家ノ串は奥利根湖の西に位置する山だ。家ノ串と言う山名の山は上州武尊山にもあるが、山名の由来はその形からきていると言うことだ。さてその奥利根の家ノ串の先には幻の岩壁を持つ刃物ヶ崎山がある。その刃物ヶ崎山に登ることは出来ないだろうが、少しでも近づいてその姿を見たいと思った。 5月12日(土) 朝、早く家を出て須田貝ダムまでやってくると、ゲートの前で車が待っている。どうやらこの矢木沢ダムに通じる管理道路は時間制限があるらしい。朝6時から夕方6時半までゲートが開いているが、夜間は閉じているといるということだ。時刻はまだ5時なので、まだ一時間ほど余裕がある。これならば早起きしてくることは無かったとガッカリした。 ゲートの開門は6時10分前に開けられた。5月21日の開通のときに比べると車の数は明らかに少ない。それでも、列を成して矢木沢ダムに向かって一列に昇っていく。開通のときからまだ3週間ほどだが、雪はすっかり消えてしまっている。この分だと当てにしていた残雪は期待できそうにない。ダムサイトの駐車場に車を止めると、この前登った日崎山に白い残雪の部分は見られなかった。 支度をして見るが、アイゼンもピッケルも必要なさそうだった。しかし念のために持参することにした。また、もしものことを考えて、ツェルトはザックの奥にしまいこんだ。結構な重量となり45リットルザックは満杯になってしまった。駐車場からはコンクリートの擁壁に架けられた青いペンキで塗られた12段の鉄梯子を登ることになる。いきなりの試練なのでちょっと緊張する。梯子を登りきると今度はとんでもない急登を登ることになる。木につかまりながらやっとのことで登っていく。踏み跡なんてまったく感じられない斜面だ。それでも藪が薄いだけ幸せかもしれない。ところが、急登を登りあげた尾根の末端は藪に覆われていた。これからの道が困難であることを予感させていた。 藪をかき分けてなんとか進むと、無粋なコンクリートのサイコロのような形の建物に突き当たった。上部には数本のTVアンテナが立てられていた。建物の扉は壊れており、中を覗いてみるとこの施設を示す標柱が2本転がっていた。さて、この建物から先の藪を見て愕然とした。まさに人跡未踏に近く、獣道もなさそうだ。迷っていても仕方ない、思い切ってこの藪に飛び込んだ。なかなか手ごわいぞ!!雪に鍛えられた枝は強靭でおまけに密生している。身体を何とか入り込ませて登るしかない。奥利根湖では、早くもボートの船外機の音が賑やかになってきていた。藪をかき分けていると、突然目の前に動く物体がある。スワ!熊かと思って見ると、なんと太った狸が寝そべっていた。狸は迷惑そうに立ち上がると、悠然と去っていった。あまりにも突然のことだったので、こちらがビックリしてなにもすることが出来なかった。 標高990m地点で一時的に藪から開放された。そこは露岩となっており僅かばかりの展望も得ることが出来た。すっかりと汗を含んでしまったカッターシャツを脱いで腰を下ろした。水を口に含んでアンパンを食べて休憩とした。 露岩からは再び藪漕ぎである。今度はアスナロの幼木の藪も出現してきた。つくづく残雪があればなあと感じた。それでも露岩から10分ほどで標高1009mのピークに立つことが出来た。このピークは展望も無く、アスナロの巨木が視界を遮っていた。足元にはところどころイワウチワの群落が見られたが、大群落というようなものではなかった。それでも、この1009mピークからの尾根道は比較的藪が薄かったかも知れない。しかし、尾根上に密生したアスナロの幼木と忌々しいシャクナゲは途切れることはなかった。 標高1113mのピークは印象が薄いピークだった。展望も無く通過点に過ぎない場所だった。このピークから若干下ってから再び登りあげることになるが、この場所は明るい雑木林といった場所だった。ブナの幼木の藪だから頭上が明るくなっていたことが大きい。幼木と書いたが、実際は厳しい気象条件で育ちがおそくなっているのかも知れない。それだけ強靭で粘り強い幹であるから、ちょっとやそっとでは私の巨体を通過させてはくれない。それにこの尾根は広く複雑で、標高1200m付近で大きく左に曲がることから迷うことが予想される。いままで赤、黄、緑の荷造り紐が要所には取り付けられていたが、無雪期のルートとはちょっと違う感じがする。そこで、巻紙を要所に取り付けておくことにした。ところが、この巻紙はタムシバの花と間違えやすいのでこの時期には合わなかったかもしれない。ともかく、この広い尾根は迷いやすく下山のときはかなりの注意が必要と考えられる。ブナの幼木の森は1200m付近でようやく残雪が現れた。しかし、それは少なく今にも消えそうなもので、斑点のよう散らばっていた。残雪の上に乗ると快適に歩くことが出来る。本当に今年の暖冬が恨めしい限りである。 地形図で標高1250mの等高線で囲まれたピークにたどり着くと、そこは思いがけない展望が待ち構えていた。上州武尊山を中心とした銀嶺の山々は、藪に閉ざされていた空間から開放されて本当に新鮮なものだった。このピークには大きな木があり、その傍らにザックを置いて休憩とした。まだまだ目指す家の串は遠くにあるようだ。時間はまだ8時半だからまだ時間はたっぷりとある。天気もまずまずなので気持ちがいい。 さて、標高1250mのピークからは笹薮のルートとなった下る途中で笹薮が切り剥がされた場所があった。