三国山から東に続く上武国境の山は、薮深く人跡未踏の雰囲気がある。薮が深いだけに、落葉が始まる季節がもっとも適していると思われる。この山域はエスケープルートも少なく、尾根を下っても岩場で行き止まりなんて事も考えられる。従って長丁場の行動が求められる。しかし、この時期は日中の行動時間が制限されるだけに、時間との戦いが待っている。 11月17日(土) 長野県川上村に向かうのに、カーナビの通りに走っていたら、なんと北相木村経由で案内されてしまった。馬坂峠を越えるのはちょっとゴメンなので、引き返すことになってしまった。これで貴重な時間を30分近く失ってしまった。なんとか川上村に入り、降霜で真っ白になっている畑の中を進んでいく。やがて畑も無くなり、カラマツの林の中の狭い道を行くことになる。すると、気になる標識が出てきた「台風通過中につき通行止め」。まあ、単なる標識だろうとそのまま通過した。しばらくはそのまま進んでいくと、なんと通行止めのパイロンがおいてある場所に出た。みればパイロンの先は、道が崩落して流されてしまっている。車から降りて確認に行くと、それはひどい状況であった。崩落を免れた部分は、車一台が何とか通過できる幅が残っている。確認すると、その部分は轍があり通過した車があることを示していた。しかし、その部分の土台は今にも崩れそうだ。それに、今は凍っているが、これが融ける昼過ぎは崩落が一気に進む可能性がある。帰りのことを考えると、とてもここを渡って前に進む度胸は無かった。しかし、ここから三国峠まではまだまだ遠い。予定していた滝谷山はこの時刻では断念せざるを得ない。あっさり諦めて、予定変更で天狗山にでも行こうかとも考えた。でも、ここまで来たからには行けるところまで行って帰ろう。引き返す時刻は日没を考えて11時とすることに決めた。
支度をして、三国峠までの車道を歩き出した。カラマツの植林地を縫うようにつけられた車道は、歩く分にはきわめて効率が悪い。そこで、適当なところで車道を離れて林中の斜面を登る事にした。しかし、その分きつい斜度の斜面を登るので体力的はかなり消耗してしまった。三国峠に着く頃には早くもバテ気味で汗をかいてしまった。結局、崩落場所から30分以上もかかってしまった。これで滝谷山は遠のいたと感じた。三国峠は風の通り道で武州から信州に向けて吹き抜けていた。熱くなった身体にはちょうど心地よい感じだ。いつもなら駐車する車が満杯となっているこの場所は、一台の車も停まっていなかった。 いよいよ登山の開始である。まるで避難小屋のように立派な「三国峠公衆便所」の脇を抜けて尾根に乗る。標識は「」三国山」「御巣鷹山」となっているが、ここから御巣鷹山に行く人なんているのだろうか。尾根に乗るとすぐに山頂部を雪で化粧した八ヶ岳が朝日に映えて見事だ。甲武信岳方面は朝日が昇り眩しく感じる。両神山方面は朝靄の関係だろうか淡いシルエットとなって見えていた。三国山までの道は快適でよく踏まれている。途中に岩場があるが、さしたる問題もなく通過することができた。 三国山山頂は南方面に展望があるが、北方面は雑木に覆われて展望は望めない。眼下には川上村の集落が畑の中に点在している。その向こうにはピラミダルな形の小川山が遠望できた。この三国山は上州、信州、武州の三県境である。山頂標識がある場所はその点から行くと、ちょっと違うような気がする。むしろその奥の高見がそれらしい気がする 。その高見は3本の稜線が一点に集まっているようにも見える。ここからいよいよ東に向かって国境稜線を歩いていく。 歩きはじめはもったいないくらいの下降だったが、それもすぐに終わりほぼ水平となった。驚くほどの立派な道形ができあがっており、上州と信州の国境とは全く様相が異なっていた。赤テープのたぐいも煩雑であり、岩には矢印さえも書かれている。さらに「緑の回廊」という立派な金属製の札もかかっていた。これは楽勝でこのまま進むことができるのではないかとさえ感じた。やがてシャクナゲの藪が現れたが、道形はそのままで歩くのにそれほど困難は伴わなかった。そのシャクナゲの藪をくぐり抜けると、とんでもない急傾斜の斜面となった。斜面というよりも崖といった方が適切かもしれない。苔に覆われた岩場を赤テープとペンキの矢印を頼りに下っていく。時折、ルートを失うことがあるが、立ち止まってルートを見定めてから慎重に下った。