登るしかない。まあ、越後沢山の笹に較べたら前に進めるから、かわいいものである。右側の群馬県側を見ると、相変わらず眼下に雲海が広がっていた。しかし、谷川岳に続く県境稜線上にある柄沢山は立派な山容をしているなあと感じた。やはりピラミダルな格好の山は姿が美しいものだ。 トトンボノ頭山頂は薮に覆われていた。山頂を示すものはなにもなかったが、山頂部分には石を積んだようなあとがあった。ここに来てこれから進む永松山の山容をハッキリと掴むことが出来きた。トトンボノ頭からいくつかのコブを越えて鞍部に下り、再び登り上げるのだ。この県境稜線の偵察は引き返す時間が重要だ。今日中に桜坂に下るとするならば、9時が最低ラインだ。今の時刻は7時少し前なので、そろそろ引き際を考える時間が迫っていた。 トトンボノ頭をあとにして鞍部に下ることにする。群馬県側は雪に削られて急峻な斜面が一気に落ちているので、気が許せない。いくつかのコブを乗り越えて下降するが、薮がひどく帰りのことを考えると気が滅入る。 鞍部に着くとそこは残雪が豊富に残っていた。わずかな距離だが薮から解放されてほっと一息ついた。ところが、ここから永松山への最後の登りとなるのだが、急斜面で笹を掴んで登ることになった。こうなると笹が付いていることがうれしい。なんとか身体をせり上げて登っていく。稜線の右側はスパッと切れているのでどうしてもそれを避けて登るのだが、薮が深くなるので痛し痒しである。傾斜が緩やかになり、山頂部分に到着すると、山頂の群馬県側はは残雪で埋まっていた。さらにその先は急傾斜の下降が続き、それは三ツ石山の鞍部まで続いていた。鞍部は雲海が新潟県側に滝のように激しく流れていた。そしてその県境稜線はその先の下津川山まで延々と続いていた。さらにその先は越後三山に続いていた。永松山の三角点は笹藪の中に苔がへばり付いた状態で埋もれていた。 さて、ここから三ツ石山向かって雪の斜面を下降することにする。ところがこの斜面はかなり厳しい状態だ。稜線は、ゴジラの背のようになっており、両側はスパッと切れ落ちている。ストックではとても対応できそうにない。ピッケルを取り出して支点にして下降した。それも稜線の頂点にピッケルを差しこみ、斜面にステップを切りながら下降するしかない。しかし、テントをデポしたといえども、ザックの重量は重い、バランスを何度も崩しそうになった。遅々として下降は進みそうにない。おまけに下部にはクレパス状の割れ目が口を開けている。 時計を見ると8時を過ぎている、とても三ツ石山までの往復は出来そうにない。断念しよう!!あっさりと断念して帰ることにした。
牛ヶ岳でテントを回収して桜坂に下った。 前巻機で妙な登山者に出会った。歩きやすいものだから残雪をそのまま米子沢に下っていくのである。それが、ナップザックにゴム長靴である。桜坂駐車場で関西弁を頼りに車を見ると京都ナンバーの軽トラックがある。心配になって警察に届けておいたが、数時間後軽トラックが無くなっていると連絡があった。そういえば登山口も、7合目も道を失った登山者に出会った。この時期の巻機山は要注意である。 かくいう私もGPSが頼りだったことは情けない。 5/21 桜坂駐車場07:00--(1.18)--07:183合目--(.58)--08:165合目08:22--(2.21)--10:43前巻機10:53--(.11)--11:04避難小屋--(.10)--11:14休憩11:38--(.14)--11:52巻機山山頂12:26--(.15)--12:41牛ヶ岳(幕営) 5/22 幕営地05:08--(1.09)--06:17トトンボノ頭--(1.08)--07:25永松岳08:25--(2.20)--09:45トトンボノ頭--(1.37)--11:22牛ヶ岳--(.25)--11:47巻機山12:14--(.12)--12:26避難小屋--(.16)--12:42ニセ巻機12:53--(1.46)--14:39桜坂 群馬山岳移動通信/2006 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |