阿弥陀岳南稜(八ヶ岳)から中央稜へ 登山日2008年7月31日
阿弥陀岳南稜は去年の8月に阿弥陀岳に登った時にその存在を知った。その後、ネットで情報を集めると、意外にも多くの報告例がヒットした。主に冬山の入門コースとして登られているようだ。ネックはP3と呼ばれるピークで、昨年まではフィックスロープがあったらしいが、いつの間にか取り外されてしまったようだ。 7月31日(木) 登山口である舟山十字路に着くと平日ということもあり、車は一台もなかった。今日の天気は今のところ問題なさそうだ。しかし、予報によると午後から雷雨になると言うことだ。ともかく支度をして上る準備をする。今日は暑さに備えて水を3リットル用意した。食料はいつも余ってしまうので、ダイエットも考えて控えることにした。岩場を登ることもあり、捨て縄とカラビナをザックに入れておいた。ネットの記録を見るとほとんどが旭小屋経由で登っているが、林道「立場山道線」を進んで、途中から左に曲がり尾根に取り付くことにした。
道は水量の殆ど無くなっている「広河原沢」を渡るとそこにも標識があり、上部の尾根に登るように示していた。薄暗い道は南稜の尾根に登るということで、かなり急登である。腕時計の高度表示グラフが急角度で立ち上がっているのが見て取れる。しかし、10分も歩くと尾根に取り付くことができた。エアリアマップには破線もないことから心配していたが、ここからの尾根に付けられているものは、踏み跡程度ではなく、そこにあるものは立派な登山道であった。これならばなにも問題ないじゃあないか。その理由はすぐにわかった。この尾根はキノコ(おそらくマツタケ)の採取権を示す境界となっていたのだ。頻繁にある木の板はそれを表わしていた。それに道の右には延々と、電線が3本上部に向かって続いているのだ。これでは柵に囲まれているようなものでどうも具合が悪い。それに「きのこ山 入山禁止 入山者は十万円以上いただきます」と書いたブリキ板が頻繁に掛けられている。さらに行くとオレンジ色のシートで出来た監視場所も設置されていた。これはシーズンにはとんでもない厳戒態勢となることが予想される。冗談でも立ち入ることは無用なトラブルとなることは間違いなさそうだ。まあ、これだけのことをするということは、それだけキノコが多いということなのだろう。
「立場岳」から下降気味に歩いていくと5分ほどで青ナギに到着した。青ナギは右の斜面が崩落して人工的な様子さえ見せている場所で、明るい日差しが降り注ぎ実に気分のよいところだ。目の前には目指す阿弥陀岳の奥壁が荒々しく広がっている。その奥壁の左は中央稜、右はこれから登る南稜がゴジラの背となって連なっていた。横を見ると編笠山からの稜線と連なる権現岳が覆いかぶさるように迫っていた。足元のオトギリソウに注意しながら腰を下ろして休んだ。菓子パンとゼリー飲料でおなかを満たしてから立ち上がった。
さて、一番の難所はどこだろうか?なかなか現れてこない岩場の事を考えながら先に進んだ。やがて乳白色のガスの中に大きな岩場がのしかかるように迫ってきた。そして、道は下降していくのである。あれ!!どうしたことだろう。ちょっと下降してから再び高みに戻ってみると、金属プレートがあった。ここには何か書いてあるのだが、判読不能な状態だった。それでも、誰かが鋭いものでなぞったのだろうか、わずかに読み取れる部分がる。「ザイル必要 上級」とも読める。さらに左には下りとも書いてあり、矢印が見える。ともかく下降している道は踏み跡が濃いので、下降してみる事にするが、道は途切れてしまった。右の岩場を見ると、ワイヤーとボルトにシュリンゲが付けられていた。これが、あのネットで見た難所の岩場なのだろうか?標識もなく、マーキングもないので不安が残る。しかし、ここを登るしかないようだ。スポーツ飲料を飲んで、捨て縄とカラビナを腰にぶら下げてザックを背負った。ストックは縮めてザックにくくり付けて準備は整った。 取り付けられたワイヤーの意味がわかった。岩場の取り付きはちょっとしたトラバースとなっていて、これがないと岩壁に取り付けないのである。ワイヤーに手をかけて身を乗り出してみると、ワイヤーの取り付けが緩くなっていて、身体が振られたのでちょっと焦った。なんとか力任せに身体を持ち上げるとなんとか岩場に取り付くことができたようだ。この先はフィックスロープも無いようなので、自己の技量だけが頼りだ。上部と下部はガスが巻き、恐怖心が増すばかりだ。さらに、ここは樋のようになっていて、わずかに水の流れがあった。これは荒天時には水路と化すのではないかと考えられる。岩は滑りにくく安心感があり、それにホールドも多数ある事から、三点確保の基本さえ守れば安全は確保できそうだ。私には岩登りのグレードはわからないが、さほどグレードは高くないようだ。ともかく上部に向かって慎重に登っていくとシュリンゲとボルトが見つかった。このルートは間違いないと確信して登った。
阿弥陀岳山頂に着くとそこには一組の親子連れと単独行の男性が居ただけで静かなものだった。都内で陶芸教室を主催している単独行の男性と、情報交換しながらしばらく話し合った。すると目の前の赤岳も見る間に山頂部がガスに覆われてしまった。これはどうやら天候は悪くなるばかりのようだ。できれば、赤岳に行きたいと思っていたが、これは微妙となってきた。稜線の途中にある「中岳」は未踏なのでなんとかそこまでは行ってみようと考えた。 阿弥陀岳の下降は落石が多く、下方から登ってくる登山者が気になってしまう。慎重にきわめて慎重に下降していく。鞍部で休んでいる米粒ほどの登山者が大きく見えてきて、話し声も聞こえるようになると安心感が増してきた。歩きにくい梯子を下ると鞍部に着くことが出来た。鞍部にはザックが数個置いてあった。空身で阿弥陀岳を往復する人が多いからだろう。ここに留まる必要も無いことから中岳に向かって引き続いて歩き出した。 中岳は稜線上のコブのような場所だ。目の前には赤岳が、振り返れば阿弥陀岳が、見下ろせば行者小屋が見えている。赤岳はガスが多くなり、その姿も半分ほど隠れている。ちょっと未練が残ったが、ダイエットによる体力不足も気になる事から、引き返すことにした。 阿弥陀岳に戻ると、山頂はガスに覆われて、展望はまったく無かった。昼食時となったので、冷やしておいた缶ビールで南稜を無事に登れた事を祝った。しばし、休憩した後に山頂を辞する事にした。下降は今回も中央稜を利用する事にした。
舟山十字路の近くの「阿弥陀聖水」でポリタンクに水を汲んでから帰路についた。 いつもの富士見高原鹿の湯が改装中で利用できない。しかたなく、海野口を過ぎてさらに南牧村にあった「ホテル洛奥」のお湯にやっと入ることが出来た。それにしても、この外観でホテルとは・・・。内部はクラッシックな調度品が歴史を感じさせた。当然?風呂は独占だった。
群馬山岳移動通信/2008 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平16総使、第652号) |