知られざる展望の山「小黒檜山」
登山日1996年12月15日
赤城山のピークにあってあまり紹介されていない山がある。過去の記録を見ても怪人が山頂に到達しているだけだ。いつかは挑戦したかったが、なかなかその機会に恵まれなかった。
12月15日(日)
藪山と言うのは一人で登るには、なかなか勇気がいる。今回の小黒檜山は人が入った様子がないので、かなりの藪が予想される。そこで物好きな(失礼!)JR1CFR/桜井さんに同行をお願いした。
旧赤城有料道路を登りあげた所にある「エネルギー資料館」手前で、桜井さんの車をデポして私の車で先に進むことにした。それは若干の積雪があり、無用なトラブル防止のためである。
大沼を過ぎて北面道路に入ると積雪も多くなり、峠を越えると道は下り坂となった。そのまましばらく進むと「標高1373m」の標識が路肩に立っており、さらにその先に駐車余地があったのでそこに車を置くことにした。おそらくここは標高1350m地点であると思われる。
桜井さんと支度を整えて、道を横断して登り始める。登ると言っても道があるわけではないので、登りやすい所を選んで適当に行くだけだ。桜井さんはこんな山歩きは初めてだとちょっと後悔しているようだ。ともかく直登に近い形で歩くので、たちまち高度が上がっていく。15分ほど登ったところで、歩き始めてから標高差100メートルを稼いでいた。標高1470メートル付近で目の前に笹藪が立ちふさがった。丈は膝くらいだが、歩くにはちょっとつらそうである。地形図を見ると左は崩壊地がありそうなので、右側にルートを取って笹藪を巻くことにした。
急傾斜は相変わらずで、汗が出てくるのが早い。桜井さんも汗を額に浮かべて頑張っている。時折見かける丸い動物の糞は、おそらく鹿だろうと思う。赤城山が開発されても、まだまだ動物はこの山に生息していることを思うと感慨深い。標高1590メートル付近で素晴らしい登山道に出会った。しかしそれはわずか30メートルほどの長さで、両端が笹藪の中に消えていた。おそらく以前は登山道がここにあった事が伺えた。ここでついに笹藪に取り囲まれてしまい、仕方なくこの笹藪を登ることになった。道が不明になることが無いように、下から取り付けてきたトイレットペーパーを細かく取り付けながら登ることにした。
笹藪は直登で登ることが、一番楽であることはこの前の「御巣鷹山」で経験済みである。今回もそれに習って、腰ほどの丈の笹藪に潜り込んだ。
標高差40メートル程で山頂につながる稜線に到達した。稜線も相変わらずで、笹藪でびっしりと被われていた。もっとも目立つのは、近くまで迫っている赤城の最高峰「黒檜山」である。その斜面にある黒い色の木々は、白い霧氷の衣を纏って輝いている。なかなか素晴らしい眺めだ。ここからはやっと急斜面から解放されて、平坦な稜線歩きとなった。(笹がうるさくなければ最高の道だ)
稜線の歩きを進めると、突然に梢からパラパラと音を立てて白いものが降ってきた。霧氷が溶けて一斉に落ちているのだと思うのに、ちょっと時間がかかった。それはその美しさにしばらく見とれたからだ。やがて山頂に大きな反射板のあるピークが見えてきた。それがおそらく「小黒檜山」であると思われた。
山頂直下の登りは笹が胸のあたりまで伸びており、若干の困難が伴った。それでも最後は桜井さんと並んで山頂の一角に足を踏み入れた。
山頂には白い杭が立ってあり「無給電中継装置(反射板)」と仰々しい名前が書き込まれていた。そしてその反射板のアングルには「KUMO」が取り付けられていた。しかしなぜか「KUM」の部分が何かで削られていた。なにか目的があったのだろうか?
山頂からの展望は素晴らしく赤城山の中では最高だと思われる。なにしろ草津白根−野反湖周辺−苗場山−谷川連峰−巻機山−上州武尊−奥白根山−皇海山−袈裟丸山と続く白銀の峰が続いていたからだ。風もなく穏やかな山頂で眺める展望は飽きることがない。昼食をゆっくりととりながら、桜井さんと山談義を楽しんだ。おそらくこれが今年最後の山歩きと思われるが、こんな素晴らしい展望で締めくくれたのは最高だった。
「記録」
車道(標高1350m)09:40--(1.04)--10:44稜線--(.29)--11:13小黒檜山山頂13:01--(.48)--13:49車道
群馬山岳移動通信/1996/