暮坂峠の岩峰「有笠山」
登山日1994年11月13日


有笠山(ありかさやま)標高873m 群馬県吾妻郡
山頂付近(後方は暮坂峠)
 「あずさ弓日も暮坂につきぬれば、有笠山をさして急がん」これは暮坂峠にまつわる、源頼朝の家来の歌だそうである。暮坂峠にはそのほかにも若山牧水の「枯れ野の旅」の詩碑などもあり、なかなか文学的な峠である。有笠山は暮坂峠の東に位置する、個性的な形をした山である。

 11月13日(日)

 沢渡温泉を過ぎて、暮坂峠に向かうと途中に有笠山荘へ入る道がある。有笠山荘の庭は今や冬桜が丁度見頃で、紅葉とのコントラストが妙な感じを受けた。この山荘の先で道は二分するので、右側に曲がりすぐの所に空き地があったので、ここに駐車した。林道はまだまだ続くのだが、今日は周回コースをとる事を予定している事もあり、この場所を選んだ。

 子供と荷物を車から引き出し、林道を歩き出す。上沢渡川沿いに続く林道を登るが、整備が良くなされており歩き易い。紅葉の時期が終わりかけた木々からは、しきりに木の葉が舞ってくる。それを踏みしめながら、なんだかんだと子供の話しを聞きながら歩くと、すぐに立派な標識がある「有笠山西登山口」に着いてしまった。ここには丸太で作った人形があるのだが、なかなかユーモラスで苦笑してしまう。

 道はいきなり、階段状の急登を登り始める。両側の樹木には、それぞれ名前を書いた札が付けられているので、ひとつひとつ確認しながら歩いて行く。そのなかで「メグスリノキ」(目薬の木?)などと言うのもあった。はたしてどんなものかと、頭上を見たがなにも目薬らしい感じはなかった。

 登山口から7分ほど歩いた所にある、あずまやで早くも休憩だ。子供はいきなりおにぎりを食べ始めた。まあ食べられる事は幸せだと思い、食べ終わるまで待つ事にした。ここから見上げると、有笠山の本峰は実に立派だ。なにしろ岩の塊が山のかたちをして、吃立しているのだ。いったい登山道は何処を通って、山頂に続いているのか、不安になってくる。今日はまして子供連れなので心配である。

 再び歩き始めると、すぐに「西石門」の標識があり、見ると確かに岩の中に、穴が空いた様に見える所がある。しかし数十メートル先なのだが、そこまで行く元気はなかった。さらに急登を登ると、岩壁の基部を回り込むように道は続いていた。そして道は岩場にさしかかり、ここでプッツリと消えてしまった。おかしいと思い上部にまわったり、右に行ったり左にまわったりしてみたが、さっぱり分からない。落ち着いて考えようと、腰を降ろして休む事にする。子供は、道が分からなくなった事が不安らしく、しきりに道の事を聞いてくる。こちらはどうにかなるさと、とりあえず一服して景色を楽しんだ。その時、目の前の岩壁で黒いものが動いた。なにかなと思い目を凝らすと、カモシカが岩場を悠然と渡っているところだった。子供はすっかりカモシカに気を取られて、声を出したり、手を打ったりして威嚇した。しかし慌てる様子もなく、カモシカは岩場の木の中に消えた。

 さて落ち着いたところで、こちらはルート探しだ。岩場まではルートはしっかりしているので、ここからいかに岩場の中にルートを見つけるかだ。丹念に岩場を見ると、真っ直ぐ進んでいるらしく、岩に若干の泥の付着があった。子供を待たせて、とりあえずそこを渡ってみるとその先にしっかりしたルートがあった。この岩場は、子供一人では不安があるので再び戻って、子供と一緒に渡った。

 落ち葉を踏みしめながらジグザグに道を登っていくと、岩場の上に出て突然視界が開けた。下の方には稲の刈り取りの終わった田圃が、黒い土を見せている。その向こうに続く暮坂峠の方面は紅葉して、夕日が当たったような錯覚を覚える色彩となっていた。この岩場はかなりの高度感があり、足元がふらつく様な感覚を受けた。そして、なんとここからは、鎖と梯子が取り付けられた傾斜の強い岩場のルートが続いていた。これでは子供を確保しないで登らせるには不安がある。今日はこんな事もあろうかと、ザイルを準備してきたので早速取りだした。

