標高2000mの樹林帯を歩く(甲武信ヶ岳から十文字峠) 登山日2005年10月1日
甲武信ヶ岳(甲武信岳)はその名前の響きが良いことから、いつかは登りたいと思っていた。本来ならシャクナゲの季節や紅葉の季節を選ぶべきなのだろう。しかし、そんな時期は大混雑でどうも自分の趣味に合わない。 10月1日(土) 毛木平の広い駐車場は、車が10台ほどでガラガラ状態。東屋の案内板を眺めると「日本百名山」の文字が目に付いた。ここで甲武信ヶ岳が「日本百名山」であることを、認識した。百名山に興味がないとは言え、ここまでボケていたとは、自分自身が情けないと感じた。支度をしていると、二組の夫婦連れが前後して出発していった。それ以外に目立った行動は見られず、静かな駐車場だった。 駐車場から続く林道はゲートがあり施錠がなされていた。林道は荒れた様子もないことから、車が入り込んでいないことが伺える。快適に歩いていくと小さな社の大山祇神社に出会う。これから山に入る以上は、無事を祈って手を合わせた。この神社を過ぎると車道はすぐに終わった。しかし、ここからは千曲川源流遊歩道と言うことで、幅の広い道が相変わらず続いている。それと言うのもも百名山の影響なのかも知れない。しかし、百名山と言うには実に静かな山歩きである。聞こえるのは沢の音だけで、獣はおろか物の怪の類も気配を感じることは出来ない。 神社から30分ほど歩くと、林業関係者の山津波による犠牲者の慰霊碑がある。建立されて半世紀を経っていることもあり、裏の文字は消えかけていた。さらに30分ほどでナメ滝に出会う。ナメ滝と標識がなければ通過してしまいそうな規模のものである。しかし、このあたりは開けていて何となく明るい感じがする。それにしても、この谷間の遊歩道は光が差し込むのが遅く、日の出の時間からすでに1時間が経過してもなお薄暗く、写真を撮ると自動でストロボが発光した。この付近の標高は約1800メートルで、駐車場から1時間半掛けてダラダラと約350m登っていることになる。甲武信ヶ岳まではあと標高差600mなので、まだまだ先は長そうだ。
ここからは今までの遊歩道と違って、登山道らしく傾斜が急になってきた。しかし、それもたいしたことはなく、歩道橋の階段を上るよりも楽で、わずかな時間で稜線に到着してしまった。右は「国師ヶ岳・金峰山」、左は「甲武信ヶ岳・甲武信小屋」と標識に書いてある。ここから金峰山までの縦走は魅力があるだろうなあと思いながら、甲武信ヶ岳への道を辿った。 樹林の中から富士山が見え隠れするほぼ平坦な道を過ぎると、岩場に突き当たった。高度計の数字から、これが山頂までの最後の登りなのだろう。快適に登り上げると、ほぼ360度の展望が開けた甲武信ヶ岳山頂に飛び出した。大きなケルンが積まれたその上には、これまた大きな山頂標識があった。先行者は一人の男性だったが、直ぐに立ち去り山頂を独占することになった。ゆっくりと展望を楽しむことにする。やはり富士山が目に付く目を転じると国師ヶ岳と金峰山の間には北岳が見える。さらに八ヶ岳、そして北アルプスもハッキリと見ることが出来た。そしてこれから向かう予定の十文字峠までの山並みが延々と続いていた。それにしても静かな山頂で、これが百名山なのだという印象が薄れていくようだった。 甲武信ヶ岳から今度は甲武信小屋に向かうことにする。山道をもったいないほど下り、どんどん高度を下げる。するとプラスチックを燃やした嫌な臭いが漂ってきた。これは小屋が近いことを予感させられた。一人の登山者が下からラジオを付けっぱなしにしながら登ってきた。かなり山慣れた様子でペース良く登っていた。やがて鞍部の甲武信小屋に到着した。小屋の前はベンチが多数置かれて居たが休んでいる人影は見られなかった。インターネットで見た管理人とおぼしき人にこちらから挨拶をしたが、無愛想な返事が返って来ただけだった。小屋の中に入り、有名な日本手拭いを買おうと思ったが、見あたらない。忙しそうな従業員に聞くと「あいにく売り切れ」との切ない返事。仕方なくバンダナ(1000円)を買うことにする。料金は適当にカゴの中に入れておけと言われ見ると、無造作に金が入っていた。外のベンチでパンとスポーツドリンクを摂って休憩する。ここで地図を眺めて見ると、この先の木賊山が間近にある。標高が2469mもあるので登らなくては損だとの気持ちが強く働いた。時間もまだたっぷりとあるじゃあないか。そこでザックを背負い木賊山に向かうことにする。 木賊山への道はこれまたしっかりとしており、振り返ると甲武信ヶ岳のピラミダルな山容がハッキリとしてくる。