恐い場所もある「袈裟丸山」    登山日1994年10月2日


袈裟丸山(けさまるやま)標高1961m 群馬県勢多郡
奥袈裟丸山から見る前袈裟丸山
 ここの所、週末は天気が良くない。先日、台風26号が通過した後も大気が不安定で、なかなかすっきりした青空が見られない。

10月2日(日)

 車で国道122号線を辿り、大間々町に入ると、フロントスクリーンに大粒の雨があたるようになった。今日も天候はダメかと思いながら、ともかく登山口まで行ってみる事にした。今日は袈裟丸山にもっとも楽に登れる、八重樺尾根経由で登るつもりだ。勢多郡東村の小中で左折して山道に入る。道は舗装されているので、幅員が狭いながらも快適だ。この道は大滝と言う観光地に続いている。民家を過ぎて更に登って行くと、なんと崖崩れで道が塞がっていた。どうやらこの前の台風の影響らしい。これでは到底車では行けそうにない。ここに車を置いて、歩いて行くには距離がありすぎる。

 今日のところは袈裟丸山は断念しなければならないのか。その時フト思い当たる事があった。以前、MLQが、寝釈迦に通じる道の更に奥の登山口から登ったのを読んだ事があった。今日は何の準備もしていないのだが、とにかくその道を探して登る事に決めた。

 車を再び国道122号に戻して、沢入小学校の手前から左折して、山道に入った。とりあえず寝釈迦の標識を頼りに走る。

 暫く走ると右に寝釈迦入り口の標識があった。ここは通過して更に続く林道を登る。途中の道では折しも、送電線の鉄塔工事が盛んに行われており、いろいろな土木建設機械が路肩に並んでいた。そして寝釈迦の標識から7キロほど、舗装された道を走った所に着いた。ここには関東ふれあいの道の案内看板と東屋、トイレがあった。車から降りて看板を確認すると、どうやらここに間違いなさそうだ。駐車場には既に初老の登山者が車の中にいた。聞けばやはり袈裟丸山に登ると言う。ともかく準備をして、その登山者よりも先に出発をした。幸いな事に雨が止み、雲が麓から山頂に向かって上昇している。どうやら今日は雨はなさそうだ。

 道はいきなり急な階段の登りとなった。まわりは潅木と笹に囲まれている。ときどき鹿の鳴き声が聞こえており、時には笹原を駆け抜ける鹿の足音が聞こえた。その度に気の弱い私は立ち止まって、息をころしてその音の方向を注視した。雨でぬかるんだ登山道には鹿の足跡もしっかり残されている。

 10分ほど歩くと道が若干平坦になり、目の前に展望が開けた。まさに素晴らしい風景がそこにあった。緑の笹原の広大な斜面が広がり、その中を水量の豊かな沢が白い筋となって、音を立てて流れ落ちている。笹原には鹿の走った跡だろうか、いくつのも筋が付いている。しばらくそこに立ち止まってこの光景を眺めた。

 道は小さな沢を渡り、この沢に沿って登る事になる。かなり急な道なのだが、あまり疲れを覚えない歩き易い道である。針葉樹が多くなった頃から再び道が平坦になり、前方に人工の構造物が見えた。

 着いてみると、それは丸太で作った展望台だった。おそらく天候が良ければ、素晴らしい展望があるのだろう。しかし今日は雨が降らないものの、曇り空である。展望台には登らずに先に進んだ。すぐに無数の石が積んである場所に着いた。中央には赤い着物を着た小さなお地蔵様が立っている。ここには説明板があり、ここが賽の河原だとある。そして説明文も書いてあり、読んでしまってから、これは読まなければ良かったと後悔した。(なんと書いてあったか興味のある人は、現地に行って是非読んでみて下さい)

 ここからの道は緩やかな登りの道が延々と続き、小さなコブを2回ほど越えると小丸山に到着した。小丸山からは目指す前袈裟丸山が、流れる雲の隙間から大きく見る事が出来た。この小丸山の山頂では気になる事があった。それはなにか動物園に行った時に感じる、特有の匂いが感じられた事だ。それだけこの山には、動物が多いと言う事なのだろうか。

 小丸山からは急な道を潅木につかまって降りる。そして降りきったところに再び人工の建築物が現れた。それは黄色いペンキの色が鮮やかな、カマボコ型の避難小屋だった。近づいてみると金属製の頑丈なもので、ドアを開けて内部を見ると中はきれいで、ゴミなどは無かった。(須崎さんはメタルテントと表現したが、まさにその通りだ)しかしペンキの匂いがきつく、一晩泊まったら頭が痛くなりそうだった。小屋の近くにはトイレも準備されていた。

