山頂が楽しい「尼ケ禿山」
登山日1994年5月14日


尼ヶ禿山(あまがはげやま)標高1466m 群馬県沼田市・群馬県利根郡
山頂でUGC・UGD夫妻と
5月14日(土) 

 しばらくの間通い詰めた、西上州の山も登山の対象から外れる季節となった。これからは薮の少ない山を選ばなくてはならない。まして今日は第二土曜日であり、子供を連れての山行となるので、慎重に山を選んだ。前日から考え抜いて、決まったのは当日の朝だった。場所は沼田市の玉原高原から登る尼ケ禿山だ。

 出発する時間が遅いものだから、その時間を取り戻すためにも関越自動車道を利用して時間を短縮を図る事にする。順調に車は沼田ICに着き、玉原高原の案内標識にしたがって走り、山道をのぼりつめると、玉原湖に到着する。ここから更に進んで中央広場と呼ばれる、車の乗り入れ可能な芝生の広場を通り、センターハウス前に車を駐車した。駐車スペースは場所の選り好みをしなければ、全く心配ないほど広い。

 出発の準備をしていると、なんと大型の観光バスが到着して、オバサンの団体が次々に降りてくる。なにかとんでもないところに、来てしまったような感じがした。ともかく団体の観光客が出発する前に出かける事にする。

 道はアスファルトの車道を下って行く。この道は入り口に柵があり車は入る事は出来ない。またバイクは看板に進入禁止と書いてあるので、たとえバイクで来たとしても、時間短縮は望めない。車道を下りきったあたりで玉原湿原に入る。湿原は木道が敷かれており、たいへん歩き易い。子供は木道を楽しそうに走って通過していく。湿原はいま水芭蕉が咲いている。時折、茶色く変色しているのも見受けられるが、おそらく霜でやられたものだろう。あとは芽を出して、30cm程に成長したコバイケイソウの緑が鮮やかだ。湿原のなかの木道は数分で終わり、ブナの林の中の道にかわる。芽ぶきが始まったばかりのブナの緑はまた美しい。いまいっぱいに葉を出すために、地中の水を吸い上げているに違いない。子供とその音が聞こえるか、木の幹に耳を当ててみた。何か梢を渡る風の音が水を吸い上げる音にも聞こえる。

 ブナの林の中の道を進むと標識があり、「玉原越し」と書いてある方に入る。少し歩くと目の前に広い道が現れる。何かの工事のために作ったのだろうか、車が通れる道だ。土手を上がって道に出ると目の前に、残雪が輝く朝日岳が眩しく見えた。この道を左に辿ると途中の路肩に残雪があり、子供と雪を投げあって遊んだ。段々エスカレートしてきて、ついには両手でやっと持てるくらいの、雪を投げるまでになってしまった。しかし今の時期の雪は手が黒くなるのがいただけない。

 道はやがてアスファルト舗装の車道に出る。ここは右に折れて車道を登る事になる。道の脇では、白いコブシの花が可憐に風になびいている。車道をのぼりつめると、玉原トンネルに着いた。トンネルの入り口には柵があり、入る事は出来ない。しかしこのトンネルの中は実に音の響きが良い。足を踏みならすと、それだけでトンネルの中が音でいっぱいになる。私が声を出すと熊が吠えているようだ。子供はいたくこのトンネルが気に入った様子で、しきりに声を出して遊んでいる。しかし、こんな事ばかりしている訳には行かない。子供に声を掛けて歩き出す。

 トンネルから標識にしたがって左のわき道にはいる。道は少し下って小さな沢を渡り、斜面を登り出す。ここからは山道らしくなってくる。そして玉原湿原の喧噪からは隔離された事がうれしい。所々残雪の残るブナの林の中をひたすら登る。途中、送電線の鉄塔があり、ここで少し休む事にする。見晴らしは良くないのだが、木が伐採されているので明るい感じがする場所となっている。10分ほど休み子供を先頭にして登り出す。再び快適に高度を上げていくと潅木の間から、山頂が見えるようになってきた。

 しかし、ここで身体の変調に見舞われた。鼻水と思って出した手が、真っ赤な鮮血で染まってしまった。何を興奮したのだろうか、鼻血が一気に出てきた。見る間に血は地面にも落ちて、落ち葉が真っ赤になってしまった。山でこんな事は初めてだ。子供にティッシュペーパーを出してもらって、鼻の穴に詰めたがなかなか止まらない。更にもう一度紙を交換して何とか落ち着いた。しかし、紙は鼻に詰めたまま、おまけに基の部分が赤くなっている。みっともないので、バンダナを顔に巻いて、西部劇に出てくる銀行強盗のような格好で登る事にした。

 皮肉な事に、この銀行強盗が山頂に着くと、山頂はおばさんの団体で満員だ。しかたなく山頂から少し離れたところに腰を下ろして、鼻血の処置をした。幸いにも出血は止まったようなので安心した。そして食事を済ませると、そのオバサンの団体が下山を始めたので、山頂三角点の付近に場所を移動した。山頂には「KUMO」も無事に残っていた。展望は朝日岳、そして上州武尊山がいちばん目立つ存在だ。なんと言っても残雪が美しいからだ。眼下にひろがる新緑の緑と、玉原湖の水の色はこれ又素晴らしい。

 無線機のスイッチを入れて、知っている人を呼んで見たが応答がない。そのかわりに、7L1UGC鈴木さんから声がかかった。なんと奥さんも一緒で、鹿俣山をきわめて、これからこの尼ケ禿山に向かっているとの事。何という偶然であろうか、まだ2回しかQSOした事のないYAMAROOMの大御所が来ているのである。何とかお会いしたいので山頂で時間が許す限り待ちますと答えて、山頂で子供と一緒にシートを敷いてゴロゴロする事にした。すると若い男性2人と美しい女性が一人のパーティーが山頂にやってきた。そして「KUMO」の山頂標識を見ると、

「これがKUMOか」
「この前、「山の本」に載っていたやつだ。なんでもこれをつけている人は40時間も山の中を歩いているらしいんだ。それにこれをペンチで取って、歩いている人もいるんだって」
「なんておかしい人が居るもんだなあ。それも妙な山に付けてある事が多いんだって」などと口々に言っている。

 思わず子供と顔を見合わせて笑ってしまった。その笑いに気付いたのか、そのパーティーが私と子供を見たので、

「私はそのKUMOの知り合いです」と答えると、急にあらたまって、
「すみません、知らなかったもので」と謝った。
「いや、私もそう思いますよ。変な人ですね。我々の常識では考えられない行動をしていますから、もうすぐKUMOの仲間がやってきますから、楽しみにしていて下さい」と鈴木さんの到着が近い事を知らせて置いた。

 それからまた我々はゴロゴロする事にした。するとどこかで見た人がやってきた。4月30日に笠丸山で会った人だ。

「又、お会いしましたね。」

 どちらからともなく声を掛けて、その後、話し込んでしまった。今日はなんとも楽しいのだろうか。奇遇の連続だ。

 そして、その登山者が下山するのと入れ替わりに、鈴木さんご夫婦が山頂に到着した。二人ともいかにも山を楽しんでいる感じが、日焼けの様子から見受けられる。簡単な挨拶から始まり近況から、装備のことなど話題が尽きなかった。自作の2エレの八木などは鈴木さんの手先の器用さが出ていて、芸術品の趣さえ感じさせた。奥さんは登りながら山菜を集めて来たらしく「コゴミ、フキノトウ、ネマガリタケ」を袋にたくさん入れている。なんとそれをいただいてしまった。わたしはこんなマメな事はしないので、有り難く収穫のおこぼれにあずかった。その後かねてより山頂にいて、KUMOの悪口を言っていた登山者を、鈴木さんに紹介した。それからはKUMOの宣伝とメンバーの紹介で話しが盛り上がってしまった。きっと身に覚えのある人はクシャミが出たのではないだろうか。

 山頂での楽しい語らいで、時間が瞬く間に過ぎてしまった。KUMOをバックに鈴木さんご夫婦と並んで4人で記念撮影をした。良い思い出になるに違いない。その後は鈴木さんたちと話しながら、子供と登って来た道を一緒に下山した。

 実に楽しい山行で、子供も十分満足して、帰りの車の中で今日一日の出来事を話しながら帰った。


「記録」
センターハウス10:11--(.23)--10:34玉原越え--(.10)--10:44玉原トンネル10:47--(.16)--11:03鉄塔11:13--(.23)--11:36尼ケ禿山山頂14:16--(1.00)--15:16センターハウス


                        群馬山岳移動通信/1994/