息子と初の移動運用「地蔵岳(赤城)」
登山日1995年7月2日
7月2日(日)
梅雨の季節の天候は良く解らない。前日の予報を見ると、降水確率は軒並み70%以上なので前から予定していた山行は中止とした。ところがいざ翌日の朝起きてみると雨が降る気配はない。(某放送局の予報は見事にはずれていた)しかし今更かねてより予定の山に行くには時間が遅すぎる。そこで子供を連れて近くの山に出かける事にした。考えてみれば息子は無線局の免許が6月8日に来たのだが、いまだに山での無線の移動運用をしていないのである。その練習も兼ねて目的地は赤城山(地蔵岳)と決めた。
赤城有料道路は無料化されてから通行するのはこれが初めてだ。しかし通行量はさほど多いとは思われない。(BQA/宮田さんのファイルにもあるようにローリング族のタイヤのスリップ痕がいたるところにあるのが怖い)観光バスの後ろ4台目についたものだから、ノロノロと黒煙をかぶりながら低速で登って行くので、車はかなりの負担を負っているようだ。
小沼(この)の駐車場に車を停車しようとしたら、車の計器盤に見慣れない警報ランプが点灯した。見ると「CHECK ENGINE」とある。慌てて車の説明書を取り出して読んでみると「走行中に点灯したら直ちに整備工場にて点検をして下さい」と書いてある。これは困った事になったと思ったが、駐車場に入りアイドリングをしていたら、そのランプは消えた。ひとまず安心だが、それでも不安は残った。とりあえずあと2日で、今使っているこの「レ○シー・ツーリングワゴン」は下取り車として手元を離れる運命にあるのだ。何とかそれまでは無事で走って欲しいところだ。
駐車場で昼食をとり、出発の準備をした。その間にも観光客がひっきりなしにやってくるが「大沼」に較べたら静かなものである。
駐車場からガスの切れ間に見えている地蔵岳に向かって歩き出す。地蔵岳のピークは各種のアンテナが山頂に林立しているので、遠くから見てもすぐにそれと分かる。車道を少し歩き、八丁峠から北に少し入ってから山道を登り出す。山道と言っても良く整備されているので観光散歩道の雰囲気である。要所には石の階段、木製の立派な階段が続いており迷う事さえ難しそうである。快適に道を登るとぐんぐん高度が上がり、山頂のアンテナ群が近づき、眼下に小沼の全体像が小さくなってくる。子供は手ぶらなので走るようにして、山頂に駆け上がっていく。
あっけなく地蔵岳山頂に到着した。山頂には誰もいないので静かなものである。南の斜面はレンゲツツジが咲き乱れ、それが小沼に延びていた。植物は今年は花が遅れているようだ。それでもハクサンフウロが可憐な花を覗かせていた。ニッコウキスゲはまだツボミが堅いようだ。山頂の三角点はコンクリートで下部を固められて、しっかりと固定されていた。こんなにしっかりと固定された三角点は珍しいのではないかと思う。近くに展望台があり、そこに登る事にする。有料の望遠鏡が設置されていていかにも観光地である。
さて息子とお互いに無線機を取り出して、初の移動運用である。もちろんRS59で、QSLはダイレクトで交換と言う事になる。ひとまず交信を終了すると、なんとも無粋なベルの音がする。見ると運休していると思われたロープウェイが運転を始めたのである。思わず子供と顔を見合わせてしまった。
ロープウェイが下から登って来ると、そこにはオバサンの集団が積み込まれていた。これは参った事になった。案の定、静かな山頂は一瞬にして賑やかになってしまった。とりあえずここを逃げ出して「NHK]「建設省レーダー」「TBS]と各アンテナ群を見物しながら山頂をあとにした。
「記録」
八丁峠12:32--(.23)--12:55地蔵岳山頂13:34--(.16)--13:50八丁峠
群馬山岳移動通信/1995/