お昼寝付きで「鬼怒沼山」
登山日1995年8月5日
8月5日(土)
尾瀬の登山口である大清水は、登山の最盛期を過ぎたためか人影は疎らである。広い駐車場は30台程の車が十分な間隔を空けて駐車してあった。そんな中に車を置いて歩き出す。一旦、車道を引き替えして片品川に架かる大清水橋を渡る。この橋は入り口に鎖が張ってあり施錠されていたが、簡単なものなので工具があれば簡単に取り外しが出きそうだった。
根羽沢沿いに続く林道をひたすら歩くのだが、つい足早になってしまうほどの快適な道だ。しかしこれから山道を登る事を考えて、自重しながら歩いた。やがて橋が現れ、表示を見ると湯沢橋と記されていた。橋の先は広くなっており、何かの資材置き場の雰囲気がある。また立て札があり「これより先国立公園内につき釣りは自粛して下さい」と書いてあった。なにか妙な書き方で、自粛とはどういう意味なのであろうか。そこを過ぎると立派な標識があり、「←鬼怒沼4.8k」と書いてある。(ここから先標識は全く見あたらなかった)林道はここで三本に分岐していて良くわからない。ひとつは山に向かって行くもので、通行止めの柵が設置してある。ひとつは土木機械が置いてあり同じく山に向かって行く。あとは一本は沢に沿って行くもので、若干草が生えていて廃道の雰囲気がある。標識の位置からして全てそれらしいので困ったのだが、地形図から見てどうも沢沿いの道がそれらしいので、思いきってその道を行く事にした。
少し歩くとなんと車が2台駐車してあった。そして傍らにはキャンプ用品が並べられ、しゃれたテーブルの上はいかにも食事をしたあとのようだ。車には「作業車」の文字の入った紙がカードケースに入れられてダッシュボード上に置かれている。しかしどう見ても作業車には見えない車だった。周辺には人影は見えなかったが、この林道上(登山道)を堂々と占拠している度胸はたいしたものだ。さらに進むと広い道も行き止まりになった。まわりを見ると林の中に道が延びており、一本のカラマツに赤テープが巻き付けられていた。しかし標識は見あたらないが、とりあえずこの道に入る事にする。
カラマツの林は下が笹におおわれていたが、その中の道は鮮明だった。しばらく行くと沢に降りる事になる。ここが湯沢に間違いなく、今までのルートが正しかったようなので安心した。沢の水量はそれほどではなく飛び石伝いに簡単に渡る事が出来た。見れば上部には大きな倒木が沢に橋のように架かっていたが、水量の多い時はこれを使えと言う事なのだろうか。しかしあの倒木を渡るにはかなりの技術が必要に思われる。岸を渡ったところには何故か「鬼怒沼山 2161m」の標識があった。しかし、どう見てもここが山頂には見えない。また赤い傘が放置されていてちょっと気味が悪い。
沢からは木の階段が設置されていて、良く整備された雰囲気はあるが指導標識が全く無いのはなにか気にいらない。その代わりに赤テープが所々にあり不安感は少しは和らぐ。それにしても、何というつまらない登りなのだろうか。ただひたすら樹林の中の急登を登るのみで、展望もなく風も無い登りなのだ。それに何度もアップダウンを繰り返すので疲労も蓄積された。
展望の無い道でも休憩するにはなにかきっかけが欲しい。少しでも展望が得られれば良いのだが、なかなか見つからない。結局、大清水橋から歩き始めて1時間半程でやっと良い場所が現れた。高度計を見ると標高1700メートル付近と思われる。そこはちょっとした尾根の一角で、大きな倒木の根の部分だけが残っていて腰をかけるのに最適だった。そして展望も良く、目指す物見山が大きく見えていた。更に沢を挟んだ南側には四郎岳が特徴ある姿を見せていた。いつかはあの三角定規の姿の四郎岳に頂に立ちたいと思うがそれは夢でしかないと思う。
再び歩き始めると、道は少し緩やかになった。所々に露岩も現れて道にも変化が出てきて気分的には楽になった。ところがそれもわずかで、またもや急登が始まってしまった。
急登に喘ぎながら、再び休憩場所を探しながら歩くと、今度は高さ3メートル程度の岩の塔がある場所に着いた。高度計は1900メートルを指している。ここは展望が無いが少しは変化のある風景であるので落ちつけた。これは犬と電柱の関係に似ているようでもある。
休憩後、急登の道を登る始めると、ここで初めて下山してくる夫婦連れの登山者とすれ違った。男性は「あと70メートルで山頂ですよ」と、言って励ましてくれた ?。それでも山頂が近くなってきたのは、まわりの稜線の様子からわかった。そしてひょっこりと物見山(毘沙門山)に到着した。
山頂は展望はなく木の隙間からわずかに鬼怒沼の湿原が見えるだけだ。標識は西上州で見られるブリキ製のものと、M大の青い標識があった。さらに丸い円板の標識がステンレスの針金でぶら下げられていた。最近とんと見なくなった「JS1HQJ・JS1MLQ」の文字が躍っていた。この標識を見るのは初めてだが、なかなか味わいがある。折角なので裏に落書きを施して置いた。430Mhzで移動局を捕まえてQSOして山頂をあとにした。
駆けるようにして山頂から下ると、道は鞍部に着いた。ここには倒れた標識があり、文字もかすれて読めない。また倒れているものだから、どちらを指しているのかさっぱりわからない。しかし右は鬼怒沼湿原である事はすぐにわかる、とにかく鬼怒沼山を先に片づけてから、後でゆっくりと湿原で休む事にした。
道は刈り払いがされた素晴らしい道だ。緩やかな登り道を歩くのは気持ちいい。鬼怒沼山はどれが本当のピークか良くわからない。2万5千分の1の地形図「三平峠」「川俣温泉」を見ても、三座あるうちのどれなのか不明だ。とにかく三角点のあるところなら間違いあるまい。最初のピークは基部の東側を巻いて通り過ぎた。そして次のピークに登るはずが、今度は西側を巻いて過ぎていく。これはおかしい ?地図を見直すと道はこの鬼怒沼山の三角点に通じていないのだ。これではしかたないので、適当なところから登り上げる事にした。うるさい笹薮をかき分けて、刺のある木に引っかけられて痛い思いをしながら進んだ。やがて笹も少なくなり歩き易くなったが、踏み跡は見つからない。とにかく上部に行けば何とかなるはずと、歩き易いところを見つけて登った。そして上部に着くと何となく道らしきものが現れて、それを辿ると三等三角点のある鬼怒沼山山頂に着いた。
展望は無く、北方面がわずかに開けているだけだった。そしてその方向の立木に「達筆標識」がビスで取り付けられていた。この達筆標識にも落書きを施して置いた。そのほかは古びた木製の板の標識が笹薮に埋もれていた。無線の方は何度かCQを出してやっと1局だけであった。QSLは間違いなさそうなのでこれで山頂を降りる事にした。
これより先の黒岩山へのルートはとても私の技量では無理なので、引き返して鬼怒沼湿原に向かうことにする。
鬼怒沼湿原は国内では一番高所にある湿原だそうである。尾瀬ヶ原よりも600メートルも高いと言う事で期待に胸が膨らんだ。湿原に引かれた木道は、最近設置されたようで真新しい。振り返ると尾瀬の燧ケ岳の姿が立派に見える。湿原はワタスゲの穂が風に揺れていた。気温は17度で半袖シャツでは肌寒いほどだ。今日は植物図鑑を持ってきているのでそれを片手にゆっくりと歩く。人間の記憶は当てにならないようで、忘れていた花の名前もあらためて思い出す事が出来た。キンコウカ、トキソウ、サワラン、タテヤマリンドウが今は湿原の主役で、チングルマが脇役と言ったところだろうか。なかなか静かな湿原で、軽装のナイスミディが多いようで、聞けば日光沢温泉から来たようである。景色も良く地塘に写る根名草山と奥白根山はなかなか絵になる風景だ。しばらくその風景に見とれながら過ごしたが、何やら眠くなりつい横になり熟睡してしまった。気がついたらおよそ30分間は意識を失っていたようだ。
寝ぼけ眼で、湿原のはずれにある小屋に行ってみた。「鬼怒沼巡視小屋」の看板のかかったこの小屋は、かなりしっかりしているようで鉄製の扉が取り付けられていた。扉を開けると小屋の中にはノートが置いてあったのでコールサインを記入しておいた。
帰りはおびただしいほどのアキアカネの大群を見ながら、再び登って来た道を戻った。
「記録」
大清水橋06:18--(.27)--06:45物見橋--(.05)--06:50山道に入る--(.09)--06:59湯沢--(.47)--7:46休憩07:55--(.40)--08:35休憩08:43--(.15)--08:58物見山山頂09:25--(.07)--09:32鬼怒沼入り口--(.31)--10:03鬼怒沼山山頂10:26--(.20)--10:46鬼怒沼散策12:33--(.18)--12:51物見山--(1.58)--14:49大清水橋
群馬山岳移動通信/1995/