崖の基部に降りてホッと一息ついた。さらに進むと気持ちのよい岩峰の上にでた。歩き始めてから休憩をとっていなかったこともあり。ここでザックをおろして落ち着くことにした。上信国境の蟻ヶ峰、大蛇倉山を見ながら菓子パンをひとつ腹に押し込んだ。しかしなんと言ってもこのあたりで気になるのは日航機の墜落現場である。日航の頭と呼ばれるピークから追ってみると、あのあたりの尾根がそうかなあと思い、しばし思いにふける。この岩峰の下はおびただしい熊棚があることに気がついた。明らかにここは熊のテリトリーである。今日は、こんなことも予想して熊よけ鈴を持ってきている。これはJR越後湯沢駅内に出店している刃物店で購入したもので、高価だったが真鍮製で澄み切った良い音がする。いままで持っていた、ホームセンターのものとは明らかに違う音だ。それに藪を予想して、これも高価な腰鉈を持ってきた。ほとんどオーダーメードに近いもので、私の名前も手彫りで刻んである。おもったほど藪も少ないので、これは熊よけの護身用となったようだ。
岩峰から離れて進むと、再び岩場を伴った斜面の登りとなった。しかし、さほどの恐怖感は無く、立木に掴まって簡単に登ることができた。ここが1730mの標高点が記されているピークなのだろう。ここからは展望のない稜線をひたすら歩くことになる。シャクナゲの藪は少なくなり、馬酔木の藪と、笹藪が交互に現れるようになった。しかし、そんな藪であっても、道形はしっかりとしているので不安はなかった。しかし、ひとつの岩峰に突き当たると、そこを巻くのに考えることがある。そんなときは決まって踏み跡が怪しくなり、赤テープのたぐいも無くなるのである。まあ、この稜線歩きにおいては左右のどちらでも巻くのは可能で、そのときの勘に頼って歩くことになる。それにしてもこの稜線が全般に渡って下降気味なのが気がかりとなった。それはまるで階段のように急降下してから、なだらかな道をたどり、再び急降下を繰り返すと言うものだ。今日はピストンなので、帰りは当然登りとなるであろう下降路を憂鬱になりながら歩いた。 ふと、気がつくと道形が薄くなっていることに気がついた。しかし、踏み跡らしきものは残っている。しかし、あまりにも急傾斜でおかしいと感じた。落ち着いて、周囲を見渡すと国境稜線は今いるところとは別のところを走っているようだ。仕方なく、本来の稜線に近づくようにループを描くようにして急斜面を戻った。戻るとそこは石柱があり分岐する道を隠すように馬酔木の枝で覆われていた。よく見ればそこには今まで見られなかった青テープのたぐいが枝につけられていた。稜線に戻ったことで安心したが、ここからはさらにもったいないほどの急降下となった。その後は地形図に表現されないような小ピークを巻きながら越えて先に進んだ。明るい稜線を歩き、なだらかに登りあげるとそこがガク沢頭だった。 ガク沢頭には三等三角点があり、馬酔木の藪に囲まれて、展望はほとんど得られなかった。わずかに上信国境の大蛇倉山あたりが見えるだけだ。とても気が休まるような場所ではなかった。ただ、山頂標識のたぐいがないことが、秘境の趣があってうれしい。時刻はすでに10時半を回っている。往路は11時までと考えていたので、リミットが目前に迫っていた。めざす滝谷山は遙か遠くにあり、ここからは片道2時間はかかると考えられる。無理をして進んでも到着は12時過ぎで、帰りは5時間と考えると日没を過ぎてしまうことになる。この時期に単独行で無理をすることはできないと考えると、このあたりで引き返すことがベストと考えた。 復路は急斜面のリスクを考えると、昼食はどうしても安心できる三国山まで進んでからと考えた。そのため14時と遅い昼食となった。サッポロ一番みそラーメンと日本酒が実に旨かった。しかし、目標とした山には遙かに届かずこれだけは残念であった。 「記録」 崩落地点07:19--(.30)--07:49三国峠07:56--(.20)--08:16三国山08:18--(.25)--08:43岩峰08:55--(.25)--09:20迷う09:28--(1.11)--10:39ガク沢頭11:01--(2.48)--13:49三国山14:40--(.23)--15:03三国峠--(.29)--15:31崩落地点 群馬山岳移動通信/2007 |