「大佐飛山」は期間限定で登る山だ。それは残雪期でなければ薮が深くなり、難易度は格段に高くなる。それが残雪期ともなれば、稜線は快適な雪原のルートができあがる。これを「天空の回廊」と表現した人がいる。それ以来、この呼称がこの山を表現する言葉として定着している。栃木でもっとも登りに難いと言うこともあり、いつかは登ってみたいと狙っていた。 天気予報を見ると、土・日はどうもパッとしない。10日前に「ぎっくり腰」になり、いまだもって腰ベルトを装着しているので不安はあるが、会社を休んで行くしかなさそうだ。 4月1日(水) 退社後、自宅を19時30分に出発。関越道→北関東道→東北道と辿って黒磯板室ICで降りる。出かける時に降っていた雨は、いつしか止んで空には星が見えるようになっている。ナビの案内を信じて進んでいくと、事前にグーグルのストリートビューで調べていた風景が車のライトに浮かぶ。狭い「林道巻川線起点」の標柱から入り、鬱蒼としたヒノキの植林地の中を行く。狭いが舗装はされているので、意外と走りやすい。それも初めのうちで、落石も多くなり道の端にある枝が時折車のボディーに擦れる。いったい登山口はどこにあるのだろうか?ハシゴが目印なのでそれを見つけながら進んでいく。すると、車が2台止まっている場所があった。その傍にはハシゴがあるので、降りて確認すると「黒滝山登山口」の標識が見えるので、登山口はここで間違い無いのでひとまず安心だ。さて車はどこに止めようか?すでに駐車してある車に倣って山側に止めようと思ったが、落石が多そうなので、少し戻ったところにあるカーブにある谷側の余地に止めることにした。 4月2日(木) 4時の出発を考えていたが、起きるのが辛くてぐずぐずしてしまった。朝方到着した2名の登山者はすでに4時に出発していった。焦りながらも、とりあえずカップラーメンを食べなくては、今日の行動に大きな影響を与えてしまうので、しっかりと食べた。ヘッドランプを点けて出発するが、昨日からあった一台の車はまだ準備をしている最中だ。他のもう一台のワンボックスは動きがないので、すでに山に入っているのだろう。 ハシゴを登り、ヒノキの植林地の中にある作業道を辿る。この作業道はかなりの急傾斜で、ストックを頼りに身体を持ち上げていく。林道と同じように雪は全く無く、こんな調子で雪の回廊が見られるのか不安になってしまう。しかし、右方向から合流する「百村山」からの尾根に乗り上げると、雪が一気に多くなった。雪面は、朝方の冷え込みなの影響なのか、締まっているので歩きやすい。やがてヘッドランプの灯りも不要となり、「カタクリ自生地」を通過し、「三石山」に着く頃に、日の出を迎えることになった。 空には一点の雲もなく、今日の天気は約束されたようなものだと感じた。「サル山」は顕著なピークではなく、登山道の通過点のような場所だった。第一の難関は「サル山」から右への屈曲点だ。「サル山」から直線的に少し進んでから、鞍部で,右に曲がるのだ。幸いに、トレースがあったので難なくクリアーすることが出来た。しかし、ここは迷いやすいことは確かだ。 ダケカンバの明るい林の中を登っていくと「山藤山」に到着、先行した男性二人組が休憩していた。聞けば、「大佐飛山」は4回目だと言うことなので、こちらとしても心強いと思った。 「山藤山」を過ぎると次第に展望が開けてきた。振り返ると那須連山が大きく背中に覆い被さるようだ。ひたすらキックステップで登っていく。アイゼンやワカンは不要で、そのまま登っていける状態なので、条件的には最高なのだろうと思う。それになんという素晴らしい天気なのだろう。雪面が眩しくなってきたのでサングラスを掛けることにした。
コメツガが密集する平地のような場所にたどり着き、その後は再び雪面を登っていく。北側がコメツガに覆われ、南側がひらけた「黒滝山」の山頂に到着した。この「黒滝山」がコースの中間地点となるようだ。先行した二人の登山者が休んでいた、お互いに記念撮影のシャッターを切り合った。そうしているうちに単独行の男性が到着、かなりの健脚らしく、息を切らせる様子もない。二人組は「私たちがトレースを付けていきますから心配無いですよ」と言い残して出発していった。後から来た足利市の男性としばし話をする。どうやら、私よりも1時間遅れて出発してきたらしい。まあ、年の差が10才もあれば仕方ないかと納得する。「このペースだと、早く行かなければ日帰りできませんよ」と脅かされてしまった。 「黒滝山」の三角点を跨いで、北側のコメツガの林の中に入っていく。赤テープと踏み跡が無数にあるので、ますますわからないから、迷うのも無理はないと思う。事前にGPSにトラックデータを入力してきたので、それを見ながら慎重に進んでいく。