2008年11月15日南天山から上武国境の山に登った。 当日は天気も良くヤブ山でありながら、気分も爽快で順調に国境稜線を目指していた。ところが、ブドー沢の頭に登る斜面にさしかかったときに、腕時計(プロトレック)を紛失していることに気が付いた。あとで撮影した写真を時間軸で確認するとどうやら紛失した場所は1550mのピークを越えてワイヤーや滑車の残骸などがあったが、その手前の地点と考えられる。これからの行程を考えると戻って探すなんて事はまったく考えられなかった。まして、あとで探しに行くなんてことは、奥深い山でもあり安易には踏み込めない。まして紛失したのが、笹藪の中では探すなんて難しいと思った。そんなわけでこのプロトレックは永久に山の中に埋もれていくはずだった。 この紛失したプロトレックの購入をしたのは2006年の暮れで、それまで長年使っていた時計は気温が低下すると表示部に水分による曇りが発生して見にくくなっていた。そこで、いつか購入しなくてはと思っていた。しかし、高価なものであり、なかなか踏ん切りが付かずにそのままになっていた。そんなおり2007年の暮れに、当ホームページに頻繁に登場する猫吉さんと都内で打ち合わせる機会があった。その時猫吉さんが持っていたのが当時の最新型のプロトレックであった。猫吉さんは世界中を放浪する旅のエキスパート。その彼が愛用している時計は眩しい存在だった。こうなると何とか手に入れたくなるのが人情。その日の内に都内のカメラ店で購入することになってしまった。このときの選択は店員の勧めもあり、ベルトはクロスバンドを購入した。これは金属製のものだと手首の太さによる調整が出来ないので、たとえば腕に直接装着するのではなく、袖の上に取り付ける場合は便利だと言うことだった。しかし、これが後にアクシデントのきっかけとなる。 使い込んでくるとバンドはやはり痛んでくる。とくにバンドを止める部分がダメになり、外れやすくなっていたことから新しいバンドを購入して付け替える手はずをしていた。ところがこのバンドを交換をしないまま山行に使っていたのだ。これが大きな失敗となったわけである。このプロトレック購入のいきさつを考えると残念でならなかった。しかし、このまま時計がないのもなにかと不便である。しかたなく、翌日新しいプロトレックを高崎の量販店で購入した。このときの選択はメタルバンドで、腕から一気に抜け落ちないことが条件だった。 月日は流れほとんどこのプロトレックのことを忘れていた9月27日。新潟の裏越後三山の山行から帰り、いつものとおりパソコンのメールを確認して驚いた。それは近県に在住しているMさんからのものだった。この前、南天山に登ったときにプロトレックを拾ったのだが、あなたのものではありませんか?という内容だった。その拾った状況を見るとあきらかに私が紛失したものに違いなかった。さっそく購入時に撮影しておいたプロトレックの写真を送った。すると、似ている遠言う返事が返ってきたので、これは間違いないと確信を持った。そこでMさんにお願いして早速送って頂くことにした。 数日後、そのプロトレックが届いた。 実物を確認すると紛れもなく私が紛失したものだった。バンドは泥が付着していたがそのほかの外観はきれいなものだ。それに電波ソーラー時計と言うだけあって、一年近く放置されていたにもかかわらず時間は正確で電池容量も十分だった。またMさんからは発見時のエピソードがつづられた手紙が同封されていた。 【前文略】 拾ったのは、ヤブの中では無く、広い平らな場所です。 相方の後をそのまま付いていたら時計と遭遇しませんでした。 広いので、なんとなく右の方を歩いてみたくなり、斜め右に歩き出して5〜6歩で、なにかとがっているのが目に入りました。葉っぱに埋もれて泥が付いていましたが、動いています。どうしようかと思い、相方に話しますと、とりあえず持って帰ることにしました。 斜めに歩き出しても、目が違う方向を見ていたら、やはり時計に遭遇しません。これは奇跡と言ってもいいのでしょうか。 【以下略】 この文面を読むと本当に奇跡が重なっていることが分かる。 さらにこのMさんは初対面の人ではなく、1997年3月23日に前述の猫吉さんと十二社ノ峰に登った時に山頂で会っていたことが、その中に書いてあった。その上猫吉さんが持っていたライカのカメラのことも覚えていたのだ。Mさんの記憶力もたいしたものだが、この縁の結びつきに驚くほかない。猫吉さん、Mさん、そして私の不思議なつながりを感じる。 そして、何よりも驚くのはMさんがこの「群馬山岳移動通信」を見ていたこと。そして南天山のファイルを読んで記憶に留めて頂いたことだった。まして「群馬山岳移動通信」のメール欄は理由があって閉鎖しており、その数日前にメール欄を復活させたばかりだったのだ。 プロトレックは一年の時を経て、様々な偶然と奇跡によって私のもとに戻ってきた。 この時計は一生忘れることの出来ない宝物になった。
群馬山岳移動通信/2009 |