 ザイルを取りだしたのは良いが、ザイルワークをすっかり忘れてしまっている。初めは「二重結び」で、子供の肩と腰にザイルを掛けようとしたが出来ない。結局「ブリーン結び」だけは身体で覚えていたので、これを使って腰だけの確保となった。本来はこれだけでは転落した場合、腰を痛めて逆さになり、宙吊りになる可能性がある。しかしこれしか方法がなかったので、子供が落ちない事を祈るだけだ。ともかく安全な場所に子供を待機させて、先に登る事にする。梯子は最近更新されたのだろうか、アルミの部分はまだ光沢があった。下を見るとかなりの高度感がある、このあと、はたして子供は登れるだろうかと、ますます不安になった。

 岩場の上部に着き、自分を立木に確保して、子供に声を掛けた。
「ようし、登ってこい!」
「行くぞ!」
子供の声がして、ザイルにその手ごたえが伝わってきた。かなりの早さで登ってくる。初めは見えなかった子供の姿が、岩場の中程まで来ると確認出来るようになった。冗談に「ちょっと下を覗いて見ろ」と言ったら、「すげー!」と言っただけで、あまり怖がらない。親よりも高度感覚は上らしい、いつかは子供に確保されて山に登るのかな、などと思った。子供は登りきったが、岩場が続くので、ザイルは結んだまま登る事にした。

 途中に更に一ヶ所、梯子があったがこれは難なく越える事が出来た。上部に行くに従って、木の葉は落ちて、木々はすっかり冬の装いだ。しかし今日は天気も良く、風もあまり無いので冬の感覚はない。

 有笠山山頂(884メートル)は東西に長く、全てが潅木に覆われていた。さらに何処を探しても山頂標識はなかった。ただ、「前橋ヤッハ会」なる名前書かれた赤布と、やはり「根岸某」の名前の書かれた日本手拭いが立木に結び付けてあった。なんとも味気ない山頂であった。やはりなんであれ山頂標識は欲しいものである。しかたなく山頂の東端に岩場があり東方面が開けていたので、そこに腰を落ちつけて休む事にした。

 無線機を取り出してスイッチを入れたが、静かなものである。足利市の移動局が出ていたので、その一局だけQSOをしてすぐにQRTしてしまった。なにしろ標高は暮坂峠よりも、約200メートルも低いのだからしかたない。あとは岩の上で食事と、日向ぼっこをするだけだ。その内に長身の若い女性が登ってきた。見ればかなりの美形で、まるで登山用具のモデルが歩いているようだった。しかしその後から、お供の男性が来たのでスケベ心はすぐに萎んでしまった。しかし美人だったので、子供としばらく見とれてしまった。

 食事も済み、ゆっくりしたのでいよいよ下山に取り掛かる。難所はやはりあの鎖の掛けられた岩場だ。子供にザイルを巻き、慎重に下らせるが、大したもので、なんなく下に着いてしまった。むしろこちらの方がモタモタしていて「お父さん、そこの岩につかまって」などと指示をされてしまった。

 今度は東登山口に向かって下山する事になる。いったん降りて沢をトラバースしたところに「先住民族の遺跡」の看板があり、見れば岩壁の中程に洞窟がある。とても人間が行けそうな所ではない。とても我々は行く気には成れなかったので、下から眺めるだけだった。先住民(弥生時代中期)は、本当にこんな所に住んでいたのだろうか。たしかにあそこだったら、外敵の進入は防げたろうが、出入りは大変だったろうと思う。

 そこを過ぎると、落ち葉で道が怪しく成ってきた。子供を待たせてルートを探しに行くと、またもやカモシカが現れた。今度はこちらを見ている。子供を呼び寄せて、じっくり観察する。なかなか可愛いもので、逃げる様子もなくお互いに向き合ったままだ。もっと近づいて見ようと前に歩いて行ったら、ゆっくりだが反転して歩いて行った。しかしカモシカは増えているのだろうか、人間とのトラブルが起こらなければ良いのだがと心配した。

 ここからの道はしっかりしており、ほどなく林道に出て、車を駐車した所まではわずかな時間だった。

 帰りは沢渡温泉の共同浴場で汗を流した。(大人200円・子供100円は安い)ところがその湯の熱い事といったらない。コップがあったから飲んで見たが、それさえも熱くてとても飲めない。そんなものだから、とても入る事が出来ない。それでも我慢して子供と肩まで入って出るだけが精いっぱいだった。



「記録」

 有笠山荘09:51--(.12)--10:03西登山口--(.07)--10:10あずまや10:17--(.20)--10:37分岐--(.24)--11:01有笠山山頂12:13--(.23)--12:36分岐--(.18)--12:54東登山口--(.14)--13:08有笠山荘


                       群馬山岳移動通信/1994/