今年の春に雁坂峠に登った時に、日本には諸説あるが三大峠というのがあるらしい事を知った。「「雁坂峠」「針ノ木峠」は登っているが「三伏峠」はまだ登っていない。調べてみると南アルプスの塩見岳に続くルート上にあるという事で、あまりにも遠方にあることから記憶から消えていた。しかし、最近ハイトスさんのHPに塩見岳のことが紹介されていた。なんと日帰りも可能とか・・・はたして64才の老体にもチャンスがあるかもしれない。秋雨前線の停滞と連続する台風の襲来でなかなかチャンスが巡ってこない。天気予報を眺めていると、平日にチャンスが巡ってきそうだ。そこで、日帰りが無理なら一泊と考えて、二日間の年休を取得した。 9月26日(月) 退社後、支度をして18時半に自宅を出発、中央道松川ICを22時に降りて登山口に向かう。アクセス道は狭く曲がりくねっており気を許せない。それもなんと40キロの距離があるので1時間以上のドライブを強いられることになる。真っ暗な林道走行は、シカの目がヘッドライトに反射し、まるで大きな蛍が浮遊しているような錯覚にとらわれる。ほどなく第二駐車場を通過、車が一台あり、その先の第一駐車場は平日にもかかわらずほぼ満車となっていた。空には星が輝き、明日の天気に期待が持てる。とりあえず、就寝の支度をして横になる。起床は3時として4時には出発する予定だ。 9月27日(火) 朝に雰囲気に気が付いて目を覚ますとなんと4時10分になっている。目ざまし時計を確認するとアラームのセットを忘れているではないか。できれば4時に出発したかったのだが、大幅に予定が遅れてしまった。いつもならお湯を沸かしてカップラーメンというところだが、そんな時間は無い。急いで車内を片付けて出発の準備をする。あたりはまだ真っ暗だが、なんとなく山の端に朝の光を感じる。昨夜は星が見えていたのだが、いまでは雲が空を覆い期待していたほどの天気は望めないようだ。そんな中、周囲も出発の準備を始めているようだ。しかし、ほとんどの車は動きが無いので、山小屋泊りの人たちなのだろうと推測した。 なんとか、4時50分に出発することが出来た。ゲートの横をすり抜けて舗装された林道を歩き出す。まだまだヘッドランプを無いと、歩くのが不安な状態だ。それにしても、この林道はなぜ封鎖されているのかわからない。まあ、この辺りは特種東海製紙の社有地林だから文句は言えない。舗装路が終わりダートの道となり、わずかばかり歩くと登山口に到着する。林道ゲートから30分以上をかけている。登山口前の広場は広く車なら50台くらいは余裕で置けそうだ。登山口の前には自転車が数台デポされていた。帰りのことを考えれば自転車は有効であるに違いない。この時点で周囲はすっかりと明るくなったので、ヘッドランプは必要なくなっていた。そんなことをしていると単独行の男性に追い抜かれてしまった。なんという速さなのだ、あっという間に視界から消えてしまった。こちらはヨタヨタとそのあとを追うように登山道に取り付いた。
針葉樹の林の中につけられた道を登っていく。周囲はシダや苔で覆われており、いかにも南アルプスらしい雰囲気だ。しかし、展望もなく同じような風景で楽しみが無い。道は急登のところは少なく、アップダウンが無いから疲労感さほど感じられない。三伏峠小屋までの距離を10分割して示す標識が、唯一自分の居場所を確認する術だ。その7番のあたりに「ほとけの水」と書かれた水場がある。確かにここまで来ると水が欲しくなるからありがたい。ここでハイドレーションバッグを確認すると、1リットルほど少なくなっている。ザックの中を確認すると、なんとびしょ濡れである。バッグのファスナーがずれていたものと思われる。小屋泊まりを予想して持ってきた着替えも濡れてしまった。最悪を想定して持参したツェルトも濡れている。まあ、こんなこともあるかなと諦めた。ともかくここでハイドレーションバッグの2リットルを満タンに、持参した空のペットボトル2本も満タンにした。ここで若いカップルに追い越されたので、本日は3人に追い越されたことになる。 老朽化した木の橋をいくつも越えながら、徐々に高度を稼いでいくがなかなか高度があがらない。それもそのはずで、道はほとんどトラバース状態である。そのうちに三伏峠小屋まで200歩の標識がある。ここは数えなくてはいけない。200歩目は小屋は見えるのだがまだまだ距離がある。小屋の玄関までさらに追加して232歩で到着だ。小屋の前には登山者が一人休んでおり、小屋の傍らではご主人が単管パイプのジョイントをばらしている。