雪辱戦「荒沢岳」は登れるか? 2001年8月25日
8月25日(土) 一年前の8月26日に荒沢岳を目指したが、足が攣ってしまい動くことが出来ずに前ーで断念してしまった。それから一年経ったこの日、相変わらずの運動不足の不安を抱えながら、荒沢岳の登山口に立った。 天気は曇り空ながら、雨が降りそうな気配はうかがえない。前山への道は下草が生い茂り、その露でたちまちズボンは濡れてしまった。もっとも汗っかきの私は、そのうちに汗でビッショリになってしまうのだから、早いか遅いかの違いだけである。 前山に着くと、そこには二人の登山者が既に立っていた。前回の時、このピークは無線を終了しているので、立ち止まる必要もないのでそのまま通過した。前山からも樹林の道がそのまま続いている。歩き始めて1時間ほど経ったところで、10分ほど休憩をすることにした。すると先ほど前山で会った二人、その他に三人に追い越されて相次いで追い越されてしまった。ここに来る人はやはり健脚揃いと見るべきなのか、自分が弱すぎるのか、ともかくわずかの間に、五人に追い抜かれたことは間違いなかった。ともかく身体の動きは重くなっており、体調が完全とは言い難かった。それは朝の三時に起きてこちらに来たので、寝不足なのかなと自分に納得させた。 前ーの岩場が見える場所の近くで、ツキヨタケを撮影している男性に追いついた。撮影が終わるのを待って、脇をすり抜けると声を掛けられた。この男性はかなりの時間を山歩きに費やしているらしく、この荒沢岳も厳冬期に登ったことがあるらしかった。展望がひらけた場所で、その男性に写真を撮ってもらい、後で送るからと住所を教えた。 さらに歩くと前山で会った二人ともう一人が岩陰で休んでいた。するとその男性に声を掛けた。どうやらこの人たちは四人のパーティーで、思い思いに歩いていたらしい。どうやら、この人たちの実力は大変なものだと直感的に感じた。 この四人をやり過ごして、こちらは鎖場が始まる手前でザックを降ろして休憩だ。凍らせたスポーツドリンクを飲み、少しばかりの羊羹を口に含んだ。ストックはザックにくくりつけて、軍手を装着していよいよ鎖に手を掛けた。鎖がしっかりしていることと、要所には梯子が設置してあるのでさほどの不安は感じない。それよりも去年の悪夢、足のトラブルの前兆が現れ始めて入ることが怖かった。 岩場を一旦登りきると、そこがこの岩場の中間点で、痩せてはいるが適度な広さがあり、休むのに適した場所だ。ここからは圧倒的な迫力で目の前に前ーの岩場が現れ、そしてその奥には荒沢岳の勇姿が迫って見えていた。そのうちに先ほどの四人がこの中間点に到着した。その中の若い男生とちょっと話すと、その実力ぶりが分かった。ほかの中年の女性二人は北岳を日帰りで登って来たばかりだという。これは恐ろしい人たちばかりだと、恐れおののいてしまった。 この人たちを残して、私がはじめに前ーの岩場に行くことにした。一旦中間点から下に下って、鎖に頼りこの壁を登るのである。この岩場は遠くで見るよりも、実際に取り付いた方が、恐怖心はなくなる、初めのうちは鎖に頼らなくとも登れる程度であるが、次第に傾斜も強くなり、鎖に体重を掛けなければ不安になってくる。岩場の中程で鎖がなくなり、ほぼ直線的に登る部分がある。登りは良いのだが、下りはかなりきついだろうと思う。 前ーの頂上まであと少しのところで、急に足が攣ってきてしまった。全く去年と同じ場所で同じ部分がトラブルとなってしまった。しかし、岩場でこのまま過ごすわけにはいかない。痛みをこらえて何とか前ーの頂上に立った。標識のある場所は日陰がないので、やはり我慢にしてその先の木陰まで歩いた。 ところが痛みで、立つことも座ることも出来ない状態になってしまった。膝から内股に繋がっている筋肉を触ってみると、硬直してしこりの様になっている。膝を曲げることが出来ないものだから、前に倒れ込むようにして手を地面に着いてから、身体を反転させて仰向けになった。ザックの紐を肩から外して、上半身を起こして何とか人心地がついた。しかし、なんと言うことだろうか、去年と全く同じ状態だ。しかし、このまま断念して、この山に三度も登ることはなんとしてでも避けたい。 座ったままで足を投げ出して伸ばしているのは良いのだが、膝を曲げると何とも言えない痛みが太股を走った。持ってきた氷で冷やしてみたが効果無し。今度はテーピングをしてからマッサージをしてみると、何とか立てるようになった。次に歩いてみると痛みはあるものの、なんとか歩けた。ところが数メートル歩くと再び痛みで歩けなくなってしまう。そこでまた座り込み、必至に硬直した筋肉をマッサージした。そこへ後ろからやって来たあの4人組が、座り込んでいる私の横を通過していった。そして見る間に視界から遠ざかっていった。 さらにマッサージを繰り返し、スポーツドリンクで水分を補給した結果、無理をしなければなんとか歩けるようになった。ストックを使い、なるべく膝を曲げないようにするのだが、やはりそうはいかない。急傾斜の続く尾根道は階段状の所もあれば、木の根を跨いで通過するところもある。そのたびに顔をしかめて膝を曲げることになった。 そうなると、疲労もピークに達してくる。高度計を見るが遅々として高度は上がっていない。それもそのはずで、足を前に出すことだけを考えているが、思うように動かないのである。15分ごとに、どっかり腰を下ろして休憩するが、首に巻いたタオルは絞ると驚くほど汗が絞り出された。 途中で下山してくる三人の登山者と相次いですれ違った。いずれも健脚で、快適そうに道を駆け下りていった。そのうちの一人は「間ノ岳」を日帰りでやって来たと自慢していた。それに引き替え、こちらは平地だってまともに歩けない状態である。 何度も断念を考えたが、時間も早いと言うことで痛む足をかばいながら気力で歩いた。やがて目の前が急に開けて一気に稜線に飛び出した。それとともに爽やかな風が身体に当たり、気分的にも急に楽になった。目の前には大きな平ヶ岳が悠然と対峙していた。ここから山頂までは、ごく近い距離なのだが、とても休憩なしでは歩けない。ザックを下ろして、何もしないで景色を眺めて過ごした。そのうちに単独行の男性が到着して休憩、すぐに二人組のパーティーが来たが、休まずにそのまま山頂に行ってしまった。 数分の休憩の後、重い腰を上げて歩き出した。ところがいきなりの岩場の通過となった。息を整えて、身をよじらせて、岩にへばりつくようにして歩いた。一部鎖場があり、そこを必死になって通過するとやっと荒沢岳山頂に到着することが出来た。 山頂には、あの四人のパーティーと、先ほど追い越された二人がいたが、四人は既に山頂を発つところだった。あまりにも疲れ切った男に見えたのだろうか、リンゴを恵んでもらい、さらにジャムを挟んだクラッカーまで貰ってしまった。丁重に礼を言うまもなく、山頂から奥利根湖が見える場所に腰を下ろして、座り込んでしまった。貰ったリンゴを貪るように口の中に含んだ。聞けば四人は私よりも、40分も前に山頂に到着したとのことだった。一息ついたところで、缶ビールを取り出して、そのプルタブを思いっきり音を立てて開けた。先ほどの男性に勧めたが、帰りの岩場があるからと断った。考えてみれば帰りの岩場は確かに不安だ。しかし、ビールを飲まないで事故にあったら、それこそ悔いが残ってしまう。冷たく冷えたビールは気持ちよく、喉を通過していった。
結局そこに座ったまま、ほとんど動けないまま時間を過ごした。そのうちにも登山者が数人到着して、賑やかになっていった。こうなると無線もかえってやりやすくなる。スイッチを入れると、両津市移動の局が出ていたのですぐにQSOする事が出来た。また、途中では圏外になっていた携帯電話は、この山頂では通話可能で子供と連絡を取り合うことが出来た。 山頂の三角点は二等と言うことだが、その文字は判読不能なほどになっていた。山頂標識は、標柱と標石の標高表示に違いがあったが、ご愛敬と言ったところかも知れない。 さて山頂で1時間休んだので、荷物をまとめて下山しようと立ち上がったが、なんとまたもや激痛が走った。こうなると再び座り込んでしまうしかない。このまま動けないでミイラにでもなるのかと思ったが、ともかくマッサージをして時間を過ごした。 15分ほど経過したところで立ち上がってみると、今度は何とか動けそうだ。恐る恐る下山に向けて一歩を踏み出した。なんとか足が持ってくれることだけを願って、ゆっくりと下山をはじめた。 前ーの岩場は、ほとんど腕力のみで下った。そのためなのか、新品の軍手はあっという間にボロボロになっていた。 もう二度と登りたくない山と言ったら、すぐにこの荒沢山と私は答えるに違いないだろう。帰ってきてから、筋肉が攣ってしまったときの対処法(ストレッチ)を知人から教えて貰った。しかし、それが役立つことのないことを祈りたい。 「記録」 06:08登山口--(.43)--06:51前山--(1.06)--07:57岩場下08:05--(.12)--08:17岩場中間点--(.39)--08:56前ー山頂--(.07)--09:03休憩09:37--(1.21)--10:58稜線11:05--(.14)--11:19荒沢岳山頂12:34--(.53)--13:27前ー13:39--(.24)--14:03岩場中間点14:10--(.12)--14:22岩場下14:30--(.43)--15:13前山15:21--(.24)--15:45登山口 群馬山岳移動通信/2001/ |