地獄の笹薮「土鍋山・御飯岳」 登山日1996年10月5日
*地形図を見ると土鍋山には1999.4mの三角点が設置されています。しかし、三角点は山頂部分の南側の一段低いところに設置されています。山頂は北側の2000mの等高線に囲まれた所と判断します。従ってここでは土鍋山の標高は2000mとして記載します。
上信国境の万座温泉付近にある「土鍋山」「御飯岳」は薮山として知られている。地形図をみると、大した距離ではないので簡単に登れそうな気がする。しかし、今までの記録を見ると途中で敗退している人がいる事は紛れもない事実である。私の技術ではこれらの山を登るのは「夢」と思っていた。ところが今年の7月にQZW/滝沢さんとQSOしたときに「御飯岳」の情報をいただいた。それによると、決して登れない山ではなさそうだと言う感触を得られた。
10月5日(土)
残業疲れの眠い目をこすりながら、朝4時に起床して草津に向かう。志賀草津道路経由で万座温泉を通過して「小串鉱山跡」に向かう。車道は狭いが舗装されており快適だ。しかし、その道も「毛無峠」で通行止めとなった。毛無峠から先は荒涼たる風景の「小串鉱山跡」が広がっていた。こんな風景が世の中に有って良いものかと思った。そして、かつての黄色いダイヤ(硫黄)の採掘最盛期の姿を思うと、この現状は涙が出るような姿だった。
毛無峠からは目指す「土鍋山」「御飯岳」が間近に見えている。これならなんとか行けるのではないかと再び確信した。(しかしこの考えはあとで甘かったと後悔した)
**土鍋山へ**
毛無峠で標高を1823メートルに合わせてから、良く踏まれたわかりやすい道を土鍋山に向かう。まずは手前に見える「破風山」が目標となる。笹もはじめは大した事はなく歩き易い。ところが笹は露を含んでいるので、すぐにズボンはビショ濡れになってしまった。もうすでに遅いのだが雨具のズボンを穿いた。破風山までの登山路は良いハイキングコースで、背の低い笹の中を快適に登る道だ。振り返ると2000メートルの紅葉の大展望が広がっていた。天候もまずまず、穏やかな登山日和になりそうなので、気分的にも楽な気持ちになった。そして道はやがて分岐、まずは右の道に入り破風山に行く事にする。
分岐から破風山には数分で到着した。山頂からは大展望が広がっており、しばしその風景に見とれてしまった。遠くの高い峰は雲の上に浮かび、眼下の斜面は錦繍に染まっていた。いままで見た紅葉の中で、もっとも見事であると言っても過言ではないほどだ。山頂にはお馴染みGさんの標識があった。それに高山村が村制施行40年記念に打ち込んだ、木の杭があり目立っていた。それには、「日本列島分水嶺ハイキング」と壮大な文字が記されていた。しばし山頂で休憩してから、コンパスを土鍋山に方角を合わせて出発だ。
破風山山頂から分岐まで戻り、明瞭な道を先に進む。途中に立派な標識もあり、「五味池←→破風山」と書いてあった。土鍋山と書いてないのがちょっと不安だが、とにかく道はかつて良く整備されていた名残りのある道である。地形図を見ると尾根を辿って行けば分かりやすいような気がする。道の途中に大きな案内板が置いてあるところがあった。案内板は朽ち果てそうで、書いてある文字も全く読めない。このあたりから行くのかと思ったが、それらしき形跡はまったくない。そこでさらに先に行ってみる事にした。
すると道の左にかなり古くなったTVアンテナの残骸があり、その先に有刺鉄線のある柵が見えた。近寄ると「放牧中につき解放厳禁」と書いた札が下がっていた。地形図を見ると「乳山牧場」の柵であると思われた。さらに地形図で確認するとこの柵に沿って行けばなんとかなりそうな気がしてきた。
そこで意を決してこの潅木と笹薮の混じった中に入る事にした。ところが、いきなりとんでもないことになってしまった。私の身長は177cmなのであるが、笹の丈は私のアゴのあたりまであるのだ。少し下を向くと前が見えなくなってしまう。それでもなんとか笹をかき分けて、前に進んで潅木の少ない場所に出た。すると前方の指呼の距離を置いて土鍋山が悠然としてそびえているのが見えた。しかしその距離のなんと遠い事か、この状況では到底進む事は出来ない。
しかたない断念して戻るしかない。
ときどきコンパスで方向を確認して、笹の中を泳いで元の位置にやっとの事で戻った。登山道に戻った所で、思わず腰を下ろして座り込んでしまった。もう頭の先からつま先まで笹の露と汗でビショ濡れ、そのうえ敗退と言う事で気持ちが落ち込んでしまった。しかしあらためて地形図を取り出し眺めてみると、意外な事に気付いた。それはこのまま五味池に向かって乳山牧場の中を歩き、途中で土鍋山に行くように道があるようにも考えられるのである。そこで早速気を取り直して行ってみる事にした。
牧場の柵を開けて中に入り、わかりやすい道を下っていく。するとなんと立派な標識があり「←土鍋山」と書いてあるではないか。そして、すぐそばの笹薮の中には「遭難多発区域」と書いた札も埋もれていた。しかしここまで来たからにはとりあえず歩いて見ない事には話にならない。
標識の示す方向に向かって足を踏み入れた。そこも背丈ほどの笹をかき分ける笹薮の世界だ。ただ違うのは潅木の枝にちょっとやり過ぎと思われるほど、スダレの様にビニルの紐が下がっていることだ。しかしこれだけで何となく道があるような気になってくる事は不思議である。ともかくこの紐を取り付けた人は、ここを歩いていたことは間違いないのでこれを外さなければ迷う事はない。
笹薮は一旦途切れて潅木帯に入った。するとその潅木の根には明らかに良く踏まれた形跡が残っていた。かつては積極的に土鍋山は登られた時期があったのだろうか?それは半世紀以上前の、小串鉱山全盛期の頃だったのであろうかとも思った。潅木帯を抜けると鞍部に到着、ここからは尾根に沿って登る事になる。左は潅木と笹の薮、右は潅木は無いものの笹薮と切れ落ちた急斜面だ。ビニルの紐はその中間に沿って取り付けられているので、こちらもそれを頼りに登る事にした。
笹は容赦無く襲いかかって来る。笹の上に頭を出そうとするので、つい首を伸ばすので首が痛くなってきた。それに登りなので時折スリップして、前のめりに転がってしまう事も度々だ。そして笹の枯れた茎が鼻の穴の中に入ったときは焦った。ともかく必死で体制を立て直して事なきを得た。それに濡れるのが嫌なので半袖で、行動していたら腕に笹の葉の擦り傷がかなり出来てしまった。
必死の思いで、笹薮を抜けると山頂は近くに見えてきた。ところが今度は岩場が待ちかまえていた。疲れた身体は集中力が欠けているので、特に慎重に岩場を登った。そして岩場を抜けると今度はシャクナゲの薮が待ちかまえていた。この薮は枝の隙間をくぐって何とか進んだ。すると今度はほぼ平坦な場所となった。地形図をみるとここが山頂である事は間違いなさそうだ。しかしこれでは三角点を見つける事は不可能に違いない。あっさり諦めて周囲を見渡すと、北東の縁の倒木になにか見える。近づくとそれは間違いなくGさんの山頂標識だった。
山頂に着いた所で一面ガスが発生してしまった。そしてガスの切れ間からは時折小串鉱山跡の景色が見えるだけで、ほかの展望は望めなかった。せっかく苦労した土鍋山山頂である。無線機を取り出して早速運用しようとしたが、全く無線の応答はない。その内に人の話声が聞こえてきた。なんとこの薮山に登山者がいたのか?しばらくすると三人の男性のパーティーが現れた。この薮山に登って来るとはただ者ではないと身構えてしまった。そして、こちらに近づいてきて挨拶をかわした。その内の一人が無線ですか?と話しかけてきた。そうだと返事をして相手の持ち物を見ると、コールサインを書いたアクセサリーが腰に下がっていた。そのコールサインをみると、なんと昔QSOをした記憶が甦った。なんと名前まで思いだしたので、私の頭もまだまだボケていないと感じた。相手のほうも何となく印象が残っており、雪山のQSLを貰っていると言い出した。なんと言う奇遇なのであろうか、こんな事もあるものだと思った。相手の方はMさんで、しばらくの間山談義に花が咲いた。今日はこれから「毛無山」「老ノ倉山」に登るという。私は「毛無山」は地形図に名称の記載がないので登らない、その代わりに「御飯岳」に登ると答えた。
Mさんの三人パーティーは先に下山をして行った。私はもう一局と思い再び無線機のスイッチを入れた。上越市のOMと寒さに震えながらQSOしてから、下山をした。下山はさすがに三人パーティーが歩いただけあって、笹薮の中に道が出来ていた。しかし、笹薮の中の道は苦難の道である事にかわりは無かった。
そして帰りは無線運用をしなかった、破風山に立ち寄り430Mhzで運用して毛無峠に下った。
毛無峠からみるとすぐそばに毛無山が盛り上がっている。Mさん一行が山頂を目指して登っているのが見えた。そして別の斜面には数人の人が取り付いている。おそらくクロマメノキの実でも取っているのだろう。しかしながら毛無山はエアリアマップにのっているものの、地形図に名前が記載されていないので最初から登山の対象としなかった。
**御飯岳へ**
毛無山の北にある鞍部に登るのがもっとも効率的なようなので、車を移動して路上の駐車余地に駐車した。ここから鞍部に向けて登りだした。ところがいきなりヘビの脱皮した抜け殻が岩の上にあってドッキリした。そのあとは丈が腰ほどまである枯れ草のカヤトの斜面の登りである。このカヤトの斜面と言うのもなかなか歩きにくいもので、足が引っかかってコロンと転がってしまう。そんなときは大げさに仰向けになり空を見る事にする。朝のうちは快晴だったのが、今は鉛色に変わっている。それに時折ガスが目の前を流れていく。カヤトの原は時々獣が歩いた跡と思われる筋が現れる。おそらく大型の獣ではないかと思われる。念のために鈴をザックに取り付けて鳴らしながら歩く事にした。不思議なもので、この鈴の音でずいぶんと心強くなるものだ。カヤトの斜面を登り詰めると、やはりカヤトの尾根に登り上げた。あとはこの尾根を辿って御飯岳に向かえば良いわけだ。
カヤトの尾根道はいつしか笹の斜面に変わった。笹の斜面は、はじめは丈が短かったが、進むに従ってだんだんと丈が伸びてきた。そしてついに土鍋山と同じように身長の高さほどにもなってきた。ところが今度は違う。なんとささやかながら根元を残して、上部が刈払いがされているのだ。その刈払いはあるのと無いのとでは全く違う。第一にルートがはっきりしているので安心だ。そんな笹の斜面を登りきると道は樹林帯に入った。樹林帯に入ると、その木の根はかなり踏まれており、かつて登山道があった事を土鍋山と同じく感じた。
ここからの道は残念ながらあまり記憶がない。何しろ夢遊病者のように笹薮をかき分けてひたすら前に進む。 それに時折現れるガスで展望はきかずと言った状態だった。そして靴紐は何度となく笹に引っかかり解けて結び直した。さらに笹の露と汗で着ているものは、ビショ濡れ。最悪の笹薮の中の歩行だった。
前衛峰を過ぎて一旦鞍部に降りて更に進むと大きな岩が二つ現れた。この岩は変化の無い登山道では印象に残った。そして道は傾斜が緩くなり、山頂が近い事を伺わせてくれた。そして登山道が一本の木のまわりを取り囲むように、刈払いされているところがあった。その木には標識がつけられていたが、書いてある文字は全く読む事が出来なかった。山頂かと思い期待を持ったがそれは見事に外れてしまった。
がっかりしながらさらに当てもないような歩き方で先に進んだ。そしてもういい加減にしてくれと、投げやりになったところでなんと刈払いの道が途切れた。そして目の前に三角点が現れた。そしてその後ろの立木には山頂標識が取り付けられていた。Gさんの標識の上に青いプレートがあり「GWV」と署名が入っている。そして「四阿山−−三国峠」と事も書いてあるのでこれが本当だとしたらすごいと思った。まして日付が「'76 summer」となっているのも驚く。さらにその二枚のプレートの裏に「KUMO」があるではないか。苦労して登った薮山にあったKUMOであるので感慨もひとしおだ。おもわず手で触って愛撫してその感触を確かめた。KUMOはその木の樹液で、木に貼り付いたようになっており時間の経過を感じた。
無線機を取り出し、こんどはピコ6+DPをセットした。何度かCQを出してやっと一局に拾って貰いQSLを確保した。次は430で数局とQSOしたところで、人の話声が聞こえてきた。その方向を見ると、なんとMさん達三人パーティーが現れた。「老ノ倉に行ったのでは?」と聞くと、「毛無山から見たら、登山道がありそうだったから登ってみた」と言う答だった。ともかくこんな薮山で同業者がいると言うのはなんとも心強い。Mさんは登山者としては特異な容姿をしている。菅笠をかぶり錫杖のような長い杖を持ち、竹篭を背負っている。なんとなくユーモラスであるが、なかなかさまになっている。それにタバコは「ゴールデンバット」で口髭が隠れるほど吐き出す煙は、何となくかっこいいと思ってしまう。
ともかく賑やかになった事で、山頂を彼らに明け渡して先に下山する事にした。そして林道に駐車した車に着いて着替えを始めたときに、激しいにわか雨が降りだした。そのあとMさんたちも駆けるようにして山から降りてきた。
今回は「土鍋山」と「御飯岳」に登ったが、いずれも二度と行きたくないと思う山だった。薮山はやはり残雪期の雪がしまった季節が最高である。帰ってから腕と膝が筋肉痛で思うようにならなかった。まさに地獄のような薮山だったのだとあらためて感じた。
「記録」
「土鍋山」
毛無峠07:01--(.25)--07:26破風山07:41--(.08)--07:49笹薮に入る--(.14)--08:03笹薮から戻る--(.11)--08:14土鍋山分岐--(.10)--08:24鞍部--(.26)--08:50土鍋山山頂10:05--(.23)--10:28土鍋山分岐--(.11)--10:39破風山10:58--(.13)--11:11毛無峠
「御飯岳」
林道11:27--(.12)--11:39カヤトの尾根--(.48)--12:27前衛峰--(.19)--12:46御飯岳山頂13:40--(.30)--14:10休憩14:16--(.12)--14:28林道
群馬山岳移動通信/1996/