大清水から周回コースで歩く
群馬・栃木・福島に跨る「黒岩山」 登山日2003年9月13日〜14日
今年のGWに黒岩山に挑戦したが、体力と気力が不足したために断念してしまった。その時はしかたなく尾瀬周辺の薮山を登ってお茶を濁してしまっていた。さらに遡れば1995年に大清水から鬼怒沼山に登ったのも、黒岩山周辺のルート探索が目的のひとつでもあった。そう考えてみれば8年越の因縁の山でもある。 9月13日(土) 尾瀬の大清水駐車場に車を止めたとたんに、猛烈な睡魔と吐き気に襲われた。たまらずビニール袋を出して口を付けると、そのまま何回かにわたって嘔吐。少し落ち着いたとたんにそのまま熟睡してしまった。しばらく経ち、車の騒音に目を覚ますとすでに周辺は明るくなり、釣り人や登山者が活動を始めていた。時計を見ると朝の6時で、1時間以上眠ってしまったようだ。予定では5時過ぎには歩き出したいと思っていたのだが、大幅に時間が遅れている。しかし、あの睡魔と吐き気は何だったんだろう。冷静に考えてみると、どうやら疲れが原因のようで、連日の無理が祟っているようだ。この状態で登る事が出来るだろうか?とりあえず食欲はないが、いなり寿司をひとつ口に入れた。旨くはないが、なんとかたいらげた。そのまま無理をして、あと二つをお茶と共に流し込んだ。しかし、どうにも身体が重く車のシートから腰が浮かない。「中止かな、それとも違う山に切り替えるかな」いろいろな思いが頭の中を駆けめぐる。 いなり寿司は、どうやらお腹の中で落ち着いたようだ。「よし、とりあえず偵察の意味で、途中まで行ってみよう」そう決めて出発の準備を始めた。途中までだったら装備を軽くしてやろうかと思ったが、結局は幕営道具を詰め込んだ65リットルの大型ザックを背負う事にした。
駐車場を出発してすぐに一ノ瀬に向かう沼田街道と、栗山・川俣方面へ向かう奥鬼怒スーパー林道が分岐する。いずれの道も立派なものだが、、いろんな経緯で一般車は通行禁止となっている。しかし、許可を受けたものは通行できるのだから、なにやら納得できないところもある。その立派な林道の右側を流れる中ノ岐沢の沢音を聞きながら、ゆっくりとゆっくりと無心で歩いていく。こんな時間がとてもうれしいと感じる。途中、いくつかの滝を眺めたり、道ばたの花を見ながらの散歩気分である。 林道はやがて小淵沢田代入口の標柱を真ん中に分岐する。どうやら小淵沢田代への林道は、治山工事中で12月20日まで続くとの表示がされていた。それが証拠に車の轍が、道端の土にそのタイヤ痕をいくつも残していた。今日の工事はどうなるのかわからないが、工事がなされている様子はない。マルバタケブキが道の端を黄色く彩り、時折見られるトリカブトの紫色は新鮮でさえある。この林道は急なところもなく、確実に高度を上げており快適でさえある。 林道終点近くの、小淵沢田代入口はちょっとした広場になっていて、休憩するには都合が良かった。さてここまでの体調からして、もう少しは行けそうだと感じていた。こうなったら赤安山までの往復も良いなと、自分自身を納得させた。いよいよ快適な林道も終わり、登山道に入る事になる。 歩き始めは沢の中を歩くようだったが、すぐにそれも終わり、笹薮の原の中を歩くような道となった。時折、索道のワイヤーが残置されているところを見ると、この道は林業関係のものだったことが伺われる。空は雲が急速に動いているところを見ると、台風の影響なのかもしれない。気になってラジオを聞いてみると、台風14号が能登半島の北を通過中という。直接の影響はなさそうだが気になる存在ではあった。この登山道はゆったりとしており、変化もあり楽しい。ただ展望が無いのが残念なところだ。上部に行くにしたがって、ダケカンバの疎林にかわり、再び笹薮と湿原が混じってくる。それに流れの良い沢が2本あり、水場としては最適だった。手ですくって水を飲んだが、その冷たさにしばらく手がしびれるほどだった。
このあたりはGWに歩いているはずなのだが、さっぱり様子がわからない。GWの時は雪の原で、展望も良かったが、今では笹薮に遮られて何も見る事が出来ないのだから仕方ない事かもしれない。緩やかに登っていくと、やがて送電鉄塔にたどり着いた。そしてその傍らには、高さ2メートルほどの電発記念碑が建っていた。GWの時は、その上部の一部しか見えていなかったのだが、こうやって全体を見ると大きなものだったのだと改めて感じた。鉄塔に行ってみると、下の笹はきれいに刈り取られて、次の鉄塔まで巡視路が延びている。これだけの作業をこなすのは大変だろうと思った。
