湯ノ丸高原の山をさまよう
登山日1995年11月3日
鹿沢温泉周辺の山は湯ノ丸山が中心で、ほかの山はあまり目立たない。まして近くには高峰高原があり、そちらの方が魅力的であるから余計にそうなってしまうのかも知れない。そんな中、今回は角間山・鍋蓋山・棧敷山・村上山に狙いをつけて出発した。
11月3日(祝)
**角間山・鍋蓋山**
冷たい季節風が吹く旧鹿沢の道路沿いの駐車場に車を止めて歩き出す。駐車場から道路を横断すると鹿沢スキー場の石碑があり、その横には大きな周辺の案内図の看板があった。しかしこの案内図は良く眺めてもさっぱりわからない。スキー場に入る車道のような荒れた幅の広い道があり、そこには「角間峠」の標識があった。今日は地図は昭文社のエアリアマップを持っているのだが、これもどうも要領を得ない。ともかく標識を信じてスキー場の中に入った。この鹿沢スキー場は営業していないような感じを受ける。リフトは設置してあるのだが、建物は荒れ放題でお化け屋敷の様だった。
スキー場の左端の林の中に道が続いており、高度を上げていく。するとなにやら鉄条網の柵が現れ、その一角には人が一人やっと通過出きる程度の通路が確保されていた。これは湯ノ丸高原の牛の放牧地に入ったものと思われる。緩やかな林の中の道を登ると大きな建物が現れた。これが湯ノ丸ロッジで、下からは車道が延びて来ていた。この湯ノ丸ロッジは営業可能な状況であるので、下の鹿沢スキー場の営業をこちらに移したのかも知れない。
しかしここで困った、はたして何処を登ったら良いものか ?ロッジの前の広場の周辺を歩いてみたがさっぱりわからない。標識がなく、あるのはスキーリフトの案内のみだ。「猿飛佐助修行の地」などと、訳のわからぬ大きな標柱があり、そして「無料休憩所」と書かれた標識が下から登ってきた車道の延長線上を指している。さらに標識はないが、幅の広い道が更にもう一本上部に向かっていた。ともかく上部に行けば何とかなると判断して上に登る道に入った。しかしどうも登山道らしくない、なにかスキー場の増設工事の途中の様でもある。斜面をザクザクと霜柱の道を音を立てて登ると、再びスキー場のゲレンデに出てしまった。標識はいっさい無いので、はたして何処に行ったら良いのかわからない。しかたなくゲレンデを下って見る事にした。標高差50メートルほど下ると、なんと木の板が所々敷かれた立派な登山道が現れた。汗を流して無駄な登りをしたのだろうかと、がっかりしてしまった。
この登山道には標識がいたるところに設置されているのだが、木の板で出来ており老朽化が激しくその文字を読む事は出来なかった。かなり長い間、整備がされていないのだろう、登山道は深く溝が出来てしまってとても歩けない。したがって、その溝の縁を歩くのだから、いずれは溝はさらに広がるに違いない。
目の前に東屋が現れた。まわりには針金で囲いが出来ており、牛の侵入を防いでいた。かなり古い東屋なのだが、そこに新しいポストが置いてあった。「嬬恋かるためぐり」と書いてあり、中にはスタンプが置いてあった。一種のウォークラリーの為のものなのだろう。この東屋からすぐ右に鉄条網のフェンスから出られる場所があった。そしてその先には明瞭な道が続いている。標識は無いがこれが正式なルートなのだろうと、この道を行く事にした。しかし、笹原の道を100メートルほど登った所で、道は下りはじめた。どうも不安があるので、再び戻ってフェンスの中に入った。
踏み跡はこのフェンスに沿って上部に続いているように見える。そしてその先には角間峠と思われるコルが見えていた。どうにかなるだろうと、このフェンスに沿って続く踏み跡を辿る事にした。踏み跡と言っても辛うじて解る程度で、道とは言いがたい。はたして角間山は一般的な山なので、たいした事はないと思っていたので、この苦難の道は意外だった。
やがて稜線のコルが近づき、なんとかその場所に到着した。ここが角間峠でかなり広々としていた。あまりの疲れでここで思わず座り込んで休んでしまった。標識はここも老朽化しており、大きな案内板はすっかり分解してしまい、休憩の為のベンチとなっていた。それでも角間山への道は指導標があり、立派な登山道が上部に延びていた。
今までの道から見れば格段に素晴らしい道は笹原の中の道で、角間山の斜面をトラバース気味にゆっくり登っていく。見る間に先ほどまで休んでいた角間峠が小さくなって行く。そしてなんとその峠に立派な道が下から続いて来ているのが解った。これはどうやら完全に登り口を間違えていたようである。
