あこがれの赤岳を県界尾根から登る

登山日1998年8月8日

赤岳(あかだけ)標高2899m 長野県諏訪郡、茅野市、南佐久郡・山梨県北巨摩郡

赤岳からみる八ヶ岳連山
(県界尾根→赤岳→真教寺尾根)

 8月8日(土)

 自宅を朝3時に出発して、ノロノロした車に終始いらいらさせられながら、なんとか「大泉清里スキー場」に到着したのは5時半頃になってしまった。通年営業のスキー場リフトの駐車場は、朝の9時にならないと開門しないらしい。しかし、とても9時まで待つことは出来ないから、そのまま車道を進み、再びスキー場の駐車場にたどり着くが、ここが開門されるのは下の駐車場が満車になったときだけだそうだ。道はさらに先にも通じているが、ここにはゲートがあり、工事のため一般車両通行止めの表示がある。仕方ないので駐停車禁止の規制もないことを幸いに、路上駐車に切り替えて支度をした。

 ゲートの脇を抜けて林道に入ると、そこは鬱蒼とした林の中で、脇を流れる大門川にそって登っていく。どうやらこの林道は、大門川の砂防ダム工事に使われているらしく、現にダムは工事中であるようだ。

 林道終点から登山道は右の斜面に向かって延びていた。かなり急傾斜の道で瞬く間に汗が噴き出して、背中のあたりがびっしょりとなった。落葉樹の林は展望も少ないが、昇り始めた太陽の光を遮り、暑さから逃れるのには最適だ。

 登山道をほぼ10分ほど登ったところで、後から来た親子連れにあっさりと抜かされてしまった。父親はかなりの山のベテランらしく、いろいろと中学生くらいの子供にアドバイスを送っていた。さらに10分ほど歩いたところで、今度はサングラスの青年に再びあっさりと追い越されてしまった。そしてその姿を見て驚いた。なんと彼は短パンにサンダルなのである。口を開けて見送る私の視界からアッという間にその姿は消えてしまった。

 傾斜の強い道も、尾根に登り上げると傾斜が緩やかになってきた。そして道は、野辺山から延びてきた笹に隠れそうな道と合流した。さらに登ると周囲が開け、小天狗と呼ばれる場所に到着した。ここには先ほど私を追い越した親子連れが、既に腰を下ろして休んでいた。私も少し離れて腰を下ろして、食べ物を口に含んだ。

 父親はかなりこの辺の地理に詳しいようなので、下りに歩いてみる予定の真教寺尾根について聞いてみた。韮崎から来たという親子連れは、地元というだけにかなり詳しく、尾根の様子を説明してくれた。その結果、ポイントはどうやら下りはじめの、ガレ場だと言うことらしい事が分かった。

 親子連れが出発してから私も腰を上げて、小天狗を後にした。そして100メートルほど歩くと、突然樹林が切れて周囲が開けた。富士山が朝の光の中に浮かび、目の前には赤岳が青空の中にそびえていた。そして頂上には小屋の赤い屋根が、くっきりと見えていた。
そして登山道脇で、私を追い越して行ったサンダル履きの青年が座り込んでいた。のぞき込むと、きれいな色彩で赤岳をスケッチしている所だった。あまりにも真剣な姿だったので、そっとその脇を通り過ぎた。

 道はしばらくはアップダウンの少ないなだらかな登りとなった。振り返ると終始富士山が見えると言うことは、それだけで景色がすばらしいと感じてしまう。やはり富士山には、ある種のあこがれがあるからなのだろう。しばらくすると、後ろから人の気配を感じた振り返ると、あのサンダルの青年がすぐ後ろに迫っていた。すれ違いざまに声をかけると、容姿とは違って優しい顔で答えてきた。地元の茅野からスケッチをするために登っているという。そして彼はまた瞬く間に私の視界から消えていった。

 大天狗はちょっとした露岩となっていて、小さなお地蔵さんが立っていた。展望は清里方面がちょっと開けていた。ここで、携帯電話で自宅と連絡して、子供にあと2時間ほどで山頂に到着するから、無線機のスイッチを入れておくように頼んでおいた。これは山頂からだと、携帯電話が通じなくなる可能性があるからだ。

 大天狗からは傾斜のきつい登りとなった。それでも涼しい風が吹き抜ける快適な環境であり、それほどの苦しさは感じられなかった。そして樹林が途切れて、岩場にたどり着いた。なんとここは花の咲き乱れる素晴らしい、場所であった。その種類の多さに、乏しい私の知識ではとうてい太刀打ち出来ないものだった。それでも「トリカブト」「ヨツバシオガマ」ハクサンフウロ」「イワオトギリ」「ウメバチソウ」程度は確認できた。

 岩場は鎖の連続で、それが延々と続いていくというものであった。はじめはたいしたことはなかったのだが、そのうちに沢の中を登るようになって、息を整えながら徐々に体を上に持ち上げた。そしてその沢状の鎖場を登りあげると目の前が開けた。目の前には赤岳の山頂とそこから横岳に延びる稜線、そしてその間にある赤岳天望荘の小屋が目の前に飛び込んできた。しばらくはその光景に見入りながら、腰を下ろして冷やした麦茶を飲み干した。

 道は再び鎖と梯子の連続した道となった。傾斜のあまり強くない場所に設置された梯子は、掴まると四つん這いとなり、掴まらないと上れないと言う中途半端な設定だった。しかし積雪期にはこれがないと昇降は難しそうだ。最後の鎖場は、目の前に小屋が見えているのに、疲労でなかなか足が前に進まない。目の前の小屋にいる人の視線がこちらに向いているようで、なかなか休むのも勇気がいる。(そんなに見栄を張る必要もないのだが)

 それでもなんとか山頂に到着したときは、安堵の気持ちが胸一杯となった。それと同時にその場所からの大展望に心を奪われてしまった。あいにく東側はガスが巻いて展望は無かったが、西側は素晴らしいものだった。赤岳から蓼科山までの峰々の連なり、目の前の阿弥陀岳の向こうには槍の穂が印象的な北アルプス、御岳、南アルプス、なだらかな恵那山が一望に見えている。何時間でも飽きの来ないその光景であった。

 三角点峰にはこの小屋から少し歩くことになる。ここにはサンダルの青年がおり、記念撮影のカメラのシャッターを押してもらうことになった。彼はどうやら私よりも一時間ほど早く山頂に到着しているらしいから、本当に健脚であると感心した。

 この三角点峰の端に陣取り、目の前の権現岳を見ながらラーメンを食べてゆっくりとくつろいだ。試しに携帯電話を取り出して自宅に連絡を取るとなんと接続できた。子供に無線機のスイッチを入れさせて交信すると、なんとRS59で交信できる。感激しながら交信を楽しんだ。

 山頂で1時間ほど滞在後、下山に取りかかる。まずは目の前の岩峰に向かって岩場を降りて登りあげる。(途中で、阿弥陀岳への道を分けるところが分かりにくかった)そして
岩峰を再び降りて真教寺尾根に入り、連続した鎖場を下降することになる。とにかく長くうんざりするような長さで、登路に使用したらかなり疲労すると思われる。事実登ってくる人もいるが、皆5時間以上歩いているようで同情をしてしまう。

 下りはガスが巻いておりほとんど展望も利かず、ただ歩くだけという単調なものだった。とにかく牛首山に着いたときには、ヘナヘナと座り込んでしまった。ここで途中で追い越して来た男性がここに到着した。どちらからともなく話しかけたが、どうも話の内容が哲学的である。さらに聞くと甲府のお寺の住職だという。どうも話が説法めいていると納得した。そんな状況で結局30分間も牛首山で休むことになってしまった。

 牛首山からは一直線に下降して、賽の河原にたどり着いた。ここはベンチがいくつも置かれて、休むのに最適な場所だ。ここからさらに歩くと急に賑やかになった。それはリフトの山頂駅があったからで、子供の嬌声や、団体観光客のざわめきにちょっと戸惑った。ともかく、それらから逃れるように疲れた体にむち打って、一気にスキー場の中を駆け下りて、車を駐車した林道に向かった。




「記録」

林道ゲート05:48--(.26)--06:14林道終点--(.39)--06:53小天狗07:05--(.48)--07:53大天狗--(.43)--08:36鎖場--(.19)--08:55分岐--(.27)--09:22赤岳山頂10:26--(1.31)--11:57扇山--(.15)--11:12牛首山11:42--(.40)--13:22リフト小屋--(.17)--13:39林道ゲート


群馬山岳移動通信/1998/