信仰の山「古賀良山」 登山日1999年5月9日
5月9日(日)
今日は我が安中市のもっとも大きな行事である安政遠足(とおあし)の日である。日本マラソン発祥の地と言うことで、仮装した人たちが長野県境の碓氷峠を目指して走るものである。今回は第25回と言うことで、なんと1400人の参加者があったようで、最大規模となったようだ。
安政遠足の見物を終わり、家に戻ったがどうも天気がよいので落ち着かない。高校1年生の息子を久しぶりに誘うと、山に付き合うというので、かねてから気になっていた古賀良山に行ってみることにした。古賀良山は榛名山魂の西のはずれに位置しており、よほどの物好きでないと目が行かぬ山だ。
榛名山を取り巻くように取り付けられた、西榛名広域農道を吾妻町に向けて走行する。すると社会的に話題になっている農業団体の施設を過ぎて、すぐに山際に鳥居が見えてくる。近くには数台の車が置けるスペースと、東屋が設置されている。
ここが古賀良山の登山口であり、古賀良神社の参道の入り口である。周囲は鬱蒼とした杉木立に囲まれて、ちょっと薄気味悪い。息子を先頭に立てて歩き出すと、すぐに重大な忘れ物に気づいた。それは地形図だが、まあそれが必要なほどの山でもあるまいと、タカをくくってそのまま歩いた。
地形図がなければ持ってきたGPSも使い物にならない。まして標高も分からないのではちょっと悲しいではないか。しかし、いまさらどうしようもないので、このまま歩くことにした。数十メートルあるくと、参道の石段が現れてきた。苔むした石段はなかなかの歴史を感じさせる。
社は幣束が飾られており、この神社が信仰を集めていることが感じられる。そして横に回ると獅子舞子の文字が見えるところを見ると、太々神楽でも奉納するのだろうか。一度その時期に尋ねて見たい気持ちになる。また「雷電宮」の文字が見える石碑があるところを見ると、農業の信仰を中心にした神社なのかも知れない。
社の右に回ると道はそのまま山の中に続いている。ちょっとした熊笹の茂みを抜けるとすぐに雑木林となり、気持ちの良い山道をそのまま歩く。
ちょっとした急坂を上り詰めると、尾根に到達した。心地よい風が榛名山の方向から吹いてきて顔に当たった。息子を後ろにして先頭を歩いたのだが、ついに息切れが激しくなり、先頭を思わず交代した。尾根道はアカマツの道で、明らかに人手が加わっている。
新緑は目に優しく、歩くのが気持ちいいし、足下のスミレの花が春を感じる。道の脇には時折石祠や、石碑があったが文字はほとんど消え去って読むことは不可能だ。やがて先頭を歩いていた息子の姿が見えなくなり歓声が聞こえた。どうやら山頂にたどり着いたので、歓声をあげたようだった。
少し遅れて、私も山頂に到着。
山頂は刈り払いがなされてその真ん中に石祠が置かれていた。三等三角点は最近測量がされたばかりなのか、櫓が組まれてその中心に測量棒と旗が立てられていた。展望はさほど望めずに、木々の間から霞のかかった開拓地と榛名山魂が見えるだけだった。しかし、この山に登るのだったら、他の時期はダメで今の時期しかないと確信した。
無線は息子と奥の手QSOで簡単に済ませて終了。山頂で息子と他愛もない話をして過ごした後、気になる山頂を後にした。
群馬山岳移動通信/1999/
「記録」
11:38登山口--(.08)--11:46古賀良神社--(.04)--尾根11:50--(.12)--12:02古賀良山山頂12:45--(.14)--12:59登山口