そこには錆びたペール缶の残骸や、缶チュウハイの空缶が転がっていた。横田昭二氏の「群馬300山」には崩れた作業小屋があったとされるが、その残骸は見ることは出来なかった。笹薮はかなり深く、ケモノが通過した道もない。そういえば、ここに来るまでの間、ケモノの雰囲気は狸に会っただけで、他は見られなかった。それだけここは奥深いということなのだろうか。笹薮の中のルートはやはり尾根が広くなっているので、、天候がよければ問題ないが、ガスに巻かれたりするとかなり危険になるのと思われる。上部に行くにしたがって笹薮は雑木の藪が重なって、密度が濃くなってきた。それだけにかなりの労力が必要だ。つくづく雪が残っていればなんと言うことも無いんだろうなと思う。 標高1320mのピークは地形図で見ると、平坦なピークが独立してあるように見えるが、実際には尾根の一部のような場所だった。このピークの突端からは実際には石楠花の藪に覆われていて、そこにわざわざ立とうなどと考えないほうがいい。とりあえず、ここで一区切りとして休憩することにした。ふとズボンを見ると何かが動いている、よく見ると笹ダニが這い上がってきているのだ。慌ててそれをつまんで指の腹で押してみたが、潰れるどころか動いている。それではと、爪で押しつぶしてみるとここでやっと煎餅状態になって動きをやめた。暖冬ということは笹ダニの活動期間も延長させているのだろう、。こうなると、笹薮に再び入ることは勇気がいることになる。この標高1320mからは尾根上は大きなネズコの木が刺さった棘のようになっている。その棘の周りは石楠花の藪で覆われている状態なのだ。しかし、笹ダニがいる以上、尾根を外れて笹の中を歩く気にはなれない。仕方なく、笹ダニを避けて、強靭な石楠花で覆われた尾根を歩いていくことにした。 尾根のような1320mのピークを過ぎるところで、ルートは大きく右に曲がり、笹薮の鞍部に下る。何度も何度も笹ダニを確認して前に進むが、その笹ダニの心配から開放されることは無かった。鞍部から少し登り再びネズコと石楠花の尾根に乗った。ここからは北側にルートを取ると、わずかながら残雪が残っていた。時折、藪も現れるが、明らかにペースが上がる、しかし、スリップすれば滑落は免れない斧で、ピッケルをようやく使うことになった。 標高1400m付近で、その残雪が終わってしまった。なぜなら、ここからは恐ろしいような急斜面が山頂に向かって続いているのである。おそらく、雪はこの急斜面によって早い時期に滑り落ちているのだろう、それに変わって今では笹薮と幼木の混在した斜面に変わっている。この最後の登りは恐ろしいと感じた。この最後の登りの斜面は、広いスキー場のようになっており、斜面のちょっと窪んだ部分には残雪が残っていた。しかし、滑落を考えるととても踏み込む勇気は無かった。そこで仕方なく左端の藪を地道に登ることにした。 笹につかまりながら、重い身体をゆっくりと引き上げる感じだ。もしも残雪が残って入れば、下降時はかなりの苦難を要する感じがする。そうなると、残雪が無いほうがよかったかなとも思ってしまう。笹は胸あたりまでの高さなので、背を伸ばすと心地よい風景が周囲に広がった。振り返ると、奥利根湖の青がまぶしい。その奥には尾瀬の至仏山がゆったりと青空の中に浮かんでいた。先月登った反射板のある日崎山に雪は無くなっていた。それにしてもこの山を無雪期に登った記録はあるのだろうか。おそらくそんな物好きはあまりいないだろう。それに藪はすべて登る人を苦しめるように、逆になっている。 しかし、この三角点峰は家ノ串の山頂に間違いない。しかし、この先のピークが明らかに高いのでそちらに行かなくてはならない。今いるところは東峰、高いほうの峰は西峰と呼ばれるようだ。ともかく、西峰に向かうことにする。しかし、西峰への稜線は深い笹薮に覆われて近づくのを拒んでいるようだ。しかしながらここまできたのだからどうしても行かなくてはならない。稜線の左は断崖となっているから、ルートは当然右を歩くことになる。何度か断念をすることが頭に浮かんだが、ともかく先に進むことにした。 そしてついに西峰の一角に到達することが出来た。ここには主三角点の標柱があり、上部はコケに覆われていた。その先は残雪が豊富に残り展望は360度遮るものがないほどであった。憧れの刃物ヶ岳はその雄姿を見せている。あの岸壁を無雪期に登るのは不可能だろう。実は刃物ヶ崎山に少しでも取り付いてみようかと思っていたのだが、その期待はかなわぬものだとあきらめた。目の前に広がる上越国境の峰々眺めながら、幸福感を感じた。ともかくここで大休憩だ。ラーメンを作ってゆっくりと食べることが出来た。しかし、帰りのことを考えると持参したビールを呑むことは出来なかった。 ともかくこの家ノ串は無雪期に登るものでは無いとつくづく感じた。 群馬山岳移動通信/2007 06:17矢木沢ダム----6:29TVアンテナ----07:09露岩----07:17「1009mP」----07:53「1113mP」----08:39「1250mP」08:51----09:35「1320mP」----11:32家ノ串11:38----11:57西峰12:53----13:06家ノ串----14:32「1520mP」14:56----15:53露岩16:04----16:22矢木沢ダム
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