単調な登山道をひたすら歩くと、焚き火の跡が残るちょっとした広場が目に付いた。そのそばの立木には標識があり、ここが赤安清水である事を示していた。しかし、そこに行くには、急な斜面をトラロープにすがって沢に下降しなくてはならない。疲れていたらこの水場に行くのは大変だろうと思った。水場は塩ビのパイプが差し込んであり、水量も豊富できれいなものだった。ここまで水を1リットル消費しているが、新たに補給する事が出来たので、気分的にも楽になった。さて、ここで再びこれからの予定を考えてみる。 「ペースが遅く赤安山まで、あと1時間は掛かる」「引き返すなら今なのだが、赤安山まで行けば帰りは遅くなる」 「しかし、ここまで来て赤安山に行かないと言うのは悔しい」 「体調も今のところ良いし、いっそのこと、当初の予定通り黒岩山まで行き、今夜は泊まって鬼怒沼湿原経由で戻ろう」 自問自答を繰り返しながら、結局は縦走を続けようと決めた。 赤安清水からの道は迷う事もなくしっかりとしており、シラビソが目立つ道になっていた。縦走することに決めたわけだが、やはり不安は残る。なにしろここは辺境の地で救助を求める事も不可能に近いからだ。ここまで誰にも会わなかったし、携帯電話も通じなかったからだ。そういえば、今日は家族に行き先を知らせていなかった事を思い出した。いつもは地図をコピーしてコースをマーキングして置くのだ。
赤安山から登山道に戻り、少し歩くと目指す黒岩山が遠望できた。「しかし遠くにあるなあ!!」一人で呟いてからカメラのレンズを向けた。いつしか天気は回復して青空が広がりつつあった。 それにしても変化のない登山道で、いつまで歩いても一向に進んでいないような錯覚に陥ってしまう。特に2019メートルのピークから、黒岩山を大きく南西に巻いてトラバース気味に登る道は最悪だった。天気も回復した事から気温が上昇して来たからだ、周りはシラビソに囲まれて全く展望が利かないこともあり、疲労が重なって行った。ここでもGPSの軌跡を見ながら進む。地形図の記載のように黒岩山を回り込む様子が、忠実に表示される。このまま回り込まずに直登したいところだが、そんな事は出来るわけがない。登り一辺倒だった道が若干下降気味になったところで、ちょっとした広場になっているところがあった。そこには標識があり、黒岩山に向かう道がはっきりと確認できた。
一旦肩に出ると、ネズの木が数本立っており、目指す黒岩山のピークが望めた。急な登りは少なくなったが、大きな岩を巻くところもあり、疲労はかなりなものとなった。そして最後の薮をくぐり抜けると、薮もなく岩と砂地のすっきりとした場所に出た。真ん中には二等三角点があり、何とも大きく見えた。展望はすばらしく、尾瀬の山や日光の山が一望だ。ここで思いもかけないものに遭遇、それは達筆標識だった。風雪に削られて文字の一部判読できない部分も出来てきたが、大清水方面の立木にしっかりと取り付いていた。目を転じて日光方面に目をやると、山部薮人さんが最近取り付けた巨大な標識が目に付いた。持ってみると、もの凄い重量感があり、これだけのものを作って、ここまで持ち上げる気力に驚きを禁じ得なかった。 山頂ではやはり移動局とQSOを行い、簡単に一局だけですませた。携帯電話は赤安山の時と同じで、場所を選べば何とか通じる。再び家族に電話をして、これからの予定を伝えておいた。群馬・栃木・福島の県境は、この三角点峰ではなくさらに先のピークになっている。しかし、今の状況では、すぐそこに見えているそのピークに行く気力が無かった。
再び倒木を何度も越えて次の小松湿原の水場を目指す。2043メートルのピークを越えて2055メートルのピークとの鞍部に到着。このあたりに水場があるわけだが、それらしきものは見られない。近くには沢があったが、飲み水として使うにはちょっと遠慮したい気分だった。それでもどこかにあるのかと、周辺をうろついたが残念ながら見あたらない。時間を見るともうすぐ17時になろうとしている。「どうせ水がないなら、鬼怒沼湿原の避難小屋まで行こう。日没が18時だからまだ間に合うだろう」そう思い、気力を振り絞って歩き出した。 鞍部から5分くらい歩いたところで、二人の人影が見えた。それにテントも見える。こちらに向かって手を振っている。おお!ここが水場だったのか。明るいテント場で、整地もそれなりになされている。 「今日はここに泊まりますか?」 「水場がわからなくて迷っていました。これで安心しました」 「そこに水場の標識があったでしょう」 「いや、見ていません」 本当にこの人たちがいなかったら、この水場を見落としてとんでもない事になっていたのかもしれない。ともかくそのテントの側に自分もテントを張る事にした。テントといっても今回は軽量を目的としているので布きれ一枚のツェルトである。ストックをポール代わりになんとか格好を付けて設営が終わった。ザックの中から着替えを出してすべてを交換した。そして座り込むと、やっと人心地が着いた。 同宿の二人の男性は宇都宮のYさんと前橋Mさんで、かなりの山好きと感じた。それも山を楽しむ様子がそこかしこに感じられた。