旧知の山部藪人さんが「地図測量・標石拓本展」を地元の栃木県小山市で開くという。これは是非とも行かなくてはならない。そこでついでに低山を登ってから会場に向かうことにする。 11月24日(土) あじさい坂の市営駐車場はイベントのために閉鎖されていたので、六角堂の下にある駐車場に車を止める。時刻は8時なのだが、駐車場は空きがほとんどなくなっていた。支度を整えるが、今日の装備は最小限に留め25リットルザックで防寒着が大部分を占めた。ストックは必要ないだろうと言うことで持つことはやめた。そうしている間にもひっきりなしに人々が入れ替わりながら動いている。登山者ばかりではなく、トレーニングに来ている人も多いようだ。 あじさい坂はその名の通りアジサイが両脇に植えられた階段だ。アジサイの花が咲く季節は見事なのだろうと想像する。とにかくこの石段は長く見上げると首が痛くなるほどだ。とにかく汗をかくことは避けたいので、ゆっくりと登ることを心がける。そんなものだから、どんどん後ろから追い越されて、引き離されていく。 やがて朱色も鮮やかな山門が覆い被さるように立ちはだかった。これが隋神門と言われるもので栃木県の有形文化財になっているという。しかし、この神門の手前には車道があり車が行き交っているのは興ざめである。この先にも石段は続いており、汗をかかないようにしていたのだが、それは無理で早くも背中はびっしょりになっていた。 石段を登り切ると、太平山神社の境内に到着だ。まずは本殿にお参りするが、その前に撫で岩にさわってからと言うことらしい。壱拾円を納めて二拝二拍手一拝で丁寧にお参りした。ちょっとだけ境内を散策するが、いろんな神々を祀っているらしくそれぞれに社を持っていた。 そんな境内から標識に従って太平山に登っていく。道は良く踏まれていてママチャリでも行けそうな感じだ。杉林の中を一登りすると奥社に到着した。奥社は新しくホームセンターで売っている社のようで、あまりありがたみがしない。しかし、この神社には安易にお参りすると祟りがあるという。昨日も酒を飲んだからちょっとまずかったかな。 さらに数分歩くと、富士浅間神社のある太平山山頂に到着した。山頂は展望もなく長く留まるような場所ではなかった。
太平山からはかなりの急坂を一気に下る。それもわずかで道は平坦になり、なんと車道に出る。傍には中継施設があるから、この建設および保守のために作られたものだろう。ここの標識はちょっと紛らわしい表示を見ると車道を進むようにも見える。しかし、微妙に車道の下にある道を示しているようにも見える。地図を見ればわかるのだろうが、面倒なのでこのしゃどうのしたの道を行くことにする。 本当に歩きやすい道で第一級の登山道だろう。時折トレランの人に追い越されるが、ここはトレランにはもってこいだろう。ハングライダーの離陸場を過ぎるとすぐに晃石山の最後の登りとなる。 晃石山の山頂には社があったが、それほど古いものではなさそうだ。なによりもここにある一等三角点が見応えがある。本来ならここには「原三角点」があると言うことだ。これからお会いする予定の山部藪人さんが追い求めているものだ。記録に寄れば原三角点は山頂から南斜面に落とされたとのことだ。原三角点は「雲取山」「白髪岩」「米山」に現存している。群馬県内では「赤城山」近くでは「岩菅山」にある可能性が高いと言うことだ。本来なら北西方面の山並みが見えるわけだが、あいにくと今日はかすんでいる。 晃石山からは小さなアップダウンを繰り返し、妙な標柱の立つピークを過ぎると道はだんだんと傾斜が強くなり、手すりの付いた階段の下降となる。この階段は凍結したりすればかなり危険が増すように思える。200段ほどの階段を下りきると、そこが桜峠だった。峠の名前にふさわしい山桜の木があり、道は十字路になっていた。 展望もなく留まることも意味がないので、このまま先に進む。相変わらずアップダウンの続く道で変化もなくうんざりする。それにしても先ほどから栃木市内方面から、大音量でラップのリズムが聞こえてくるのがうるさい。まさに騒音以外の何物でもない。とっても不機嫌になりながら歩くが、正午まで延々とこの騒音は続いた。 やがて登山道の途中のような馬不入山の山頂に到着した。展望は無く三角点が山頂部分に埋め込まれていた。ここでパンを一つ頬張って早々に山頂を離れた。 帰路は、晃石山山頂、大平山山頂を通らずに六角堂までの道を辿った。
下山後、小山市で開催されているる「地図測量・標石拓本展」に出向く。 「山部藪人」さんとは2月以来だ。 先ほど見てきた晃石山一等三角点の拓本が目に付く。 ちょうど来場されていた「烏ヶ森の住人」さんともお話をさせていただいた。 貴重な?スリーショットを撮影して帰路についた。
|