窪地に降りてから今度は左の林の中に入り、トラバース気味に登っていく。程なく、大型テントが二張り設営してある場所に到着した。このテントの大きさだとかなりの多人数が入山していると思われる。 ここから「西村山」へは一登りだ。振り返ると「高原山」が間近に見える。「西村山」は展望のないピークで指したる感慨もない。しかし、不思議なのは先行した二人の姿が見えないことだ。それほど軟弱とは思えない二人だったのに不思議だ。いままで続いていたスパ長の足跡が無くなり、アイゼンのトレースとなっていた。 「西村山」山頂で立ち止まって方向を考える。さて、どちらに進んだらいいのか一瞬わからなくなってしまった。GPSで確認すると標識から左の林の中に入るのが正解らしい。林の中に入り、わずかに歩いた所でその眺望に思わず息を呑んだ。
そこから見る「那須連山」の素晴らしさはたとえようがない迫力だった。 遠くにはまだ真っ白な飯豊の山々が青空の中に浮かんでいる。 さらに進むと今度は反対方向に「高原山」と奥日光の山々が見頃なスカイラインを形成して見えている。 残念ながら「高原山」の背後に見えるはずの「富士山」は確認できなかった。
その「大長山」に二人で相次いで登頂した。その単独行者が言うには、男女の二人組も追い越してきたという。今日の絶好のコンディションの日に登ったのは単独行2名、二人組2パーティーの合計6名が日帰りの人数だ。それに登山口にあった群馬ナンバーのワンボックスの、テント泊パーティーがどれくらいなのか?この単独行者は「大佐飛山」の先の「無名峰」まで行くと言うことだ。
大長山から樹林をわずかに抜けると、これまた大絶景だ。 見たかった「天空の回廊」「天国に続く回廊」「雪原の回廊」が目の前に広がっていた。 夏は笹に覆われている稜線が雪により、このような平坦な道ができあがるのだ。山行にご一緒させてもらったことのある、山部さん、ノラさん達は無雪期にここを歩いている。その記録は壮絶なものだったと記憶している。別格は旅人さんで、7時間で往復しているから考えられない。 足利の単独行者に写真を撮っていただいて、彼とはそのまま別れた。「くれぐれも写真撮影でゆっくりしないように!」念を押されてしまった。それほどカメ足に見られたと言うことなのだろう。しかし、この大絶景を記録に残さないわけにはいかないので、何度も同じような写真を撮影してしまった。途中でテント泊の元気な女性5名と男性1名のパーティーとすれ違った。あれだけのテントを持ち上げるのは大変だったろう。 「天空回廊」は踏み抜きも無く、アイゼンも不要で実に快適だ。なによりも目の前の那須連山が荒々しくもあり美しい。遠望する飯豊連峰の白い峰々までの空間に遮るものが一切無い。「大佐飛山」はこの「天空回廊」の先で三角形の山容で、どっしりと座っている感じだ。帰りの事を考えなければここでゆっくりとしたいものだ。
そして出発してから6時間弱で「大佐飛山」の山頂に到着した。 栃木で一番辺鄙で遠い山と言われている「大佐飛山」を最高の条件で登れたことに感謝。周囲は木々に遮られて見ることは出来ないが、それなりの達成感に浸りながら大休憩をする。菓子パンと、甘酒と、果物で喉を潤す。30分ほどすると遅れていた二人組が到着した。10分ほど話してから山頂を先に辞した。
山頂から少し下ったところで、男女の二人組とすれ違った。 これで、今日の山頂を目指した人は全て登頂を果たしたと言うことになる。 それにしても「天空の回廊」を経て「大長山」への登りはなんと辛い道だったのだろう。気温の上昇とともに踏み抜きも多くなり、そのたびに無駄な体力を消耗するようになってきてしまった。 「西村山」の登りでは、男女の2人組に追い越されてしまった。やはり体力は衰えていることが確実だ。しかし、なんと西村山にあとわずかの所で軽装の男性とすれ違った。聞けば行けるところまで行ってから帰るという。これが遭難する一番危ないパターンなんだけどなあ。まあ、自分のことで精一杯なのでそのまま別れた。 「黒滝山」手前ではなんと道迷いの失態で余分な体力を消耗して、そのままヨタヨタと下山することになった。 「百村山」に立ち寄るのを忘れてしまったのが唯一の心残りとなった。 「栃木で一番遠い山」「天空の回廊」はちょっとオーバーな表現だろうが、季節限定の絶景は一見に値すると思われる。 「記録」 沿面距離:18.5km 群馬山岳移動通信/2015 |
この地図の作製に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50メッシュ(標高)を使用したものである。 (承認番号 平16総使、第652号) |