常識を外れた超人がいた「稲含山」
登山日1993年7月11日
7月11日
今日は子供が風邪気味なので一人で出かけることにした。一人となれば愛用のスクーターの出番となる。
今回は軽登山靴を新調したこともあり、その履き心地を見ることも兼ねている。最近はスニーカーまたはゴム長靴で登る事が多く、革製の登山靴はメンテナンスの煩わしさのために敬遠していた。ところが最近山に行くと軽登山靴の人を見かけることが多い。そこで話を聞いてみると性能も良いとのことで早速購入したのである。アゾロ(ASOLO)と言うメーカーのもので、布の部分はゴアテックスと同じ素材を使用しており蒸れないとのことだ。何より気に入ったのはメンテナンスである。使用後は水洗いして乾かし、防水スプレーをかけておけば良いと言うことで、面倒臭がりの私には一番である。
下仁田町から下仁田温泉に向かい高倉林道を進む。道はかなり狭い。乗用車ならば対向車とのすれ違いはかなり緊張するものと思われる。高倉の集落を過ぎると道は未舗装となる。更に進むと茂垣の牧場が現れる。この先を暫く行くと「稲含神社」の方向を示す標識があるので林道の支線をその方向に進む。この林道での標識は「稲含山」でなく「稲含神社」で統一されていた。道の終点は広い駐車場となっており。車が一台止まっていて車内では夫婦連れが登山の準備をしていた。
駐車場から登山道は沢に沿って真っ直ぐ前に進むことになる。雨に濡れた雑草が道を覆っていて、あまり感じが良くない。10分程歩くと道は左に折れて沢の右岸に渡る。ここは下草が伸びているので道がわかり難く、沢を渡る地点が見つからなかった。ここからは道は迷うことはなかった。しかし濡れた下草が相変わらずうるさく、おまけに蜘蛛の巣があり気分が良くない。
突然、そんな道を老婦人が降りてきた。思わずドキッとした。雨具も着ないで、帽子もかぶらずに下山してくるのだ。白髪の混じった髪は雨に濡れて顔に掛かっているのでちょっと怖いが、とりあえずあいさつを交わした。聞くところによると上州富岡から歩いて山頂まで登り、これから下仁田駅まで下ると言う。なんということだろうか。その老婦人は「蜘蛛の巣は払って置きましたよ」と言い残してすぐに雨の中に消えていった。
下仁田からの道と合流する。標識には下仁田からと書いてあるのだが、下仁田のどこからくる道なのか解らない。ここから道は下草も少なく、木の枝もうるさいほどでなくなり、歩き易くなった。
神の池園地からの道と合流するとすぐに大きな赤い鳥居が現れる。ここからは雨も上がり、雨具を脱いでの登りとなった。やがて登山道もフェンスの設置してある道となった。鎖場が始まる場所には子供を抱いた母子の石の像が設置してある。
過去に下仁田の子供が学校の行事で登山をしていた。(3月のお別れ記念登山と記憶しているが定かでない)この場所は雪が遅くまで残る場所で、当時は滑り易い状況だった。その集団登山の最中に子供が谷底に滑落して、死亡した事故があった。この石像はそれに関連して設置したものだと聞いている。ここの道はたいへん良く整備されており、事故を繰り返さないと言う関係者の意気込みが感じられる。母子像に手を合わせてから鎖場を登った。
稲含神社は、立派な建物で良く整備されていた。参拝記念にノートがあったのでコールサインを記入しておいた。ここから3分ほど登ると、稲含山山頂(標高1370メートル)に着くことが出来た。山頂はかなり広く立派な山頂標識が立っており、なんと寒暖計も設置してある。それを見ると気温は摂氏24度である。確か20年ほど前に来たときは、山頂は薮で覆われていたような記憶があるのだが、今では木も伐採されていた。展望は御荷鉾山塊の赤久縄山の姿がひときわ立派に見える。
暫くすると駐車場で出発の準備をしていた登山者が登って来た。聞くところによると前橋から来たと言う。夫婦で登山を楽しんでいるとのことであり。結局この人たちとは話が盛り上がって1時間程山頂で話し込んでしまった。その間に無線機を取り出して3局程QSOを楽しんだ。「愛甲郡・経ヶ岳」「笠間市・吾国山」「北群馬郡・小野子山」の移動局であった。
山頂に再び雨が降り始めると同時に、子供を背負って更に小学生くらいの女の子を連れた男の人がやってきた。そして「あれは西御荷鉾山ですか?」と尋ねてくるので、「そうですよ」と答えた。すると「○○ちゃん、あれがこの前登った山だぞ、さて雨が降って来たから下りるぞ、駆け足でいくぞ」そう言って、山頂に1分も居ないで下りて行ってしまった。あっけにとられてしまった。
更に5分程経過して私も出発する事にした。
登って来たときに手を合わせた母子像の所で、初老の夫婦連れの登山者にあった。なんと手ぶらで女性はスカートである。「山頂はあとどれくらいですか?」と聞くので、「あと5分くらいです」と答えた。あとで考えたらあの格好ではもう少しかかるかなと思った。しかし山にあの格好で来るとは凄いと思った。
ところで、5分ほど前に山頂を出発した子供連れの人はいっこうに姿が見えない。私は体重の関係で下りに掛けてはかなり早いつもりでいる。それでもやっとのことで追いついた時はかなり登山口に近くなってからであった。男の人の背中にいる子供は時折泣き出している。無理もない所々キイチゴのある薮を走っているのだから。トゲが顔や手足に引かかって痛いのだろう。私も腕に傷を作ってしまったのだから。男の人は立ち止まって先を行く子供を止めて私に道を譲った。私は若干のプレッシャーを背に受けて小走りに掛け下りた。駐車場に着いたのは山頂から20分経過した時であった。
不思議に思ったのは私のスクーター以外に車がない。アレッと思っていると、汗を拭いている私の前を、子供と男の人は小走りに下仁田方向に走って行った。
私はただ彼らの後ろ姿をあっけにとられて見送るばかりだった。
「記録」
登山口10:45--(.45)--11:30鳥居--(.25)--11:55稲含神社11:57--(.03)--12:00山頂13:45--(.20)--14:05登山口
群馬山岳移動通信/1993/