恒例行事となっている猫爺さん、旅人さんとの忘年会が「あずまや高原ホテル」で行うことになった。この付近はNHK大河ドラマ「真田丸」の影響で大賑わい。宿の予約も満杯で、かろうじてこのホテルのスイートルームが確保できた。今までは焚火で野宿が多かったのだが、大幅にグレードアップすることになった。 11月12日(土) 自宅を6時半に出発し、上信道上田菅平ICで降りる。このまま現地に向かうのではもったいないので、気になっていた虚空蔵山に登ることにする。 **虚空蔵山** この付近には虚空蔵山と呼ばれる山が二座あるが、そのひとつに登ることにする。上信道を長野方面に向かうと上田菅平IC手前に上田ローマン箸の橋梁があり大きなカーブとなっている。この正面に三角錐の小さな山が見える。これが虚空蔵山で、以前から気になっていた。ICで降りて上信道の側道で戻るような格好になる。すると虚空蔵山の斜面に墓地がある。ここの駐車余地に停めさせてもらう。墓地の周辺はリンゴ畑が取り巻いており、なんとも泥棒のようで歩くのがはばかれる。幸いに軽トラックがやっと通れるようなコンクリート舗装の細い道があり、これを辿ることにする。この車道もすぐに終点となり転回余地が残されている。 林道終点から数歩歩くと注連縄が横に通してある。この辺が登り口だろう。注連縄をくぐると古い石段があり、傾いたり土に埋もれたりしている。どうやら参道の遺構なのかもしれない。途中に橋梁を支えるワイヤーの固定となっている岩などがあり、何とも哀れな感じがする。しかしその石段も無くなり踏み跡さえも薄くなってきた。この辺りからひっきりなしに高速で走る車両が行きかう上田ローマン橋が、木の葉の間から見ることが出来る。倒木を跨いだり、ヌスビトハギの種子をくっつけたりしながら進んでいくと下草も少なくなり平らな土地に出る。さらに進むと三角点があり山頂標識は見当たらない。山頂は樹林におおわれて展望は全く得られない。付近には石柱があり「宇賀ノ神社」と書かれていた。詳細は解らぬが、かつては神社あるいは山城があったのだろう。それにしてもこの付近は断崖に囲まれ田場所が多く、山城に適した地形の多いことだろうか。この土地で覇権を争う事で城の設計や戦略を学んだことが役立ったのかもしれない。
墓地07:36----07:40作業道終点----07:45虚空蔵山07:47----07:55墓地
**米子(よなこ)大瀑布** 菅平高原を抜けて須坂市に入る標識に従って米子大瀑布への林道に入る。情報によれば、11月中旬には路面凍結のために閉鎖となることもあるらしいが、今日は閉鎖にはなっていない。カラマツの落葉に覆われた路面は滑りやすく、また狭くすれ違いも難しいほどだ。それでも早朝という事もあり対向車も先行車も無くスムーズに走行できた。駐車場に着くと長岡ナンバーの車が一台あるのみで、閑散としていた。今日は登山靴を止めてゴム長靴で行動することにする。クマ注意の標識があるので熊鈴をザックに括り付けた。紅葉はすでに終わり沢の水の流れも寒々としている。歩道はよく整備されており、橋もしっかりしていて不安は全くない。 やがて不動滝直下に出るが、ここからの道は無いが滝壺の近くまで登ってみることにする。倒木に阻まれてなかなか前に進めないが、何とか近くまで到達した。見上げれば落ち口から水が流れ落ち、下部は霧のように飛沫になって落ちている。その周囲の岩壁は飛沫が凍りつき、花が咲いたようになっていた。それが時折轟音を立てて落ちてくるのである。あまり長居はできないので早々に退散することにした。 さらに登るとこんな山奥に似合わない立派な建物が出現。ここが米子不動尊でシーズンオフという事もあり、人影もなくひっそりとしていた。ここから山道を登ると米子滝の展望台に行くことが出来る。氷柱がひっきりなしに落ちているので、落ちるたびにものすごい迫力を感じる。あいにくとこの周辺のみ雲に覆われて青空を見ることはできなかった。紅葉と青空と滝があればそれこそ見事な光景だと思う。また完全に凍結した滝を見たいものだが、冬季は通行止めという事で片道14キロの雪道を歩くのは困難であるに違いない。 米子滝から水平に数分歩くと今度は権現滝の展望台に立つ。しかし、権現滝までは遠望するだけで近づくことはできないので、迫力に欠ける点は致し方ない。 権現滝も氷柱が盛んに落下して轟音を立てている。厳冬期の完全氷結した姿を見たいものだが、ここまで歩いてくるのは大変だろう。 権現滝から階段の遊歩道を一気に下降する。