湯ノ丸山の女性的な、なだらかな山容が朝日の中で後方で終始見えている。そして麓ではカラマツの林の紅葉が一般的な表現だが絨毯の様に広がっていた。いままで素晴らしい紅葉に出会った事の無い私が見たかったのは、こんな紅葉だったのかもしれないと思った。道は一旦平らな場所に出てから、シラビソの林の中に入った。そして積雪でもなければ全く必要がないと思われる鎖場を登ると、大きな岩が乱立する所に出た。ここが角間山の山頂の一角で三角点はその先にあった。
山頂標識はなく、いままで常に後方に見えていた湯ノ丸山と三角点を入れて記念撮影をした。山頂からの展望は素晴らしく、360度遮るものが無い。浅間山と高峰高原の山はすぐそばにあり、振り返れば妙高山、北アルプスの山が新雪に輝き、手前には四阿山、志賀高原の山が迫っていた。無線の方は以前QSLの交換をした局と、再び交信する事が出来たのでQSLは間違いない。無理をする事もないのでその一局だけで打ち切った。
さて、これから角間山の稜線伝いにある鍋蓋山に向かう事にする。標高は角間山より150メートル低いのだがそれよりもかなり低く感じた。問題はエアリアマップにはこのルートは破線で書かれており、「踏跡」と記載されている。ところがいざ歩き出すと、その心配は吹き飛んでしまった。道はしっかりしているし、鎖まで設置してあるではないか。この地図は1995年版なので新しいはずである。しかしこの現状を見ると、毎年現地調査はおそらく行っていないのではないかと思われるふしがある。
気持ちの良い笹原の道を下ると、東屋があっり、近くには遭難碑もあった。さらになんの為なのかドラム缶が5本乱雑に放置されている。あまり気持ちが良くないので、立ち止まることもなく先に進んだ。道の右側は笹原、左側はカヤトの斜面で何となく長閑な感じを受ける。やがて雑木林の中に入ると、立派な標識のある鞍部に到着した。なぜここにだけこんな立派な標識があるのか理解に苦しむところだ。左に降りる道は刈り払いがされており、標識には「主要地方道東部嬬恋線」とあるが、いったい何処と接続されるのか見当もつかない。
ここからは再び緩やかな登りとなり、10分ほどで鍋蓋山山頂に到着だ。展望は東方面にひらけて特に眼下の田代湖の姿が印象的だ。また今日の目標のひとつである村上山も目の前に立っていた。山頂標識はG氏のものが立木につけられており、裏面には「YAMA ROOM」そして赤いペンキでKQAの文字と日付が入っていた。後で「YAMAファイル」を検索すると確かに猫吉さんが登っており、落書きを施した事が書いてあった。さらに猫吉さんが登ったところは、私が登った所など較べものにならないほどの悪条件の場所である事が解った。これは帰りにいやと言うほど思い知らされる事になった。
山頂では6メーターの設置をしてQSOを試みた。しかし何度声を出しても空振りである。しかたなく430Mhzに切り替えてCQを出すと、いきなりYL局から応答を受けた。そして立て続けに数局とQSOする事が出来た。思わぬ6メーターでの失敗で時間を無駄に過ごしてしまい50分間近くも滞在してしまった。さて山頂を後にして戻る事にする。しかし、再び角間山に戻る事は時間のロスだ。エアリアマップを見ると、先ほど通過した東屋のあたりから下山する道があるではないか。しかし、このルートは一般的では無いらしく、暗い色で破線が記入されているだけだ。時間の節約の意味からはたいへん魅力的な道なので、ともかく行ってから考える事にした。
東屋のそばの遭難碑のところから、何となく踏み跡らしきものがうかがえる。良くみるとこの踏み跡らしきものは、笹原の斜面にシルエットのようになっている。今日は天気もいいし、何とかなるだろうと思い、この道に踏み込んだ。笹原の中の道は思った通りハッキリしない、こうなれば自分の五感に頼るだけだ。標高が低くなると背丈の高い草が多く手で払いのけながら進む様になった。これは更に標高が低くなったカラマツの林の中に入っても変わらなかった。道を失っては、再び道らしき所に戻ると言う事を繰り返しながら高度を下げて行った。すると突然一畳ほどの場所が草も生えておらず、そこにはケルンが積まれていた。道はどうやら間違いなさそうだが、この先はどう進んだら良いものか、ここからその踏み跡は消えていた。しかたなくいままで降りてきた道の延長線上にめぼしをつけて進む事にした。すると幸いにも道らしきものが再び現れた。ちょっと安心したが、草のほかに今度はトゲを持ったタラの木が多くなってきた。春先なら良いが今の時期では少しも有り難くない。