 道は再び登りとなり、小さなピークをトラバースする形で横切り再び下る事になる。ここの道はこのコースの中で、ひときわ美しい道だった。笹原の中にシラカバの林が広がっている明るい道だ。気分的にも気持ち良く歩くスピードも上がった。

 いよいよ前袈裟丸山への最後の登りとなった。かなり急で、雨に濡れた木の根が滑り易く慎重に登った。上部に行くにしたがってガスが多くなり、視界があまり効かなくなった。途中で降りて来るパーティーとすれ違った。彼らは賽の河原の近くにある、避難小屋に泊まったそうだ。

 道が緩やかになって、歩き易くなった途端に、ひょっこり前袈裟丸山山頂に着いてしまった。なにかあっけない登りだったので、ちょっと拍子抜けしてしまった。山頂は一等三角点があり、まわりの潅木は切り払われていた。その潅木の一本に、アルミの板に赤い文字で袈裟丸山と書いたプレートが、そのまま付けられて倒れていた。気になったのだが、そのままにして忘れてしまった。帰ってから「YAMA1137」のファイルを見たらそのプレートを付けた人が解った。誠にすまない事をしたと思った。今度登る人がいたらぜひ然るべき所に付けてもらいたい。

 そして山頂にはなんと同業者がいた。6mのダイポールを設営して、盛んにQSOを楽しんでいる。暫く休みながら、様子を伺っていると、どうも「山ラン」メンバーらしい。QSOも途切れたので「山ランメンバーですか?」と声を掛けた。するとびっくりした様子で振り向いてうなずいた。それと同時に彼のリグからUGCの声が聞こえてきた。なんと言う偶然だろうか、これだから世の中は面白い。ここにいたのはCHOだった。さっそくCHOにお願いして、UGCにQSPを頼んだ。

 そのおかげで、鈴木さんと1200Mhzでコンタクトする事ができた。そこでは鈴木さんを困らせるような質問をしてしまい、申し訳ないことをしてしまった。

 それは袈裟丸山と言うのは、前袈裟丸山(1878m)後袈裟丸山(1903m)奥袈裟丸山(1958m)いずれを指しているのかと言う事だ。地形図から言えば前袈裟丸山が一般的に袈裟丸山らしい、たしかにここには一等三角点もある。しかし標高の高い所が本峰と考えるのが常識と言うものでは無いだろうか。さらに権威ある「ヤマラン山岳一覧表」によれば袈裟丸山(1961m)とある。ますます解らない事になってしまった。いずれにせよ鈴木さんには前袈裟丸山でQSLの発行をお願いした。このやりとりには大橋さんも気になっていたらしく、QSOが終わるまで一緒に考えていた。その後大橋さんは帰りに二子山に寄ると言って、下山をして行った。

 大橋さんと別れた後、すれ違いに登山口で会った初老の男性が山頂に着いた。軽く会釈をして、私はせっかく来たのだからと後袈裟丸山を目指した。道はシャクナゲが多くあまり歩き易いとは言えない。下りきった所が「八反張」と呼ばれるところで、左右が大きく崩れて緊張する。きっと雪でもあったら通過するのは大変だろうと思う。ここから再び登り返すとあっけなく後袈裟丸山の山頂に着いた。山頂は潅木に覆われて展望はまったく無い。これでは前袈裟丸山より高いのに、ちょっと不満がある。

 早速、無線機を取り出しUGCを呼んでみるとすぐに応答があり、再びラグチューを楽しませてもらった。

 無線運用の区切りがついた所で、再びあの初老の男性がやってきた。ここで食事をしながら取り留めの無い話しをしながら過ごした。結局この男性とは、下山で登山口に戻るまで同行する事になった。こちらも賽の河原を一人で通過するのは抵抗があったので、願ったりかなったりだった。

「記録」

登山口(折場)07:38--(.42)--08:20賽の河原08:24--(.39)--09:03小丸山09:09--(.07)--09:16避難小屋--(.45)--10:01前袈裟丸山10:52--(.23)--11:15後袈裟丸山12:21--(.22)--12:43前袈裟丸山13:19--(.39)--13:58小丸山14:08--(1.10)--15:28折場



                       群馬山岳移動通信/1994/