沢に架かる橋を越えると小さいが三段の滝となっている。特に最上部の滝は、沢水が横に噴出するように飛び出して見ごたえがある。ここから立派な道を硫黄鉱山跡まで登りあげる。硫黄鉱山跡は平らな草地となっており、米子滝、権現滝を一望できるが、逆光となっており撮影には時間帯が悪かったようだ。
**梯子山** 米子大瀑布から菅平高原に戻る途中で梯子山に登ることにする。峰の原スキー場の大駐車場に駐車する。米子大瀑布周辺はガスがかかっていたのだが、ここは青空が広がり一天の雲もとどめない空が広がっている。駐車場もその関連施設もひっそりとして人影はみられない。菓子パンを食料としてひとつ補充してスキー場の道を歩き、左のゲレンデを登り始める。スキーリフトはゲレンデを横切るような形で斜めに昇っている。ゲレンデは降雪に備えて草刈りが進み整備されていた。急勾配を息を切らせてジグザグに登る。振り返れば対峙する根子岳が大きく見える。その奥には冠雪した浅間山が見えている。展望もよし、気温もよし、無風で心地よいこの場所で、ゆっくりとしたいと思う気持ちが強くなってきた。 ゲレンデの上部から水平に移動すると、スキーリフトの頂上施設に到着ここから梯子山方向には立派な道が続いている。これは楽勝で梯子山に行けると思ったが、なんとその道はしばらく行くと、下降してしまい梯子山は迂回してしまっている。行く先は胸丈ほどの笹薮で、前日の雨に濡れて条件は良くない。しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかない。仕方なく意を決してその中に身を投じた。 笹薮の中にもケモノミチらしきものがあるが、それも途切れがちで結局は笹をかき分けて稜線沿いに進んでいく。笹の下には雪が残っている部分も有り、最近雪が降ったようだ。長かったように感じたが結局10分ほどで山頂に到達することが出来た。GPSを利用して三角点を探してみるとピンポイントで探すことが出来た。三角点の周囲は笹の一部が薄くなっているのでそれなりに訪れている人が居るのだろう。展望はカラマツに阻まれて全く無かった。 山頂から戻るとズボンはびしょ濡れになってしまっていた。 駐車場でサッポロ一番味噌ラーメンを食べてから次の山に向かうことにした。
**保基谷岳** 保基谷岳は合併前の長野市では飯縄山に次ぐ二番目の高峰だったらしいが、全く人気が無い。 広域林道東豊線に入り狭い林道を進んでいく。舗装はされているものの、道の両側は枯れた夏草が車のボディーをバタバタと擦る。すれ違いなんてとんでもない細い道が続く。「開通記念碑」まで来ると、そこは若干広くなっており駐車スペースは充分だ。それにしても車のボディーは何本も傷が横に走りとんでもないことになっている。ここは軽トラックの世界だと思う。ここにはオフロードバイクの男性が菓子パンを食べていたが、私の出現に驚いたようだった。まあそれほど一般の車が入るような場所では無かったのだろう。その男性と話しながら出発準備をする。 笹薮のに隠れる場所もあるが、しっかりした道があり全く問題なく歩ける。これなら迷うことも無いだろうし危険も無いだろう。すでに傾きかけた秋の陽に照らされてカラマツの葉がさらに輝きを増して染まって見える。無風で快晴だが少し寒い感じがする。道形を辿って20分ほどで急登となるが、ここにはロープが設置されていた。このロープにつかまり登り上げるとそこには石祠が有り、道は途切れていた。そして少し離れた場所には煉瓦を積み上げた保科小学校の記念碑があった。展望は無くひっそりとしたところだった。念のためにGPSを確認すると三角点はまだ先のようだ。ここは双耳峰の西峰と言ったところで三角点は東峰にある。等高線からの読みではおなじような高さだが、三角点を見ておきたい ところがこの西峰からは笹薮となっており、先ほど登った梯子山よりも笹が深い。まして倒木が笹に隠れて見えないので何度か躓きながら10分ほど先に進んだ。とりあえず高いところを踏んでからGPSを見ると通り過ぎてしまったようだ。ちょっと戻ってその位置を探すと苔むした三角点を見つけることが出来た。ここも展望は無く長野市第二の高峰ではあるが、飯縄山から見ると不遇の山そのものだった。
登山口14:12----14:36保基谷岳西峰----14:44保基谷岳東峰14:49----15:08登山口
**真田氏本城跡** 真田丸人気でここもかなりの人気となっている。静かな古城の雰囲気が取り戻せるのも遠くは内だろう。
群馬山岳移動通信/2016 |