やがて道は大きく斜面をトラバースして小さな枯れた沢を渡った。ここからは沢の右岸を歩く感じとなった。そして100メートルほどでひょっこりと登山道に合流した。ここには標識らしきものがあったが、それは錆で全く文字が読み取れる状況ではなかった。さらにこの道を登った所には、四角で斜め半分がオレンジ色で塗られ、半分が白地で「K」の文字が書かれた標識が立っていた。たった20分間の下りだったのに、とても長い時間歩いた様な感じがした。「YAMAファイル」を見ると、猫吉さんはこの廃道を登ったと書いてあった。下りだけでもこれだけ苦しんだのに、これを登るとはとても人間技ではないと思った。
この登山道を下ると数分で「東京理科大学鹿沢山荘」の立派な建物に到着した。正式な登山道はここから登るのだと、ここで初めて解った。ここからさらに数分で車を止めた駐車場にたどり着いた。時間はまだ正午前、次は「棧敷山」だ。
**棧敷山**
鹿沢スキー場の駐車場から地蔵峠方面に500メートルほど車道を登ると九十番観音があり、左に舗装された棧敷山林道がある。さらに50メートルほど行くと、これまた舗装された駐車場が左側にある。ここに駐車して昼食を食べる事にする。今日は快晴であるにもかかわらず、この駐車場は私の車が一台だけだ。このカラマツの紅葉の素晴らしい時期に、こんな静かな山歩きが出きるなんて何という幸せなのだろうか。
駐車場の外れから棧敷山の登山口は始まっていた。「棧敷山まで1750メートル」と訳の解らぬ標識がある。この距離は標高差ではないとしても、水平距離なのだろうか、それとも道のりの距離なのか解らない。だからいつもこの数字は無視をする事に決めている。登り口から暫くは伐採が進んだ林の中を歩く。しかしどんな意味があるのか解らぬが、シラカバだけが伐採されずに残されている。景観の問題なのか、あるいはシロアリが棲みつきやすいシラカバは持ち帰る事を躊躇ったのかもしれない。
この登山道はたいへん分かりやすい、それに歩き易くルートが設定してあると思った。それは急な斜面はそれなりにジグザグに登るようになっているからだ。道の所々には大型の獣の糞が何カ所か落ちていた。はたしてそれがどんな獣なのかは全く解らぬが、ともかくこの山は実り豊かな山なのだろう事が想像出きる。秋の陽射しは今ピークを迎えているのかもしれない。道の前方の空気の一部が陽炎で揺らいでいる。
道は笹原の広い平地に出た。ここで道は分岐していて「←棧敷山・展望台→」となっていたので展望台とある方向にすこし進んで見たがどうも下降するようなのですぐに引き返した。しかし、棧敷山は山頂部分が二つあり、低い方に三角点があるのだ。それが展望台の方かと思ったのだが、笹原の中でもあり全く解らないので三角点はあっさり諦めた。
笹原の分岐から再びシラビソの樹林の中に入り、ひとしきり登るとVHFのTVアンテナが東京の方角を向いて設置してあった。そこから数メートル先が待望の棧敷山山頂だった。山頂は石祠があり、ここにも小さな遭難碑があった。G氏の山頂標識はここにも設置してあった。(あとで猫吉さんのファイルを見たら、この標識に書いてある標高は間違っていると書いてあったが、この時点では私は全く気付かなかった)展望は北方面に開けていて、これから行こうと思う村上山が手前に、その奥に志賀の山々が望める。
無線は6メーターで山ランメンバーのHBH/堤さんが日光鳴虫山から出ており、QSLは確保出来たので早々にQRTした。それは寒くてどうにもならなくなった事もあったからだ。そんな事もあり荷物をまとめて駆け足で下山した。
**村上山**
今度は車道を下って鹿沢国民休暇村の本館を目指す。本館は今や増改築の真っ最中で、クレーン車やら作業車がひっきりなしに動いている。とんでもない騒音の中で作業員が機材を盛んに移動していた。駐車場もほとんどそんな車で占拠されており、その隅に駐車をした。国民休暇村の入り口には村上山の標識があり、駐車場から行けるように書いてあったので、駐車場を歩いてみたがそれらしきものは無い。駐車場の隅に「薬草園」の標識があるだけだ。
