武内正氏講演会
私のホームページに盛んに出てくる人がいます。
「怪人」「KUMOの署名の山頂標識」「JA1JCA」
これはすべて武内正さんのことを指しています。
2001年3月24日に群馬県安中市文化センターで、100人を越える聴講者を前に講演会が開催されました。
主催:碓氷ハイキングクラブ(代表、須藤圭一)
3月23日
武内さんを迎える前の日から盛り上がっています。 | |
QZW.JCA(怪人).KQA.DJFで記念撮影 |
IAS.JCA.FDI.KXWと談笑する |
武内さんの苦心の作「日本山名総覧」 |
HIGの求めに応じてサインをする |
怪人ちょっと緊張気味 |
主催者の求めに応じて紹介文を書いたのですが、ちょっと難があり全文を採用させてもらえませんでした。
そこでここに全文記載します。
武内正(たけうちただし)1941年(昭16)埼玉県出身
某有名電機メーカーを退社後、自営業を営む。
山歩きはその関係から限られた時間を活用するために、昼夜を通して歩くことが定常的となりました。1991年には新潟県の十字峡を午後11時に出発、丹後山から巻機山の県境を縦走、24時間歩き続け清水に至っています。さらに1996年1月、烈風下の農鳥岳付近でツエルトを失いの零下15度の中、着の身着のままでビバーク、骨折と凍傷を負いながらも生還するという強運にも恵まれています。ときには3日間40時間に及ぶ南アルプス彷徨を演じる事もあります。このような超人的な山行に対して、仲間から「怪人」と呼ばれ、恐れられてもいます。このエネルギーの一端は、大福と缶ビール。普通に考えれば、大変なミスマッチングに思えますが、武内氏のザックにはこの二つが欠かせません。大福が車の燃料としますと、缶ビールはオイルのようなものでしょうか。氷点下の真冬の山行では、かちかちに凍った缶ビールを少しずつ溶かしながらチュルチュル啜りますと、真夜中でもたちまち目が覚め元気が倍増するのだそうです。ところが怪人と言われる武内氏は、山でごく普通のものを口にしただけで、生死の境をさまようと言う弱点も備えています。
現在、登った山は1500座を越え、3000m峰は35座を完登しています。そしてそれらはすべて単独行です。武内氏の足跡は安中市にも残っており、中野谷の崇台山、秋間の御殿山に山頂標識があり、それは[KUMO」の署名の入った味わい深いものでもあります。
昨年の春に上梓された「日本山名総覧(18000山の住所録)」は武内氏が一人で精査したデータの一部をまとめたものです。これは2万5千分の一の地形図、約4400枚をすべて自費で購入1枚ずつ虫眼鏡で山を拾い出し、手作業で緯度経度を測ったものです。この本の出版以来、マスコミの寵児となり、民放、NHK、新聞各紙に登場しています。現在はこれらのデータをさらに充実させるべく、資料の収集をライフワークとして行っています。これは、私たちの山に対する様々な楽しみを、より深くしてくれるものと思います。
さらに自身の山登り、山岳データの編集に加えて、無線と登山を組み合わせた「山岳移動ランキング(山ラン)」を主宰すると言う多角的な活躍ぶり。「山ラン」の方も、全国に会員が広がっています。
小柄な体格と、温厚な話しぶりからはとても想像できない、怪人、武内氏の魅力を今夜は十分に感じてもらいたいと思います。
群馬山岳移動通信 /2001/