夏の終わりに「小松原湿原」から「霧ノ塔」まで歩く 登山日2006年9月3日
2003年6月に猫吉さんと苗場山に登った。そのときに見えていた「霧ノ塔」が妙に気になった。その名前も印象的だが、、その屹立した山容は登高意欲を湧かせる。また小松原湿原という場所も魅力的であることも気になっていた。 9月3日(日) 自宅を午前2時に出発、さすがに前日の農作業が影響しているのか、睡魔に何度も襲われながら、5時前にグリーンピア津南に到着した。この施設を通り抜けて、小松原林道に行くのだが、ルート標識が見あたらないので、この駐車場で明るくなるまで支度をしながら待つことにする。そうしているうちに明るくなったので、先に進むことにする。施設を抜けると、分岐するので標識に従って大場に左折する。右折はスキー場に行くものと思われる。道なりに行くと、下り坂になりその先には集落が見え隠れしている。そして道はT字路になるが、左折はその集落に行くと思われるので、反対に右折して林道を上っていく。周囲はすっかり明るくなり、木々の緑が鮮やかさを増してくる。 この林道は途中でゲートによって遮断され、一般車は入れないことになっている。しかし、このゲートから登山口まで歩くとなると約6キロ、1時間以上を歩く羽目になる。快適な林道を道なりに行くと、そのゲートに突き当たった。ゲートは閉じられているが、バーを動かしてみるとなんと動く。どうやら閉め忘れているようだ。帰りのことが心配になるがともかくラッキーなのでそのままバーを動かして中に入った。 支度をして登山道に入ると、下草の露であっという間にズボンが濡れてしまった。雨具のズボンを着け直して仕切り直しだ。木道は敷かれてからかなりの時間が経過しているのだろう。老朽化が進んでおり、補修時期に来ているのだろう。折れたりしているところは、チョークで数字が書き込まれて補修の計画をしているのが分かった。木道は尾瀬の様に複線ではなく、単線なので対向してくる人がいた場合、すれ違いがきつそうだ。それだけ、この湿原は多くの団体を受け入れる様な処ではないのだろう。それに下草や頭上からの枝は木道に張り出しているので、雨天の時は悲惨な状況になるかも知れない。またビブラム底の登山靴は、濡れた木道とは相性が悪く気を許すとツルンと滑るので、油断できない。 樹林帯を10分ほど歩くと、目の前がパッと開けて、湿原が現れた。あまり広くはない湿原だが、開けると気持ちが良いものだ。木道の脇にはクロマメノキの実が熟して手つかずに残っていた。この湿原を抜けると道は再び樹林帯に入った。今日の天気予報は晴れなのだが、ガスが低く立ちこめて晴れる様子がない。ガスの立ちこめた樹林の中は、蒸し暑く雨具がちょっと煩わしい。 しばらく進むと道が分岐する。そこには標柱があり「昭和7年六日町営林署と書いてある」ずいぶん古いと思ったが、意外にしっかりしているので本当だろうかと思う。標識には水場へ2分の書き込みがあり、道はしっかりとしていた。ここを過ぎると道は傾斜を強めて、階段状になってきた。階段で歩幅は無視されてなんとも歩きにくい道となった。おそらく作ったときは良かったのだろうが、今ではただの障害物でしかなくなっていた。傾斜が緩んでくると、頭上の木の枝も少なくなり、一気に湿原に飛び出した。 ここは中ノ代で、下ノ代よりも広々としている。木道はここで分岐して金城山から見倉に行くものだ。時間があれば寄ってみたいが、今日はどうなるのかわからない。スポーツドリンクを一口とアンパンをひとつ頬張ってから先に進むことにする。木道を歩くにつれて景色がめまぐるしく変わるのが面白い。湿原は際だって大きなものは無く、小湿原が点在して拠水林によって区切られていた。その林を抜ける度に、異なった景色が目の前に広がるのである。池塘の形も一定ではないし、そこに映る雲の形も異なっていた。 上屋敷の湿原が終わる頃になって、単独行の男性が対向してきた。どうやら昨日は苗場山経由で避難小屋に泊まって、今日はゆっくり帰るのだそうだ。男性と別れて、林の中に入り、小さな沢を飛び越えると、そこには立派な三角屋根が印象的な「小松原湿原避難小屋」が現れた。先ほど飛び越えた沢は水場だったのだ。小屋の前には詳細な登山地図がブリキ板に書いてあったが、すでに文字が消えかかっているところもあり、あまり役立つそうにない。小屋の中にはいると、その豪華さに驚く。2階建てで、内部は清潔に管理されていた。毛布のたぐいも常設してあるようで、柱に渡した紐に広げて干してあった。ハイシーズンには、団体がここを占拠してしまうと聞くが、そんな季節は遠慮願いたいものだ。 尾根道は相変わらず刈り払いがされており、迷うこともなく順調に登ることが出来そうだ。9月になったとはいえ、蒸し暑さは格別で汗でTシャツはびしょ濡れ状態となった。時折あらわれる真新しい足跡は、湿原で出会った単独行の男性のものだろう。滑ったあともあることからかなり難儀した様子がわかる。傾斜が緩くなり、ひんやりした風が顔に当たるようになると、展望の開けた日蔭山の山頂に飛び出した。山頂からは大きな苗場山の一角が見えていたが、ガスが濃くてその姿は断片的にしかわからなかった。眼下には秋山郷の集落が見えており。その背後に覆い被さる鳥甲山もガスに覆われていた。山頂には「本三角点が設置されていたが、標識のたぐいは見られなかった。ただしこの山頂から数メートルのところに「小松山」の標識があった。小松山はまだずっと先であるはずなのだが、どんな経緯で取り付けてあるのか不明だ。 最低鞍部から登り始めてすぐになだらかな場所を通過、さらにここからが本格的な登りとなった。笹原の中に一直線に付けられた道は、かなりの急勾配だ。こんな時は立ち止まらずにゆっくりと何も考えないで登るのが一番だ。この道は切り開かれて間もないような感じを受ける。それは足元の笹の根がしっかりとして、フワフワとしているからだ。よく踏まれた道は土砂が流れて、凹んでいるのだが、この道はそんな事は感じられなかった。笹原から樹林帯に入りしばらく歩くと、再び笹原に飛び出した。そこが今日の目的地である霧ノ塔の山頂であった。 山頂で30分ほど粘ったが、ついにガスが晴れることはなかった。帰りは金城山を考えたが、往復4時間を考えると気力が萎えてしまい、このまま帰ることになった。 「記録」 小松原湿原登山口06:00--(.09)--16:09下ノ代--(.42)--16:51中ノ代--(.26)--07:17上ノ代--(.15)--07:32小松原避難小屋07:47--(1.00)--08:47日蔭山09:18--(.10)--09:28釜ヶ峰--(.43)--10:11霧ノ塔10:43--(.34)--11:17日蔭山11:41--(.36)--12:17避難小屋--(1.05)--13:22登山口 群馬山岳移動通信/2006 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |