残雪とヒメサユリ咲く「浅草岳」 登山日2004年6月19日
去年の7月26日に守門岳に登った。ひょっとしてヒメサユリが見られるのかと期待したが、その時はすでに花は散ったあとで、全く見ることは出来なかった。それなら来年は浅草岳に登って見てやろうと決めていた。 6月19日(土) 前夜の22時に自宅を出発、かなりのスピードで山道を飛ばしてきただけあって、午前1時前には目的地のJR只見線の田子倉駅に到着していた。田子倉駅にはすでに猫吉さんの車が駐車場にひっそりと止まっていた。寝酒のウイスキーの水割りを呑んで、早々に横になった。 5時少し前になって猫吉さんが起き出してきた。しかし、どうも様子がおかしい。顔色はさえないし、足下がふらついている。そのうちに車の後ろの茂みに隠れた、しばらくして姿をあらわしたが、どうやら嘔吐をしたらしい。それに頭がフラフラするらしい。昨日は八海山に登っているので、無理が祟っているのかもしれぬ。しかし、さすがは根性の塊、64歳を間近に控えた身体とは思えぬ気力で、このまま浅草岳に登ると言う。 まずは駄馬さんの車に乗せてもらい、六十里越トンネルに向かうことにする。道は道路工事が盛んでほとんどが一方通行になっている。工事用信号はセンサー付きで車が近づくと反応するようになっていた。なかなか便利なもので、対向車の有無を確認できるのがいい。 六十里越トンネルの登山口駐車場は、車を数台駐車するのがやっとだ。しかし、道を挟んだ場所には広い駐車スペースがあり、これをが埋まることはおそらく無いと思われる。支度を整えて登山口で準備をしていると、観光バスが乗り付けてきた。見れば団体の登山者である。バスのナンバーは山梨であるところを見ると、団体は新○○○○グのグループであろうと推測できた。これは大変なことになってきた。この団体の後ろに回ったらとんでもない事になる。急いで出発をすることにした。 登山道はよく整備されていて歩きやすい。時折、送電線の巡視路であろうか脇道があるが、その分岐には古くはなっているが標識があるので、これを見落とさなければ迷うことは無いだろう。天候は曇りで時折ガスが巻いてくるが、大きな崩れはなさそうだ。駄場さんが先頭で快調に登り、その後を私が喘ぎながらついて行く。そこからさらに遅れてフラフラしながら猫吉さんが歩いてきた。やはり出発前の激しい嘔吐が効いているようだ。さらにその後ろから団体の迫ってくる様子が何となく伝わってくる。団体は何となくペースが順調らしく、なにか距離が狭まっているようにも感じられる。 歩きはじめて1時間ちょっとで電源開発のマイクロ中継局にたどり着いた。建物の前は植林がされたばかりのようで、広々として気持ちがよい場所だった。しかし、ブヨが集団で飛び回り、とてもゆっくりと落ち着くような場所ではなかった。猫吉さんが到着するのを待ちかねて、休むこともなくその場所を発った この登山道は樹林に覆われて展望がきかないため、ひたすら登って行くだけである。それでも道ばたの花は多く、それを愛でながら歩いていく。サンカヨウ、ツマトリソウ、ギンリョウソウ、エンレイソウと賑やかである。突然、足下に不気味なものが姿をあらわした。それは巨大なナメクジで、二匹が絡み合っているのである。おそらくそれは交尾の最中だったのかもしれない。早々にそこを退散して先を急いだ。 灌木もやがて背丈が低くなり、明るくなってくると展望が若干開けてくる。ところどころに残雪の残る尾根や山襞がさわやかな感じを受ける。そして急斜面を登りつけると、突然に目の前が開けて、岩綾の上に出た。眼下はガスが時折流れていくが、切り立った場所である。それに目の前には屹立したピークがまぶしい光の中にそびえていた。前を行く駄馬さんはすでにそのピークに向かって登り始めている。すると突然猫吉さんの叫び声が聞こえてきた。何かあったのかと、慌てて猫吉さんのところに降りていった。すると猫吉さんが言うには「GPSの入力を間違えた!!」と叫んでいたのだった。どうやら世界測地系で入力したのが原因らしいが、突然の叫び声が事故でなかったのが幸いであった。 鬼が面山は狭い山頂で、標柱が立っていた。近くには旨そうなコシアブラが葉を広げていた。しばらくして猫吉さんが到着。だいぶ調子も出てきたようで、顔色がよくなってきている。しかし、足下のスパッツをみて思わず苦笑してしまった。前後が逆になっていて、ファスナーが前に来ているのである。しかし、本人は全く動ずることなく、これで良いんだと言い張った。まあ、冗談であるがひとしきりこの話題で盛り上がってしまった。振り返るとどうやら団体が南岳に到着しているらしい。なにか煽られるようにプレッシャーを感じながら、せき立てられるように鬼が面山を後にした。 鬼が面山からの次は北岳を目指すことになるが、ここも快適な登山道だった。途中にちょっとした岩祠があり、そこを過ぎると乗越しにさしかかる。ここは北峰の肩になるところで、北岳には若干の藪をかき分けて行かねばならない。山頂は藪に覆われて、腰を下ろすところもない。少し戻ったところにある露土の場所に腰を下ろした。今までつながらなかった携帯電話を見ると、どうやら圏外を脱出したようである。そこで家で畑の草取りをしている妻に連絡をとった。どうやら作業も順調で梅を収穫したようである。ここでも振り返ると団体が鬼が面山を過ぎて、間近に迫っている。これまた慌ててこの北岳を後にした。 狢沢のカッチから前岳までの道は、この登山道でいちばん苦しい登りだ。それに暑さと湿度が加わりちょっとバテ気味になってくる。ふと、近くにある残雪に飛び込んで火照った体を冷やしたくもなってくる。しかし、ここで気力が萎えたら、それこそこれまでである。3ヶ月前は入院生活を送っていた訳なので、まあこれまで活動できるようになったのは儲けものと言ったところだ。 何となく人の気配を感じながら乗り越しを過ぎようとすると「ここが前岳のピークですが、実際はもう少し右に入ったところですがどうしますか?」駄馬さんが疲れた顔色の私を見てそう言った。「右に行くのは止めて通過しましょう、ここまで来れば問題ないでしょう」そう言って、道を進むことを促した。 その道の先は下りになっていて、ネズモチ登山道からの道と合流する。たくさんの登山者がここで休憩していた。ここには残雪があり、思わずその残雪をバンダナで包んで首に縛り付けた。暑さでオーバーヒート気味の身体の体温が下がっていくようで、思わず息を吹き返すようだった。またここの雪解け水でビールを冷やして置くことにした。そうしているうちに猫吉さんが、前岳のすぐ横の道に到着。なにやら薮をかき分けて前岳に突進しているようだ。それを見た駄馬さんはそのあとに続いて戻っていった。残された私は駄馬さんの荷物とビールの番を仰せつかって、ゆっくりと腰を下ろして待つことにした。 暫くして駄馬さん、猫吉さんが薮をかき分けて前岳から下山してきた。どうやらひどい薮で参ったという感じだった。それにしても猫吉さんの、ピークに対するこだわりは半端じゃないと感心してしまった。 ここの分岐からは快適な散歩気分である。ちょっとした残雪を乗り越えると、浅草岳の語源ともなった短い草が一面に覆われ、その中を木道が山頂まで延びていた。木道の脇にはちょっとした休み場所があり、たくさんの人がそこで休んでいた。凄い人気のある山だとあらためて感じた。そして急斜面を登り切ると、一等三角点の置かれた浅草岳山頂がそこにあった。 山頂はやはり人で溢れていたが、なんとか場所を見つけて座ることが出来た。まずはビールを開けて乾杯だ。(猫吉さんは腹の具合が悪いのでお茶で乾杯)雪解け水で冷やしたビールが旨い。しかし、下山のことがちょっと心配だ。そのうちに山頂がさらに騒々しくなった。どうやら登山口から終始あおられた新○○○○グの一行が到着したらしい。まあ、元気な一行で圧倒されてしまう。
(慌て過ぎて、ゴアテックスの雨具と地図を置き忘れました(^^;) 眼下に見える田子倉湖に向かって一直線に下降するルートは、結構ハードだったが猫吉さんはここに来て別人のように歩いていった。今までの疲れた様子は何だったんだろう。あとから付いていくのがやっとの状態で、汗だくでちょっと脱水症状になって下山した。 「記録」 六十里越トンネル06:05--(1.08)--07:13マイクロ中継局07:20--(.49)--08:09南岳08:26--(.27)--08:53鬼が面山09:05--(.18)--09:23北岳09:33--(.32)--10:05狢沢カッチ10:24--(.36)--11:00前岳11:29--(.16)--11:45浅草岳山頂12:45--(.45)--13:30鬼面眺め13:37--(.28)--14:15水場14:26--(.26)--14:52田子倉湖登山口 群馬山岳移動通信/2004/ |