9月30日の小屋仕舞いまでそれなりに忙しいのだろう。「今朝の天気は良かったけど、今はポツポツと降り始めているから、天気は持たないだろう」「今日は諦めて泊まったほうが良い」とつぶやいている。まあ、それも考慮しなくてはいけないと思う。とりあえず山バッジ(500円)を購入して先に進むことにする。 それにしても三伏峠はなんとつまらないところなのだろう。展望もないし、峠らしくもない。期待していただけに拍子抜けと言ったところだ。小屋を過ぎるとテント場に出る。ガスのかかったテントは一張りのみで閑散としている。これならば快適なテント生活が出来そうだ。テント場からすぐに小河内岳への道を分けて緩やかな登りとなる。
ガスに包まれた三伏山は展望もなく、ただの通過点に過ぎない。本谷山まではガスで何も見えず登山道を辿るだけで印象がない。それもそのはずで、2時間近く歩いても標高は50m程度しか上昇していない。ダラダラと樹林のなかの道を歩くだけだったからだろう。本谷山は露土になっており、大人数が休むには適しているかも知れない。ここには塩見小屋の案内があり幕営は禁止と書いてあった。私のように古い人間は幕営なんて何処でも良いじゃないかと思うが、このご時世ではそれは許されないのだろう。 本谷山からはもったいないほど標高を下げていく。そしてシラビソの樹林帯に入っていく。最低鞍部と思われるところで、塩見岳の全貌を見ることが出来た。目指す頂きは生憎とガスで見え隠れを繰り返している。さらに山頂に続く尾根の北側はガスに覆われて白一色になっている。しかし、全貌が見えたのはここだけで、後は鬱蒼としたシラビソの樹林帯を進んでいく。ぬかるんだ道は常にトラバース気味に進んでいく。時折、下山してくる人達をすれ違うようになってきた。皆さんおおむね元気なところを見ると、小屋泊まりなのだろう。こちらは汗をたっぷりとかいて、上半身はおろか、ズボンも腰のあたりが汗で変色している状態だ。そんな中で爽やかに軽やかにトレラン姿の女性に追い越された。年齢は私と同じくらいだろうか、あっという間に姿が見えなくなってしまった。これで追い抜かれたのは4人となった。 ダラダラと道を歩いていくと、ここが頑張りどころと言う看板を見つけた。たしかにここから登りがはじまった。塩見新道への道を分けるとまもなく標高2700mの森林限界となった。相変わらずガスで遠望が利かないが色づいた木々の葉が美しい。ちょっとした岩場を抜けると塩見小屋に到着した。 塩見小屋は最近建て替えられたと言うことで、清潔な感じを受ける。小屋に近づくと内部から賑やかな声が聞こえてきた。この時間だから従業員なのだろうか?とても中に入っていく気が起きない。外から様子を窺っただけで小屋から離れた登山道に腰を下ろし、菓子パンと果物ゼリーを食べて大休止だ。 休んでいると上部から次々と登山者が降りてくる。コースタイムを聞くと登り1時間半、下り50分と言うことだ。日帰りとはいえザックの重量は12キロはあるので、どこかにデポしようと思ったが、これからも長丁場なので不安感がある。結局は全てを担いで登ることにした。
ハイマツの中に切り開かれた道は平べったい岩を敷き詰めたようで歩きにくい。そのハイマツも徐々に少なくなり、草付きの岩場に変化して行く。岩場には鎖はなく全て四肢を使って登らなくてはならない。これもちょっと意外だった。そのうちに危なっかしい格好で降りてくる若い女性とすれ違った。連れの男性は大きなザックを背負って、四肢の置き場を指示している。ひょっとして男性はプロのガイドなのかも知れないと感じた。それにしてもあんな格好で歩いている人と同行するのはごめんだと思った。 ペンキのマークに従って徐々に高度を上げていくと、途中で追い越していったトレラン姿の女性とすれ違った。下りも軽快で蝶が舞うようでもある。「皆さん富士山が見たくて山頂で待機していますが、無理ですね」そう言い残して、またもやすぐに姿が見えなくなってしまった。 岩場を越えて傾斜が緩くなると山頂は間近だった。たどり着いた山頂は塩見岳西峰で、水場のところで追い越していったカップルが、腰を上げて下山に取り掛かるところだった。「早いですね」と言うと、「いやあ!それほどでも、ちょっとビールを飲み過ぎて腹がチャッポチャッポしています」と答えた。なんという羨ましい体力なのだろう。「富士山は?」「いま見えないですけど、東峰の左に見えていました」たしかにいまは真っ白なガスが立ちこめて何も見えない。千葉から来たカップルはその後元気に下っていった。私はすぐ近くにある塩見岳東峰に行くことにする。 東峰へは2分ほどの時間を要した。標柱には東峰3052mと書いてあるので、東峰の方が5m高いと言うことになる。東峰には9人と3人の団体と単独行の男性一人がいた。これだけいると山頂は満杯状態だ。私と入れ替わりに団体が山頂を去った後、石川から来たという単独行の男性と山談義を楽しんで時間を過ごした。「これからどうしますか?」と聞かれた。自分自身迷っているので、「三伏峠小屋に泊まることを考えています」と答えた。たしかにここまでの時間を考えると日帰りは微妙なところだ。
山頂滞在は約20分、あまりゆっくりしていられない。三伏峠小屋に16時前に到着しないと日帰りは難しいに違いない。山頂を発って岩場を慎重に下ることにする。20分前に先行した団体が途中の岩場で渋滞、なんとかやり過ごして塩見小屋までやってきた。小屋に立ち寄ることはやめて、離れたところで休憩した。 ここからは長い時間を歩かなくてはならない。すれ違う人たちは異口同音に「小屋まであとどれくらいですかと」聞く。そのたびに小屋を13時10分に出てきましたと答える。そんな登山者も、本谷山付近で10人ほどのパーティーに出会ったのが最後となった。 三伏峠小屋のテン場では、すでに宿泊する人がビールを飲んでくつろいでいた。それを横目に頑張って小屋までたどり着いたが、時刻は15時57分・・・微妙な時間だ。しかし、宿泊しないとで即時決断した。 それは・・・ 1.山小屋が嫌い 2.明日は雨の可能性が高い 3.どうせ泊まるなら高速道路のサービスエリア(高速理容料金の深夜割引の適用が受けられる) 4.数日前から肘の腫れがひどく、翌日は医者に行きたい。 こんなところだ。 そこで、立ち止まることもなくそのまま先に進んだ。10分ほど歩いた所で、先行者を確認した。よかった!これで日没間近で不安が大きくなる行程も心強い。出来れば話ながら歩く事が出来れば良いと思い、追いつこうと疲れた身体に鞭を当てて歩いた。ところが先行する単独行男性とは距離が縮まらない。10m程の距離を保ったままで立ち止まる様子も見られない。あたりは次第に暗くなってくるので、その先行者は幻影なのかと思い始めた。このまま付いていったらどこかに引きずり込まれるのでは?心強いと思っていたのが、なんとなく不気味に感じるようになってきた。水場に到着したので絶対に休むと思っていたのだが、備え付けのコップで水を飲んで、すぐに行ってしまった。こうなれば追いかけるのはやめて、水場で休んでからマイペースで歩く事にした。 登るときは何でもなかった木の橋や階段は、下降では滑ってしまうので大きな負担となった。周囲は急速に暗くなってくるのがわかる。GPSの軌跡を頻繁に確認して、迷っていないことを確認することになった。とにかく先行者が人間だったのか、もののけなのかも不安だったからだ
ダラダラと歩いていると、緑色のヤッケを着た登山者が座っている。近づいてみると苔むした切り株を誤認していたことに気がつく。それを何度か繰り返してしまうと言うことは、疲れが出ているに違いない。また、往路を辿っているのに記憶が全く無いのだ。はじめてここを通過するような感覚を受ける。どこかに記憶があるはずなのだが、なんにも思い出さないのだ。それこそGPSを取り出して頻繁に確認する作業が続く。太陽の光がだんだんと弱くなり、登山口に到着する頃には足下が見えづらくなってしまった。露出した木の根で滑らないように慎重になるしかない。 登山口に着いたのは17時55分、あたりは誰もいない。これから駐車場までの2.7キロの林道を歩かなくてはならない。自分の足音だけが舗装路に響くのが不気味だ。おまけに路肩に転がっている白い石灰石が雪に見えるから不思議だ。それが石灰石とわかっているのに、どうしても雪に見えてしまう。頭が混乱しているのが解るのだがどうしようもないのだ。真っ暗な林道は何となく道型がわかるので、ヘッドランプは使わずに歩いていく。しかし、ボーッとしながら何も考えないで歩いていると、路肩から落ちそうになる。落っこちないように、慌てて方向修正することもしばしばだ。先行した登山者はどうしたのだろうと考えながら駐車場を目指した。 駐車場では一台の車がライトを点けて作業中だ。これがおそらく先行者なのだろうと思うが、私が到着した途端に車を発進させて行ってしまった。なにかあっけにとられてその車を見送った。 松川IC近くの清流園で汗を流してからみどり湖PAで車中泊してから翌朝帰宅した。 それにしても、不思議な感覚に陥った塩見岳であった 【記録】 群馬山岳移動通信/2016
歩行沿面距離 27.6km |