とりとめのない話に混ぜてもらって、こちらも寂しさの恐怖から開放された。そう言えば今日は歩き始めてから、ここではじめて人にあったんだ。Yさんからは故郷の徳島産のすだちをいただいた。ウイスキーに入れて飲んでみたが、ウイスキーの香りが強すぎたが、それでも疲れのとれる柑橘系の臭いがした。 簡単に夕食をすませて、19時過ぎには眠りについてしまった。 ところが21時頃になって外のあまりの騒々しさに目が覚めた。もの凄い強風と時折吹き付ける雨だった。周りは木々に囲まれているが、その木がもの凄い音で風に巻き込まれている。テントの中からだと、上空で巨大な生き物がうなりをあげて飛び回っているようでもある。結局は夜明けまでこの音を聞きながら過ごす事になった。
9月14日(日) 夜明けが待ち遠しかったが、それを待ちきれず、4時に起きだした。テントの中は水滴でいっぱいとなっている。ガスコンロに火を付けると、一気に温度が上昇して着ているものを脱ぐ事が出来た。サッポロ一番みそラーメンが今日の朝食だ。その後コーヒーを作り外に顔を出すと、外はまだ雨が残り霧が掛かっていた。風も少しは凪いだが、まだまだ上空の音は消えていなかった。 同宿の二人は鮮やかな手つきで、テントを撤収して6時前には出発していった。 自分もなんとか6時にはここを出発することが出来た。雨模様と寒さを感じるので、雨合羽を着て歩き出した。地形図では分かりにくいが、ここからの道はアップダウンがかなり多く一筋縄ではいかない。それに倒木がここも多く、そのたびに迂回するものだから、なんとも効率が悪い。
「ひょっとして、新しい道なのかもしれない」 一旦通り過ぎたが、どうしてもその存在が気になる。試しにそこを下降してみる事にした。ピンクテープはうるさいほどに取り付けられている。それに木を切り倒した跡も見られるが、古いものではなく、最近のもののようだ。踏み跡はあるものの、あまり踏まれた様子が無く、ふかふかの苔がまだ残っている。しかし8分ほど下降してみたが、どうしても様子がおかしい。GPSを取り出して確認すると、この道の行き先がわかった。それは奥鬼怒スーパー林道に直接通じるものだったのだ。誰かが何かの目的で付けたものなのだろう。それも一人の人間では出来そうにないものだった。自然保護の観点から見れば許されない事は確かだろう。8分間の下降を登り返すのは辛い。息を整えながら20分をかけて登山道に復帰した。 正規(?)の登山道を再び歩き出す。しっかりした登山道はその歴史もあり、安心感がある。無駄足を踏んだ焦りもあり、時間がちょっと気になりだした。鬼怒沼山の分岐までくるとナイスミディが二人立っていた。 「どちらからですか?」 「尾瀬からですが」 「私たちもこれから尾瀬沼に向かいます」 見ればかなりの軽装である。不安になったが、これはよけいな心配である。 「これから、長いですから頑張ってください。そう言って分かれた。 ここからは、かつて歩いた道なので、気分的にも楽だ。すると、さらに単独行の男性に会った。 「この道を行くとどこに行くんですか?」 「???」答えようがない。 「おたくはどちらから」 「尾瀬の方からですけれど」 「私も尾瀬に行くんですが、この道で良かったんですね。安心しました」 なんだか訳がわからないので、そのまま分かれて鬼怒沼湿原に向かった。 鬼怒沼湿原は、すでに草紅葉が始まろうとしていた。誰もいない湿原で木道に座り、羊羹を食べて水を飲んだ。あとわずかで長い山行も終わりだ。ゆっくりと物見山経由で大清水までの道を辿った。
*今回は幕営場所で二人の同宿者に会えた事が、本当にラッキーだった。もし出会わなかったら、もっと悲惨な状況にあった事も考えられた。 記録 「9月13日」 大清水06:35--(.50)--07:25林道分岐--(.44)--08:09林道終点08:20--(1.08)--09:28尾瀬沼・鬼怒沼登山道分岐09:38--(.15)--09:53電発記念碑10:00--(1.08)--11:08赤安清水11:25--(.38)--12:03赤安山12:15--(1.25)--13:40黒岩分岐13:50--(.37)--14:27黒岩山14:52--(.24)--15:16黒岩分岐--(.16)--15:32黒岩清水15:43--(.37)--16:20鞍部16:43--(.05)--16:48小松湿原水場(泊) 「9月14日」 小松湿原水場06:05--(.50)--06:55登山道を離れる--(.08)--07:03戻る--(.22)--07:25登山道--(.35)--08:00鬼怒沼山分岐--(.27)--08:27鬼怒沼湿原08:44--(.30)--09:14物見山09:20--(2.01)--11:21湯沢出会11:25--(.39)--12:04大清水 群馬山岳移動通信/2003/ |