しかたない適当に行くしかない。駐車場から南の方に、何本も積み上げられた足場パイプを乗り越えて先に進んだ。道は車道のようなものが延びていたが、数メートル先で左の山に登る広い道があった。そこの木の枝には青い色の荷造り紐が結びつけられていた。標識は無いがどうにかなりそうなので、その道に入る。しかし、10メートルほどで道は背の高い笹に阻まれて、とても歩く事は出来ない。ところがなんとその横に山に登っていく笹が刈り払われた道がある。刈り払いがされていた理由は、この道に足を踏みいれて初めて納得した。それはTVアンテナのケーブルが頭上を通っているのだ。柱は足場パイプを立ててステ−まで張ってある。また所々にはメンテナンス用のアルミの梯子が放置されていた。これは国民休暇村の為に設置されているものに違いない。それもまだ設置されて間もないと思われた。何となくこのケーブルの先のアンテナは村上山まで伸びているような気がする。そこでこの道に賭けてみる事にした。
アンテナのケーブルは、おそらく最短距離で設置してあるのだろう。どんな急斜面であろうと、いっさいの妥協無しで直線で結んでいる。それを忠実に辿って行くのだからすぐに疲れてくる。何度も息を継ぎながら急斜面で立ち止まっては休んだ。
そして稜線に着くと待望のTVのアンテナが見えた。はたしてそこは何処なのだろうか ?期待と不安が頭の中に浮かんだ。TVアンテナのポールを掴んで通り過ぎると、なんとそこには立派な登山道があるではないか。おまけに10メートルほど先には東屋まであるではないか。あまりの疲れに東屋の中でザックを投げ出して4分ほど休んでしまった。東屋の所には標識があり「←湿原・村上山→」とあった。とりあえず山頂を踏まなければ、今までの苦労は無駄になってしまうので村上山を目指した。
東屋から雑木林の中をわずかな時間で村上山山頂に到着した。山頂には立派な標柱があり山名が書いてあった。G氏の山頂標識もあったが、目立たぬ所にあったので記念撮影には向かない場所だった。展望は北東方面に開けているので上州武尊山あたりの山が夕日に照らされて浮かんでいた。日没も近く寒さが増してきたようで、寒暖計を見ると3℃となっていた。設置されていたベンチに座り、大急ぎで簡単に430MhzでCQを出して二局とQSOを済ませて山頂をあとにした。
下山は同じ道(道ではなかった?)を戻るのも情けないので、この第1級の登山道を辿ってみる事にした。するとこの道のなんと素晴らしいことか、標識もしっかりとしていた。五合目などという標識もあるではないか。植林されたカラマツの林の中は全ての色が秋の色に染まっていた。そんな中を気持ち良く快調に下る事が出来た。
やがて道はバンガローのある広い道に出た。そこには大きな文字で「村上山→」と立派な標識があった。さらにその地点から右に折れて広い道を下ると工事中の鹿沢国民休暇村に出た。良くみれば歩き始めた所で青い荷造り紐のある左の道に入らずに、そのまま直進すれば全く問題無かったのだ。おそらく工事のためにこのあたりにあった標識は取り外されてしまったのだろう。全く登山者にとっては迷惑な話である。
今回の山歩きはまともなコースを歩かなかったほうが多かったようだ。これも全て天候が良かった事が幸いした。これが天候が急変したらと思うと身体が震えるような恐怖感を覚えた。
**記録**
「角間山・鍋蓋山」
07:26鹿沢スキー場登山口--(.32)--07:58引き返す--(.03)--08:01登山道に戻る--(.12)--08:13東屋--(.14)--08:27角間峠08:34--(.23)--08:57角間山山頂09:19--(.10)--09:29東屋--(.16)--09:45鍋蓋山山頂10:37--(.16)--10:53東屋から下山--(.14)--11:07ケルン--(.05)--11:12登山道に出る--(.06)--11:18駐車場
「棧敷山」
駐車場登山口11:42--(.37)--12:19展望台分岐--(.06)--12:25棧敷山山頂13:06--(.19)--13:25駐車場
「村上山」
鹿沢国民休暇村13:47--(.50)--14:32湿原分岐14:36--(.06)--14:42村上山山頂15:06--(.25)--15:31鹿沢国民休暇村
群馬山岳移動通信/1995/