途中でヒゲを蓄えた同年代の男性とすれ違った。そして案の定わずかに時間で木賊山山頂にたどり着いた。山頂は樹林で全く展望が得られず、とても休む気にはなれない場所だった。三角点はなぜかコンクリートで固められて厳重にガードされていた。ふと標識を見ると「基準点測量 一等三角点」と書いてある。「ええ〜!一等三角点」疑問に思って三角点を確認すると三等と書いてある。ふたたび標識を見ると「三」のうちの上の二本線が消されていたのだったと気が付いた。ビックリとさせられる悪戯だ。 木賊山山頂からは直ぐに下山に取りかかり歩き出す。すると先ほどすれ違った単独行氏に追いついた。聞けば本日は甲武信小屋に泊まるのだそうだ。そのために時間をもてあましている様子だ。とりとめのない話をして、小屋まで一緒に歩いた。 小屋には立ち寄らずにそのまま甲武信ヶ岳に向かって再登だ。やはり快適に下り降りた時と違って、登りは辛いものがある。一気に汗が噴き出してくるのが分かる。下りは11分だったが、登りは15分掛かっているのでそれほどの差はなかった。甲武信ヶ岳の山頂は今度は賑やかになっており、5人ほどが休んでいた。このまま立ち止まらすに三宝山に向かって歩き出した。
三宝山の山頂は広場のようになっておりとても広い。そこには甲武信小屋で別れた単独行氏が立っていた。いつ追い越されたのだろうか?聞けば小屋から甲武信ヶ岳を巻いて来る道があるという。エアリアマップを見たがそんな道の記載はない(参った)。三宝山は埼玉県の最高峰であり、一等三角点が設置されている。展望は樹林に阻まれて見ることは出来ないが、三宝山から角のように飛び出した三宝石に登ると展望は一気に開ける。甲武信ヶ岳とその奥に霞む富士山の姿が印象的だ。三宝石から再び山頂に戻ると、不審な動きをする登山者を発見。無線機を取り出してケーブルフィッシャーに付けたヘンテナを立ち上げて設置している。聞けばこの方はJ○○KHZのコールサインを持つ大ベテランであった。あいにくピコ6しか持ち合わせが無く、更新が出来ないので残念であった。またの機会を約束して三宝山を先に辞した。
大山の下りは鎖が2本あり、それを頼りに岩場を下ると、道は安定して歩きやすくなった。それに十文字小屋が近いのであろうか、道にロープがかけられて整備されるようになってきた。「白泰山・栃本」への道を分けて直進するとわずかな距離で十文字小屋だった。小屋の煙突からは煙が立ち上っており、いかにも昔ながらの山小屋の雰囲気を醸し出している。ここから駐車場に向かうのも良いのだが、せっかくなので十文字山に登っておくことにする。 小屋の燃料に使うのだろうか?積み上げられた薪にブルーシートが掛けられて登山道脇に置いてある。妙な詮索はしないようにして、かなり疲れた身体にむち打ってゆっくりと登った。地形図を見ると登山道はピークの東側を巻いているように表現されている。ともかく上部を目指して登っていると目の前に標識が見えてきた。おそらく道標だろうと思っていたのだが、その傍には三角点が見える。急いでそこに歩いていくと、何と十文字山の文字があり、間違いなく三等三角点がそこにはあった。このピークも樹林に囲まれて展望はきかない。どうせならここの樹林を伐採して、薪にすれば展望も良くなるのにと感じた。
展望の無い山頂で、今日の残りの食料と水分を補給して下山に掛かる。十文字小屋に立ち寄ろうかとも考えたが、そのまま毛木平の駐車場に向かって歩き出した。
毛木平05:45--(1.36)--07:21ナメ滝07:25--(1.00)--08:25水源地標08:34--(.15)--08:49稜線--(.21)--09:10甲武信ヶ岳09:19--(.11)--09:30甲武信小屋09:36--(.13)--09:49木賊山09:55--(.19)--10:14甲武信ヶ岳--(.30)--10:44三宝山11:05--(.41)--11:462288m峰11:49--(.10)--11:59武信白岩山(休憩)12:47--(.37)--13:24大岩13:36--(.20)--13:56十文字峠14:02--(.19)--14:21十文字山--14:30--(.10)--14:40十文字峠--(.17)--14:57八丁坂の頭--(.53)--15:50毛木平 群馬山岳移動通信/2005 |
トラックデータ
甲武信ヶ岳手前の水源地標付近と、十文字峠からの下りは谷間のために正確なトラックデータが取れなかった。 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |