秋の日は短い「朝日岳〜白毛門」
登山日1995年10月22日
谷川岳の東側の「宝川温泉−朝日岳−笠ヶ岳−白毛門−土合」コースは、今年の6月に猫吉さんと計画を立てながら、なかなか実行に至らなかった。それは計画を立てる度に天候が悪く、この長丁場のコースを歩くのには不安があったからだ。しかし、やっとその計画を実行するのに最適な天候がやっとやってきた。
10月22日(日)
待ち合わせの「土合山の家」に着いたのは5時15分、自宅から一般道で1時間ちょっとだからまずまずの時間だ。猫吉さんのデリカスターワゴンが駐車場の外れにカーテンを閉めて停車している。そのちょっと離れた場所に車を止めて、自分の朝食と着替えを済ませた。予定の時間は6時なのであるが、待ちきれずにその時間前に車のフェンダーをノックした。カーテンが開いて寝不足気味で不機嫌そうな顔が中から現れた。空を見てから開口一番「今日はどうですか ?」と尋ねてきた。「天気予報は大丈夫ですが、ここは曇っていますね」と答えた。いままで良い天気に恵まれなかったので、今度もダメかなと言う気持ちが頭の中をよぎった。あらためてラジオをつけて天気予報を聞くと「新潟県地方は晴時々曇り、午後山沿いでは一時雨」と言っている。しかし日の出から時間が経つにしたがって、空の雲は次第にどこかに消えて行った。これで話は決まった、計画を実行に移す時が来たようだ。
猫吉さんの車で、まずは宝川温泉を目指す。宝川温泉のホテルの玄関では仲居さんが掃除の真っ最中だ。そこを過ぎると道はダートになり、道幅も狭くなる。素堀のトンネルを過ぎてしばらく行くと、この林道もゲートに突き当たる。道の左側にはプレハブの飯場のような建物があった。ここの場所は広くなっているが、「無断駐車禁止」の立て看板が設置してある。「無断でなくて、話をつけて置けば良いわけですね」そう言って、猫吉さんがアゴで私に合図をした。しかたない逆らうわけにも行かず、車を降りて小屋の前にいた男の前に行き、事情を話すと簡単に了解を得られた。さらに「これからじゃ朝日岳は、時間が遅すぎる」と言った。これでも猫吉式出発時間としては、異例の早さだと言っても到底理解はしてはもらえないだろう。
林道ゲートの横を抜けて歩き出すと、紅葉に囲まれたダートの林道はなかなか気持ちがいい。しかし、先週の運動会で肉離れを起こしている左足太股に歩く度に痛みが走る。それに昨日ちょっとしたはずみで、右の脇腹を痛めてしまったので、今日は湿布が2箇所に貼って有る。5分ほど歩くと猫吉さんが「水を忘れた !」とザックの中を開いて騒ぎだした。「これは戻って持って来た方がいい」と勧めた。その間に先行してゆっくりと歩きたかった事もあったので執拗にそれを勧めた。
猫吉さんと別れて林道を先行して歩きだした。道は所々アスファルト舗装がなされており素晴らしい整備状況だった。途中で後ろから三人の男が乗ったジムニーに追い越された。実に羨ましくもあり妬ましくもあり、その土埃を巻き上げて行く車を見送った。林道終点は若干広くなっており、ジムニーが停車していた。ここでザックを下ろして猫吉さんを待つ事にした。ところが3分くらいの差で猫吉さんが到着してしまった。かなりのハイペースで歩いて来たと思うのだが、その割には汗をかいていないので今日は体調が良さそうだ。
猫吉さんに先を歩いてもらって、その後を着いて歩く事になった。結局この順序は土合に着くまでかわる事はなかった。宝川の左岸につけられた登山道は、大きなアップダウンも少なく上流に向かっていく。紅葉はこのあたりが一番の見所なのかも知れない。それは時折見える朝日岳の山頂部の様子からもうかがう事が出来る。
深い谷間の宝川に美しい滝が見えるようになった。何段にも分かれて水が落ちる姿は圧巻だ。そこを過ぎるといよいよ宝川渡渉点となった。ガイドブックにもあるように、増水時はおそらく渡る事は不可能であると思われる。対岸の右岸には赤いペンキの矢印がありそこを目指して、飛び石伝いに何とか渡る事が出来た。実は猫吉さんから借用したストックがかなり役だった。これはグリップのところにコンパスが付いている優れものでなかなか使い勝手がよかった。
右岸を少し行くと、なにやら怪しい雰囲気である。男が二人でひたすら土を掘り返してなにか採取している。猫吉さんと憮然としてその脇を無言で歩いた。おそらくジムニーで私を追い越した連中に違いなかった。
さらに道を詰めると宝川の支流のウツボギ沢渡渉点だ。ここには黄色のペンキで矢印が示されていた。先ほどの宝川渡渉点と較べるとかなり楽に渡る事が出来た。やがて前方から初老のいかにも地元の人間とわかる男がやってきた。「宝台樹スキー場」の文字の入った帽子をかぶり、白いワイシャツと作業ズボンのいでたちだ。我々を見かけるとかなり能弁にしゃべった。話をまとめると、雨量計の観測に来ているらしく、先ほどあった男二人は知り合いで「オウレン」と言う胃腸に効く草を取って(盗って)いるのだそうである。また今年の8月2日にはここの滝で遭難があった事などを話した。あまり付き合っていると時間がなくなるので話のきりのついたところで別れた。
枝沢が2本ほどあり、その内のひとつのところで休憩した。実はここが大石沢と思って猫吉さんに声を掛けたのだが、実際は更に先に進んだところで、水量の豊富な大石沢と出会う事になった。大石沢から道はやっと宝川本流から離れて、朝日岳の登りとなった。広葉樹の葉もこの辺ではすっかり落ちてしまって、暖かい秋の陽射しが青空から差し込んで来て眩しいほどだ。そんななかでちょっと休憩して、記録の整理を行う。猫吉さんからは葡萄の配給があり有り難くいただいた。将来の人生の保証問題について意見を交わして再び腰をあげた。ところがそこからは何という急傾斜な道なのだろう。妥協を許さず直線で上までつながっているのだ。猫吉さんの口からはいつもの通り、かけ声が出てきた。今回は「助けてくれ !」なんて声までも聞こえた。こちらも左足の痛みをかばうものだから、今度は右足が痛くなってきて、コンディションは決して良い方向には向かっていない。
標高約1600メートルの森林限界を過ぎると急に展望が開けた。二人でその雄大な景色に見とれてしまった。奥利根、尾瀬、上州武尊の山は指呼の彼方にある。その中でも同定不可能なものもある。そんな山は得てして立派なピークを持っているものだから、いつかはあの山に登って見たいと思う。森林限界からは草付きの岩場のトラバースとなっていた。しかし岩場の傾斜は緩くさほど気になるものではない。しかし足の痛みが気になるので休みたいのだが、先行している猫吉さんは一向に休む気配はない。そんなときは「記録の整理をしましょう」と言ってみる。そんな事を何度か呟いてやっと休憩となる。そんなときはおもいっきりザックを放り投げて、空を見ながらの休憩だ。
傾斜も緩くなり湿原に出るとそこは草紅葉の原だった。木道も現れ、観光地のような感じで歩き易くなった。木道を少し歩くと豊かな水量がある水場にたどり着き、猫吉さんとここで水の補給をした。水場から数メートルで道は分岐して、朝日岳には左に向かう事になる。ここで思わぬ収穫、マグカップの高級品を拾ってしまったので、有り難くこれはザックに入れて持ち帰る事にした。それから数分歩いたところで、やっと朝日岳の山頂に立つ事が出来た。
山頂には既に数人のご婦人を含んだパーティーが賑やかにくつろいでいた。そこから少し離れた岩場に我々も陣取って座り込んだ。食事もそこそこに何をやるかと思えば、ふたり揃って無線機を取りだした。これだからいくら疲れていても無線屋のやる事は解らない。猫吉さんは144Mhz、私は50Mhzで三脚にアルミパイプのダイポールを取り付けて運用だ。なかなか電波の飛びはいいようで難なく数局はクリアー出来た。その中で、山ランメンバーのHBH/堤さんが飯士山から応答してくれた。聞けば堤さんは富士山と名の付く山に登る事が目標で、今回は飯士山(上田富士)で39座目だという。山登りはいろんな目標が考えられるものだと感心した。
あっと言う間に時間が経過して、朝日岳で約50分も過ごしてしまった。これからの事を考えると、あまりゆっくりもしていられない。荷物をまとめて慌ただしく山頂を後にした。
朝日岳から先は小さなピークをいくつも乗り越えて行く事になる。次の目標の笠ヶ岳は標高1852メートル、その前に1930メートルのピークがあるのだから笠ヶ岳はむしろ目立たない縦走路の低いピークでしかないようにも見える。笹原の中の道をゆっくりと進む。振り返ると朝日岳で一緒だったご婦人方は、かなり後から出発したにもかかわらずかなり近くまで迫って来ている。たいしたものだと猫吉さんと感心してしまった。笠ヶ岳の手前の笹の原には避難小屋がポツンと置かれていた。鉄板で作られて、緑色のペンキで塗色されているカマボコ型のものだ。私にはよほどの事がない限りこの中で宿泊する事は出来そうにない。
避難小屋から数十メートル先に三角点の設置された笠ヶ岳山頂があった。谷川岳東面の岩壁と蓬峠付近の稜線の草紅葉が美しい。ここでも早速無線の運用だ。今度は簡単にワイヤーダイポールを設置して運用した。設置が終わったところで朝日岳のご婦人方が山頂に到着して賑やかになった。猫吉さんは山頂から少し離れて早速無線運用にとりかかった。私はアンテナが設置してあるものだから逃げるわけにも行かず。そのまま山頂で無線の運用となった。それでも何とかQSLは確保する事が出来た。
疲れた身体に鞭を打って、笠ヶ岳から今度は白毛門を目指すことになった。ついに二人とも無口になってきて、黙々と休む事なく先を急いだ。谷川岳東面の岩壁は逆光なので細かいところはわかりにくい。しかし歩くに従って、一ノ倉沢の雪が見えるようなってきた。この雪はあとわずかで再び雪を戴く事になるのだろう。衝立岩、コップは逆光なので暗く見える、そしてその暗さはあの谷のイメージと重なって更に不気味に見える。
ここにきて不思議と足の痛みがなくなってきた。痛いところが麻痺しているのかもしれない。そんなわけで割と簡単に白毛門山頂に到着した。山頂から振り返ると笠ヶ岳は乳房の様に整った三角形をしている。ここの山頂標識は標高が誤記入されており、ちょっと記念写真を撮影するのには面白くない。猫吉さんが苦労してアングルを決めたが、その出来映えはどうだったのだろうか。私は白毛門は既にカウント済みなのでここでは猫吉さんだけが運用した。
白毛門からの下りは急な岩場が多い。神経を使いながら慎重に降りていく。時折岩の上に立つと思わず滑って落ちて行くような錯覚を覚える。秋の日は短い、谷川岳の稜線に太陽が沈み出した。我々の後ろにはもう誰も歩いている人はいないようだ。すっかり最後になって取り残された感じである。やがて露岩の高台になり、ここが「松ノ木ノ頭」だ。地形図には記載がないが、山名辞典には記載されているので、ポイント稼ぎになる。「猫吉さんここはロケーションが悪いから、奥の手で行きましょう」と言って交信を済ませた。しかしなにか不満そうで、盛んにCQの連発をしている。しかし結局は空振りで、呟いたのが「奥の手だけは使いたくなかった」だった。猫吉さんの山ランのこだわりを更にひとつ発見した。しかしこれは今回で崩れさるのだろうか?それはなんとも言えないところだ。落胆しながらもザックの中を引っかき回して、こんどはコンビニの弁当と烏龍茶を出した。やっと昼食にありついたと言ってそれらを食べはじめた。考えてみれば山頂についても無線運用だけで昼食をとることなどなかったのだから。猫吉さんは本当に山ラン中毒なのだと思った。これでは猫吉さんに続く人はなかなか現れないだろう。
再び下山にとりかかる。明るさは急速に消えて闇が迫ってきた。なにやら猫吉さんが鼻歌を歌いながら歩いている。怪人と同じで闇をむかえると、陽気になるのだろうか。などと感心していたら、立て続けに二回ほど猫吉さんが転がった。しかしうまく体勢を立て直して歩き続ける。たいしたものだと思わずうなってしまった。5時30分いよいよヘッドランプに点灯、すっかり暗くなった山道を猫吉さんの後にくっついてやっとの事で下山した。
今回は足の痛みが気になったが、猫吉さんの後ろを歩く事でなんとか持ちこたえる事が出来た。そして長い行程を無事に終えた充実感に満ちた一日だった。
「記録」
登山口(宝川林道ゲート)07:20--(.42)--08:02林道終点08:10--(.46)--08:56宝川渡渉点--(.21)--09:27ウツボギ沢渡渉点--(.22)--09:49休憩09:59--(.09)--10:08大石沢渡渉点--(2.09)(休憩 .23含む)--12:17朝日岳13:09--(1.05)--14:14笠ヶ岳14:56--(.36)--15:32白毛門16:00--(.24)--16:24松ノ木沢ノ頭16:50--(1.14)--18:04土合山ノ家==(.42)==18:46宝川林道ゲート
群馬山岳移動通信/1995/